2.悪女と主人公①


 グレースに転生してから、一週間がった。


「――はあ、ノロマなお前のせいで気分が台無しだわ。どう責任を取るつもりなわけ?」


 テーブルをり飛ばせば、ゆかに座り込むヤナの身体からだがびくりとふるえた。

 ひとみからは一筋のなみだが流れていく。


「も、申し訳ありません……! ううっ……」

「お前ごときの謝罪に何の価値があるのかしら? もういいわ、ばつあたえるからヤナ以外は出て行きなさい」


 私は長いまえがみをかき上げるとの背に体重を預け、おおいきいてみせた。

 ヤナとエヴァンのおかげで、だいぶ悪女が板についてきた気がする。むしろヤナの演技力が高すぎて、かなりひどいことをしているふんが出るのだ。

 そのあって他の使用人達はグレースにおびえ、まどっている様子だった。とは言え、後ろではエヴァンが32点とジェスチャーしている。

 これだけやって32点とは、満点をたたす本物のグレースのおそろしさは想像すらつかない。それでも、マイナスからの大進歩だろう。

 ヤナとエヴァン以外出て行ったのをかくにんした私は手を差し出し、彼女を立ち上がらせた。


「ありがとう、ごめんなさいね。演技が上手すぎて、罪悪感からちゅうで思わず謝りたくなったもの」

「良かったです。おじょうさまもばっちりでしたよ。急いでたくを始めますね」

「ええ、お願い」


 そうして彼女と共に、鏡台の前へ移動する。こしを下ろすと、すぐにヤナは私のかみい始めてくれた。

 少しずつこの生活にも慣れてきてはいるものの、やはり価値観や金銭感覚のちがいに戸惑うことも多い。ことづかいも貴族れいじょうらしくしようと、なんとかがんっていた。ごうな食事も美味おいしくて幸せだけれど、気軽に食べられる質素な食事もこいしかったりする。

 ちなみにヤナにもおくが所々ないという設定を伝えてあるけれど、だいぶ仲良くなれた気がする。


「グレースお嬢様、こんな感じでいかがでしょう?」

「すごくかわいいわ! ありがとう、ヤナ」

「はい。お嬢様は今日もとてもお美しいです」

 顔を上げると鏡にはゆるいポニーテールで髪をまとめた、お出かけスタイルの私が映っていた。いまだに鏡を見るたびにおどろいてしまうくらい、グレースは美しい。

 ドレスはグレースが「地味だからいらない」と以前捨てておくよう言い、めたメイドが別の部屋に置き忘れたままだった、あわいスミレ色のシンプルなものを着ている。

 真昼に真っ赤なフリルだらけのドレスは流石さすがつらすぎるため、助かった。


「今日は俺がしっかりお守りしますから、安心してめいっぱい楽しんでくださいね」

「ありがとう。なんだかっぽいわ」

「俺もそう思いました、格好良いなって」


 そう、今日はこれからエヴァンとヤナと共に、街中へと出かけることになっている。

 そろそろしきの外に出てみたかったし、お父様から新しいドレスを買うよう、目玉が飛び出そうなくらいのおづかいをわたされてしまったのだ。

 私自身としては今ある分で十分だけれど、ごうよく悪女であるグレースが同じドレスばかりを着ているなんて、絶対にあってはならない。

 ということで、まずはドレスショップに行く予定だ。すでにお父様が、国内でもトップの人気をほこるデザイナーの店を予約してくれているらしい。

 人生で最も高価な買い物が自転車の私は、一体今からいくらの買い物をするのだろうときんちょうが止まらない。

 ちなみにこの国の通貨である「ミア」は日本の「円」の感覚と変わらないようで、とても分かりやすかった。その分、リアルな数字に具合が悪くなるけれど。

 馬車にられながら、窓の外に流れていく王都の街中の景色を見つめる。


「わあ、すごい人! いつもこんなににぎわっているの?」

「明日からは建国祭ですから、国中から王都に集まってきているんですよ。だんはもっと落ち着いています」


 なんというかテレビで見るようなおしゃなヨーロッパの街並み、という感じだ。

 大人から子どもまで大勢の人々が楽しそうに通りを歩いていて、思わずみがこぼれた。

 とは言え、馬車を降りてからはツンとした顔をしていなければ。

 そしてとうちゃくしたドレスショップは一等地らしい場所にあり、外観からして高級感がただよっている。


「センツベリー様、お待ちしておりました」

「ええ」


 つい緊張してしまいながら中へと入れば、すぐに洗練された美女店員がむかえてくれた。

 案内されろうを歩いていると、前方から急いだ様子の女性が向かってきて、すれ違い様にぶつかってしまう。


「…………!」


 こんな時グレースならおこるだろうと思ったものの、相手の顔を見たしゅんかん、私は言葉を失ってしまった。

 そこにはようせいかと思うほど、わいらしい貴族令嬢がいたからだ。腰まである絹糸のようなぎんぱつがふわりと揺れ、この世のものとは思えないはかなさや美しさがあった。


「ごめんなさい、だいじょうでしょうか?」


 心配げに私を見つめるはちみつ色の瞳は、宝石のようにキラキラとかがやいている。文句ひとつつけようのない顔立ちは、まるでせいこうな人形のようだと驚いてしまう。

 もちろんグレースも美人だけれど、こちらは美少女という感じだ。全くきができない私でも、身に付けているものは全てかなりの高級品だと分かった。


「ああ、急がなきゃ! 本当にごめんなさいね」


 それだけ言うと、美少女は急いで店を出て行く。その後ろを、じょらしき女性達があわてて追いかけていった。


「うーん、どこかで見たことあるような……」


 けれど主要登場人物ならイラストで見ているから顔は分かるだろうし、気のせいだろうと思い、私は再び店員の後をついて廊下を歩いていく。

 その後、数時間かけて大量のドレスをこうにゅうし、それ以上にオーダーメイドの注文もした私は、今すぐに込みたくなっていた。

 それでも元々のグレースとは比べ物にならないほど少ないと言われ、気が遠くなる。


「身体はひとつしかないのに……おかしいわ……」


 お金を気にせずに好きなだけ買い物をしたいと、夢見たことはある。けれどみのない大金を使うという感覚は、想像していたよりもずっとこわいものだった。

 こうしゃく家からすれば大したことのない金額だということだって理解しているものの、やはり落ち着かない。

 この感覚にはあまり慣れたくないなあなんて思いながら、私はドレスの山を見つめ、大きな溜め息を吐いた。



*****



 屋敷にもどった後は、裏庭にてエヴァンとほうの練習をした。実は数日前から、こっそりと毎日続けている。


「やった、できた! か、かわいい……!」


 私の目の前では、ハニワのような小さな土人形がひょこひょこと歩いていた。


「ほぼ初めてのようなものなのに、ここまで使いこなせるなんて異常ですよ。変態です」

「他にめ方はなかったの?」


 この世界には魔法が存在し、人口の三割程度が使えるのだという。ほう使つかいは特に貴族に多いんだとか。

 そしてグレースもその一人であり、火・水・風・土の四属性と貴重な光とやみ属性がある中で、グレースはキャラと見た目に反して土魔法使いだった。

 本人も美しくないとお気にさなかったようで、じゅんたくりょく量を持ちながらもいっさい使っていなかったようだ。


「こんなにすごい魔法なのに……よしよし」


 私の魔法で作り出した土人形は集中している間、おもえがいている通りに動いてくれる。

 ぺこりとおじぎをしたハニワちゃんの頭をでると、なぜ故かエヴァンは「いいなあ」とこぼしていた。

 私自身もともと魔法というものにあこがれはあったし、元々グレースには才能があったのか、簡単に色々とできるようになって楽しい。

 一年後にたいそうとしての役割を終えたら、この魔法を使って農作物を育ててみたいと思っている。


「お嬢様の場合は大丈夫だと思いますが、魔力切れは命の危険もありますからね。少し休みましょうか」

「そうね、ありがとう」


 やがてきゅうけいをしようということになり、近くのベンチに並んで腰を下ろす。すぐにヤナが冷たい飲み物を用意してくれて、本当にいたれりくせりだ。

 それからは三人で昼間出かけた際の話をしていたところ、私はふと妖精のような美少女のことを思い出した。


「そう言えばドレスショップでぶつかった子、本当に可愛かったわ。おひめ様って感じで」

「ウィンズレットこうしゃく家のご令嬢ですからね」

「なるほど、ウィンズレット家の――……えっ?」


 私はねるように顔を上げ、エヴァンを見つめる。


「ゼイン・ウィンズレット様の妹、ってこと!?」

「はい、そうですよ。マリアベル様です」


 エヴァンは当然のようにそう言ったけれど、私はだんだん心臓のどうが速くなっていくのを感じていた。

 ――マリアベル・ウィンズレット。彼女は小説のストーリー開始前にくなる、ゼイン様の妹だ。

 彼女のイラストはなかったものの、見たことがあるように感じていたのは、ゼイン様に似ていたからだろう。

 両親を亡くした二人は、たった一人の肉親であるおたがいを大切におもい過ごしていたけれど、ある日マリアベルは公爵家にじんうらみを持つ男にさらわれてしまう。

 必死のそうさくの末、深夜のやまおくでゼイン様が目にするのはざんさつされたマリアベルの遺体だった。そうしてこわれかけたゼイン様の心にグレースがつけ込み、物語は始まる。

 小説の中ではモノローグで語られるたった数行の部分だったけれど、さきほど会った彼女がこれからそんな目にうと思うと、ぞくりと身体が震えた。


「……でも、まだ生きてた」


 きつく手のひらをにぎりしめ、必死に記憶を辿たどる。

 小説のストーリーの始まりは来月、グレースとゼイン様が国しゅさいとう会で出会うところからだったはず。妹を亡くしたばかりのゼイン様を、国王が無理に呼び付けるのだ。

 そして、それまでのゼイン様の過去は回想シーンで語られるのみ。きっとマリアベルがゆうかいされるまではもう、本当に時間がないはず。


「確かゼイン様は王都をはなれている時で……どうして離れていたんだっけ……そうだ、何か任務があって……」

「お嬢様? どうかしましたか?」

「あ、建国祭! りんごくの大使をむかえに行くんだわ!」


 王国最強の騎士として名高いゼイン様が、建国祭の前日に隣国の大使を国境の近くまで迎えに行き、王都を離れているタイミングを犯人はねらう。


『明日からは建国祭ですから、国中から王都に集まってきているんですよ』


 つまり、マリアベルが殺されるのは―― ……

 

「……今夜だ」


 本当にもう、時間がない。

 そう思った私は、必死にマリアベルがいるであろう場所を思い出そうとする。


「山の名前は……だめだ、そんなの覚えてない」


 何度も読んだからといって山の名前なんて読み飛ばしてしまっているし、覚えているはずなんてなかった。


「ねえ、ここから近い山はいくつある?」

「王都からなら、フィギス山かノヴァーク山ですね」

「…………」


 山の名前を聞いても、全然しっくり来ない。

 結局これ以上何も思い出せなかった私は、再び口を開く。


「犯罪者が人を攫って殺すとしたら、どっち?」

「それならノヴァーク山でしょうね。フィギス山は見晴らしがかなり良くて、常に観光客も多いので」


 それならきっと、ノヴァーク山だ。

 私はベンチから立ち上がると、エヴァンの手を取った。


「お願いがあるの。今から何も聞かずに、ノヴァーク山へついてきてくれない?」

「もしかして俺……殺されるんですか?」

「ち、違うわよ! ごめんなさい、今の流れは完全に私が悪かったわ」


 くわしいことを説明しているひまはないし、説明できるような、信じてもらえるような話でもない。それでも、これだけは伝えておかなければ。


「マリアベルを助けに行きたいの」


 ――最低最悪な悪女のグレースがゼイン様のこいびとになれたのは、ちがいなくマリアベルの死があったからだ。

 それがなければ、きっと見向きもされず、むしろ彼にとってはきらいな人種に違いない。

 だからこそ、ここでマリアベルを助けようとするのは悪手だろう。悪手どころか、自ら正規ルートを全力でつぶしに行くようなものだ。

 もちろん戦争が起こるのだって死ぬのだって怖いし、必ずけたいと思っている。

 それでもだまってマリアベルが死ぬのを待ち、それを利用してゼイン様に近づくなんて、どうしてもいやだった。


『ごめんなさい、大丈夫でしょうか?』


 だって、彼女はこの世界で生きている。

 まだたった一週間しか経っていないけれど、もう、この世界の人々のことをただの小説のキャラクターだなんて思えそうにない。エヴァンだってヤナだって、みんな生きている一人の人間だった。

 今ここで何もしなければ、絶対に一生こうかいする。その後のことは、彼女を助けられた後に考えるしかない。


「分かりました、急いで馬を借りてきます。お嬢様はその間にえてきてください。正門でお待ちしていますね」

「わ、分かったわ! ありがとう」


 動きやすい乗馬用のパンツタイプの服に着替えた私は、エヴァンと合流し馬に乗った。

 他にも騎士を連れて行ったり、助けを求めたりしようかとも考えたけれど、時間もなければ何のしょうもないのだ。むしろ、信じてもらえる方がおかしい。

 そう思いつつも、ノヴァーク山にマリアベルがとらわれている可能性が高いと、とくめいでゼイン様に手紙を送っておくようたのんである。

 間違っている場合もあるけれど、そもそもゼイン様は間に合わないのだ。それなら何もしないよりはいいはず。


「う、馬って、こんなに速いのね……!」

「俺の方が速いですけどね」

「また張り合ってる」


 男性とこんなにも密着するのは初めてだったものの、エヴァンがエヴァンすぎて異性として意識していないせいか、ドキドキや緊張ひとつしないのがありがたい。

 マリアベルが無事であってほしいと願いながら、ぎゅっと手を握りしめる。


「とにかく、この山のどこかにある小屋にマリアベルは囚われているはずなの。犯人は一人で、ものあやつってる」

「魔物を操る? そんなことができるんですか?」

「……ええ。これから、そういう事件が増えるはず」


 今後この国を中心に、魔物を操る道具などが少しずつ出回るようになる。小説の二巻以降に黒幕が出てくるけれど、もちろんすべてゼイン様とシャーロットがたおしてくれるのだ。


「でも、こんな話を信じてくれるの?」

「信じる信じないと言うより、俺はお嬢様の命令に従うだけなので、何でもいいんですよ」

「エヴァンは分かりやすくていいわね。ありがとう」


 そんなエヴァンに感謝しているうちに、ノヴァーク山に到着した。険しい山道ということもあり、馬は魔物におそわれないようふもとに置いていき、自らの足で登っていく。

 どうかマリアベルがまだ無事であってほしいと願いながら、額から流れてくるあせそでぬぐい、足を動かしていく。


「そう言えばエヴァンって、どれくらい強いの?」

「俺ですか? 俺は――」


 そこまで言いかけたところで、前方から魔物の群れがけ降りてくるのが見えた。おおかみをぐちゃぐちゃにしたような、初めて見るおぞましい魔物の姿にきょうを感じてしまう。

 けれど一方のエヴァンはいつもと変わらない様子で、さわやかな笑みをかべている。


「この国で五本の指に入るくらい、じゃないですかね」


 次の瞬間にはもう、エヴァンは腰からけんき、魔物にりかかっていた。まばたきをしている間に、魔物はにくへんへと変わっていく。

 あっとうてきなその強さに、言葉を失ってしまう。先程の「この国で五本の指に入る強さ」というのは、本当なのかもしれない。

 あのむすめできあいしているお父様がグレースに、護衛を一人しか付けないのはおかしいと思っていたのだ。それも、あんな事件があった後だというのに。

 ――それはきっと、エヴァン・ヘイルという騎士の実力を信用しているからなのだろう。


「さて、行きましょうか」


 あっという間に全てを倒し切ったエヴァンは、私の元へと戻ってくると背を向け、しゃがみ込んだ。


「この辺りの魔物は片付けたでしょうし、走り抜けます。俺の背中に乗ってください」

「えっ? あ、ありが―― きゃあああああ!」


 おずおずとエヴァンの背中に乗り、しっかりとかたつかまったたん、視界がブレた。とつぜん、ジェットコースターに乗っているかのようなスピードで、エヴァンが走り出したのだ。


「ほら、言ったでしょう? 馬より速いって」

「た、確かに! 疑ってごめんなさい!」

「俺は風魔法使いなので、足に風をまとって移動できるんです。ちょうきょ移動には向かないんですけどね。舌をまないよう気をつけてください」


 あまりにも速く、周りの景色すらよく見えない。

 けれど彼はしっかり見えているようで、やがて足を止めた。


「小屋って、あれじゃないですか?」


 それらしい小屋を見つけ、思わずほっとするのと同時にかんだかい悲鳴が聞こえてきて、全身の血がこおくようなさっかくを覚える。

 エヴァンと共に急いで小屋の中へ入ると、古びた剣を持った男と、両手をしばられたマリアベルの姿があった。

 既に何度も切りつけられたようで、泣きじゃくるマリアベルの服はあちこち真っ赤に染まっている。その痛々しい姿に、泣きたくなった。

 本来のストーリーでは、こうして痛めつけられ続けた末、彼女は命を落としたのだろう。


「……っ」


 私はすぐにマリアベルの元へ駆け寄り、音も立てず剣を抜いたエヴァンは、私達をかばうように男とたいした。


「助けにきたので、もう大丈夫ですよ」

「……っう、……ひっく……こわかっ……う……」


 つちぼこりまみれで傷だらけで、昼間とはまるで別人のような姿に胸がめ付けられる。

 私の身体にすがり付くようにきついたマリアベルは確かまだ、十四歳のはず。どうして彼女がこんな目に遭わなければならないのだろう。

 やるせない気持ちになりながら、ヤナからお守りにと渡されていた短刀で手のロープを切っていく。すると、その様子を見ていた男の舌打ちが小屋の中にひびいた。


「なんだ、お前ら? どうしてここが分かった?」

「お前こそ何をしていた?」

「見りゃ分かるだろ、ウィンズレット公爵家の大切なお姫様を殺そうとしてたんだよ」


 身なりのきたない男が不気味に笑った次の瞬間、エヴァンは男を地面に押さえ付けていた。

 その首元には、剣がきつけられている。

 この男自身は確か、しゃくを取り上げられた元貴族のはず。どうを使い魔物を使えきできるだけでは、騎士であるエヴァンにかなうはずがない。


「こいつ、殺さない方がいいですよね?」

「ええ、そうね。捕まえておいて」


 私はこの国の法に詳しくないけれど、犯罪者だからと言って勝手に殺すのは良くないだろう。それくらいしてほしい気持ちではあるけれど、ゼイン様のこともあるし、正しく裁かれるべきだ。

 ひとまずこれで一安心だと思った私は、マリアベルの傷の手当てをしようと思い、腰から下げていたポーチからりょう道具を取り出したところ、彼女は小さく首をった。


「だ、大丈夫です。私、ほう、つかえます」

「そうなんですね! わあ、すごい……!」


 そう言うと、マリアベルは自らの手を身体にかざす。すると淡くやわらかな光に包まれた傷口が、いっしゅんにして治っていく。

 初めて見る治癒魔法の美しさやすごさに驚きながら、これ以上痛い思いをしなくて済むようで、ほっとする。


「本当に、よかった……」


 全ての傷を無事に治し終えると、やがてマリアベルは真っ赤な目で私をじっと見つめた。


「本当にありがとう、ございました」

「どういたしまして」

「あの、どうして私を助けてくださったんですか……? お昼にマダム・リコのお店でお会いしました、よね」

「ええと、それは――」


 確かに彼女からすれば、昼間に一瞬だけ顔を合わせた人間がいきなり山奥まで助けにくるなんて、意味が分からないだろう。むしろ怖いかもしれない。

 どう説明しようかと頭をなやませていると、不意にバキ、ゴキ、という聞き慣れない大きな音が響いた。


「えっ、えええ……!?」


 なんとエヴァンに押さえつけられていたはずの男の身体が、きょだいな魔物に変化したのだ。

 そのきょたいは小屋のてんじょうを突き破り、口からはほのおいている。


「まさか、この男も薬を持っていたなんて……」


 人間が魔物に変化する薬は、二巻から出てくるはず。本来なら私達というじゃが入らないため使う必要がなかっただけで、実際の物語でも薬自体は所持していたのかもしれない。

 予想外の展開に、冷や汗が流れる。


「へー、人って魔物になるんだ。おもしろいですね」

「全然面白くないわよ!」


 そんな中、ひびきのようなたけびを上げている魔物姿の男を前にしても、エヴァンは変わらずひょうひょうとしている。

 マリアベルは私の服を、震える手でぎゅっと握っていた。つうはこんな出来事にそうぐうすれば、怖くて仕方ないだろう。大丈夫ですよ、あの人は強いからと伝える。


「でも少し時間はかかりそうですね。あいしょうが最悪なので」

「倒せそう?」

「それは間違いなく。ここは危ないので、お二人は離れていた方がいいと思います。何かあったらすぐに呼んでください」

「ええ、分かったわ。エヴァンも気を付けて」


 エヴァンばかりに無理をさせて申し訳ないけれど、とにかくその間、無事でいなければ。

 小屋には火が移りくずれ始めてきたため、私達は外へとなんする。そうして離れたところでエヴァンを見守りながら、大人しくしていようと思っていた時だった。

 マリアベルが、震える手で私の後ろを指差した。


「う、うしろ……!」

「えっ?」


 振り返った先には、先程エヴァンが倒したものと同じ狼のような魔物の姿があった。

 それも、三びきも。


「う、うそでしょ……」


 エヴァンの方はまだせんとうを続けているようで、声を上げて呼ぼうとした時にはもう、魔物達はこちらへきばいて向かってきていた。

 エヴァンを呼んだところで、間に合いそうにない。


「……っ!」


 そう思った私はとっに地面に手を突き、自分達を囲むように土魔法でかべを作った。

 けれどすぐにドンッ、ドンッ、と地面ごと揺れ、体当たりをされているのだとさとる。やはりたいきゅう性が低いのか、パラパラと崩れ始めた土壁の欠片かけらが降ってくる。

 まだ魔法を使い始めて、たった数日なのだ。どうすれば強度が上がるのかも分からない。

 どうか一秒でも長く持ってくれといのりながら、ひたすら魔力を流し込む。


「だ、大丈夫です、私はこんなところで死ぬキャラじゃないので」


 そんな願望に似た言葉をつぶやき、自分自身に言い聞かせる。かたかたと震えるマリアベルの瞳からは、再びぽろぽろと涙がこぼれていた。

 なおも魔物は体当たりを続けているようで、土壁にはヒビが入っていく。それでもエヴァンが間に合ってくれると信じて、必死に魔法を使い続けていた、けれど。


「…………?」


 不意にぶつかるような音がみ、静かになった。外の音はほとんど聞こえないため、何が起きたのか分からない。

 魔物の知力は高くないらしく、私達を油断させるためにこうげきをやめた、なんてことはないはず。エヴァンが助けに来てくれたのかもしれない。

 そう思いながらも万が一のことを考えると怖くて、魔法を解けずにいた時だった。


「えっ?」


 突然、土壁がバラバラと崩れたのだ。思わずぎゅっと目をつぶったものの、壁のへんが私達の上に落ちてくることも、痛みが来ることもない。


「――おにい、さま」


 数秒の後、やがて聞こえてきたマリアベルのそんな声に、心臓が大きく跳ねた。

 ゆっくりと、恐る恐る顔を上げる。


「……っ」


 そして一瞬で、目の前に立つ彼が何者なのかを理解した。

 理解させられた、と言うのが正しいかもしれない。その圧倒的なオーラや暴力的な美しさに、目をうばわれる。

 輝くような銀髪に、太陽のようにまぶしい金色の瞳。

 私が知っているちんな言葉ではとても言い表せないくらい、彼――ゼイン・ウィンズレット様はれいだった。


「ゼインお兄様……!」


 ふらふらと立ち上がったマリアベルは、まっすぐにゼイン様のうでの中に飛び込んでいく。

 ゼイン様もマリアベルをきつく抱きしめ返し「本当に無事でいてくれてよかった」と、消え入りそうな声で呟いた。

 本来なら二度と会うことができなかったはずの二人の姿に、胸がじわじわと温かくなっていく。


「……あ、あれ」


 気が付けば、私の目からは涙がこぼれ落ちていた。

 もちろんうれしいという気持ちが一番ではあるものの、これで本当にマリアベルが助かったのだという、あんの気持ちも大きかった。

 がましくはあるけれど、ずっと他人の命をかかえているような、そんなプレッシャーがあったのだ。

 慌てて服の袖でごしごしと目元を拭い顔を上げると、ゼイン様とぱっちり視線がからんだ。


「お兄様、こちらの方が私を助けに来てくれたんです」

「そうか。妹を助けてくれて、感謝する。名前を聞いてもいいだろうか」

「えっ……?」


 もちろんゼイン様だって、こうしゃくれいじょうであり色々と有名であろうグレース・センツベリーのことは知っているはず。

 けれど普段とは違う服装や様子から、グレースだと気付いていないのかもしれない。

 マリアベルも来年から社交デビューのため、グレースのことを知らないのだろう。

 こんなところまで悪女のグレースがマリアベルを助けにきたとなれば、キャラほうかいもいいところだ。このまま適当な名前を名乗り、そうと決めた時だった。


「あっ、グレースお嬢様! 良かった、無事にマリアベル様を助けられたんですね。こんな時間にこんな山奥まで来た甲斐がありました」

「…………」

「犯人の男は半殺し、いえ八割殺しにしたら人間に戻ったので、とりあえず縛って転がしておきましたよ」


 血まみれのエヴァンが爽やかな顔をしてていねいに解説しながら現れたことで、いきなり身バレしてしまう。

 とは言え、これも全て彼のお蔭なのだ。エヴァンにはこっそりお礼を言い、そのままげるようにこの場を立ち去ろうとしたのだけれど。


「……君は、グレース・センツベリーなのか?」


 名前を呼ばれたことで、心臓が大きく跳ねる。どきりとするくらい声までい。しが目の前にいるというじょうきょうなのに、大ピンチなのがやまれた。


 先程ゼイン様に手紙を送ったものの、いざはち合わせした時にどうすべきかなんて、考えておくゆうなどなかった。これ以上は誤魔化せそうになく、小さくうなずく。


「妹を助けてくれたのなら、礼をさせてほしい。だが、なぜ君がこの場所にいたんだ?」

「……それは」


 こんな時間にこんな山奥に、よめり前の侯爵令嬢が騎士と二人きりでいるなんて、明らかにおかしい。いくら考えても良い言い訳など思いつかなかった。

 ――そしてこの時の私は本当に、限界だったんだと思う。

 そもそもへいぼんに生きてきた日本のOLだというのに、魔物なんて化け物に遭遇しグロテスクな死体を見て、サイコパスな犯罪者と対峙して、今度は巨大な化け物、そして再び魔物に襲われるなんて経験を一気にしたのだ。

 どう考えたって、平気なはずがない。間違いなく、頭がおかしくなったって仕方のない状況だった。

 それでもマリアベルを救いたいという一心で、ギリギリのところで精神を保っていたけれど、それもついに限界を迎えてしまう。

 結果、私は見覚えのあった足元の草をぶちっと引き抜いた。


「こ、この草はいためて食べると美味しいんですよ。こう見えてトゲも柔らかくて」

「……は?」

「夕食を採りにきたら、襲われていたところにたまたま遭遇しただけです。本当です、生でも食べられます」


 そして、血迷った私はそのまま草を食べてみせた。もう自分でも何を言っているのか、何をしているのか分からなかった。

 ひとつだけ分かるのは、もう何もかもが終わったということだけだ。


「…………」


 そうして消えてなくなりたくなるような重く苦しいちんもくの中、辛くて泣きそうになっていると、何故かエヴァンも近くに生えていたものを引き抜いて食べ始めた。


「あ、本当だ。全然いけますね」


 正直、エヴァンのことが好きになりそうだった。絶対にけっこんしたくないタイプだけれど。

 いきなり草を食べ始めた私達がゼイン様とマリアベルの目にどう映っているのかなんて、考えたくもなかった。


「それにしても、最初からこれが目的だと言ってくださればよかったのに。もっと探してきましょうか?」


 申し訳ないけれどエヴァンではなくゼイン様に信じてほしかったと思いながら、私は首を左右に振る。


「も、もういいから、帰るわよ! 失礼します!」


 えんりょのなくなった私はエヴァンの背中に思い切りしがみつくと、急いでこの場を離れるよう頼んだのだった。



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