2.悪女と主人公②



*****



 二日後、自室のテーブルに突っしていた私は、絶望感でいっぱいになっていた。

 様子のおかしい野草女になってしまった今、ここからゼイン様の恋人になる方法など、ひとつも思いつかないのだ。んでいる。


「……もうどうにもならないし、きっと私なんて何をしてもダメだし……戦争が起きるまで好きなことでもしようかな、おとか作っちゃったり……フフ」

 もはや開き直ることにした私は、先日借りてきたそうに関する本を手に取った。


「お嬢様って魔草に興味があったんですね。知りませんでした」


 げんじつとうをし始めた私の側で、エヴァンは私の手元の本をのぞき込んでいる。

 ──この世界には「魔草」という、毒消しだったり回復ポーションの元になったりと、様々な効果を持つ植物が多数存在するらしい。

 山奥に元の世界にあった野草が存在するのを知ったことをきっかけに色々調べているうちに、興味を持ったのだ。料理に入れるとようきょうそうに良いものもあって、とても面白い。

 かいみん効果があるものなどもあり、お菓子なんかに入れてもいいんだとか。元々節約料理やお菓子作りがしゅだった私は、色々作ってみたいと思っていた。


「ええ。近いうちに魔草を使って、お菓子でも作ってみようかなって」


 そんな話をしていると、ヤナが慌てた様子でこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。


「お嬢様! 大変です、お客様がいらっしゃいました」

「ええと、だれ? 聞いたところで分かるかしら」

「ウィンズレット公爵様ですよ!」

「えっ?」


 どうして、ゼイン様がここに。嫌な予感しかせず、冷や汗が流れる。

 それから私はあっという間に、ヤナによってたくを整えられた。

 買ったばかりの深いブルーのドレスに着替え、てきぱきと髪は緩く巻かれていく。しっかりとしょうほどこされた私は、間違いなく山奥での姿とは別人だった。


「……どうしよう」


 まさかこんなにも早く、ゼイン様と会うことになるなんて思っていなかった。事件の処理をしたりマリアベルの心の傷をやしたり、いそがしいだろうと高をくくっていたのだ。


「マリアベル様もごいっしょだそうですよ」

「ええっ」


 何よりあんなこうをした後、逃げるように去ってしまったし、放っておいてほしかったけれど、誠実な二人はお礼を言いに来てくれたのかもしれない。

 こうなればもう、方法はひとつしかない。そう思った私は、ぱちんと思い切りほおを叩いて気合いを入れる。

 準備を終えて立ち上がると、全身鏡に映る私は美しき悪女、グレース・センツベリーそのものだった。ぐっと意識が上がるし、やはり形から入るのは大事だ。


「……よし」


 深呼吸をして、応接間へと向かう。後ろにはエヴァンが付いてきてくれている。

 応接間へ入ると並んで座るゼイン様とマリアベルの姿があり、私は「ごきげんよう」と小さくほほむと、テーブルをはさんだ二人の向かいに腰を下ろした。

 初めて明るい場所で見たゼイン様は恐ろしいほどに美しくて、目がチカチカする。そのとなりにはちょうぜつ美少女であるマリアベルがいるせいか、なおさら輝いて見えた。

 小説の推しが生きていて目の前にいるというせきに、こんな状況下でも感動してしまう。

 いつも側にいるエヴァンという不思議とときめかないイケメンのお蔭で、美形へのたいせいができていなければ、直視などできなかったに違いない。


「急に訪ねて来てすまない。騎士団でのじょうちょうしゅの後、そのまま立ち寄らせてもらった」

「ごめんなさい、私がわがままを言ったんです」

「いえ、お気になさらないで」


 マリアベルも私同様、山奥での姿とはまるで別人だった。元気そうで良かったと思いながら、出されたばかりのティーカップに口をつけるとゼイン様が口を開いた。


「マリアベルから詳しい話を聞いた。君がいなければ、間違いなく死んでいたと」

「まあ、そうでしょうね」

「妹が今ここにいるのは君のお蔭だ。礼を言う」


 気をつかってくれているのか、何故あの場所にいたのかをたずねられることもない。

 どんなに嫌いなタイプの人間──悪女グレースであろうと、たった一人の家族であるマリアベルの命を救った相手だからだろう。

 私の後ろに立つエヴァンにも、丁寧にお礼を言ってくれた。さすが主人公、いい人だ。


「いえ、全てお嬢様のお蔭です。俺はお嬢様の『マリアベルを助けに行きたいの』という熱い想いに応えただけですから」

「…………」


 気持ちはとても嬉しいけれど、今はあまり余計なことを言わないでほしい。しっかり打ち合わせをしておくべきだったと、心の中で頭を抱えた。

 一方、エヴァンの言葉を受けたマリアベルは、感激したような表情を浮かべている。


「グレース様も、その、取り乱してしまうくらい怖い思いをされていたのに、必死に私を守ってくださって……」


 どうやらマリアベルの中で、野草の件は私が恐怖で取り乱したということになっているらしい。間違ってはいない。


「本当に、本当にありがとうございました」

「ええ。マリアベル様も今後は気を付けてください」

「はい! よろしければ今後はぜひ、マリアベルと」

「えっ? ま、まあ、気が向いたら」


 やはりあんな目に遭っていたマリアベルに対しては、どうしても悪女ムーブなどできそうになかった。その上、彼女はまるで憧れの人に向けるような、やけにキラキラとしたまなざしを向けてくるのだ。冷たくするなんて不可能すぎる。

 やがてふたつの金色の瞳でこちらをじっと見つめていたゼイン様は、「グレースじょう」と静かに私の名前を呼んだ。


「どうか君が、いのちけで妹を救ってくれた礼をさせてほしい。俺にできることなら何でもしよう」


 その瞬間、私は「来た!」と両手を握りしめた。

 めぐまれている上に強欲なグレースが何でも持っていることは、ゼイン様だって知っているはず。だからこそ、こうして願いを聞いてくれるかもしれないと思っていたのだ。

 ──今の私に残された道は、とにかく恋人というポジションに収まり、ゼイン様に好きになってもらうことだけだ。

 本来のグレースとの関係とは違うものの、別れを告げた際、彼の心が多少痛むような存在になればいいだろう。そうして一年後に心をおににして、シャーロットの前でゼイン様をこっぴどく振れば、何もかも元通りのはず。

 正直、どうすれば目の前のかんぺきイケメンに好いてもらえるかなんて、私には見当もつかない。こうして話をしているだけで、緊張が止まらないくらいだ。

 それなのに悪女のフリをしながら好いてもらうなんて、不可能としか思えない。それでもやるしかないのだから、ひとまず今はどう修正しなければ。

 そう考えた私はなんとか笑みを浮かべ、口を開いた。


「では、私の恋人になってくれませんか」


 そう告げた瞬間、驚いたようにゼイン様の切れ長の両目が見開かれる。

 隣に座るマリアベルは「まあ!」と照れたように頰を両手でおおった。


「……俺が、君の恋人に?」

「ええ。ずっとゼイン様をおしたいしていたんです」

「…………」


 これは間違いなく、うそだと思っている顔だ。

 今までグレースはそんなりを見せていなかっただろうし、当然の反応だろう。小説でも気分屋すぎるグレースはある日突然、ゼイン様がしくなるのだ。


「……分かった。君がそう望むのなら」


 やがて明らかに乗り気ではないものの、ゼイン様は静かに首を縦に振ってくれた。

 絶対に嫌で仕方がないはずなのに、なんていい人なのだろうと胸が熱くなる。


「ありがとうございます、ゼイン様。嬉しいです」


 私が絶対にシャーロットとの幸せの道につないでみせるから、どうか一年だけまんしてほしいと、心の中で念を送る。


「とってもてきだわ! お兄様とグレースお姉様が恋人だなんて……なんてお似合いなのかしら……!」


 その一方で、真顔のゼイン様の隣でうっとりとした表情を浮かべたマリアベルには、私がどんな人間に映っているのだろう。

 やがてゼイン様は「またれんらくする」と言い、立ち上がった。形だけとは言え、こんなにも綺麗な人が自分の恋人だなんて、いまいち実感がかない。


「ええ、お待ちしています」

「お姉様、ぜひ私ともお茶会をしてくださいね」


 当然のように私を「お姉様」と呼んだマリアベルは天使のような笑みを浮かべ、ゼイン様の後をついていく。


「それでは、また」

「ああ」


 そうして二人を見送った後、屋敷へと戻りドアを閉めた私は全身の力が抜け、へなへなとその場にしゃがみ込んだ。

 ひとまずは物語のレールの上にしがみつくことができて、本当によかった。


「お嬢様が記憶をほとんど無くしても、ウィンズレット公爵様のことを一番に尋ねてきた理由が分かりました。愛の力だったんですね!」

「……そ、そうなのかもしれないわ」


 エヴァンはいたく感動したような様子を見せているけれど、まだ問題は山積みどころか問題しかない。


「まずは、少しでも好きになってもらわないと」


 間違いなく好感度はマイナスからのスタートだ。れんあいけいけんすらない私にとっては、恐ろしく険しい道のりになるに違いないと、口からは溜め息がれる。

 ──そんな私がまさか、いずれゼイン様が振っても別れてくれなくなるなんてこと、想像できるはずもなく。

 こうしてじゃっかんのフライングと共に、グレース・センツベリーとしてのストーリーが開始したのだった。



*****



 第一王子主催の夜会の最中、ホールを抜け出してバルコニーで夜風に当たっていると、不意に肩を叩かれた。


「ゼイン、こんな所にいたのか」

「……ボリスか」


 振り返った先には、侯爵令息であり幼いころからの友人であるボリスの姿があり、小さく息を吐く。

 ボリスは俺の隣に並び立つと、まゆひそめた。


「なあ、マリアベルが攫われて殺されかけたって話を聞いたんだが、大丈夫だったのか?」


 事件からまだ三日しか経っていないというのに、どこから漏れたのかうわさ好きな社交界では既に、マリアベルの殺人すいの話は広がっているらしい。

 夜会中やけに視線を感じたのは、それが原因だろう。


「ああ。グレース・センツベリーのお蔭でな」

「は? どういうことだ?」


 だが流石に、グレース・センツベリーがマリアベルを救ったということまでは知らないようだった。知ったところで、誰も信じないのが目に見えている。

 俺自身、ボロボロの姿でマリアベルを抱きしめる彼女の姿を目にしなければ、絶対に信じなかっただろう。

 ──男好きで強欲で、自分勝手でごうまんな悪女。それが誰もが知るグレース・センツベリーという人間だった。

 だからこそ、そんな彼女が危険をおかしてまで妹を救った理由が分からなかった。

 彼女が何故マリアベルが攫われたことを知っていたのか、何故その誘拐先がノヴァーク山だと分かったのか、不可解なことも多い。

 屋敷に匿名で届いていた「マリアベルはノヴァーク山に囚われている可能性が高い」という手紙もそうだ。

 それでも、もしもゆいいつの家族であるマリアベルをあんな形で失っていたら、俺はいまごろ、正気でいられたか分からない。グレースには本当に感謝している。

 だからこそ、何でも願いを聞くと告げたのだ。


「それで、どうなったんだ? 何か強請ねだられたりとか」

「恋人になった」

「……悪い、俺の耳が悪くなったのかもしれない。もう一度言ってくれないか?」

「グレース・センツベリーの恋人になった」


 そう告げればボリスは両目を見開き、再び「は?」という間の抜けた声を漏らした。

 俺自身あんな願いを聞くことになるなんて、想像すらしていなかった。マリアベルの命を救ってくれた礼でなければ、いっしゅうしていたに違いない。


「正気か? あの悪女と交際だなんて」

「どうせすぐにきるだろうし、俺にも考えがある」


 俺自身、陛下の手中の家門の令嬢とこんやくすすめられていたため、かぜけとしてグレースを使えるのは好都合だった。

 誰だって、何らかの理由から俺が彼女に付き合わされていると思うに違いない。


「陛下はセンツベリー侯爵家が嫌いだからな。俺がグレースとこいなかになったと知れば、さぞ腹を立てるだろう」


 センツベリー侯爵家は、公爵家にもおとらない権力や財力を持っている上に、王家派と対立するしん殿でん派だった。

 陛下のいかりにゆがむ表情を想像するだけで、りゅういんが下がる。

 両親が亡くなってからというもの、ウィンズレット公爵家を自らの支配下に置くため、手段を選ばない陛下に対してのいらちや不信感はつのるばかりだった。


「まさかグレース嬢はお前や公爵家に近づきたくて、命懸けでマリアベルを助けたのか?」

「分からないが、何か目的があるのは確かだろう」


 何の得もないのに、彼女が自ら動くはずがない。

 不自然な点が多いことから、彼女が元々犯人と繫がっており、俺達に恩を売るつもりで事件を仕組んだという可能性だって捨てきれなかった。

 グレース・センツベリーなら、それくらいはやりかねない。俺も恋人という立場になってしまったことを利用し、色々とさぐるつもりだった。


「それにしてもグレース嬢もりないなあ。この間だって、別れた男が逆上して殺されかけたんだろう?」

「本当にくだらないな」

「でも、彼女は恋人としては意外と良い女なのかもしれないぞ。この国でも五本の指に入るほどの美女だしな。流石のお前もほねきにされたりして」

「……笑えないじょうだんはやめてくれないか」


 彼女に対して恩義は感じているものの、好意をいだくことなど決してないだろう。

 グレースが俺に飽きるまでは付き合ってやり、こちらも利用させてもらうつもりだ。


「──俺はああいう人間が、一番嫌いなんだ」

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