二章 初めてのデート

2-1


「そろそろ、シュルーズメア王国ね」


 シャルロットはワクワクしながら、馬車の窓から外の景色をながめている。

 国境に関所は設置されておらず、この辺りは放牧された牛や羊などが草をむような牧歌的な風景が広がっていた。

 ていこくを出てから、丸一日が経過していた。

 昨夜は帝国内の宿屋にまった。ある程度の安全性と治安の担保に、主に下級貴族が利用する宿をマルクが選び、旅の一日目は無事にしゅうりょうしていた。


「ウィリアム殿でんとお会いする日が待ち遠しいですわね、シャルロット様」


 そう声をかけてくるじょに、シャルロットは目を向けた。しょみんの質素な服装でも、アンヌはかがやくほど美しい。それに加えて、頭もよく仕事はかんぺきだ。


「アンヌはどんな男性が好みなの?」


 シャルロットは気になって、となりに座るアンヌにたずねた。


「わたくしが舌を巻くほどの、頭脳めいせきなかたを探しています」

「それはなんだな」


 マルクはななめ向かいのアンヌを流し見た。彼はこの侍女の計算高さをよく知っている。


「そうおっしゃるマルク様は、どんな女性がお好みなのですか?」

「そういえば、聞いたことがなかったわね!」


 シャルロットがきょうしんしんという表情で正面のマルクに顔を向けた。


「俺を巻き込むな」


 マルクはうでを組み、車窓の外に目を向けた。これ以上話をってくれるな、という態度だが、残念ながら馬車の中ではない。


「照れなくてもいいじゃないの」

「俺が照れているように見えるのか」


 マルクの表情を文字にできるなら「めいわく」と読み取れる。


「マルク様は、山のようにい込んでくるえんだんをすべて断っているそうですわね」

「えっ、そうだったの?」


 アンヌの言葉にシャルロットはおどろいた。初耳だった。


「人気があるのは当然ですわ。シャルロット様が手放しで認める容姿に加え、この若さですではくしゃくじょされ、としてもしゅっがしらですもの。世の女性が放っておくはずがございません」

「確かに! さすがわたしのマルク!」


 シャルロットはかんたんした。


「やめろアンヌ」


 マルクはきまりが悪そうだ。アンヌは「事実ですわ」と微笑ほほえむ。


「それで、マルクはなぜけっこんしないの?」


 シャルロットは心底不思議そうにマルクを見る。

 マルクはまゆを寄せ、ため息をついた。


「それをおまえが言うのか」

「ん?」


 マルクはさらに近づいてきたシャルロットの頭に手をのせて、くしゃっとかきまぜた。


「手のかかるひめのおりがあるからに決まってるだろ」

「わたしのせい!?」


 ひゃあっと喜んでいるともとれる悲鳴をシャルロットはあげた。

 馬のひづめや車輪が地面をけずる音が変わり、馬車のれが少なくなった。そうされた道になったのだ。

 周囲の景色も石造りの建物に囲まれるようになり、更に進むと広大なしきを取り囲むかべが現れる。シュルーズメア王国の貴族街だ。

 しばらくして、馬車がいっけんしきの敷地に入っていった。


とうちゃくです。おつかれさまでした!」


 ぎょしゃ台にいたピエールがばやく降りて、階段を用意してドアを開けた。

 シャルロットが降りると、手入れをされたバラ園に囲まれたレンガ造りの屋敷が目の前にあった。

 この屋敷はシュルーズメア王国に住むしゃく家のべっそうで、使用人ごとマルクが借りた。


「国王がしゅさいする明後日あさっての夜会に、ここの子爵家の名で出席できるよう手配している」


 隣りに並んだマルクが伝える。


「夜会に参加できるのね!」

「そうでもしないと、王子に近づくことすらできないだろ」

「さすがマルク!」


 いつものようにシャルロットがマルクにきつくと、馬車の音に気づいてむかえにきた使用人たちがギョッとしていた。


(いけない、しゅくじょらしい振る舞いをしようと決めたばかりだったのに)


 幼いころからのくせはなかなかけない。シャルロットからしたら、お気に入りの人形に抱きつくのに近い感覚なのだ。

 シャルロットはマルクからはなれて、コホンとせきばらいをした。


「でも、にせものだと気づかれたら大変じゃない? 帝国のスパイだとかんちがいされたら、それこそ国際問題に……」


 つくろうようにそうめいぶって見せるシャルロットに、「初めからそう言っているだろう」と言わんばかりに、マルクは眉を寄せる。


「招待状は本物だから入る際には問題ない。そのほかにも手回しをしているが、会場では目立つなよ」

「わかったわ」


 マルクの言葉に、シャルロットはそうにうなずいた。

 それからは使用人に部屋を案内され、それぞれ別行動となった。

 これからは子爵家の息女として振る舞うので、貴族らしいドレスにえるかとアンヌに聞かれたが、動きやすい今のしょうが気に入ったシャルロットは断った。

 それに、この服装のままならば周囲を散策できるだろう。初めての国にこう心がムクムクとわいてくる。まだ昼を過ぎたばかりだ。部屋にこもっていてはもったいない。

 しかし、シャルロットは一人で行動することを固く禁じられている。


「アンヌはどこに行ったのかしら」


 一通り荷物の整理が終わると、使用人たちに屋敷を案内してもらうと言って出て行ったきり、アンヌがもどってこない。

 ウロウロしていると、裏庭で馬の世話をしているピエールを見つけた。


「アンヌ様はまだ屋敷の方々に案内されていますよ。国がちがうと覚えることも多いのでしょうね。マルク様は出かけました。ボクもついて行きたかったんですけど、かたくなにきょされてしまってションボリです」


 ピエールはかたを落とした。


「ピエールも手はあかないの?」

「はい。急いで走らせたので、馬たちに無理させちゃったんですよね。しっかりケアをしてあげないと!」


 ピエールが馬をなでる。

 シャルロットがりんごくに行くのをあまりにも楽しみにしていたので、ピエールは気を使ったらしい。どうりで到着が早かったわけだ。


「ありがとう。ピエールもゆっくり休んでね」


 シャルロットは礼を言ってその場を立ち去った。


だれもつかまらない。困ったわ……」


 と、シャルロットがトボトボと歩いたのは三歩までだった。


「一人で行動するなと言われたのは帝国。でも、ここは隣国だから約束は無効ね!」


 シャルロットは都合よくかいしゃくして、ようようと街に出かけた。

 だんなら美白対策としてアンヌにがさを差してもらうのだが、今はひとりなので入念に日焼け止め入りの美容液をった。これは美を探求するシャルロットが開発し、貴族の間でも流行はやっている商品だ。


「街並みはそこまで帝国と変わらないわね。でも空気が違う。こちらのほうが内陸だからね」


 シャルロットは青空の下で深呼吸する。いしだたみの道をねるように歩くと、ハーフアップにしているこしまであるブロンドのかみやチュニックワンピースのすそおどるように揺れた。

 主に三階建ての石やレンガのがいへきに、きのテラコッタなどでそうしょくされた外観が並んでいる。てんのぞくと、見たことのない商品もあった。

 こうにゅうしたいところだが、シャルロットは現金を持ち合わせていない。眺めて楽しむことにする。


「そういえば、一人で散歩するのって久しぶりね」


 美容薬の素材集めは必ずマルクかアンヌがいっしょだったし、危険だと言われて行かせてもらえないこともあった。


(読んだ小説で、城を抜け出した王女がこうして城下町を歩いているときに、運命の人と出会うシーンがあるのよね。ステキ!)


 主人公の王女がはぐれ者たちにからまれているところを、しんに助けられるのだ。


「ほら、もっとあるだろ。かくしてねえで出せよ」


 にぎやかな商店街にそぐわないだみ声が耳に入った。


(そうそう、こんな感じで絡まれて……ん?)


 その声は想像ではなく、実際に聞こえてきたものだった。

 シャルロットがそちらに足を向けてみると、一人の男性を五人の男性が囲んでいるようだった。

 大通りから外れているとはいえ、人通りは多いのに誰も助けようとしない。こういうことはにちじょうはんなのだろうか。

 服装からして、五人が平民、囲まれている一人が貴族のようだ。貴族といっても身に着けているダブレットはあまり質のよくないあさが使われているので、下級だと思われる。だからこそ従者などを連れておらず、一人でいるところをねらわれたのかもしれない。


「もうわたしただろう。私はこれ以上持っていない」


 二十代前半くらいの貴族はふるえあがっている。


「貴族様の所持金がこれっぽっちなわけがねえだろ。痛い目にあわされたくなければ、全部出せよ」


 ガラの悪いおおがらの男がぶくろを振る。チャリチャリと金属がこすれる音がした。


「だから、うそなんて……」

「やめなさいっ!」


 シャルロットがその場の男性達に声をかけた。おうちになってバーンと片手をす少女を見て、男たちがいっしゅん固まる。しめたとばかりにシャルロットは貴族の男の手を引っ張って、輪の中から引き出した。


「おいっ、なにしてくれてんだよ」

「それはこちらのセリフよ。寄ってたかってずかしくはないの? 男の風上にも置けないわ。実にみにくい!」


 きょう者がきらいなシャルロットがまくしたてるが、男たちはシャルロットにれて聞いていなかった。


「おい、こんなベッピン見たことねえぞ」

「まぼろしか」


 男たちは目をこすったり、ぼんやりしていたりする。


「わたしが美しいのは当たり前よ。日々どれだけ努力していると思っているの。美は内面から宿るの。そんなことをしているから、あなたたちは醜いのよ。善行を重ねて美の徳を積みなさい!」


 さっさと逃げればいいのに、シャルロットはわざわざ一人一人に指を突きつけて説教をするので、見惚れていた男たちが我に返ってしまった。


「なっ、なにわけのわからねえこと言ってんだ」

「痛い目にあいてえようだな」

「傷はつけるなよ。この女は金になるぞ」

「あら、わたしがお金を生むって、なぜ知っているの?」


 シャルロットは得意げに胸を張った。


「長年の研究の成果で、美容品のブランドをいくつも立ち上げているの。どれも好評よ。美しい肉体は美しい精神に宿るけれど、逆もしかり。あなたたちも美しくなればきっと心がれいになるわ! 取り上げたお金を返して『悪いことをしてごめんなさい』と謝るなら、新作の美容薬をあげてもいいのよ」

「コイツはなんの話をしてるんだ」


 斜め上からの返しに再び男たちはたじろいだが、今度は立ち直りが早かった。


「話してもだ。とにかく、この女を連れて行け」


 シャルロットは両側から腕を取られた。


「ちょっと、手までガサガサじゃない! それに、そんなにせっせいが表れてるはだじゃ、特製の美容薬でも助からないレベルよ!? さっきゅうに対処しないとおくれになるわ!」

「意味がわからん。女をだまらせろ」


 精神的にろうした男たちによってシャルロットの口に布が巻かれているとき、するどい声がした。


「その女性を放せ!」


 視線を向けると、身なりのしっかりとした長身の男性が、男たちにけんさきを向けていた。上等などうと所作だけで、地位の高い貴族だとわかる。

 サラリとしたプラチナブロンドの髪に、とうめい感のあるアッシュブルーのひとみ。二十歳前後だろうか、とうのような肌がりの深さをきわたせている。

 シャルロットはとらわれたままどうもくした。


「なんと美しい!」


 ちがいなシャルロットのさけびは、幸いにも口をふさいでいる布に吸い込まれた。


「なんだおまえは! こんな上玉、手放すわけがねえだろ。消えろ!」


 男の一人が近くの空きびんけんに投げつけた。至近きょにもかかわらず、剣士は瓶をけると同時にみ込んでりつけ、返す手で剣がひらめいた。

 剣士が元の位置に戻ったしゅんかん、貴族から取り上げていた小袋と、男の髪の一部が地面に落ちた。


「なっ……髪が!」


 男の頭部はひとふさほど髪が切られて、頭皮が見えている。


「僕は剣よりもじゅうのほうが得意だから、次は狙いが外れるかもしれないな。首をはねてもいいならまとめてめんどうをみてもいいが、どうする?」


 再び剣士に刃先を向けられた男たちは、顔を見合わせた。


「銃って……、おい、もしかしてうわさの」

「おそらく、本物だ。剣のつばに国章がられてる。マジで街に現れるのかよ」

「相手が悪い」


 男たちはうなずき合って、シャルロットを解放して逃げて行った。


「二度と悪さをしてはダメよ!」


 シャルロットは口の布をはぎ取って男たちの後ろ姿に向かって叫んだ。それから「けがらわしいったらないわ」と、男たちにれられたところを薬品で消毒した。


「あの、さっきはありがとうございました」


 そうシャルロットに礼を言ってきたのは、男たちに囲まれていた貴族の男性だ。どうやら貴族はシャルロットに助けられたあと、助けを呼びに行って、剣士を連れて来たようだ。

 シャルロットは落ちた小袋を拾って男性に渡す。


「わたしはなにもしていないわ。お礼なら彼に言って」

(絡まれているところに助けに現れるなんて、まるで小説の中の王子様みたい!)


 物語のようなシチュエーションにウキウキしながら、シャルロットが長身の剣士を見上げると、剣をさやにおさめたばかりの彼と視線が合った。

 剣士の目が大きく見開かれる。


「まさか……。いや、こんなところにいるはずが……。しかもそんな格好で」


 剣士はまどうようになにか言っている。

 それに構わず、改めてたんせいな顔を近くで見たシャルロットは、礼を言うのを忘れていきとともにうっとりとつぶやいた。


「美しい……」


 すると剣士は銀色のまつをまたたかせてから、腹を押さえて笑い出した。

 とつぜん笑い出した剣士を、シャルロットはキョトンとして見つめた。


(わたしはなにか、おかしいことを言ったかしら?)


 シャルロットの発言で、意図せず相手をおこらせたり笑わせたり困らせたりすることはよくあることなので、普段はあまり気にしないのだが、さすがに剣士は笑いすぎな気がした。

ちがいない。第一声がそれだなんて。変わらなすぎだよ」

 クスクスと笑いながら剣士はシャルロットを見つめる。


「久しぶりだね、シャルロット。僕を覚えていない?」

「わたしのことを知ってるの!?」


 今度はシャルロットが驚く番だ。


(どなたかしら。こんなに美しいのだから、わたしが忘れるはずがないのに。だけど、シュルーズメア王国に知人なんていないはず)


 シャルロットは頭をひねるが、なんにも引っかからなかった。


「殿下の手をわずらわせてしまって申し訳ございませんでした。私の代わりにこの女性が大変なことになるかと思うと、パニックになってしまって」


 貴族は遠くにまっている馬車に目を向けた。

 周囲に助けを求める際に前方不注意で馬車の前に飛び出してしまい、乗っていた剣士に事情を話したという流れのようだ。


「構わない。たみのトラブルは国も解決する責任がある。それに彼女に会えるなんて、こちらこそ感謝しなければいけない」

「殿下?」


 シャルロットは貴族の言葉をかえした。


「こちらはウィリアム殿下です。あなたもただ者ではないとお見受けしておりましたが、殿下とお知り合いだったのですね」


 深入りしないほうがいいと判断したのか、貴族の男はもう一度礼をすると足早に去っていった。


「ウィリアム、って……」


 シャルロットの声に反応して剣士、もといシュルーズメア王国第一王子のウィリアム・シュルーズメアが微笑んだ。プラチナブロンドの髪が陽光を反射して輝く。

 この国に来た目的。

 第一王子のウィリアムに出会うこと。

 そしてあわよくば、ウィリアムとれんあいをすること。


(いきなり出会っちゃったわ!!)


 あまりに予想外なことに、シャルロットの口がぽかんと開く。


「僕を思い出した?」


 至近距離からアッシュブルーの瞳にねだるように見つめられ、シャルロットはドキリとした。

 思えば家族やマルクたち以外の異性とこんなに近くで話すことなんてなかった。


(どこで会ったのかしら。夜会? そうなると人数が多すぎて……)


 シャルロットは美容薬の研究に明け暮れていて、数えるほどしか夜会に顔を出していなかった。それでも一度に何百人も集まるし、シャルロットは興味のないことはすぐに忘れてしまう。


「ウィリアム……」

「シャルロット!」


 ヒントをもらおうと声をかけたとき、シャルロットを呼ぶ声が聞こえた。


「あっ、マルクだわ」


 ものすごい勢いでマルクが走ってくる。ウィリアムもそちらに顔を向けた。


「勝手なことはするなと言っただろうっ」


 マルクはシャルロットを探して街を走り回ったのだろう。めずらしく息を切らし、肌がうっすらと上気して、額にはあせれたまえがみが張り付いている。

 そんなマルクも美しいと思ったが、それを口にするとかみなりが落ちることはさすがのシャルロットにもわかったので、ぐっとこらえた。


「それは帝国での話だから無効だと……」

「俺は一昨日、『勝手なことはするな』『俺の言うことは絶対に守れ』と、そう言ったはずだ」


 旅立つ前日、シャルロットの部屋でのことだ。最近なので、すぐに思い出せてしまう。


(そうだった)


 初めての街に舞いあがって、うっかり忘れていた。


「ごめんなさい」


 シャルロットはシュンとうなだれた。


「二度目はないからな」


 言葉は厳しいが、マルクのその声はやわらかかった。シャルロットの無事がわかって、いかりよりもあんが勝ったようだ。


「……っ」


 そこでマルクはウィリアムに視線を向けて、こんわくした表情をかべた。

 遠くからシャルロットを見つけたときに、身なりのいい男性と話していることはすぐにわかった。シャルロットの安全がかくにんできたのでしかることから始めたが、思っていた以上に男性の階級が高いと察し、言葉にまったのだ。


「ウィリアム殿下、そろそろ」


 馬車からやってきた従者がウィリアムに声をかけた。その言葉でマルクも相手がわかり、あわてて敬礼する。それをウィリアムは制した。


「いいよ、気にしないで。きみは今でもシャルロットと一緒なんだね」

「今でも?」


 マルクがまゆを寄せる。


「ウィリアムは以前、わたしと会っていたみたい。マルクもそうなのね」

「いや、そんなはずは……」


 とっさのことに、マルクは言葉が出ないようだ。


「僕はもう行かなきゃ。ねえシャルロット、いつまでこの国にいるの?」

「あまり長くはいられないだろうけど、数日は……。ね、マルク」


 マルクはうなずいた。


「それなら、明後日の夜会に招待していい?」

「もともと出席する予定よ。また会えるわね!」


 そうなんだ、とウィリアムは破顔した。


「夜会の前にも会えないかな。デートしよう」

「ええっ」


 シャルロットは思わず声をあげた。願ってもないさそいだが、急展開すぎて喜びより戸惑いのほうが大きい。


「都合が悪い?」

「まさか!」


 シャルロットは濡れた犬が身体からだかわかすような勢いでぶんぶんと首を横に振る。その様子にウィリアムはみを深めた。


「よかった。明後日はどこにむかえに行けばいい?」


 シャルロットは仮宿である子爵家の住所がわからないので、マルクから伝えてもらった。

 ウィリアムは二人に別れのあいさつをして、さっそうと去っていった。


「どうやったら街中で王子とそうぐうできるんだ」


 マルクは何度目とも知れない、未知の生物を見るような視線をシャルロットに向けた。


「ふふふ、実はね」


 シャルロットは屋敷から出てマルクが迎えに来るまでの一連の流れを説明した。

 ちゅうでマルクのこめかみにれつせんばかりにハッキリと血管が浮きあがったが、彼は黙って最後まで聞きげた。


「危険なことに首を突っ込むなと我ながらあきれるほどしつこく言っているのに。おまえには言葉が通じない」


 シャルロットが話し終わると、マルクは怒りをとおしてたんにくれるように手で顔をおおった。


「ドンマイ!」

「誰のせいだ」


 再び怒りのボルテージが上がりそうなマルクに、「それより!」とシャルロットは話をえた。


「聞いていたでしょ、ウィリアムにデートに誘われたのよ。なんというぎょうこう!」

「まったくだ。一生分の運を使いきったな」


 マルクは同意した。

 隣国に来て早々、シャルロットは願いどおりに、まるで小説のように容姿も立ち居振る舞いも完璧なウィリアムとぐうぜん出会えたのだ。

 誘われたということは、相手もシャルロットをにくからず思っているのだろう。しかも、過去にシャルロットと会っているという。


「ああ、これぞ運命! まさに運命のこいが始まらんとしているんだわ!」


 シャルロットは両手を組んで、しばがかった様子でくるりと一回転した。

 マルクはしょうぎみに口角を上げて、シャルロットの頭に手をのせた。


「よかったな、シャルロット」

「ええ!」


 シャルロットは満面に笑みを浮かべながらうなずいた。


「でも、ちょっと不安だわ。デートなんてしたことがないもの。失敗してしまったらウィリアムに申し訳がないし」


 シャルロットは眉をハの字に下げた。


「そういうものに、失敗もなにもないだろう」

「わたしはこうぐうからあまり出たこともないし、世間知らずだとウィリアムにがっかりされるかも……」


 姉に言われたとおり、運命の人にいつ会ってもいいように美しくいるよう努めていたが、出会ったあとの行動はなにも勉強していなかった。

 珍しく不安をうったえるシャルロットに、マルクは「そうか」と思案顔になった。それから外していた視線をシャルロットに戻す。


「それなら、俺と予行練習をしてみるか」

「予行練習って……デートの?」


 思わぬ言葉にシャルロットはマルクの言葉を復唱した。マルクは平静そうに見えて、少々はにかむような表情でシャルロットを見つめる。


「それは名案だわ!」


 ぱあっとシャルロットは瞳を輝かせた。マルクはホッとしたようにゆるめた表情をすぐにめ、「帰るぞ」とシャルロットをうながし、仮宿に向かって歩き始めた。


「したいことはあるか」

「デートでしたいことなんて、いっぱいありすぎるわ!」


 シャルロットは読んだ恋愛小説の場面を思い出してしんけんなやむ。


「そうだ、街中デートがしたい!」


 シャルロットは一人で街を散策しているときに思い出した小説の話をマルクに聞かせた。

 王女は城下町で貴族の男性と出会い、街で遊んでいる間にたがいに恋に落ちる。けれど身分差により、二人は身をわきまえて元の居場所に戻るのだ。


「結ばれない二人の、うたかたの恋」


 マルクはかんがいぶかげにつぶやいた。


「二度と会えなかったけれど、二人は一生独身で愛をつらぬくのよ。そのデートの思い出を胸に」


 シャルロットはうっとりと語った。


「考えておく」


 そんなことを話している間に、子爵の屋敷に着いた。


「シャルロット様!」


 心配して待ち構えていたアンヌとピエールがってくる。シャルロットはひらあやまりした。その様子を見て、マルクはやれやれと首を振る。


「なぜその反省を次にいかせないのか」


 シャルロットは頭がいいはずなのに、同じような失敗を繰り返す。本人が根本的に改善しようとしていないことが原因だろうが、そもそも改善しようと思わないことが問題だ。

 マルクは用事の途中だったらしく、再び屋敷を出て行った。

 シャルロットは部屋に戻ると、アンヌに今日街で起きたことを話した。アンヌはねこのような目を大いに丸くした。


「夜会を待たずして自力でウィリアム殿下に出会っただけでなく、お誘いまで受けるなんて。さすがシャルロット様としか言いようがありませんわ」

「そうでしょう」


 シャルロットは得意顔になる。


「そして、明日は午後からマルク様とおでかけになるのですね」


 マルクは明日の午前中まで予定があるという。さきほども屋敷に到着して早々着替えていたようで、貴族だとわかる上等なダブレットを着ていた。どうもいそがしいらしい。

 マルクが不在の間の護衛には、ピエールがつくことになっている。


「そうよ。でもよく考えたら、マルクと二人で出かけるなんて当たり前すぎるわね。デートの予行練習になるのかしら」


 シャルロットが美容薬の素材集めをする際や、けんや馬術訓練などにもマルクを付き合わせていた。


「マルクはすぐに説教をするし」


 シャルロットは不満そうにくちびるをすぼめる。マルクがこの場にいれば

「説教をさせるようなことをしなくなってから言え」とやり返されたに違いない。

「そこはマルク様も心得ていると思いますけれど。シャルロット様もお気持ちを変えないといけませんわ」

「気持ちを変える?」


 シャルロットは首をかしげる。


「たとえば明後日、殿下とはどんなお気持ちでお会いになるのですか?」

「そうね……、意気込みでいうならば、運命の恋をじょうじゅさせる! かしら」

「では、同じ気持ちでマルク様とものぞまなければ、意味がありませんわ」

「同じ気持ちって……」

(運命の恋を成就させるという意気込みで、マルクとデートする?)


 まったく想像がつかない。


「マルク様のことはウィリアム殿下だと思って接しないと、予行練習になりませんも

の」


 シャルロットは何度かまばたきをする。


(言われてみれば、そうだけれど)


 シャルロットはマルクとのデートをイメージしようとしたが、なにも思い浮かばなかった。つい最近まで、恋愛はちょうぜん的に発生すると考えていたくらいだ。恋愛小説を読んでわかった気になっていたが、実態については無知もいいところだった。


「とにかく、マルクとのデートを成功させて、恋愛上級者になってみせるわっ!」


 シャルロットは気合いを入れた。

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