第7話 天使の目覚め
静寂の闇夜にぽつんとテントが張ってある。
外には少々古めかしい望遠鏡が一台。テントに写る陰は一人分。
あることでテントの持ち主は困り果てていた。
「とりあえずテントに運んだが、これからどうしたものか」
腕組みをして、封筒型のシュラフに横たわる一人の少女を見つめていた。
少女の髪は鮮やかな桃色をして艶やか。目をつぶっているとはいえ、左右整った顔立ちは、完全体の美少女である。
「警察に届け出ても、信じるわけが無いし困ったな……はぁ」
警察に彼女のことは話せない。この少女は空から降ってきたのだ。
パラシュートや降下装置を身に着けているわけでもなかった。
光に包まれながらゆっくりと降下してきたのだ。
誰がそんな戯言を信じるだろうか。
いっそのこと、彼女は道に倒れていたことにしてしまうのはどうだろうか。
いやいや、山の中で倒れていたなんて、にわかに信じがたいだろう。
第一発見者のふりをして、加害者でしたなんて事件はいくらでもある。
しかも彼女の意識がいつ戻るかわからないとなれば、より疑われる。
「はぁ……」
とりあえずだ。どう思案しても、答えは出るわけでもない。
いったん寝て明日の朝、夜明けのコーヒーを飲みながら考えたらいいさ。
もしかしたら意識が戻るかもしれないし。
全力疾走とここまで彼女を運んだ疲労感で、体は疲れ切っていた。
運動は苦手なので勘弁ください。
俺はよっこらせと立ち上がり、防寒対策をするため毛布やら手に取り、テントから出る。
さすがに一緒のテントに寝るのは、よくないだろう。
仮に彼女が先に起きた時、隣に知らない男がいたら、逃れられない事案確定だ。
夜空は雲一つ無く、星々の光で地表はうっすらと明るい。
星を見るなら、最高の夜となった。
「……あの……」
チュンチュン──。小鳥が鳴いている。
「……もしもーし……」
まぶたを閉じていても分かるほどまぶしい夏の太陽。もう夜が明けたのか。
「……生きてますか……」
星を眺めていたらついつい眠ってしまったらしい。頬を一筋の風がなぞる。気持ちいい風だ。
「……困りましたね……」
合宿もそうだったが、立て続けにいろいろなことが起きていたと感じる。
突然にも碧眼美少女に告白され、変なメッセージを受け取り、終いには空から女の子が降ってくる夢だ。疲れているのかな。
ならばもう少し寝るか。寝て解決することは少ないが、疲れは癒やしてくれるだろう。ここは人が来ないし。朝から鳥のさえずりや生暖かい風が顔をかすめていく。なぜ生暖かいのだろうか。夏だからか。いや顔だけ生暖かいのはいささか不自然にも思う。この不自然な感覚が気になり眠気が徐々に薄れていく。疲れが残っているダルい体に鞭を打って起きることにするか。
瞼をゆっくりと開けると、視界に肌色が広がる。
「はっ!!!!」
さらに開くと目の前に美少女の顔が全面に広がっていた。
「ぐわっ」
「お目覚めですか?」
美少女の吐息がすぐに分かるほど顔が近い。
僕の顔の脇から細く白い腕そびえ立っている。
彼女は寝ている僕に覆い被さるような体勢でのぞき込んでいる。
こんな美少女とこんな体勢になるほど知り合いでは無い。知らない子が僕の上に居る。
「よく寝ていましたね」
「あの」
「いえ、気にしなくていいの」
そういい彼女は、よいしょっと起き上がり僕の顔を覗き込む。
「あなたが介抱してくれたのよね」
「えっ、あっとえと……そうなります」
「ありがとう。私、長い旅路で疲れ切ってしまい、寝ていたみたいだから助かったわ」
俺も起き上がりつつ、彼女のことを考え始めた。
そうだ彼女は、空から降りてきたんだ。
パラシュートやジェットパックも持ってなく、目映い極光を思わせる神秘的な光に包まれながら、ゆっくりと地表に降りてきた。
彼女は神や天使と言うやつなのだろうか。それなら美少女なのもうなずける。
または空に浮かぶ島に住む天界人か。そうなるとその島にはロボット兵とかが居てだな、落ちた彼女を迎えに来るだろうな。なんとかって言う石を持つ者を迎えにくるんだな。旧約聖書とかラーマーヤナとか読んだことが無いから詳しくないぞ。
「あのー、何か深く考え込んでいるようですが、どうかしましたか?」
「ごめん。つい考え込んでいたね。ちなみに聞いて言い?」
「ええ、どうぞ」
俺は考え込んでいたことを直接聞いてみることにした。
「空から降りてきたけど、君は天使だったりする?」
「ん…んーと、こっちの方に天使みたいと言われたことはありました。そんな感じかなぁ。はい」
真剣な面持ちで答えてくる。
「おぉ、そうだよね。天使なわけないね。じゃあ、天空の城に住んでするとか」
「てっ、天空の……城? うーんと、天空では無いですが、お城のような大きな建物に住んでいます」
またしても真面目に答えてくれる。
城みたいに大きな建物ってことは、湾岸エリアのタワーマンションのことか。それとも外国のお金持ちとか。
「あのー、私からも聞いていいですか?」
「もちろん。聞いてばっかりだと悪いしね」
「さっきから、天使とか、天空の城とか一体なんですか? 私はこの世界のことあまり詳しくない者ですから、教えて欲しいです」
やば、俺は中二病みたいな質問ばかりしていたじゃないか。
変なヤツに思われ始めてる。訂正しおかないと。
「ごめんごめん。昨日の夜、空から降りてきた君の姿を見ていたら、もしかして天使とか、天空人かと思ってね。ロボット兵とかマハーバーラタとかよく詳しくないモノで」
「ロボット兵? ハーバーラタ?」
「あぁ、それは忘れて。大丈夫だよ。関係ないからこっちの話」
「ふーん」
しまった。余計に変なヤツだと思われてる。話を変えなきゃ。
「もしかして、
彼女はさらに語る。
「私ってば、降りるときのフワッとする感覚が好きじゃないので」
あぁ、確かに俺もあれは苦手だな。彼女は共感してもらえたと分かると俺の手を握る。
「分かってくれます。それで限界まで速度を落とすとフワってならないのです。でも降下までに時間が掛かってしまい、ついつい寝ちゃって……てへっ」
桃色のツインテールが左右に揺れ、顔もうっすら赤みを帯び照れている。
彼女が何人でもいい、マジ可愛い。
速度が落ちれば確かに時間は掛かるだろうが、一体どこから降りてきたんだ。
「もちろん
風か。確かに風が吹いていたな。でも流されるほど強い風だったな。
「自動降下装置は、質量の調整も自動で行ってくれる便利な物です。落下速度を落とすため質量を限界まで落としていたのでしょう。風に乗り本来降りる予定の場所からだいぶ外れたまま降下を続けていたので、私は迷子になってしまったみたいです」
「あぁ、なるほど。迷子ね」
「はい。そうです。迷子ですね」
ぐー
お腹の鳴る音が小さくかわいらしい音色を立てた。俺じゃないよ。
「もしかしてお腹、空いていたりする?」
彼女は照れ隠しをしながら、お腹を押さえ
「えっへへへへ」
「ちょっと待ってて」
俺はテントの中に入り、鞄を漁る。
お菓子は食べ尽くされていたから
「……かろうじてパンとかでよかったらあるよ。コーヒーも飲む?」
「パン?! 何かわかりませんがいいんですかっ! ありがとうございます。うれしいです。はい」
満面の笑みで答える彼女は、まるで天使の笑顔かと思う。
その笑顔につられて、相手に気づかれてしまうかと思うほどに胸が高鳴りはじめた。
音を聞かれまいと隠すかのように、せっせとコーヒーを入れるため、バーナーの準備を始める。
ポットに水を入れ、バーナーの上にセットする。
コーヒー豆を取り出しミルに入れ、ゴリゴリとハンドルを回す。
「なんだか本格的なんですね」
「朝だけはね。一日の始まりがステキになればいいなぁと思って、時間は掛かるけどおいしい方がいいしね」
「そういうの、なんかロマンチック」
「そう言われると、なんか恥ずかしいな」
そんなことをいままで言われたこともなく、照れてしまう。
少しでも顔のほころみを隠すように、手をせっせと動かし挽き終わった豆をフィルターにセットして、沸騰したお湯を少し注ぎ豆を蒸らした。湯気がぶわっと立ちこめる。
物珍しそうにのぞき込む天使な彼女。
蒸らしが終わると、高い位置からお湯をゆっくり注いでいく。
最後は中央に線を引くように注ぎ、最後の一滴が抽出されるまで待つ。
「コーヒーとはいい香りですね。おおっ、いまさらですが、あなたのお名前聞いてなかったです」
「確かにお互いの自己紹介してなかった。俺は太田昴。昴でいいよ」
「私はララ。ララ・スー……あとは長いのでララでいいです。はい」
はて、どこかで聞いたことがあるような。
「あの、どこかでお会いしたことありませんでしたか」
「俺もそう思っていた所なんだ。どこかで会ったことあったような……」
そう、過去に面識がある様な気がしていたから、名前を聞いていなかった。というよりもワシのこと覚えていなかったのね。グスン的な展開は避けたかったから、相手から言ってもらえて助かった。
コーヒーの抽出が終わり、キャンプにも使える軽量アルミ製の銀色カップにコーヒーを注ぐ。
こんなに美人の人なら忘れるはずも無いだろう。
「お互い思い違いかもしれないし。とりあえずララ、コーヒーをどうぞ」
ララにコーヒーとパンを差し出す。
「ありがとう。うぐっ、黒くて苦そうですね」
「コーヒーは初めてか」
俺もコーヒーを飲みつつ、恐る恐る飲むララを見ていた。
「おぉ、やっぱりラニャです。私の所ではラニャといいます。香りも飲み方も同じなので味まで一緒だとは驚きです。やはり勉強しに来た会がありました」
「へぇー、ララの国ではコーヒーをラニャって言うんだ。ララは勉強をするために
「そうです。私の世界では、他の
満面の笑みで答えるララは天使のような笑顔だ。見ていると、こちらまでドキドキしてしまう。
悟られまいと話を進める。
「本当はその知り合いと待ち合わせていたんだね」
「そうなんです。このあたりの土地勘がないので困りました」
またしても真剣な表情で困っている。
何事にもまじめで、とても純粋な子なんだろう。ララのことを天使と言った人も、ララの容姿意外にもこの純粋な一面も含めて天使と感じたのだ。そうとしか思えない。
であれば、困っている天使に、俺がしてあげられることはないだろうか。
誰も知らない土地で迷子になったら、恐怖で俺なら卒倒するね。
「もし良かったらララの知り合いを探すのを手伝うよ」
「えぇーーー! 本当ですか。助けていただいて、さらにご飯までご馳走になったのに、さらに私を助けてくれるなんて、アナタは天使ですか?」
「いやいや、俺は天使なんかじゃ無いよ」
むしろララの方が天使だし。
「でも、これ以上ご迷惑をおかけするわけには行きません。一人でなんとかします」
「これも何かの縁。そうそう、この国では自分と関係を持った人を大切にする習慣があるんだ。この国に勉強をするために来たのであれば、縁も学んでみようよ。これも一つのオモテナシさ」
「うぅ、そうですね。昴さんのおっしゃるとおりです。では、昴さんのオモテナシを学ばせてください」
二人は朝食を済ませ荷物をまとめたら、自転車の後ろに取り付けたサイクルトレーラーに積み込み公園を後にする。
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