3-2



*****


 ウィリアムが初対面のシーンをかいつまんで話すと、シャルロットはポンと手を打った。


「あのときの落としもの!」


 やっとシャルロットは思い出した。


「あのときは背もわたしと同じくらいだったのに、大きく育ったのね!」

「いや、そこまで小さくなかったし、落としものでもないからね」


 ウィリアムはしょうしながらていせいした。


「シャルロットのおかげで健康になったよ。ありがとう」

「どういたしまして」


 シャルロットはニッコリと微笑んだ。ウィリアムもつられたように目を細める。


「シャルロットは変わらないね。いや、あのころよりもっと美しくなっているけれど」

「当然よ」


 ウィリアムがはにかみながらたたえた言葉を、シャルロットはさらりと受け止める。

 今日のシャルロットは王子と出かけるとあって、貴族らしいえのするドレスを着ていた。


「シャルロット、一昨日はどうしてあんな格好をしていたの?」

「それは……」


 身分をかくしてこっそりあなたに会いに来たの、と本人には言えない。


「えっとね……」


 上手い言い訳が思いつかず、シャルロットは冷や汗を流した。うそはつき慣れていない。アンヌならこの間に、もっともらしい理由をいくつも挙げていただろう。


「いいよ、言えるようになってからで。事情があるんでしょ?」


 そう言うウィリアムは気を悪くしているようではないので、シャルロットは胸をなでおろした。


「今はこうしてシャルロットといられるだけで胸がいっぱいなんだ。ずっと会いたかった」


 アッシュブルーのひとみせられたかと思うと、手を持ち上げられて、指先にれるだけのキスが落とされる。


(わっ)


 シャルロットはドキリとする。

 あいさつとしてそうめずらしい仕草ではないのだが、不意打ちだったのと、あまりにウィリアムの瞳が甘やかだったからだ。


(こういうときには、なんと返せばいいのかしら。勉強はなんの役にも立たない!)


 シャルロットがあわあわとしているうちに、馬車が劇場の前でまった。


「行こう、貴婦人たちに人気の演目を予約したんだ」


 ウィリアムにエスコートされながら馬車を降りると、シャルロットはリードされるままにウィリアムのうでに手を回した。さすがに所作がスマートだ。


(昨日はマルクに、腰に手を回されたんだっけ。街中だったから人に当たらないように……)


 ひだりうでがウィリアムに密着して動きがぎこちなくなりながら、ふとそんなことが頭をよぎった。


「こういうことに慣れていないの?」


 ウィリアムにたずねられて、シャルロットは頰を染めながらうなずいた。


「男性と出かけたりしなかった?」


 重ねて聞かれて、こくこくとうなずく。


(昨日、マルクと予行練習をしておいてよかった。しなかったら、もっとひどかったはず!)


 そう考えていると、


「あの騎士とも?」


 とウィリアムに尋ねられ、シャルロットは顔を上げた。

 なぜマルクのことを聞かれるのだろう。


「気にしないで。とても親しそうだったから」


 軽く首を振ったウィリアムに「ここだよ」と座席へうながされた。

 劇場は主にせっこうで作られた白い半円形の建物だ。観覧席はアーチ部分で三階建てになっており、三千席ほどある。たいは張り出しになっていて屋根がない。舞台そでや幕が存在しないので、役者たちは舞台おくかべにいくつか設置されているとびらから出入りする。

 シャルロットとウィリアムが座ったのは、舞台の真正面、二階の最前列で、特等席だ。


「晴れてよかったよ。雨が降ると中止だからね」


 シャルロットが腰掛けてから、ウィリアムも着席する。

 客席には屋根があるので天候はそれほどえいきょうしないが、風や日差しが強ければ役者は大変だろう。今日は晴れてはいるもののっすらと雲がかかっていて、秋風もさわやかだ。絶好の観劇日和びよりといえる。


「まだ時間が早いの? わたしたち以外いないけれど」


 シャルロットは周囲を見回す。


「貸し切りだからね。二人でゆっくり観劇したいと思って」


 ウィリアムが微笑んだ。よく見るといっぱん客はいないが、ウィリアムの護衛らしき兵がひかえている。


「無理にチケットを押さえたんじゃないよ。今日はソワレ公演しかなかったから、もう一公演してもらえないかとらいしたんだ。かいだくしてくれたよ」


 ウィリアムが直接たのんだのではないだろうが、王子のようせいとあっては劇団側も断れないだろう。

 とはいえ、ウィリアムは街で人気のようだし、「皇太子が見た演目」ということで広告になり、集客につながるかもしれない。しゅさい者側は本当に喜んでいる可能性もある。


「準備をしてくれてありがとう、ウィリアム。演劇はあまり見る機会がなかったから楽しみよ。演目はなに?」

「『とうぞく王子』だよ」

「えっ!?」


 シャルロットがあげた声に驚いたようで、ウィリアムは目を丸くした。


「どうかした?」

「わたし、その話好きなの!」

「そう、よかった」


 ウィリアムはがおに戻った。

 なんというぐうぜんだろうか。

 近年の人気作だからシャルロットが読んだわけで、それがきょく化されているのは必然かもしれない。ウィリアムも貴婦人に人気だから選んだと言っていた。

 しかし、さそってきたのがウィリアムだというのが、なんともぐうだった。


「その主人公のモデルがウィリアムなんじゃないかって言われているの、知ってる?」

「……シャルロットはそれも知ってたんだ」


 ウィリアムはいたずらがバレた子どものような表情で、うすく頰を紅潮させた。


「まさかウィリアム、ぞくだったの!?」

「そんなわけないよっ」


 ウィリアムは慌てて否定する。


「そうじゃなくて、そういう噂を耳にしたから、前からこの作品に興味があったんだ。原作を読んだことがなかったからね。今回はいい機会だと思って」

(なるほど。偶然なようで、そうでもないのね)


 シャルロットは納得した。


「どうして自分がモデルと言われているのか知ってる?」

「聞いた話によると、僕がよく城下街に顔を出しているのが義賊王子とかぶっているようだよ。あと、たみの暮らしをサポートしているとか……、こんなの王族なら当たり前だけどね」


 ウィリアムの声が小さくなって、視線を伏せた。

 その悲しげな表情を見て、シャルロットは昨日のうわさばなしを思い出した。


 ──ウィリアム王子が、一歳下のジョルジュ王子に地位をおびやかされているのは有名な話さ。弟王子をかつげているのは税金食いの廷臣で、今はウィリアム王子が目を光らせているけれど、ウィリアム王子になにかあったら、この国も俺たちも大変なことになるかもしれない。


 まさに、街のヒーローとして、ウィリアムと義賊王子が重ねられているのかもしれない。


「あと、じゅうが得意なことも共通するみたいだ」


 ウィリアムは気を取り直したように言った。


「ウィリアムは銃が得意なの?」

「そう。昔は身体が弱かったから、けんより銃を重点的に練習したんだ。今では国で一番のうでまえだと言われている」


 ウィリアムはほこらしそうだ。


「すごいわ! 一番なんてそうなれるものじゃないもの!」


 シャルロットはめたたえる。


「マルクもけんは国で一番と言われてるけど、銃はどうなのかしら」


 シャルロットの言葉に、ウィリアムの動きがいっしゅん止まる。


「ねえ、ウィリアムはどんなれんあい小説が好き?」

「恋愛小説は……、読んだことがないかな」

「そうなの」


 シャルロットは残念そうにまゆを下げた。どの作品が好きなのか語り合いたかったのだが。

 マルクには朗読をさせているので、彼はシャルロットの好きな本を一通り読んでいる。感想をねだれば、こうてい的な意見だけではないにしても、話が盛り上がった。


「そうだ、ウィリアムはさいうんを見たことがある? わたし、昨日初めて見たの。とても綺麗だったわ!」


 シャルロットは手を組んで、キラキラとかがやいていた雲を思い出した。


「もしかして、ラバーズヒルに行ったの?」

「そうよ。とてもてきな場所ね! 帝国にも作るべきだわ」

「あの騎士と一緒に?」


 ウィリアムにかくにんされて、シャルロットはハッとした。今日のために予行練習をしたと言ったら気を悪くするだろうか。


「ええ……」


 しどろもどろに返事をしながら、昨日のことを思い出してシャルロットは頰をゆるめる。マルクと過ごした時間はとても楽しかった。

 それを見たウィリアムの表情がくもる。


「やっぱり、彼と仲がいいんだね」

「マルクは六歳からわたしの騎士だから」

「彼とは、それだけ?」

「それだけって?」


 シャルロットは首をかしげる。

 そのとき、開演のベルが鳴った。


「あっ、始まる」


 シャルロットはワクワクして、前のめりになりながら舞台を見下ろした。

 本をり返し読んで内容は暗記しているが、しばとなるとしんせんだ。

 舞台に集中しようとするシャルロットの耳元で、ウィリアムがささやいた。


「シャルロット、手をつないでいてもいいかな」

「えっ」


 姿勢を戻すと、ウィリアムの端整な顔がすぐ近くにあった。


(近いっ)


 ドキリとしてシャルロットは背を反らした。


(なぜか昨日から、すぐ心臓が激しくなる!)

「どうぞっ」


 シャルロットは左胸を押さえながら返事をした。

 ニッコリと微笑んだウィリアムは、自分の手をひじけにあるシャルロットの手に重ねた。さらに五指の隙間に長い指を差し込んで、指をからめるようにシャルロットの手を握り込む。


(わたしの知ってる握り方と違うっ)


 シャルロットのどうが激しくなった。

 いつまでもウィリアムの手が離れないどころか、ときどき指が動いて手の平をくすぐられるので、観劇どころではなかった。

 結局シャルロットは、芝居の内容をほとんど覚えていなかった。



(疲れた……)


 シャルロットは案内されたシュルーズメア城のひんしつのソファに倒れ込んだ。

 常に気力や体力がマックスのシャルロットにとって、珍しいしょうもうの仕方だった。

 いわゆる、づかれだ。

 観劇が終わったのは日が暮れ始めたころだった。

 おたがいに夜会の準備をしなければならないので、二人は馬車でシュルーズメア城に向かった。

 シャルロットは緊張が長時間続いたことで意識がもうろうとしてしまい、ウィリアムに支えられて歩くありさまだ。すると密着するので、ますます緊張するというあくじゅんかんだった。シャルロットはずっとっていたので、ウィリアムは温石でもいているような気分だったのではないだろうか。


「真っ赤だね。可愛いな」


 ウィリアムは楽しそうにシャルロットの顔を覗いてきたので、わざと密着していたのかもしれない。


だいじょう? 具合が悪いようだったら無理しないでね。また来るから」


 わざわざこの部屋までシャルロットを送り届けたウィリアムは、そういたわって去っていった。

 ううう、とシャルロットはうなる。

 心や身体が思うようにせいぎょできないことは初めてで、どうしていいのかわからない。


「失礼いたします」


 ノックのあとに聞き慣れた声に、シャルロットはガバリと起き上がり、ぴょんとソファから飛び降りた。そして扉から姿を現したアンヌに抱きつく。


「いかがなさいましたか、シャルロット様」

「わたしの心臓がこわれた!」


 シャルロットはなみだうったえた。

 アンヌは背中をさすってシャルロットを落ち着けて、改めてソファに座って話を聞いた。シャルロットは昨日から起こるどうについて説明した。

 シャルロットが必死になるほど、アンヌの口角が上がっていく。


「まあ、それはおめでとうございます」

「なにがっ!?」


 シャルロットは半泣きで、笑顔のアンヌにしがみつく。


「それは壊れたのではなくて、治ったのですわ。シャルロット様が成長しているあかしです」

「そうなの?」


 シャルロットはしずくがついたままの長いまつをまたたかせる。


「素敵な殿とのがたに触れられたら、鼓動が速くなるのは当然です」


 シャルロットは左胸を押さえる。今はアンヌといてリラックスできているせいか、心臓の動きはゆっくりだ。


「殿方ならだれでも同じわけではないはずですわ」


 言われてみれば、街ではぐれ者たちに腕を摑まれても、なにも感じなかった。


「激しい運動をせずに鼓動が速くなるのは、主に緊張をしたときです」


 不安、きょう、期待、驚きなどからくる緊張だ。


「シャルロット様。次は殿方といるときの、ご自分の鼓動を観察されてみてはいかがでしょう」


 なぜドキドキするのか。どんなふうにドキドキするのか。

 そこにはきっと、意味があるはずだ、とアンヌはシャルロットに伝えた。


「……よくわからないわ」


 シャルロットはシュンとする。なにしろドキドキすると、頭まで真っ白になってしまうのだ。考えているゆうなどない。


「難しく考えなくてもいいのです。胸の鼓動は、自分の意思で速くしたりおそくしたりはできません。心を映すとてもなおな臓器ですから、ぶんせきのしがいがあると思いますわ」


 アンヌはシャルロットのかみをなでながら微笑んだ。

 観察、分析は、美容薬開発などでシャルロットが日常的にしていることだ。

 自分の心について、それをしろとアンヌは言っている。


(アンヌは簡単に言うけれど、やっぱり難しそう)


 なんと言っても心はかたちがないし、見えないのだ。薬の素材とは話が違う。


あせらなくても大丈夫ですわ。正常に動き始めたばかりなのですから」


 アンヌは自分の左胸を軽くたたく。


(わたしの心臓は、今まで異常だったのかしら)


 シャルロットは細い眉をひそめた。


「そろそろ準備を始めなければなりませんわね」


 アンヌに促され、シャルロットはえることにした。


 シャルロットはベルベット地のモスグリーンのドレスと、アップにした髪に同色のヘッドドレスを身に着けた。皇女としてではなく子爵れいじょうかたがきなので装飾は少ないが、むなもとに上品なレースなどがあしらわれており、それだけで周囲のよそおいの令嬢をはるかにしのぐ輝きを放っていた。

 シャルロットや後ろに控えるアンヌの美しさに、夜会の会場はざわめく。


「マルク様は会場で合流することになっています。もういらっしゃるはずですわ」


 アンヌがシャルロットに耳打ちした。


(マルクが……)


 今朝は避けるような態度を取ってしまった。会ってびたい。

 フロアはさいおうの人物が見えないほどに広い。歩きながら探すしかなさそうだ。


「あっ、ウィリアム発見」


 グラスを片手に持ったウィリアムは令嬢たちに囲まれていた。

 白いサテン地の夜会服に銀のサッシュがかけられ、それがプラチナブロンドのはくせきぼうによく似合っていた。


(女性たちがウィリアムにねつれつな視線を送るのも当然ね)


 そこに、ウィリアムもシャルロットに気づいて近づいて来ようとする。シャルロットは首を横に振り「あとで」と口パクで伝えた。


じゃをしてはいけないわ)


 貴婦人たちからじゃっかん離れて、廷臣たちも順番待ちをしていた。さすがに第一王子はいそがしそうだ。

 視線をめぐらせると、もう一つわかりやすい大きな輪ができていた。中心にいるのは、やはり容姿の整った若いしんだった。

 こちらはウィリアムと対局な装いで、素材がわからないほどコートに銀糸や金糸でごうしゅうがされている。


「ううむ……」


 シャルロットの〝美しいもの探知機〟はピクリともしない。

 シャルロットにはよくあることで、もくしゅうれいでもこみ上げる感動がなく「美しい!」とは思えない。

 ここはシャルロットの感性としかいいようがないが、「容姿は心の鏡」なので、どんなに外見は整っていても、心によどみがあると、容姿もどこか曇って見えるようだ。


「あの者は?」

「第二王子のジョルジュ殿でんですわ」


 シャルロットの問いにアンヌが答える。


「あれがウィリアムの弟……、似ていないわね」


 男性にしては珍しく、カラス羽のような深いブルネットの髪を肩までばし、片側の耳の横で一つにっている。一重の切れ長の瞳は知性を感じさせるが、神経質そうでもある。母親は異国人なのか、エキゾチックなりょくがあった。


(兄弟仲良くできるといいのだけれど)


 シャルロットの兄姉は人数が多いうえに仲がいいので、改善方法はまったく思いつかない。


(……あれは)


 更にもう一つ、控えめな輪を見つけた。

 かべぎわにいる半円形の輪の中心に、ダークブラウンの髪の男性がいた。長身なので大勢の人の中でも頭一つ分抜けている。シンプルな黒いフロックコートがスタイルの良さをきわたせていた。


(マルクだわ)


 こうして夜会で、軍服以外の装いをしているマルクを見るのは初めてかもしれない。

 壁に背を預けながら、女性たちとだんしょうしているマルクの表情はおだやかだ。


(わたしに対してはいつも、けんにしわを寄せているくせに)


 シャルロットはムッとする。


(昨日はそうじゃなかったけど。むしろ昨日のマルクなんて、もっと笑顔だったから!)


 シャルロットは心の中で張り合った。


「ねえアンヌ、マルクは今日、なにをしていたの?」

「存じませんわ。……マルク様が気になりますか?」

「そういうわけじゃ……」


 シャルロットは口ごもった。


(今日はほとんど一緒にいなかったのに、なぜマルクのことばかり考えてしまうのかしら)


 そこに、かんげんがくだんによる演奏が始まった。かんだんする者は壁際に寄り、中央はダンスフロアになる。

 れいな令嬢がマルクに話しかけている。

(ダンスに誘っているのね)


 マルクは令嬢になにか返事をして、顔を上げた。

 シャルロットと視線が合う。

 ドキリとして、思わずシャルロットは身をひるがえした。


「アンヌ、行きましょう!」


 マルクが令嬢とおどる姿なんて見たくない。


(なによ、デレデレしちゃって。わたしの騎士なのに!)


 だんだんいかりがこみ上げてきた。

 会場を出てかいろうを歩いていると、かたすみで一人の令嬢がシクシクと泣いていた。


「どうしたの?」


 シャルロットは驚いて、しゃがんで令嬢に声をかけた。


「気にしないでください。私なんかといると、こうしゃく令嬢に目を付けられますわ」


 令嬢はうつむいたまま肩をふるわせている。


らちが明かなそうね)


 シャルロットは令嬢の両手を握って、自分が立ち上がる勢いで令嬢も引っ張り上げた。強制的に立ち上がらされた令嬢は、瞳に雫をつけたままキョトンとしている。

 令嬢のドレスには、胸元から腰の下まで、みごとに赤ワインのラインが入っていた。誰かにワインを引っかけられたようだ。


「よかったら事情を話して」


 シャルロットは令嬢に微笑みかける。

 シャルロットの行動とともに、その美しさにも絶句していた令嬢は、しばらくして口を開いた。


「私はロザリーと申します」


 ロザリーは十八歳のだんしゃく令嬢だった。豊かな紅茶色の髪で、細く短い眉が常に下がり気味で弱気に見えるが、大きな瞳で可愛らしい。


「実は、公爵家のティンクチャーと私のドレスの模様が似ていると、その公爵家のご令嬢を怒らせてしまって……」


 ティンクチャーとは、もんようの模様や色のそうしょうだ。

 ロザリーの説明を聞く限り、それらの模様はさほど似ていない。ロザリーと公爵令嬢は同じ学校の級友で、いじめの口実のようだ。


「そのご令嬢はとても力を持っていて、誰も逆らえないんです。近々ウィリアム殿下とこんやくをするのだと、いつも口にしています」

(ウィリアムと婚約?)


 そんなに性格の悪そうな令嬢とウィリアムが婚約することに、シャルロットはかんを覚えた。


「私が悪いんです。それに、慣れていますから……」

「慣れているって、よくあることなの?」


 ロザリーはうなずいた。シャルロットは眉をつり上げる。


「私はみにくいですし、仕方がないんです」

「軽々しく醜いと口にするなんて! だからあなたはいじめられるのよっ」


 シャルロットから事情を話せとせまったくせに、シャルロットはじんにもキレて、ロザリーの顔の横に両手をついた。そのはくりょくにシャルロットより背が高いはずのロザリーが「ヒッ」と小さく悲鳴をあげる。


「そこから抜け出そうと努力をしたの?」

「し、してません。意味がないですし」

「美しければ抜け出せるのね?」

なぐさめてくれなくてもいいんです。私はこんなに、のっぺりして地味な顔なんですから」

しょうが下手すぎ!」


 シャルロットのてきに、ガーン! と効果音が入りそうなほど、ロザリーの顔がしゅんに真っ青になった。


「美しさを追求しない者は見過ごせないから手伝ってあげるわ。来て」


 シャルロットはロザリーの手を引いて空き室を探した。


「ここでいいわ。アンヌ」

「はい」


 ひかえしつになっている人のいない部屋に移動すると、ソファにロザリーを座らせた。そして化粧品の一式をアンヌから受け取ったシャルロットは、化粧落としから始めて、改めてロザリーに化粧をほどこした。その間にアンヌもロザリーの髪を手直しする。


「よし、できた。鏡を見て」


 シャルロットが促すと、ロザリーは鏡を見ながら口を半開きにして言葉を失った。


「これが、私?」

「ね? 努力しないとわからないでしょ」


 彼女を美しく仕上げたシャルロットは胸を張った。

 短めだった眉はほどよい角度と長さに修正されて、睫毛は黒々と伸びてくりっとした瞳がより大きく見えるようになった。鼻筋がすっとして、れていたくちびるもぷるんとうるおっていた。


「これはわたしが開発した化粧品よ。今日使ったものはサンプルとしてあげる」


 アンヌから受け取った羊皮紙に羽根ペンで、シャルロットは化粧のコツをサラサラと書いて、化粧品とともにふくろに入れてロザリーに渡した。


「知識は武器! 美しくなれば幸せになるのよ。精進するように!」


 ピシッとシャルロットは指先をロザリーにけた。


「シャルロットさん……!」


 ロザリーはシャルロットに抱きついた。


「泣かないの! 化粧をし直さなきゃいけなくなるでしょ!」


 慌ててシャルロットはロザリーを引きはがした。


「はい。嬉しくて、つい」


 泣き笑いのロザリーに、シャルロットはにっこりと微笑む。


「あとは、ドレスね。わたしのドレスと交換しましょうか」

「いいんですか?」

「もちろん。このわたしの美しさが、ドレスごときでそこなわれると思う?」

「お、思いません」


 ふるふるとロザリーは首を振る。


「では」


 シャルロットとロザリーは、アンヌの手を借りてドレスを交換した。


「素敵なドレスに仕立て直すから、ロザリーがそのまま着ていてもいいと思ったのだけど、応急処置で少しワインのにおいがつきすぎるものね」

「ワインの匂い? ……って、なにをしているんですか、シャルロットさん!」


 シャルロットは自分が着ているドレスに、ボトルワインをぶちまけた。もともとななめに入っていたワインのみは気にならなくなったが、それ以上にワインの染みだらけになってしまった。


「この染みをこうして……」


 シャルロットとアンヌは、たたくようにして赤い染みを広げていく。すると、その染みはバラの花のようになっていった。

 その上に胸元からひざたけまでの白いレースを重ね、腰にはバラの花束をかざり、頭には花のかんむりをのせた。


「バラのようせいみたい」


 ロザリーはうっとりとシャルロットを見つめた。もともと、このように仕立てられたドレスのようだ。まったくワインの染みには見えない。


「みじめにしか見えないと思っていたドレスが、こんなに素敵なドレスに生まれ変わるなんて」


 ロザリーはたんたんとした口調で、しかしき上がる気持ちをおさえるように話す。


「私はどうせ醜いのだと決めつけていました。あきらぐせがついていたんだわ。シャルロットさんに、『だからいじめられるんだ』ってしかられて当然です。私、生まれ変わります!」

「ロザリーならできるわ!」


 シャルロットは満足そうにうなずいた。


「シャルロット様、ワインの匂いはかなり取れましたから、いつものこうすいをおつけになっては」

「そうだ、そちらのドレスに入れっぱなしだったわ」


 シャルロットが愛用している香水は、上品な甘さのホワイトローズを主とし、いくつかの花の精油をちゅうしゅつしてブレンドしたものだ。着衣だけでなく、入浴時やしんにも使っている。

 先ほどまで着ていたドレスのポケットからびんを取り出し、ドレスや首筋に香水を振りかけると、いつもの香りに包まれて安らぎが増した気がする。


「ロザリー、会場に戻りましょう」

「はい、ありがとうございました!」


 三人は会場に戻り、深々と礼をしたロザリーと別れた。ロザリーの周りがざわめき、数人の男女に話しかけられている。級友のようだ。みな美しくなったロザリーに驚いている。

 そのなかで、おもしろくない表情をしている女性の集団がいた。ロザリーをいじめていたという公爵令嬢たちだろう。

 ロザリーは談笑していたうちの一人の紳士にエスコートされて、フロア中央に移動しながら踊り出した。頰を染めたロザリーは満面の笑みを浮かべている。


「見てアンヌ、やっぱり美しさは幸せを呼ぶのね」

「さすがシャルロット様ですわ」


 ロザリーは前向きになり、アンヌにも褒められてシャルロットが気持ちよくなっていると、視界にマルクが入ってきた。


(あっ……)


 シャルロットを探していたらしいマルクと目が合うと、令嬢たちと談笑していた姿を思い出して、むっとして思わず背を向けてしまった。

 そこに、「シャルロット」とやわらかい声が届いた。そちらに顔を向けると、笑みを浮かべたウィリアムが立っていた。たくさんの人たちの話を聞き疲れているはずなのに、表にはじんも出していない。


「もういいの?」


 この会場にはウィリアムと話したい者が山ほどいるはずだ。


「もちろん、と言いたいところだけど、きりがつくのを待っていたら夜会が終わってしまうよ。僕はシャルロットと踊りたい。付き合ってくれる?」

「喜んで」


 シャルロットは差し出されたウィリアムの手に、手を重ねた。曲はワルツだ。ゆったりとしたさんびょうで、腰が密着する。

 美しい二人のダンスに周囲の者は息をのみ、ざわめきまでやんだ。演奏がクリアに聞こえる。


「シャルロットは誰よりも輝いているね。どこにいても、すぐにわかるよ」


 ウィリアムの甘やかな口説き文句も、シャルロットは当然だと受け流してしまう。


「話は聞いたよ」

「なんのこと?」

「このワインのドレスのこと」


 なんと耳の早い。


「あの公爵令嬢はぼうじゃくじんで知られているんだけど、父親がせいしゃで力があるから、注意できる人がそういないんだ」

「親がえらくても、子どもが偉いわけではないのに」

「シャルロットのように考えられる貴族は多くないよ」


 ウィリアムはかいそうに目を細める。


「そういえば、ウィリアムはその令嬢と婚約するんでしょ?」

「まさか! またそんなことを言っていたのか。シャルロットは真に受けていないよね?」

(やっぱり、おかしいと思っていたのよね)


 曲に合わせてターンをする。

 またマルクが目に入ってしまった。シャルロットは眉を寄せる。


(目を離すと、すぐに女性たちに囲まれるんだから!)


 シャルロットの胸はモヤモヤとする。


「その話はずいぶん前に断ったんだ。なんだろうね、噂話を広げればせい事実になると思っているのかな」

「そうかもしれないわ」


 シャルロットの視線は、つい壁際に行ってしまう。

 マルクはまったくこちらを見ない。シャルロットが踊っていることに気づいていないのだろうか。アンヌがついているからと安心しているのかもしれないが、職務たいまんではないか。


「僕にはずっと気になる人がいた。内政でそれどころではなかったけど、落ちついたらシャルロットに会いに行くつもりだったんだ。だから、こうして会えたのも運命みたいで……」

「そうね」

「ねえ、シャルロット。僕たち……」


 シャルロットの意識は、半分壁際に行っていた。耳をそばだてたって、マルクたちの会話が聞こえるわけではないのに。


「……しよう」

「ええ」

「本当にいいんだね?」


 ウィリアムに腰を引かれた。身体が密着する。至近距離にあるウィリアムの顔はしんけんそのものだ。


「え、ええ。もちろんよ」


 シャルロットはやっとウィリアムに顔を向けた。話を聞いていなかったとは言えない。

 ぱっとウィリアムの表情が輝いた。


「嬉しいよ、シャルロット」


 ウィリアムは足をとめて、ギュッとシャルロットを抱きしめた。周囲で踊っていた者たちも何事かと足をとめる。


(えっ、なに? なんのこと?)


 シャルロットは内心、冷や汗をかいた。


「みんな、聞いてほしい」


 ウィリアムの声に、生演奏もやんだ。視線が集中する。


「僕は彼女と婚約することになった!」


 ウィリアムの手がシャルロットの肩に回された。にっこりと笑みを向けて来る。

 わっとかんせいが上がり、人が押し寄せて来た。


(ええっ、わたしとウィリアムが婚約!?)


 とてつもなく重要な言葉に、シャルロットは生返事をしてしまった。


「殿下、この美しいご令嬢をしょうかいしてください」


 ウィリアムが問われているのを、シャルロットはぶんぶんと首を横に振る。今はおしのびで来ているのだ。正体を明かすわけにはいかない。


「近いうちに正式に発表するよ。今日は仮発表ということで。彼女から返事をもらえたから嬉しくて。ねっ」


 シャルロットはうなずいた。うなずくことしかできない。


(ど、ど、ど、どうしようっ)


 確かにウィリアムと恋愛し、あわよくばけっこんを目指してやってきたので、順調に進んでいることを喜ぶべきなのだろうが、大事になってしまってこんわくする。一度アンヌたちに相談したい。


「ウィリアム、今日は疲れてしまったみたい。申し訳ないけれど、先に失礼してもいいかしら?」


 周囲がさわがしいので、シャルロットはびをしてウィリアムの耳元で囁いた。

 このままではシャルロットも質問めにあいそうだ。シャルロットには上手く質問をかわす器用さも話術もないので、これ以上ボロを出さないうちに退散したほうがいいだろう。


「わかった。大丈夫? 明日も会いに行っていいかな?」


 ウィリアムもシャルロットの耳元で返事をした。シャルロットはこくこくとうなずく。この場から逃げ出せるならなんでもいい。

 二人の仲むつまじいやりとりに、また周囲から歓声があがる。


「お似合いですな」

「シュルーズメア王国もあんたいだ」

「このお二人のお子ならば、さぞや美しいでしょう」


 さまざまな声が聞こえてくる。早くもぎの話まで出始めた。


(しまったわ! マルクに会場では目立たないようにと言われたのに!)


 シャルロットは頭をかかえた。これ以上ないというほど目立ってしまった。大目玉を食うに違いない。


(でも、わたしのことを放っておいたマルクの職務怠慢のせいでもあるんだからね!)


 心の中でせきにんてんする。

 対応をウィリアムに任せて、シャルロットはおおさわぎになってしまった会場から逃げ出した。身を低くしてコソコソと抜け出したので、マルクやアンヌの姿を探すことはできなかった。

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