一章 美し姫の恋探し
1-1
ルゼリエール宮の
シャルロットは長い
「どうにも美しさが足りないわ」
「肖像画では実際の
一段低い大理石の
シャルロットはますます眉間のしわを深めた。
「無理。会いたいと思う人がいないもの」
「シャルロット」
皇后が冷ややかな声を
「あなたが美しくないと
「わかっていますわ、母上。次を見せて」
シャルロットは母親から顔を
――相手がいなければ
そんなごく当たり前のことにやっと気づいたシャルロットは、まず
しかし、シャルロットのお眼鏡に
そこで結局、母親に
言わんこっちゃない、とばかりに母親にあきれられた。
「こちらは五百年以上続く王朝の第二王子です。生物学に精通しておられ……」
侍従が肖像画の王子について説明する。王子は二十代半ばで、目鼻立ちのはっきりとした
しかし、シャルロットはその肖像画ではなく、説明をする侍従の
「あなた……」
シャルロットは
「よくも穴の開いたダブレットを着て、わたしの前に立てたわね」
「ひいいっ、申し訳ございません。妻が家を空けておりまして……、お許しください!」
侍従は真っ青になってひれ
「そんなもの、二秒で
「はい」
呼ばれたアンヌは
自分の
「自分で修繕できないのなら、人に頼むこともできるでしょ。美は心の鏡、
眉をつり上げたままそう言い放つと、ころりと表情を変えてシャルロットは
「そうすればご夫人にも
シャルロットの背後の炎が
(そういえば、肖像画のチェックをしていたんだわ)
うっかり服の穴の不快さに我を忘れていた。改めて肖像画を見る。
「美しいけれど、わたしとは合わない気がする」
シャルロットの何度目かの同じつぶやきを聞くと、皇后のこめかみに青筋が
「もう説明はよい、肖像画を並べなさい」
皇后が侍従たちに命じた。
シャルロットに
変わり者の
皇后は意識して呼吸を整えながら指先でこめかみをもんだ。
「やっと
「……わかっていますわ」
シャルロットは母親
細い指で
ファージンゲイルによって大きく
イーゼル・スタンドに
「むむむ」
シャルロットはうめくように小さく声をもらし、腕を組んだまま肖像画を一通り見て歩いた。そして一番容姿の整った肖像画の前に
「どれもピンとこないわ。わたしはアンヌやマルク以上の容姿でないと、恋愛ができる気がしないのだけど」
「ではマルクを夫にしたらどう? リュゼール家なら申し分ないわ。あなたのお
皇后は
「マルクは頭が固いし、
対象外だとシャルロットは否定した。
「シャルロット様は、恋にどんなイメージを持たれているのですか?」
アンヌに
「恋に落ちるというくらいなのだから、一目会ったその
「崖から落ちたことがおありなのですか?」
「あるわよ! 一人で美容に効く薬草を探しに行って……。とてもドキドキしたわ」
「そんな危険なことは二度としないでください。
なぜか
「そもそも
シャルロットが開き直ると、皇后の
「母上、ちゃんとこの中から選びますから。たくさん探してくださって感謝しています。肖像画をすべてわたしの部屋に運んでちょうだい」
最後は侍従たちに声をかけると、アンヌの背中を押して
「あの子、本当に選ぶ気があるのかしらね」
皇后の様子からは、長期戦になってもやむなしという気構えが
結局、母は娘に甘かった。
「うまくいかないものね。確かに肖像画はどれも美しいのだけれど、なにが足りないのかしら」
シャルロットは首をひねった。
二人はアーチ型の天井から光の入る
足取りは重い。
「実際に会えば、印象が違うのかしら……」
そのシャルロットの言葉に、アンヌは、「そういえば」と口角を上げる。
「
「既に結婚しているのかもしれないわよ」
「いいえ、
それならば、どちらも年齢的に十六歳のシャルロットと
「しかも第一王子は」
そこでアンヌは言葉をとめた。青い瞳にいたずらっ子のような光をたたえている。
「第一王子は、なに?」
シャルロットは気になって、アンヌの袖を引っ張って先をねだった。
アンヌはどこから取り出したのか、シャルロットの目の前に
「第一王子は、この『
「ウィリアムのモデルなの!?」
その本は、シャルロットお気に入りの恋愛小説の一つだ。
ある日、王子が敵対する王国の城に忍び込んだところ、姫と
「盗賊王子が
シャルロットはウットリと小説のフレーズを口にした。
「まさに、隣国の第一王子の名前が〝ウィリアム〞なのですわ」
「なんて
シャルロットは瞳を輝かせながら、アンヌの両手を
「では
シャルロットは自分でストップをかけた。
未婚の若い王子と皇女の面会だ。うっかり「婚約」の流れになってしまっては困る。まだウィリアムのことをなにも知らないのだから。
「でも、会いたいわ。……そうだ!」
シャルロットはひらめく。容姿も人となりもわからないから困るのだ。
「アンヌ、ウィリアムをチェックしに、隣国に行くわよ!」
「まあ、楽しそうですわね」
「そうでしょ! そうね、将来の夫になるかもしれないのなら、ウィリアムの素の姿も見たいわ。わたしが皇女だと知られないように、身分を隠して会いましょう!」
シャルロットはノリノリだ。
いよいよ恋愛結婚に向けて走り出すのだ。しかも行き先が隣国であることが、ますますシャルロットの胸を
美を研究しているシャルロットは、山野草だ貝だ
異国で恋に落ちるのは、シャルロットのお気に入りの恋のシチュエーションであり、
「なんとしてでも、母上に隣国行きの許可をもらわねば。アンヌ、説得できそう?」
話術はシャルロットよりもアンヌのほうが
本音では今すぐ隣国に行きたいが、母には「自分の立場がわかっているのか」と説教をされる未来しか見えない。
「それでは、皇后陛下には
アンヌはニッコリと微笑んで、人差し指を立てて唇に当てた。
「
アンヌは一節一節を区切って、強調するように言った。
「
シャルロットは頭から湯気が出る勢いで、全身を真っ赤に染めた。
秘密、こっそり、お忍び、運命の恋。
シャルロットが好きなワードばかりだ。
しかも運命の恋のお相手は、お気に入り小説の登場人物のモデルかもしれないのだ。
「ど、ど、ど、どうすれば」
シャルロットは興奮しすぎて、ろれつが回らなくなった。
「あのかたなら、きっと、なんとかしてくれます」
「あのかた?」
キョトンとするシャルロットに、アンヌは
「シャルロット様の、
シャルロットはアンヌと腕を組み、ルゼリエール宮の敷地の一角にある、皇帝
「構え! 駆け足! 進め!」
白い
そこに、
「マルクー! マルクマルクマルク――!」
この部隊で、その声の主を知らぬ者はいない。
声の方向では、皇女がぶんぶんと両手を振っていた。
「やめ!」
将軍は訓練を中断して、先頭の列にいるマルク・ジャック・ド・リュゼールに
「皇女
「……失礼いたします、閣下」
眉間にしわを深く刻みながらマルクは一礼をして、周囲にも声をかけながら列を抜け出した。
「ボクも、失礼しますっ」
「おまえは続けていろ」
「いいえ、行きます。マルク様とボクは一心同体ですからっ」
「……」
真顔のピエールを見て、マルクは軽く肩をすくめた。
シャルロット、アンヌ、マルク、ピエールの四人は、大庭園の一角にある
庭園は庭師たちによって数万種類の花々で
シャルロットは噴水の
マルクは二人の正面に立つ。特に背筋を
「訓練中は
マルクは腕を組んでシャルロットを見下ろした。上がり気味の整った眉の下の切れ長の瞳は高い
ヴァローズ帝国広しといえども、シャルロットにこのような
「今回は仕方がないわ。
「ならば、さっさと話すといい」
マルクは
「もっと紳士らしい振る
「安心しろ、俺は相手に合わせて接している」
「またそんなこと言って! 内面を
シャルロットが羊皮紙と羽根ペンをアンヌから受け取ろうとするのを、マルクは制した。
「おまえは一体、なにをしに来たんだ」
「あっ、そうだったわ! マルクは、シュルーズメア王国の第一王子を知ってる?」
「隣国の第一王子なら、ウィリアム殿下だな。俺が知っているのは名前だけだ。友好国ではあるが、それほど国交は
それがどうしたのかと、マルクは話の先を
「ウィリアムの容姿を見たことはある?」
「いや。……結婚相手がウィリアム殿下に決まったのか」
マルクはハッとしたようにシャルロットを見た。
「それは、まだ。その前にウィリアムに会いに行こうと思って」
「……会いに行く?」
マルクはいぶかしげに眉をひそめた。
シャルロットは、ことの
「……おまえがそんなにかぶれやすいとは思わなかった」
マルクは大きな手で額を押さえた。
『盗賊王子』の内容はマルクも知っている。シャルロットにせがまれて、何度も朗読しているからだ。
「それは要素の一つにすぎないのだけど」
シャルロットは照れた。
「いい加減に、おかしなこだわりを捨てろ」
「こだわりって、美について?
一瞬、場の空気が
「とにかく、出会わなければ恋は始まらないわ。誰にも秘密でこっそりと城を抜け出して、お忍びで隣国に行き、ウィリアムと出会いたいの」
シャルロットはアンヌから受け売りの、大切なキーワードが
「
「いいえ、シャルロット様が希望されたことですわ」
マルクが睨むも、アンヌはそれをにっこりと受け流す。
シャルロットの暴走は昔からだが、近年はアンヌの
ピエールが「姫様は恋愛小説が好きですもんね」とシャルロットに話しかけた。
「隣国の王子様と出会って、本物の恋をするのですね! シャルロット様ならきっとやり|遂《と《げられます。ロマンティックです!」
「ピエールもそう思う?」
「もちろんですとも!」
シャルロットとピエールは手を合わせてキャッキャと盛り上がった。
「でも姫様。両陛下に内緒で城を抜け出して、身分を隠してシュルーズメアに行くなんてこと、できるんですか?」
「それはマルクの考えることだわ。ね、マルク」
「不可能だ」
二人の高まったテンションに冷や水をかけるように、マルクがきっぱりと断言した。シャルロットは立ち上がってマルクに飛びつく。
「なぜ? マルクはいつも、なんでも手配してくれるじゃないっ」
「陛下に頼め」
「父上に話したら
マルクは「わかっているじゃないか」と言わんばかりに、シャルロットの
「無茶を言うな、国際問題になるぞ。俺を犯罪者にするつもりか」
シャルロットはマルクの
「わたしは誰かに用意された相手との結婚じゃなくて、運命の恋がしたいの! わがままを言っているのはわかってるわ。うまくいかなかったら、母上の言うとおりに大人しく結婚するつもりよ。だからお願い!」
シャルロットは
自分でも
「……」
マルクは思案するようにしばらくシャルロットの表情を
「マルク様は、シャルロット様の幸せを一番に考えていらっしゃいますわね」
「……そうだな。こんなのでも俺の主だ」
マルクはシャルロットの頭部をかき回した。シャルロットは「こんなのとはなによ」という表情をしながらも、されるがままになっている。
「シャルロット様も十六歳。今まで
「こいつは今までだって、好き放題に生きてきただろう」
「視野が
「わたしに見えていないものがあるの? 視力はとてもいいわよ」
シャルロットは首をかしげる。
アンヌは皇女に
「マルク様にとっても、悪い話ではないと思うのですけれど」
アンヌの笑みに、マルクは眉間のしわを深めた。その顔には「
「けれど、マルク様がどうしても嫌だとおっしゃるのでしたら結構ですわ。わたくしだけでも、
アンヌは立ち上がり、マルクに張り付いているシャルロットをペリッとはがして引き寄せた。
「シャルロット様、わたくしと二人でシュルーズメア王国に参りましょう。女二人旅では不満ですか?」
「そんなことはないわ。とても楽しそう!」
シャルロットは再び表情を輝かせた。
「待て。俺が行くかどうかの問題ではないだろう。その計画自体をやめろと言っているんだ」
「やめません。この機会を
「そうよ、アンヌの言うとおり!」
シャルロットは便乗した。
「もし恋の相手が見つからなくても、ご結婚前の最後の思い出になりますわよ、シャルロット様」
「楽しみねっ」
シャルロットはアンヌに促され、マルクたちに背を向けて歩き出した。
「そうそう、協力してくださらないマルク様。くれぐれも他言無用でお願いいたします。ごきげんよう」
アンヌは
「いいんですか、マルク様」
ピエールはハラハラしながら、マルクとアンヌを
「話に乗ったらアンヌの思う
アンヌの後ろ姿を流し見ながらマルクはつぶやく。
「アンヌがシャルロットを連れて
マルクは自分に言い聞かせるようにそう言って、遠ざかるシャルロットたちを見つめた。
「……最後の思い出、か」
「マルク様?」
ピエールがマルクを見上げると、彼は眉を寄せて複雑な表情をしていた。
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