1.強欲悪女に転生してしまったようです


 ゆっくりと目を開ければ、真っ赤にかがやてんじょうが目に飛び込んできて、あまりのまぶしさに目が痛くなる。


「わっ……まぶし……」


 何度かまばたきをして目を慣らせば、ベッドの真上の天井には赤や緑の宝石で、えがかれていた。

 こんなにもごうあくしゅなもの、生まれて初めて見たと思いながら、身体からだを起こす。


「えっ? な、なにこの服!?」


 やけにふかふかなベッドでていた私は、はだざわりのい真っ赤なキャミソールのようなものを着ていた。

 けれど、その服はへんたいかとっ込みたくなるほどのしゅつの多さと派手な色合いで、あわててかくすようにとんを身体にかける。


「な、なに、ここ……」


 そして顔を上げれば視界には、広くて豪華な外国の貴族のような部屋が広がっていた。

 全体に赤と黒でまとめられており、部屋中に薔薇がかざられている。

 なぜ私はこんな格好をしてこんな悪趣味な部屋で寝ていたのだろうと、こんわくしていた時だった。


「おじょうさま、目を覚まされたんですね!」

「……えっ? うわあ!?」


 声をけられて初めて、部屋のすみはんで立っている男性の存在に気が付き、悲鳴に似た声がれる。

 こしからはけんのようなものが下げられていて、余計にきょうが増していく。夢なら早く覚めてほしい。

 深い海のような青いかみにグレーのひとみをした男性は、おどろくほどの美形だった。きたげられた身体から慌てて目をらした私は、両手で顔をおおう。


「あ、ああ、あなた、だれですか!?」

「えっ?」

「ここ、どこですか!? ど、どうして、は、半裸で立っているんですか……!?」


 まくてるように、半ばさけびながらそうたずねると、男性からは間のけた声が漏れた。

 悪趣味な部屋に、半裸に近い姿をした変態(私)と半裸男性がいるこのじょうきょう、さっぱり訳が分からない。


「まさかあの男におそわれたショックで、おくが……?」

「襲われ……?」


 やはりよく分からないけれど、とにかく服を着てほしいと言えば、男性はすぐに側にたたんで置いてあった服を身に付けてくれた。

 その服装はまさにという感じで、気合の入ったコスプレイヤーなのだろうかと思っていると、男性はこちらへやってきて目の前でひざまずいた。


「グレースお嬢様、俺のことは分かりますか?」

「い、いいえ、まったく」


 なぜグレースお嬢様と呼ばれているのかも分からず、首を左右にる。

 すると男性は驚いたように、形の良い両目を大きく見開いた。


「やはりおくそうしつ……? ええと、俺の名前はエヴァンで、あなたの専属護衛騎士です」

「ごえいきし」

「はい。ここはセンツベリーこうしゃくていで、グレースお嬢様の部屋です。俺が半裸だったのは、以前お嬢様が『バカでクズなお前は見た目と剣のうでくらいしかがないんだから、少しでも私を楽しませるためにひまな時は半裸で立っていなさい』とおっしゃったからです。いつお目覚めになってもいいように、今朝から待機していました」

「??????」


 私の理解をえた話に、頭の中は「?」でいっぱいになったけれど、それよりも引っかかることがあった。


「グレース・センツベリー……?」


 その名前には、覚えがある。『運命の騎士と聖なるおと』という大好きな小説に出てくる、とんでもない悪女キャラクターと同じだ。

 そうだ、確かグレースはちょうどこの髪みたいに、あわいピンク色の長い髪で――……


「えっ? えええ?」


 そこで私はようやく背中に流れている自分の髪が、長く美しいピンク色になっていることに気が付いた。

 よくよく見ると身体だって、本来の私のものよりもずっと白くて細くて、スタイルがいい。明らかに自分のものではない身体に、ぞわりととりはだが立つ。


「か、鏡とかってあります……?」

「はい。こちらに」


 私は近くにあったローブを羽織ると、エヴァンさんが指し示した全身鏡の前へと移動し、言葉を失った。

 鏡に映っていたのは、息をむほどの美女――まさに小説に出てくるグレース・センツベリーそのものだったからだ。


「な、なんで……わあ、はだまでれい

 ぺたぺたと自分のほおさわってみても、思い切り引っ張ってみても、鏡に映る美女は全く同じ動きをする。そして痛い。

 そんなことを数分間続けた末、私はようやく自分がまんや小説でよくある異世界転生をし、グレース・センツベリーになってしまったのではないかと思い至った。


「もしかして、あの時……」


 必死に思い出してみると、最後の記憶は特売のあったとなりまちの激安スーパーからの帰り道、歩道に乗り上げてきた車にねられるしゅんかんだった。

 元々の私はきっと、あの事故で死んでしまったのだろう。

 深呼吸をし、改めて鏡しに心配げにこちらの様子をうかがっている男性を見つめた。

 イラストはなかったけれど、グレースにはいつもしいたげていたエヴァンという護衛騎士がいたことも思い出す。きっと彼こそ、その人なのだろう。

 驚きや信じられない気持ちで顔を青くする私を見て、医者を呼んでくるというエヴァンさんを慌てて引き止めた。

 新たな人間と会う前に、状況を整理したい。

 少し質問をしていいかと尋ねれば、エヴァンさんはいくらでもとほほんでくれた。いつも半裸で立たされていたというのに、いい人すぎる。

 色々と聞きたいことはあるけれど、まずはこの世界が本当に小説の中の世界なのかどう

かを確かめることにした。


「ええと……ゼイン・ウィンズレット様を知っていますか?」

「はい、もちろん。このシーウェル王国の筆頭こうしゃく家の主であるゼイン様を知らない者など、どこを探してもいませんよ」

 その返事を聞いた瞬間、確信してしまう。

 ここはちがいなくゼイン・ウィンズレット様が主人公の小説の世界で、私は当て馬以下のやく――男好きでごうよく悪女のグレース・センツベリーになってしまったということを。


「ど、どうして私が……こんなことに……」

 ――元々の私はしがない日本のOLで、つうちがうことがあるとすれば、両親の事業が失敗し、多額の借金をかかえていたことだろう。

 両親のことは大好きだったし、私もいっしょに借金を返すため、多くない給料の大半を家族での生活費や返済にあてていた。

 数円でも安い食材を求め、仕事終わりに隣町のスーパーまで自転車で向かい、休日のしゅといえば家庭菜園や山での山菜採りだった。野草にもくわしくなりすぎて、食べられるかどうかの判断の早さには自信がある。それはもうつつましい日々だった。

 そんな私の一番の趣味でありいききは、図書館で本を借りて読むことだった。

そこで『運命の騎士と聖なる乙女』シリーズに出会ったのだ。

 しのゼイン様とヒロイン・シャーロットの美しい感動的なこい物語を、夢中になってかえし読んだ記憶がある。


「まさか私が、グレースになるなんて……」


 一方、私が転生してしまったグレース・センツベリーは大金持ちのこうしゃく家の一人ひとりむすめで、母を早くにくしてからは父である侯爵にできあいされ、甘やかされて育った。

 その結果、何でもしがるくせに、自分の物になると興味がなくなるというゆがんだ性格になってしまう。

 美しいものが好きで特に薔薇と宝石、綺麗な顔をした男性が何よりも大好きだったはず。

 よりによって、どうしてこんな悪女になってしまったのだろう。どうせ転生するのなら、天使のようにわいくてみんなに愛されるシャーロットになりたかった。

 そんなことを考えていると、じっと私を見つめていたエヴァンさんは首をかしげた。


「公爵様を覚えているということは、完全な記憶喪失、って訳ではないんですか?」

「そ、そうですね、だんぺん的に記憶を失っているみたいで……あっ、エヴァンさんのことも少しだけ思い出しました」

「なるほど! それにしてもお嬢様っぽくなくて、全くの別人と話している気分です。俺なんかに敬語もさん付けもやめてください。どうかこれまで通りエヴァンと」

「わ、分かったわ」


 仕事や趣味にぼっとうしていた私は悲しいくらいに男性経験がなく、キラキラとした美形ときんきょで話をするだけでもきんちょうしてしまう。

 それでも記憶喪失という設定なのだし、元のグレースとの関係を考えれば、彼の方が落ち着かないだろう。私は小さくうなずき、質問を再開する。


「今って何年の何月? 最近大きな出来事はあった?」

「本日はシーウェルれき五百四年、三月の八日です。最近の出来事と言えば、第一王子がはくしゃく家のごれいじょうけっこんされたことでしょうか」

 第一王子の結婚を機にばつ争いは激化し、ゼイン様は国王の手の者との結婚をすすめられるようになるのだ。

 グレースはその点も利用して、ゼイン様に近づいた記憶があるため、きっと今は小説のたいとなる年なのだろう。


「その、私が襲われたっていうのは……?」

「お嬢様とお付き合いされていた伯爵令息が、ゴミのように捨てられたことで逆上し、夜会中に『一緒に死のう』などと言ってお嬢様をバルコニーから突き落としたんです。命に別状はないといえど、こんなことになるなんて……」

「本当にどうしてそんなことに……」


 小説の中で、そんな出来事はなかったはず。やはり端役のグレースについては、主役二人に関係していない出来事は書かれていないのかもしれない。

 この先グレースの身に何が起こるのか、大半は分からないと考えてよさそうだ。

 何より無理心中だなんて、昼ドラレベルのどろぬましゅ|場《ば)すぎる。

 この先もグレースが過去に付き合いのあった男性達にそんな目にわされるかもしれないと思うと、気は重くなっていく。


「ちなみにあのベッドの上の、天井のそうしょくは一体……?」

「あちらはお嬢様が『目が覚めた瞬間、一番に見るのは美しいものが良いわ』と仰って作らせたものですよ。あれだけで王都にしきが買えるほどの価値があると、うれしそうに話していました」

「な、なんてもったいないことを……」


 その金額を想像し、|眩暈(めまい)がした。天井にめられている宝石の一つぶだけで、私の年収以上になるだろう。

 今着ているあっとうてきに布面積の足りていない服だって、相当な値段に違いない。ただのきとは思えないほど、ものすごく肌触りが良いのだ。

 あまりの金銭感覚の違いに、変なあせが出てくる。

 私が寝る時なんて、中学時代の運動着であるジャージをいまだに着ているというのに。



「エヴァンさ―― エ、エヴァン、色々教えてくれてありがとう」


 やはり男性を呼び捨てにするだけで、体力をしょうもうしてしまう。


「いえ。あ、お嬢様が目覚めたことを主治医に知らせてきますね!」


 記憶だけでなく身体にも異常がないかてもらうべきだと言い、エヴァンは急いで部屋を出て行った。

 その後、しんさつを受けて問題ないと判断された私はしばらく一人にしてほしいとたのんだ。

 オブジェのように半裸で部屋に立たされているのが当たり前だったエヴァンにとって、一人にしてほしいというのは初めての命令だったらしく、まどった様子で出て行く。

 だんグレースとはまともな会話すらなく、一方的にののしられるのみだったという。

 ちなみに医者もメイドも私の大人しい態度に、何か裏があるのかとびくびくしている様子だった。よほどグレースがこわいらしい。

 エヴァンもきっと、グレースが怖くてめたくても言い出せなかったのだろう。

 彼のきょうぐうがあまりにもびんで、専属騎士を辞めてもらった上で次の職探しを手伝い、自由になってほしいと思えてきた。

 何とも生きづらいキャラクターになってしまったといききながら、机の上にあったまっさらなノートと、やけにキラキラしたペンを手に取る。

 グレースは何にでも宝石をつけないと死んでしまう病なのだろうか。ペンを持つだけで緊張してしまう。


「さて、これからどうしよう」


 私の記憶が正しければ、春には男主人公であるゼイン様とグレースの交際が始まる。

 ――この国の誰よりも美しいゼイン様が欲しくなったグレースは、最悪の形で家族を失ったゼイン様のこわれかけた心につけ込み、こいびとの座につく。


『ふふっ、可哀想かわいそうなゼイン様。けれど、あなたには私がいるからだいじょう。世界でたった一人、私だけがゼイン様のことを愛しているのですから』


 ゼイン様はグレースを愛していたわけではないけれど、どくゆえに自分の側をはなれず、どっぷりと愛してくれるグレースの存在に寄りかかってしまうのだ。

 けれどしょうのグレースは結局、一年も持たずにうわをして暴言をき、ゼイン様を捨ててしまう。

 その結果、彼はもう誰にも心を開かないとちかい、れいてつこうしゃくと呼ばれることになる。

 そんなゼイン様は、美しく心やさしいしゃくれいじょうであるシャーロットと出会う。


『私がずっとゼイン様のお側にいます。絶対にあなたを裏切ったりしません。この命がきるまで、永遠に』


 ひだまりのようなシャーロットによってこおいた心はけ、二人は恋に落ちる。

 そんな中、このシーウェル王国やきんりん諸国ではしょうが広がり、ものは増え作物は育たなくなり、この世界の生活にひっこうすいという資源までも失われていく。

 結果うばいとなり、戦争もけられないという時、愛の力でシャーロットの聖女としての力が目覚める。

 そして世界を救い、ハッピーエンドになるという話だった。


「聖女としてのシャーロットを支えて、一緒に戦うゼイン様がまたてきで……ってあれ?」


 本当に良い話だと改めて思い返して感動していたものの、ふと気付いてしまう。


グレースがゼイン様を振らないと二人は出会わない……?」

 そう、グレースがゼイン様を傷付けこっぴどく別れを告げるシーンに、シャーロットがそうぐうする。そこで彼のなみだを見たシャーロットはハンカチをわたし、そっと立ち去る。それが出会いのはず。

 シャーロットはゼイン様のことを気にかけ、その後いくら突き放されても側にいようとする。グレースによる傷をやすことで、二人のきょは縮まるのだ。


いとしいシャーロットと出会うきっかけをくれたことだけは、あの女に感謝するよ』


 ボロボロだったゼイン様がそんな風に言えるようになったことに、いたく感激した記憶がある。


「……ええと、つまり」


 二人が出会わなければシャーロットの能力は目覚めず、戦争が起きてしまう可能性だってある。

 小説通りなら「愛の力」が必要なのだから。

 何よりスカッとするシーンとして、一度他国がめ込んできた際にグレースは死にかけるのだ。それを救ってくれるのも、聖女となったシャーロットだった。


「二人が結ばれないと、私、死ぬのでは?」


 しょうげきの事実に気が付いてしまい、冷や汗が流れる。

 口からはどうしようという言葉が漏れたものの、頭の中ではどうすべきか分かっていた。

 ――私が小説の中のグレースと同じ行動をすれば、きっと物語は正しいハッピーエンドをむかえるはず。

 そんな単純なことだと分かっている、けれど。


「ぜ、絶対に無理、不可能もいいところすぎる……」


 現代日本でびんぼうらしをしていた私が、異世界でこうしゃくれいじょうとして生きていくだけでも相当無理があるのだ。

 その上、びんぼうしょうで男性経験もない私が男好きの強欲悪女を演じるなんて、上手うまくいく未来がさっぱり想像できない。

 ちょうぜつ美形のゼイン様をゆうわくするなんて、私にはハードルが高すぎる。しかも最終的には男遊びをし暴言を吐いて傷付け、捨てることになるのだ。

 そんなちくの所業など、できる気がしなかった。


「……でも、このままじゃだめだよね」


 それでも正しいストーリーから外れてしまえば、私だけの問題ではなくなる。

 戦争が起きれば、大勢の人の命に関わるだろう。それだけは絶対に避けたかった。


『君の側に居られることが、俺にとって最大の幸福だ』


 私自身、ゼイン様とシャーロットには幸せになってもらいたい。むしろ尊すぎるこのカップルをかげから見守りたい。私は小説を繰り返し読み、二人の幸せそうな姿に何度も涙したくらいのファンなのだ。


「そう言えば……」


 小説ではゼイン様と別れた後、グレースが出てくることはほとんどなかった。りんごくから攻め込まれた時に死にかける以外、登場しない。

 つまりその後はゆうふくな侯爵令嬢として、自由に生きていくことができるのではないだろうか。グレースになった今なら、前世での「あの夢」もかなえられるかもしれない。


「たった一年だもの。そう、一年だけ」


 グレースとゼイン様の交際期間は確か一年弱。その間さえがんれば、人生イージーモードにとつにゅうするはず。

 悪女としての名が広まって暮らしにくいのなら、領地で静かに暮らすのもいいだろう。

 ――私が何もしなくても、二人が幸せになる可能性だってあるのかもしれない。けれど、何もせずに最悪な結末を迎える可能性だってあるのだ。

 何よりもう一度生きる機会をもらえたのだから、たった一年くらい頑張るべきではないだろうか。


「よし」


 心を決めた私はりょうほほたたき、気合を入れる。


「目指せ! 男好きの強欲……悪……じょ…………」


 改めて口に出すと、最低最悪なパワーワードすぎる。

 それでも私は今から一年間、グレース・センツベリーを演じ切ろうと固く誓った。



*****



 その後、領地にいたというグレースの父である侯爵がひどく慌てた様子で帰ってきた。

 娘が襲われたと聞き、慌ててけつけたらしい。


「ああ、可哀想に……なんてことだ、すっかり元気が無くなってしまって……」

「あの男は私が絶対に消すから、安心するといい」

「何か欲しいものはあるかい? お前の心が安らぐ美しいものをすぐに何でも用意するよ、何がいい?」


 娘至上主義といった侯爵の様子に、グレースが歪んでしまった理由も分かる気がした。

 それでも悪い人ではないことは、小説を読んで知っている。

 何もいらないと言うキャラでもないだろうと、ひとまず考えておくと伝えた。今後はこういう場面も多いはずだし、色々と考えておかなければ。

 過去の私がもらって嬉しかったものと言えば、商品券といった金券や食べ物だった。生活感しかない。

 その後はやけにびくびくした様子のメイド達に、食堂へと案内された。

 テレビでしか見たことのないようなごそうが次々と出てきて、緊張や感動をしながらいただいていく。テーブルマナーなんかは身体にみ付いているようで、ほっとした。


「お、美味おいしい……!」


 料理名すら分からないけれど、とにかく美味しいしお高い味がする。けれど寝込んでいたせいか、すぐにおなかがいっぱいになってしまい、食事する手が止まってしまった。

 そんな私を見て、やがてメイド達はあっさりと食事を下げていく。


「あっ、待って!」

「どうかされましたか?」

「ええと、その……もったいなくて、なんて……あはは」


 思わず片手をばし引き止めてしまったものの、メイド達はひどく困惑した反応をするものだから、じょうだんだと言うほかなく、今度は不気味だという顔をされた。

 グレースほどのお嬢様が、食べ残しをもったいないと思うはずなんてないのだ。心の中で涙を流しながら、貴族令嬢としての生活に慣れるよう努力しなければと反省した。

 それからはゆっくり大きなおかり、あくしゅだけれどばつぐんごこの良いベッドへ横になった。夢に見ていたような生活だというのに、なんだか落ち着かない。

 せんべいとんの方がかいみんできそうな私は、びんぼうたましいに染み付いているのかもしれない。


「お父さんとお母さん、元気かな……」


 せまい部屋で毎晩並んでねむっていた両親も恋しくなり、胸が痛んだ。どうか事故に遭った私のしゃ料なんかが入って、生活が楽になっていることをいのるばかりだ。

 そんな中、見上げればやはり悪趣味な宝石まみれの眩しい天井が目に入り、センチメンタルな気持ちもんでいく。


「……天井から外して、きんとかそういう良いことに役立ててもらえないかな」


 あんな豪華なもの、びんぼうにんからするとおそおおく、圧すら感じてきが悪くなりそうだ。

 そんなことを考えながら、私はこの世界で初めての眠りについた。


 翌朝、ごうせいで美味しい朝食を頂いた後、改めてメイドがたくをしてくれた。

 グレースの持っていたドレスは赤やむらさきといった原色の派手なものばかりで、その中でもボリュームがひかえめなものを選び、髪もシンプルにまとめてもらっている。

 鏡に映る顔は驚くほど小さく、肌は真っ白でとおるように綺麗だった。

 アイスブルーの瞳は長いまつふちられており、ぷっくりとしたくちびる、小さくて筋の通った鼻がそれぞれかんぺきな位置にある。

 はっきりとした顔立ちのグレースは、しょうなど必要ないくらいに美しい。十七歳だとは思えないほど大人びていて、色気まであるのだ。

 メイド達は今までと違うであろう指示に戸惑ってはいたけれど、何もかも私の言う通りにしてくれた。悪女だからといって、常に派手すぎる必要はないだろう。

 たくを終えたところで、さわやかなみをかべたびん・エヴァンがやってきた。


「おはようございます、お嬢様!」

「きゃああ! ま、まま、待って服は! ふ、服はがなくて大丈夫なので!」

「あ、すみません。長年のくせで」


 今日も彼は顔を合わせた瞬間に服を脱ごうとしたため、慌てて両手で顔を覆った私は叫びながらもなんとか止めた。あまりにも心臓に悪い上に、悲しき性すぎる。

 テーブルセットの向かいに座るよう言うと、初めての経験なのかエヴァンはおずおずと腰を下ろした。男性にめんえきがないため、眩しすぎる美形に慣れず緊張してしまう。

 するとエヴァンが、先に口を開いた。


「お嬢様、体調は大丈夫ですか?」

「あ、ありがとう。おかげさまで問題ないわ」

「それは良かったです! 安心しました」

 少し――かなり変わっているものの、やはりエヴァンはとても良い人そうで、悪女のグレースなんかに仕えているのはもったいない気がしてならない。


「ねえ、エヴァンは私の専属騎士の他にやりたい仕事はない?」

「どういう意味でしょう?」

「お父様にお願いして、エヴァンのやりたい仕事をしょうかいできたらいいなと思って」


 一緒に過ごす時間が一番多いエヴァンが、グレースの一番のがい者に違いない。

 だからこそそう言ったものの、エヴァンは驚いたように灰色の瞳をぱちぱちとまたたいた。


「俺、クビになるんですか……?」

「ええと、クビというか、こんな仕事辞めたいだろうなと思って」

「いえ、そう思ったことはないですよ」

「えっ?」


 あっさりとそう言ってのけたエヴァンに、こちらの方が驚いてしまう。


「あんな姿で立たされていたのに?」

「はい、全く。お嬢様のお部屋は冬でも暖かいですし、身体には自信があるので」

「ええ……」


 頑張って鍛えているんですよ、と眩しいがおを向けられ、戸惑いを隠せない。そういう問題ではないと思う。


「だって、色々とひどいことも言われて……」

「お嬢様は誰にでもそうなので、別に気にしていませんでしたよ。顔だけはいつもめてくださっていましたし」


 どうやらエヴァンは、信じられないほどのはがねメンタルの持ち主らしい。

 そうでなければグレースの護衛騎士など、三年も続かないと気付いてしまう。余計な心配をした自分をじた。

 これからも護衛騎士を続けたいというエヴァンをかいする理由はなくなり、げんじょうということで落ち着く。

 一日足らずの浅すぎる付き合いだけれど、隠し事などできそうにない明け透けな物言いの彼のことは、信用できそうだと思い始めていた。


「それにしてもお嬢様、本当に丸くなりましたね。屋敷の中でも、やはりどこか悪いんじゃないかといううわさが広まっていますよ」

「……うっ」


 このままでは悪女から遠ざかる一方だ。

 まずいと思った私は、顔を上げてエヴァンを見つめた。


「お父様やみんなに心配をかけたくないから、できれば今まで通りに振るいたいの。過去の私のことも聞きたいし、違うところはこっそり指導してくれないかしら?」


 エヴァンとは目が覚めた時から普通に会話してしまっているため、いまさら取りつくろっても意味はないだろう。

 それなら、協力してもらった方がいい。


「分かりました。お嬢様のごくあく非道ぶりは誰よりも知っているので、お任せください! よくこんなことができるな、あくの方が優しいんじゃないかって思うような人でなしの事件もたくさんあるので、いくらでもお話しします」

「あっ……ありがとう…………」


 やはり明け透けにもほどがある。もしかすると、エヴァンのこういうところがグレースのぎゃく心をあおっていたのではないだろうか。

 とにかく味方ができたことで、少しだけほっとする。

 ゼイン様と会うまであと一ヶ月弱、グレースという人間をよく知り、しっかり悪女に寄せていかなければと、改めて気合を入れた。


 その後、さっそくエヴァンにグレースとしての様子を見てもらおうと思い、メイドを呼んだ。


「お茶を用意してちょうだい。早くして」

「えっ? あっ、はい! ただいま!」


 心を痛めながら悪女っぽく言ったつもりだけれど、何故かメイドはほっとしたような様子さえ見せている。

 一方、私の側に立つエヴァンは手で0点というジェスチャーをした。どうやら採点形式らしい。

 点数すらもらえないことにきょうがくしていると、エヴァンはこっそりと耳打ちしてくる。


「いつものお嬢様なら、舌打ちをしてテーブルを一度叩きつけるだけでお茶が出てきま

す」

「そんなことある?」


 難易度が高すぎる。やはりグレースという人物になりきるには、まだまだ先は長い。

 見た目の美しいお達が並べられていき、まるで絵本に出てくる素敵なティータイムだと思わず胸がはずむ。

 そして紅茶が入ったティーカップが目の前に置かれようとした瞬間、無意識に「ありがとう」と言ってしまい、どうようしたらしいメイドは思い切りカップをたおした。


「も、申し訳ありません……! い、今すぐに死んでおびをしますから、どうか家族だけは……」

「大丈夫ですか !?ここは俺が食い止めます!」

 ケーキナイフを首にあてがうメイドと、テーブルに広がっていく熱いお茶が私にかからないよう、自らの腕でせき止めようとするエヴァン。まずはいてほしい。


「落ち着いて、大丈夫だから! 危ないからナイフは離して、火傷やけどするから腕は退けて!」

「マイナス100点です」

「もう、今はいいから! 手を退けて!」


 いっしゅんにしてゆうなティータイムは、カオスな空間へと変わっていた。お茶をこぼしたメイドは泣き出し、他のメイド達も私が激昂する恐怖からか、こうちょくしてしまっている。

 結局、悪趣味といえど間違いなく相当なお値段のドレスがれてしまうことをした私は、自らワゴンの上にあったタオルでこぼれた紅茶を拭き取ってしまった。


「さっさと代えをれなさい。次はないわ」

「あ、ありがとうございます……!」


 私の言動に対し、メイド達はそろって信じられないという表情を浮かべた後、すぐに完璧にお茶の用意をしてくれた。最後に再びていねいに謝罪し、部屋を出ていく。


そして再びエヴァンと二人きりになった私は、深い溜め息を吐いた。出オチすぎて泣きたくなる。


「はあ、まさか悪女を演じるのがこんなにも難しいなんて……これじゃグレースとしてマイナスだわ。ダメダメすぎる」

「はい。ただ、人としては100点だと思いますよ」

「急にいいこと言うわね」


 このままでは、悪女からはほどとおい。メイドというのはうわさばなしが好きだと小説に書いてあったし、屋敷の中での変化は外にまで漏れてしまう可能性があるのだ。

 特にセンツベリー侯爵邸の使用人は、わりが激しいと聞いている。

 常に悪女らしい姿でいる必要があるとは言え、わざとではないミスをして泣いている子を責め立てるなんてこと、私にはとてもできそうになかった。


「……わあ、美味しい」


 なんだかお茶を飲むだけでつかれてしまったと思いながら、ティーカップに口をつける。

 人生で一度も飲んだことのない、お高い味がした。


「それにしても、どうして使用人達はセンツベリー侯爵邸で働くのかしら? もっと良い職場だってあるはずなのに」

「グレースお嬢様のせいで辞めていく人間が多いので、給金が破格だそうですよ」

「なるほど……エヴァンもそうなの?」

「はい、もらいすぎなくらいだと思います。お断りしているのですが、侯爵様がどうしても受け取ってほしいと仰るので、とりあえずカジノで使っています」

「貯金した方がいいわよ」


 侯爵――お父様もエヴァンがグレースにとって、なんだかんだお気に入りの存在だと分かっていて、辞められては困るからなのだろう。

 改めてまじまじと見ても、本当に整った顔をしていた。グレースが気に入るのも分かる。

 かなり変だけど。

 この屋敷の使用人はお金に困っている人が多いと聞き、前世のこともあって他人ひと事ではないと思えた私にはもう、悪女ぶってつらく当たることなどできそうにない。

 しばらく考え込んだ私はやがて小さく息を吐くと、ティーカップを置いた。


「エヴァン、この屋敷のメイドで特に貧乏で心が強そうで、信用できそうな子を一人連れてきてくれない?」


 人の好い彼は、屋敷中の使用人達と仲が良いと聞いている。もはや騎士としての仕事以外しかしてもらっていないけれど、許してほしい。


「はい、すぐに。でも、どうするんですか?」

「こうなったら、サクラをやとおうと思うの」

「さくら……? とりあえず呼んできますね!」


 そしてエヴァンはすぐに、メイドを一人連れてきてくれた。

 ヤナと言うらしく、年は二十歳らしい。


「……いじめられているフリ、ですか?」

「ええ。私の専属のメイドとしてね」


 そう、私の考えた作戦は専属のメイドを用意し、身の回りの世話をすべて頼む。そもそ

も私はほとんど自分でできるから、一人いれば十分だろう。

 そして他の人の前では、そのメイドをこっぴどく虐めるフリをするのだ。

 最初からフリだと言っておけば私も心が痛まないし、メイド側には給金と別にお金を多めにはらうことで、生活が少しでも楽になるはず。

 グレースの個人的なお金は気が遠くなるほどあったため、ひとまずそこから使わせてもらうことにする。

 ヤナは私の様子や提案にかなり驚いていたけれど、すぐに笑顔で頷いてくれた。


「分かりました、ぜひやらせてください。虐められているフリ、頑張ります! 私、には自信がありますし、心身共に強いので思いっきりやっていただいて大丈夫です。もちろん絶対に、このことは他言いたしません」

「ありがとう! これからよろしく」

「まあ、俺の方が強いですけどね」

「なんで張り合ったの?」


 赤い髪がよく似合うヤナは実家が相当な貧乏で借金があり、まだ幼い弟や妹もいるのだという。やる気満々で頑張りたいと言ってくれて、心強い。

 とりあえず一年間は彼女を専属メイドとして側に置き、屋敷の中ではこの作戦でいこうと思う。

 私自身、家の中でもずっと無理に演技をして気を張っているのは辛いため、少しほっとする。二人の前でなら、素の自分で過ごせそうだ。

 とは言え、こんなものは応急処置にすぎない。それ以外の場ではしっかりしようと、自身にきつく言い聞かせた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る