それは夢。これは現実。

~1.それは夢、これは現実~

ざー。ざー。ざー。

がたん。がたん。がたん。

工事の音がうるさい。近くでなんの工事をしているのだろうか。

新しいショッピングモール?そうだったら嬉しいな。何かを買いに遠くまで行く必要がなくなる。

新しい商業ビル?そうだったら面倒くさい。人の出入りが多い場所は……嫌いだ。あまり近づきたくない。

そんなことを寝そべりながら考えている。

「あーむちゃん」

頭上から声が聞こえてきた。

「ん」

寝ぼけなまこの目を擦りながらそっちの方向を見る。

「朝です」

どんっ。と仁王立ちで秋先輩が立っていた。

振り返り時計の方を見る。時間は4時を軽くすぎたころ。

「夕方じゃないですか」

「夕方だねぇ」

また眠ってしまうような声でそう言う。

「でもそろそろ起きる時間ですね」

「うむ。と言うか人の家でよくそんなに寝れるね?」

「才能ですよ」

ふふん。と自慢げに鼻を鳴らす。

「ふーん」

軽蔑するでもない。ただ適当な声色で私に賛同する。賛同しているんだと思う。多分。

そうしてゆっくりとパソコンの前の椅子に戻り、座る。

華奢な体。パソコンに伸ばす手の先まで綺麗で。すっ、と組んだ脚の形はその空間にぴったりと収まっているような気がする。

ぼーっとそんな風景を見ていると「ぐう」と腹が鳴った。

そうだ。お腹がすいた。昼ご飯は……何を食べたっけ。

……。

昼ご飯。本当に何を食べたんだろう。

暗闇の中森を歩いているように。全くわからない。なんだろう。ついさっきの話のはずなのに途轍もなく昔の話のような……。

「先輩」

「なんぞ」

「ポテチ食べたいです」

ポテトチップス。そうだ。お菓子を食べよう。そうすればこの腹も少しは膨れるはず。

「ないです」

「ないですか」

ぷくぅ。と頬を膨らませて見せる。

「買いに行こうか」

薄目を開けて。どうしようか考え込むようにそう言った。

「買いに行きましょうか」

そうして立ち上がった瞬間。

「!」

いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい。

心臓の音がノイズのように不安定なリズムを奏でている。

どくんどくんどくんどくんどくんどくん。

怖い。怖い。怖い。

なんで。

吐きそうなほど頭の中が痛い。足も骨折したかのように痛い。

私は悪くない。

悪くない。

違う。悪いのは私だ。

呪いのように頭の中で自己嫌悪が渦巻いている。


と思ったら、途端に消えた。

「大丈夫」

ふっ、と暖かい、柔らかい感覚を感じる。

「大丈夫だから」

いつの間にか。秋先輩が私を抱きしめていた。

「先輩」

赤ん坊が母親に抱きつくように。幼い声を上げて抱きしめ返す。

「……夜ご飯食べれなくなるからね。また今度。ね」

それは何よりも優しい声だった。

「……はい」

ゆっくりと、頷く。

そうすると落ち着いたことを確かめるようにして秋先輩が私から手を放す。体温が抜けていくのを感じる。

そして秋先輩はまたパソコンの前に戻る。

私はもう一度立ち上がってみた。今度は頭痛がない。脚も、痛くない。

「……」

大丈夫だ。

そのまま顔を秋先輩の方へ向ける。

パソコンの画面に映っているのは……心臓?と長い文章。

「何見てるんですか?先輩」

「んー?」

秋先輩は少しだけ悩むように下を向き、こっちを見た。

「私のお仕事。知りたい?」

「先輩仕事なんかしてたんですか?」

「ちょっとね」

そういう秋先輩は何かを隠しているような。誤魔化しているような気がした。

パソコンの電源を落とし、立ち上がる。

「今から行くんだけど。来る?」

「行かなかったら?」

「帰ってもらうだけだけど。来てほしいな」

「じゃあ、行きます」

「そう。よかった」

にこっ。と笑いかける。

「ちょっとそこのトンネルまで。行こうか」

「はい」

空はまだ明るい。トンネルにつくまでには暗くなっているだろうか。


生い茂った森が私たちを覆う。まるで何か巨大な生物の胃の中にいるかのような圧迫感を覚える。

「この先ですか」

「うん。この先」

日が落ちて来たからか、森の中は先が見えなくなってきていた。秋先輩と一緒だと、まるで新しい世界に踏み込んでいるようで、ワクワクする。

先輩がいなかったらどうだろうか。

ふとそんなことを考えた。

……多分。怖いだろうな。

一人では何もできない。から。この先何があっても大丈夫って言う安心感がないから。怖い。

「着いたよ」

目の前にあったのは人が二人、横並びで入れるかどうかといった小さなトンネル。

「こんなトンネルあったんですね」

「そう。どこに通じてるか私もわかんない」

「というか」

少しうつむいてから続ける。

「多分。誰もわからない。どこにも通じてないけどどこにでも通じてるそういうトンネル」

私は首をかしげる。

「どういうことですか?」

「どういうことだと思う?」

いじわるそうに笑う。

いつもそうだ。私が質問をするとこうして逆に聞いてくる。

「あむちゃんの返答が面白いから」

そういわれたことがある。馬鹿にされてるのかどうかわからないけど。先輩に馬鹿にされるのならそれでもいいか。

「どこでもドアですか?」

「そうだね。どーこーでーもーどーあー」

「馬鹿にしてます?」

「割と」

ぷくぅ。と頬を膨らませる。多分暗くて見えていないだろう。

「行こうか」

秋先輩に手を繋がれ、進んでいく。

湿ったトンネルの中。歩くたびに地面がぬかるんでいるのか、妙に重い感覚を覚える。

「暗いですね」

「暗くて、臭い」

なんだか肉の腐ったような匂いがする。いや、肉が腐った臭いを直接嗅いだことがあるわけじゃないけど。多分こういった臭いなんだろうといった臭い。

「そうだね」

そう言う彼女は少しも動揺していない。慣れきったようにずんずんと先へ進んでいく。

「先輩はよくここに来るんですか?」

「いや、初めて」

そう言った後に何かつけたそうとしたがすんでのところでやめた……ように見えた。

「うん。初めて。初めてだよ」

「そうですか」

どくん

そんなことを話しながらもどんどん進んでいく。止まらない。少しずつ暗くなっていく。それでも残っている薄い光の中、壁が赤くなっているのが見える。

「先輩……何でこんな場所来たんですか?」

なんだか少しずつ怖くなってきた。帰りたくもなってくる。        

どくんどくん

「……ついた」

先輩は私の言葉を無視して言った。

「へ」

私は前を見る。

「先輩」

どくんどくんどくん

目の前にあったのは巨大な心臓だった。

「何ですか、これ」

私はそれから目を離さずに言った。

「思い出の化け物」

先輩もそれをじっと見たまま答える。

「生物の記憶が創り出した化け物。世界のことわりを塗り替えてしまうような力を持ってるから、それを収容するか……」

ごくっ。と息を飲み込む。

「殺さなくちゃならない」

その言葉は今までの先輩じゃない。冷たく冷え切ったその言葉は私の恐怖を煽る。

「……どういうことですか?」

その声は震えていたかもしれない。

「あむちゃんはそういうところが良くない」

まだ彼女の声は今までの声じゃなかった。早く戻って欲しい。いつもの彼女に……。

「何でもかんでも聞くんじゃない。さっきから質問してばっかだよ」

「……ごめんなさい」

すると先輩は鞄から何かを取り出した。

見えない。黒い闇に紛れて保護色のように消えているそれ。

カチャ。

その音はまるで異世界に行く扉の鍵を開けるようで。

「なんでそんなもの」

そう聞こうとして止める。さっき言われたばかりだ。

それは黒光りする銃。ピストル。

銃身から二発。軽い音が放たれた。

と同時に心臓から血が溢れる。

「ひっ」

「これでおしまい」

「じゃあ帰」

秋先輩がいつもの笑顔でこっちを振り返った瞬間。

落ちてきた巨大な肉片が秋先輩を押しつぶした。

先輩の首がどう考えても曲がらない方向に曲がる。

「え」

「……先、輩?」


「え」

るが曲に向方いならが曲もてえ考うどが首の輩先

たしぶるし押を輩先が片肉な大巨たきてち落


秋先輩は落ちてきた巨大な肉片を後ろも見ずにすっ、と避けた。

「え」

何で避けれたんだろう……?

今私は暗闇のせいで落ちてくるまで気づかなかった。それに音も……してなかったはずだ。

「帰ろうか」

そう言う彼女の顔はいつもの優しい顔に戻っていた。ただ、今だけはそれすら怖く感じていた。

……秋先輩はなんで私をここに連れてきたがったんだろう。

私たちは来た道を戻る。しばらくは何も話さず、ただ無言で歩いていた。

「話の続き」

そう言うと秋先輩は私の頭をゆっくりと撫でた。

「生物の記憶はここにある……わけじゃない。記憶っていうのは、思い出っていうのは今の人が思っているものよりももっと不安定で、人間の頭の中だけじゃない。どこかに留まる性質を持っている」

……よくわからない。よくわからないまま、自分でも頭を触ってみる。

「例えば神様。神様に祈る場所って決まってるでしょ?だからその『祈ったこと』っていう記憶がそこに留まる」

先輩は手をぱちん。と合わせて祈る振りをしてみせた。音がトンネルに響き渡る。

「留まった記憶はさっき言った、思い出の化け物になる。化け物……と言ってもこういう場合で生まれる物は大抵人に害をなさないんだけどね」

思い出の化け物……さっきの心臓を思い浮かべる。確かに化け物、なんだろう。

「何でかっていうと例えば神社の思い出の化け物は基本プラスの思い出で構成されている。プラスの思い出で構成されてるから強大な力を持っていたとしても大丈夫。時には人の願いを叶えてくれるような役に立つものなんだよ」

「対して呪いの人形とかそういうたぐいの物。あれは恨みの記憶が留まるから恨みの力を持ってしまう。まぁ人によるけどね」

と、突然先輩は止まり、後ろを向いて私の方にピン!と指を立てる。

「それでは一つ問題です。一番厄介な思い出の化け物って何でしょう!?」

え?何?突然?

困惑しながらも考える。

さっき神社はプラスの思い出が集まるからプラスのものが生まれる。といった。じゃあマイナスのものが集まる場所は?

例えば葬式、墓地、それとか邪教の崇拝とか。戦争の場所とか。そういう場所は嘆きだったり恨みだったり、マイナスの気持ちが集まるだろう。

ただそれだと簡単すぎる。先輩がそんなに単純に考えられる問題を出すとは思えない。先輩はいじわるだから、もっとひねくれた問題を出すだろう。

としたら……。

「人の死んだところ。ですか?」

人が死んだところなら神社で少しずつ記憶を留めるよりも一気に思い出……記憶が溢れ出るはずだ。それに大抵はマイナスの感情であるだろう。走馬灯。と言ったものも聞いたことがある。

「お。半分正解。」

ぱちぱちぱち。と軽い拍手をする。

「正解は何なんですか?」

「自殺だよ」

先輩がそっけなく言った。

「さっきのプラスに対して、自殺はマイナスの気持ちが最高潮に達した時起こる。そうして記憶の解放が起こる。でもこれはただの記憶の解放じゃない。自殺するくらいだから全部嫌な思い出なんだろうね。」

「当然ただの死人も厄介ではある。けどね。ものによるよね」

「だからもう一度殺して記憶の開放を行わなければならない」

そして秋先輩は口を閉じた。

何の話だったんだろう。何で私がそれを知らなくちゃいけなかったんだろう……。

そもそもこの話は私のいる世界に関係があるのか?

……わからない。

信じられない。と言ったら信じられないようなことなんだと思う。

それでも先輩に言われたら……なんとなく信じなくてはいけない事のような気がして。

「先輩」

ひとつだけ。疑問が生まれた。

「じゃあさっきのは何なんですか?」

くるっ、とこっちを秋先輩が振り返る。

「知りたい?」

その目はまた冷たいもので。

「……いや、いいです」

そう答えるしかなかった。

「あむちゃん」

「なんですか?」

「じゃあひとつだけ。教えてあげる」

「しー」とするように、先輩は口に指を当てた。

「このことは忘れないでね」



ざー。ざー。ざー。

がたん。がたん。がたん。


雨の音がうるさい。雨戸を激しくたたいてる音が、耳障りだ。

目を覚ました。

「……」

さっきまで何か夢を見ていた気がする。

湿気た部屋の中に、暗い空気が纏わりつく。

「……起きよう」

立ち上がった。軽い立ち眩みがする。

「今のは夢だ」

なぜかはっきりと覚えている。今の夢の内容を。そしてなぜか。私はそれを認めたくなかった。

「……」

秋先輩の家に行こう。ポテチを買っていこう。そうして……。

この夢が現実なのか。確かめに行こう。

それは夢、これは現実。そんなことはわかっている。

でも……。

なんとなく、これからの現実は私にとって耐えがたい。ゆがんだ日常になる気がしていた。

 この夢を見たことで?ああ。多分。そうなんだろう。

 カレンダーは6月19日。私の誕生日だ。

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