Ⅴ This is my farewell gift to the empty vessels.

1

□ニール


 ルイスを彼の利用する客室まで送り届け、所用を済ませた後、ニールは茶会の行われていたであろう中庭へと向かった。今も尚継続していたのなら随分な長丁場だと思うが、予想通り茶会は既に終わっていたようで、エリスが一人でせっせと片付けをしていた。その表情はどことなく浮かない。


「よう、茶会は盛り上がったか?」


 生憎、ニールは気遣いを得手としてはいない。ついでに言えば、エリスを慮る気もないので、特にこれといって言葉を飾ることなく声をかけた。

 こちらの気配に初めから気付いていたのだろうか。エリスは顔を上げずに、ふるふると首を横に振る。


「まさか。むしろ散々だったよ。ニールさん、参加してなくて幸運だったかもね」

「へえ、お前、ついにやったのか?」

「ついにってどういうこと? 何もしてないよ、ただアドラシオンさんがちょっと、ね」


 そこまで言って、エリスはようやくこちらに目を向けた。よく見る人懐っこく気さくな雰囲気はなく、端正な顔には疲労が浮かんでいる。余程のことがあったのだろうと、ニールは言外から察した。


「アドラシオンっていうと、スペインから来たっていうお嬢さんか。見たところ気の強そうな女の子だったが、そいつがどうかしたのか?」

「ニールさんがお嬢さんとか女の子って言うと、なんかなあ……」

「どういう意味だよそれは。で、何があったんだ?」

「うん、お茶会の最中に倒れちゃってね。テオが慌てて部屋まで運んで、今は付きっきりで様子を見守ってるみたい。倒れる直前は、もう半狂乱って感じで……もしかしたら、幻を見ていたのかもしれない。とにかく普通じゃなかった」


 ふう、とひとつ息を吐き、テオも災難だよねえ、とエリスは目線を上げた。


「アドラシオンさん、混乱してたのかどうだか知らないけど、テオにきつく当たってて……。あっちの事情はよく知らないけど、さすがに気の毒だなって思っちゃった。アドラシオンさんは普段から厳しい人だったけど、今回はちょっと度が過ぎてる気がしたな。私がテオの立場だったら、きっと倒れたアドラシオンさんのことをお世話しようなんて思わないよ」

「そりゃ間の悪かったことで。それよりもお前、今日はよく喋るな。ヘーゼルダインの若君かテジェリアの従僕、あとはそうだな、メレディスの坊っちゃん辺りと間違えてないか?」


 ──沈黙。

 ニールの揶揄を含んだ問いかけに答えが寄越されるまで、暫しの時間を有した。じっと瞬きなくこちらを凝視するエリスは、もう手を動かしてはいない。一切の感情を消した真顔でニールを見つめ──やがて、おもむろに口角を上げる。


「……間違えてなんかいないよ。第一、エレーレイスさんはもう死んでるでしょう。ニールさん、お喋りは嫌い?」

「一概に好き嫌いを定められるものじゃねえとだけ言っておこう。必要性があればやる、それだけじゃ悪いか?」

「悪いなんて決めつけたりしないよ。私もニールさんと同じ──必要だと思うから、こうしてお話しているの。ニールさんには、聞きたいことがあるからね」


 エリスは動かない。もとの立ち位置を維持したまま、うっそりと笑って問いかける。


「アイオナさんから聞いたよ。ニールさん、いきなりルイスさんを連れてどこかに行ってしまったって。おかげでルイスさんのお話が聞けなかった。……ねえ、どこへ行っていたの? ルイスさんを連れ去ったのは何故?」


 黙して、ニールは向かい合う相手の目を見据える。

 凪いだ目だ。宝石に例えるならば翠玉だが、ただ美しいだけのそれを当て嵌めるのは不適当なように思えた。言うなれば霧深き森、その一端を切り取って落とし込んだかのよう。人を惑わし飲み込む、お伽噺ならば立ち入ることを禁じられている森。

 臆した訳ではない。そもそも、ニールにとってエリスとはまだ恐るべき相手ではなく、その気になれば遠慮なく組み伏せられるものと判断している。少し睨まれたくらいで怯える心は持っていない。


「何、そう大した理由じゃねえよ。逆に聞くがな、お前は目に見えて重傷とわかる怪我人を見かけたらどうする?」

「……急に何? 私だったら、ひとまず安静にさせるけど」

「その怪我人がメレディスの坊っちゃんだったんだよ。あいつは従者にぶん殴られて肋骨をやってるみたいだった。誰かさんが茶会を開くなんて言うから、無理してでも参加しようとしてたんだ。見てられなかったんで、多少強引に客間まで連れてってやった。それだけだ」

「……本当に?」

「本当だとも。俺はイングランド人と違って、嘘は吐かないんでね」


 言葉の端に皮肉を込めると、エリスはわかりやすく眉間に皺を寄せた。取り澄ました顔が崩れて、ニールとしては小気味良い気分になる。


「ニールさんがイングランドにどんな印象を持ってるかは知らないし興味ないけど、偏見だけでものを語るのはどうかと思うよ? ニールさんだって、ハイランド出身ってだけで色々決め付けられるのは不愉快でしょう」

「愉快とか不愉快以前に、そういうのにはすっかり慣れちまったからな。嫌がる余地のある奴が羨ましいぜ」

「ああ言えばこう言うんだから……。とにかく、事情はわかったよ。ルイスさんも苦労してるんだね。──それにしても」


 嘆息し、エリスはつと顔を上げる。一切の揺らぎがないまなこに入る光はない。


「ニールさんって、ルイスさんにはやけに優しいよね。もしかして、お気に入り?」

「だったらどうする?」


 間髪入れずに笑いかける。歯を見せて笑う自分は、エリスの目にどう映っているだろうか。

 ルイスのことを個人的に気に入っているのは事実だ。彼はこの場に似つかわしくない程ひた向きで、素直で、わかりやすい。その言動から私欲は感じられず、暴力性もなく、つんと澄ました顔で全てに臨む。駆け引きも遊びもない、一見してつまらない人間だが、その真っ直ぐな様がニールには面白い。特に、趣味の悪い会合が舞台となれば尚更だ。

 エリスとて、ルイスのことは憎からず思っているだろう。今のところ、エリスの言葉尻に敵意が滲むことはない──上手く取り繕っているようだが、この女は意外と他者への目線が明確だ。できることなら参加者全員への態度を見比べてみたいものだが、彼らが一堂に会する機会はそうそうなく、かつ何人かは死んでいる。今となっては全員分の印象を確かめる術などない。

 ──閑話休題。試すようなニールの問いを受けて、エリスはゆっくりと一度瞬きした。そうして、いけ好かないお手本のような微笑を向けてくる。


「別にどうもしないよ。ただ、おかしなこともあるなあって思っただけ。ニールさん、他の人たちにはあんまり興味なさそうなのに、ルイスさんのことは異常に気にしてる。はっきり言って、アイオナさんよりも大事にしてるように見えるよ」

「ああ、そうだな。反論を期待してたのなら悪いが、俺は所詮雇われの身なんでね。お嬢に対する忠誠心には自信がない。個人的には、メレディスの坊っちゃんのが気がかりだよ」


 それに、とニールは目をすがめる。


「この古城に、まともな忠誠心を持ってきた奴なんてほとんどいないだろ。ヘーゼルダインのところの従僕は見てて痛々しい程だったが、その末路は知っての通り。ろくな結果に終わらなかった。悲しいことだが、綺麗事ってのはカス程の利も生まねえのさ」

「寂しいものの考え方をするんだね、ニールさんって。ハイランドは綺麗事すら笑われるような、心の貧しい人ばかりの世界なの?」

「だったらお前はその綺麗事を信じられるのかよ。お宅の遺産は、縁もゆかりもない連中から欲望の捌け口にされかけてるんだぜ?」

「信じられるよ。ニールさんとは違う」


 一方的にこちらの思想を断定されたようで、ニールは僅かながらも目の前の女に対して反発心を覚えた。幼稚で野暮ったいちんちくりんと思っていたが、小生意気なことに口は達者だ。

 ニールは鮮烈な青を抱く双眸を鋭利に尖らせ、改めてエリスと相対した。生半可なおためごかしが飛び出ようものなら、すぐにでも噛み付いてやるつもりでいた。

 …………が、一向にエリスは口を開かない。


「……おい、何か言ったらどうだ」


 普段はそうでもないが、ここで勿体ぶられるとさすがに焦燥が募る。永遠に続くかと思われる沈黙に耐えきれず、ニールは平生よりも幾分か控えめに切り出した。

 先を促されたエリスはというと、わざとらしい程緩慢な動きで首をかしげる。その後、ああ、と場違いに大きな声を出した。


「もしかしてニールさん、私がぺらぺら自分のことを話すとでも思ってた? そんなことする訳ないじゃない、私たち、特別仲良しって間柄でもないのに」

「……テメエ」

「あはは、そんな怖い顔しないでよ。本気にしてたなんて、思いもしなかったの」


 大変不本意なことに、自分ははめられたらしい。その事実に気付くや否や、ニールの顔は不機嫌に歪んだ。知らず、荒い言葉が口をつく。

 ニールがどれだけ機嫌を損ねようとも、エリスが怯えることはない。むしろ愉しげに──とはいえ表面上のみのことである──笑いながら、まとめた荷物を持ち上げた。


「私たちはここで始まって、ここで完結するだけの関係。それ以上を求める必要はないんだから、知らないことがあったって良いじゃない。同業者とかだったら、これからのお付き合いもあるかもしれないけど……ニールさんは傭兵みたいなものなんでしょ? だったら、きっと関わることはないよ」

「だから何も話さねえってか。相変わらず、お前は人を苛立たせるのが上手いな。茶会だなんだと言っておいて、意思を曲げるつもりもなかったんだろう?」

「だって、誰も私を納得させられなかったんだもの。皆、うちの遺産を掠めとることばかり考えてる。私のことを端から舐め腐って、考慮の内に入れない人たちとなんて、手を取り合えると思う?」

「どうだかな。ま、どいつもこいつも頑固ってことはわかったよ」

「あは、それは言えてるかも。あーあ、ルイスさんの話も聞きたかったな。あの人は、まだ割と話が通じそうだったもの。怪我さえしてなければ、今からだって会いに行くのに」

「なんだ、お前もあいつのことを結構気に入ってるんじゃねえか」


 先程の意趣返しをしてやったが、エリスはそうかもね、とあっさり肯定した。もう少し嫌がる素振りでも見せてくれたのなら、揶揄い甲斐もあったものだが──やはりこの女とはそりが合わない。何とも言えない噛み合わなさというか、気持ち悪さがある。


「ルイスさんは悪い人じゃないからね。私のことを侵害しようとしないし、私の志を貶すような真似もしない。態度はつっけんどんだけど、たったそれだけで敵にはならないよ。できることなら、お互いに傷つけ合うことなく会合が終われば良いなって思ってる」

「腹の底までは見通せないだろ。期待外れだったからって八つ当たりはするなよ」

「でも、ルイスさんが上手く嘘を吐く人には見えないよ」


 それはたしかに、とエリスへの好き嫌いを抜きにしてニールは同意する。ルイスと嘘はどう転んでも結び付かない。

 そうこうしているうちに、エリスは別れの挨拶もなしにその場を立ち去ってしまった。物腰こそ他の参加者たちに対するものと変わらないが、態度はいっそ尊敬の域に達する程ふてぶてしい。ルイスとは逆に、自分はあまり良い印象を持たれていないのだろう。


「……さて、あとは相手の出方次第か」


 あっという間に見えなくなった背中を思い、ニールは唇の端を上げる。そのままフェーリアを翻し、彼もまた宵闇の中へと姿を投じた。

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