2.悪女と主人公①
グレースに転生してから、一週間が
「――はあ、ノロマなお前のせいで気分が台無しだわ。どう責任を取るつもりなわけ?」
テーブルを
「も、申し訳ありません……! ううっ……」
「お前ごときの謝罪に何の価値があるのかしら? もういいわ、
私は長い
ヤナとエヴァンのお
その
これだけやって32点とは、満点を
ヤナとエヴァン以外出て行ったのを
「ありがとう、ごめんなさいね。演技が上手すぎて、罪悪感から
「良かったです。お
「ええ、お願い」
そうして彼女と共に、鏡台の前へ移動する。
少しずつこの生活にも慣れてきてはいるものの、やはり価値観や金銭感覚の
ちなみにヤナにも
「グレースお嬢様、こんな感じでいかがでしょう?」
「すごくかわいいわ! ありがとう、ヤナ」
「はい。お嬢様は今日もとてもお美しいです」
顔を上げると鏡には
ドレスはグレースが「地味だからいらない」と以前捨てておくよう言い、
真昼に真っ赤なフリルだらけのドレスは
「今日は俺がしっかりお守りしますから、安心してめいっぱい楽しんでくださいね」
「ありがとう。なんだか
「俺もそう思いました、格好良いなって」
そう、今日はこれからエヴァンとヤナと共に、街中へと出かけることになっている。
そろそろ
私自身としては今ある分で十分だけれど、
ということで、まずはドレスショップに行く予定だ。
人生で最も高価な買い物が自転車の私は、一体今からいくらの買い物をするのだろうと
ちなみにこの国の通貨である「ミア」は日本の「円」の感覚と変わらないようで、とても分かりやすかった。その分、リアルな数字に具合が悪くなるけれど。
馬車に
「わあ、すごい人! いつもこんなに
「明日からは建国祭ですから、国中から王都に集まってきているんですよ。
なんというかテレビで見るようなお
大人から子どもまで大勢の人々が楽しそうに通りを歩いていて、思わず
とは言え、馬車を降りてからはツンとした顔をしていなければ。
そして
「センツベリー様、お待ちしておりました」
「ええ」
つい緊張してしまいながら中へと入れば、すぐに洗練された美女店員が
案内され
「…………!」
こんな時グレースなら
そこには
「ごめんなさい、
心配げに私を見つめる
もちろんグレースも美人だけれど、こちらは美少女という感じだ。全く
「ああ、急がなきゃ! 本当にごめんなさいね」
それだけ言うと、美少女は急いで店を出て行く。その後ろを、
「うーん、どこかで見たことあるような……」
けれど主要登場人物ならイラストで見ているから顔は分かるだろうし、気のせいだろうと思い、私は再び店員の後をついて廊下を歩いていく。
その後、数時間かけて大量のドレスを
それでも元々のグレースとは比べ物にならないほど少ないと言われ、気が遠くなる。
「身体はひとつしかないのに……おかしいわ……」
お金を気にせずに好きなだけ買い物をしたいと、夢見たことはある。けれど
この感覚にはあまり慣れたくないなあなんて思いながら、私はドレスの山を見つめ、大きな溜め息を吐いた。
*****
屋敷に
「やった、できた! か、かわいい……!」
私の目の前では、ハニワのような小さな土人形がひょこひょこと歩いていた。
「ほぼ初めてのようなものなのに、ここまで使いこなせるなんて異常ですよ。変態です」
「他に
この世界には魔法が存在し、人口の三割程度が使えるのだという。
そしてグレースもその一人であり、火・水・風・土の四属性と貴重な光と
本人も美しくないとお気に
「こんなにすごい魔法なのに……よしよし」
私の魔法で作り出した土人形は集中している間、
ぺこりとおじぎをしたハニワちゃんの頭を
私自身もともと魔法というものに
一年後に
「お嬢様の場合は大丈夫だと思いますが、魔力切れは命の危険もありますからね。少し休みましょうか」
「そうね、ありがとう」
やがて
それからは三人で昼間出かけた際の話をしていたところ、私はふと妖精のような美少女のことを思い出した。
「そう言えばドレスショップでぶつかった子、本当に可愛かったわ。お
「ウィンズレット
「なるほど、ウィンズレット家の――……えっ?」
私は
「ゼイン・ウィンズレット様の妹、ってこと!?」
「はい、そうですよ。マリアベル様です」
エヴァンは当然のようにそう言ったけれど、私はだんだん心臓の
――マリアベル・ウィンズレット。彼女は小説のストーリー開始前に
彼女のイラストはなかったものの、見たことがあるように感じていたのは、ゼイン様に似ていたからだろう。
両親を亡くした二人は、たった一人の肉親であるお
必死の
小説の中ではモノローグで語られるたった数行の部分だったけれど、
「……でも、まだ生きてた」
きつく手のひらを
小説のストーリーの始まりは来月、グレースとゼイン様が国
そして、それまでのゼイン様の過去は回想シーンで語られるのみ。きっとマリアベルが
「確かゼイン様は王都を
「お嬢様? どうかしましたか?」
「あ、建国祭!
王国最強の騎士として名高いゼイン様が、建国祭の前日に隣国の大使を国境の近くまで迎えに行き、王都を離れているタイミングを犯人は
『明日からは建国祭ですから、国中から王都に集まってきているんですよ』
つまり、マリアベルが殺されるのは―― ……
「……今夜だ」
本当にもう、時間がない。
そう思った私は、必死にマリアベルがいるであろう場所を思い出そうとする。
「山の名前は……だめだ、そんなの覚えてない」
何度も読んだからといって山の名前なんて読み飛ばしてしまっているし、覚えているはずなんてなかった。
「ねえ、ここから近い山はいくつある?」
「王都からなら、フィギス山かノヴァーク山ですね」
「…………」
山の名前を聞いても、全然しっくり来ない。
結局これ以上何も思い出せなかった私は、再び口を開く。
「犯罪者が人を攫って殺すとしたら、どっち?」
「それならノヴァーク山でしょうね。フィギス山は見晴らしがかなり良くて、常に観光客も多いので」
それならきっと、ノヴァーク山だ。
私はベンチから立ち上がると、エヴァンの手を取った。
「お願いがあるの。今から何も聞かずに、ノヴァーク山へついてきてくれない?」
「もしかして俺……殺されるんですか?」
「ち、違うわよ! ごめんなさい、今の流れは完全に私が悪かったわ」
「マリアベルを助けに行きたいの」
――最低最悪な悪女のグレースがゼイン様の
それがなければ、きっと見向きもされず、むしろ彼にとっては
だからこそ、ここでマリアベルを助けようとするのは悪手だろう。悪手どころか、自ら正規ルートを全力で
もちろん戦争が起こるのだって死ぬのだって怖いし、必ず
それでも
『ごめんなさい、大丈夫でしょうか?』
だって、彼女はこの世界で生きている。
まだたった一週間しか経っていないけれど、もう、この世界の人々のことをただの小説のキャラクターだなんて思えそうにない。エヴァンだってヤナだって、みんな生きている一人の人間だった。
今ここで何もしなければ、絶対に一生
「分かりました、急いで馬を借りてきます。お嬢様はその間に
「わ、分かったわ! ありがとう」
動きやすい乗馬用のパンツタイプの服に着替えた私は、エヴァンと合流し馬に乗った。
他にも騎士を連れて行ったり、助けを求めたりしようかとも考えたけれど、時間もなければ何の
そう思いつつも、ノヴァーク山にマリアベルが
間違っている場合もあるけれど、そもそもゼイン様は間に合わないのだ。それなら何もしないよりはいいはず。
「う、馬って、こんなに速いのね……!」
「俺の方が速いですけどね」
「また張り合ってる」
男性とこんなにも密着するのは初めてだったものの、エヴァンがエヴァンすぎて異性として意識していないせいか、ドキドキや緊張ひとつしないのがありがたい。
マリアベルが無事であってほしいと願いながら、ぎゅっと手を握りしめる。
「とにかく、この山のどこかにある小屋にマリアベルは囚われているはずなの。犯人は一人で、
「魔物を操る? そんなことができるんですか?」
「……ええ。これから、そういう事件が増えるはず」
今後この国を中心に、魔物を操る道具などが少しずつ出回るようになる。小説の二巻以降に黒幕が出てくるけれど、もちろんすべてゼイン様とシャーロットが
「でも、こんな話を信じてくれるの?」
「信じる信じないと言うより、俺はお嬢様の命令に従うだけなので、何でもいいんですよ」
「エヴァンは分かりやすくていいわね。ありがとう」
そんなエヴァンに感謝しているうちに、ノヴァーク山に到着した。険しい山道ということもあり、馬は魔物に
どうかマリアベルがまだ無事であってほしいと願いながら、額から流れてくる
「そう言えばエヴァンって、どれくらい強いの?」
「俺ですか? 俺は――」
そこまで言いかけたところで、前方から魔物の群れが
けれど一方のエヴァンはいつもと変わらない様子で、
「この国で五本の指に入るくらい、じゃないですかね」
次の瞬間にはもう、エヴァンは腰から
あの
――それはきっと、エヴァン・ヘイルという騎士の実力を信用しているからなのだろう。
「さて、行きましょうか」
あっという間に全てを倒し切ったエヴァンは、私の元へと戻ってくると背を向け、しゃがみ込んだ。
「この辺りの魔物は片付けたでしょうし、走り抜けます。俺の背中に乗ってください」
「えっ? あ、ありが―― きゃあああああ!」
おずおずとエヴァンの背中に乗り、しっかりと
「ほら、言ったでしょう? 馬より速いって」
「た、確かに! 疑ってごめんなさい!」
「俺は風魔法使いなので、足に風を
あまりにも速く、周りの景色すらよく見えない。
けれど彼はしっかり見えているようで、やがて足を止めた。
「小屋って、あれじゃないですか?」
それらしい小屋を見つけ、思わずほっとするのと同時に
エヴァンと共に急いで小屋の中へ入ると、古びた剣を持った男と、両手を
既に何度も切りつけられたようで、泣きじゃくるマリアベルの服はあちこち真っ赤に染まっている。その痛々しい姿に、泣きたくなった。
本来のストーリーでは、こうして痛めつけられ続けた末、彼女は命を落としたのだろう。
「……っ」
私はすぐにマリアベルの元へ駆け寄り、音も立てず剣を抜いたエヴァンは、私達を
「助けにきたので、もう大丈夫ですよ」
「……っう、……ひっく……こわかっ……う……」
私の身体に
やるせない気持ちになりながら、ヤナからお守りにと渡されていた短刀で手のロープを切っていく。すると、その様子を見ていた男の舌打ちが小屋の中に
「なんだ、お前ら? どうしてここが分かった?」
「お前こそ何をしていた?」
「見りゃ分かるだろ、ウィンズレット公爵家の大切なお姫様を殺そうとしてたんだよ」
身なりの
その首元には、剣が
この男自身は確か、
「こいつ、殺さない方がいいですよね?」
「ええ、そうね。捕まえておいて」
私はこの国の法に詳しくないけれど、犯罪者だからと言って勝手に殺すのは良くないだろう。それくらいしてほしい気持ちではあるけれど、ゼイン様のこともあるし、正しく裁かれるべきだ。
ひとまずこれで一安心だと思った私は、マリアベルの傷の手当てをしようと思い、腰から下げていたポーチから
「だ、大丈夫です。私、
「そうなんですね! わあ、すごい……!」
そう言うと、マリアベルは自らの手を身体にかざす。すると淡く
初めて見る治癒魔法の美しさや
「本当に、よかった……」
全ての傷を無事に治し終えると、やがてマリアベルは真っ赤な目で私をじっと見つめた。
「本当にありがとう、ございました」
「どういたしまして」
「あの、どうして私を助けてくださったんですか……? お昼にマダム・リコのお店でお会いしました、よね」
「ええと、それは――」
確かに彼女からすれば、昼間に一瞬だけ顔を合わせた人間がいきなり山奥まで助けにくるなんて、意味が分からないだろう。むしろ怖いかもしれない。
どう説明しようかと頭を
「えっ、えええ……!?」
なんとエヴァンに押さえつけられていたはずの男の身体が、
その
「まさか、この男も薬を持っていたなんて……」
人間が魔物に変化する薬は、二巻から出てくるはず。本来なら私達という
予想外の展開に、冷や汗が流れる。
「へー、人って魔物になるんだ。
「全然面白くないわよ!」
そんな中、
マリアベルは私の服を、震える手でぎゅっと握っていた。
「でも少し時間はかかりそうですね。
「倒せそう?」
「それは間違いなく。ここは危ないので、お二人は離れていた方がいいと思います。何かあったらすぐに呼んでください」
「ええ、分かったわ。エヴァンも気を付けて」
エヴァンばかりに無理をさせて申し訳ないけれど、とにかくその間、無事でいなければ。
小屋には火が移り
マリアベルが、震える手で私の後ろを指差した。
「う、うしろ……!」
「えっ?」
振り返った先には、先程エヴァンが倒したものと同じ狼のような魔物の姿があった。
それも、三
「う、うそでしょ……」
エヴァンの方はまだ
エヴァンを呼んだところで、間に合いそうにない。
「……っ!」
そう思った私は
けれどすぐにドンッ、ドンッ、と地面ごと揺れ、体当たりをされているのだと
まだ魔法を使い始めて、たった数日なのだ。どうすれば強度が上がるのかも分からない。
どうか一秒でも長く持ってくれと
「だ、大丈夫です、私はこんなところで死ぬキャラじゃないので」
そんな願望に似た言葉を
なおも魔物は体当たりを続けているようで、土壁にはヒビが入っていく。それでもエヴァンが間に合ってくれると信じて、必死に魔法を使い続けていた、けれど。
「…………?」
不意にぶつかるような音が
魔物の知力は高くないらしく、私達を油断させるために
そう思いながらも万が一のことを考えると怖くて、魔法を解けずにいた時だった。
「えっ?」
突然、土壁がバラバラと崩れたのだ。思わずぎゅっと目を
「――おにい、さま」
数秒の後、やがて聞こえてきたマリアベルのそんな声に、心臓が大きく跳ねた。
ゆっくりと、恐る恐る顔を上げる。
「……っ」
そして一瞬で、目の前に立つ彼が何者なのかを理解した。
理解させられた、と言うのが正しいかもしれない。その圧倒的なオーラや暴力的な美しさに、目を
輝くような銀髪に、太陽のように
私が知っている
「ゼインお兄様……!」
ふらふらと立ち上がったマリアベルは、まっすぐにゼイン様の
ゼイン様もマリアベルをきつく抱きしめ返し「本当に無事でいてくれてよかった」と、消え入りそうな声で呟いた。
本来なら二度と会うことができなかったはずの二人の姿に、胸がじわじわと温かくなっていく。
「……あ、あれ」
気が付けば、私の目からは涙がこぼれ落ちていた。
もちろん
慌てて服の袖でごしごしと目元を拭い顔を上げると、ゼイン様とぱっちり視線が
「お兄様、こちらの方が私を助けに来てくれたんです」
「そうか。妹を助けてくれて、感謝する。名前を聞いてもいいだろうか」
「えっ……?」
もちろんゼイン様だって、
けれど普段とは違う服装や様子から、グレースだと気付いていないのかもしれない。
マリアベルも来年から社交デビューのため、グレースのことを知らないのだろう。
こんなところまで悪女のグレースがマリアベルを助けにきたとなれば、キャラ
「あっ、グレースお嬢様! 良かった、無事にマリアベル様を助けられたんですね。こんな時間にこんな山奥まで来た甲斐がありました」
「…………」
「犯人の男は半殺し、いえ八割殺しにしたら人間に戻ったので、とりあえず縛って転がしておきましたよ」
血まみれのエヴァンが爽やかな顔をして
とは言え、これも全て彼のお蔭なのだ。エヴァンにはこっそりお礼を言い、そのまま
「……君は、グレース・センツベリーなのか?」
名前を呼ばれたことで、心臓が大きく跳ねる。どきりとするくらい声まで
先程ゼイン様に手紙を送ったものの、いざ
「妹を助けてくれたのなら、礼をさせてほしい。だが、なぜ君がこの場所にいたんだ?」
「……それは」
こんな時間にこんな山奥に、
――そしてこの時の私は本当に、限界だったんだと思う。
そもそも
どう考えたって、平気なはずがない。間違いなく、頭がおかしくなったって仕方のない状況だった。
それでもマリアベルを救いたいという一心で、ギリギリのところで精神を保っていたけれど、それも
結果、私は見覚えのあった足元の草をぶちっと引き抜いた。
「こ、この草は
「……は?」
「夕食を採りにきたら、襲われていたところにたまたま遭遇しただけです。本当です、生でも食べられます」
そして、血迷った私はそのまま草を食べてみせた。もう自分でも何を言っているのか、何をしているのか分からなかった。
ひとつだけ分かるのは、もう何もかもが終わったということだけだ。
「…………」
そうして消えてなくなりたくなるような重く苦しい
「あ、本当だ。全然いけますね」
正直、エヴァンのことが好きになりそうだった。絶対に
いきなり草を食べ始めた私達がゼイン様とマリアベルの目にどう映っているのかなんて、考えたくもなかった。
「それにしても、最初からこれが目的だと言ってくださればよかったのに。もっと探してきましょうか?」
申し訳ないけれどエヴァンではなくゼイン様に信じてほしかったと思いながら、私は首を左右に振る。
「も、もういいから、帰るわよ! 失礼します!」
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