6

□ルイス・メレディス


 徐々に覚醒していく意識の中で目を動かせば、すっかり室内が暗くなっていることに気付いた。どうやら眠っている間に日が暮れてしまったらしい。

 細く息を吐き出し、ルイスは周囲に誰もいないことを悟る。一人になってようやく、全身から力を抜ける──なるべく他人には弱った姿を見せたくない。特に、そうと確信できる味方がいない状況なら尚更だ。

 不甲斐ないことではあるが、ニールには意図せず情けないところを見られてしまった。最後の記憶を思い起こし、ルイスは口をぎざぎざにする。

 ニールに危害を加えられた訳ではない。むしろ助けられたと言っても良い。彼はルイスの負傷をいち早く見抜き、自身の利用している客間まで運んでくれた。それだけならば恩人と言っても差し支えない対応だ。

 しかし、それだけでは済まないのが世の常というもの。ニールからかけられた言葉を、ルイスは瞑目しながら想起する。


「メレディスの坊ちゃん──お前、イングランドの出じゃないだろう?」


 口惜しいことに、ニールの問いは的を得ていた。たしかにルイスの出身地はイングランドと呼ばれる地域ではない。

 だが、ルイスはテジェリア主従のように大陸から海を渡ってやって来た者たちとは違う。広域的に見れば、イングランドの一部と言っても良いかもしれない。ロンドンとは多少の距離があるものの、少なくともスコットランドよりはイングランド寄りだ。

 そういったややこしい事情があるので、ルイスは一概に可否を答えることができなかった。どう表現したものか迷っていたところ、黙りで場を凌ごうとしているように見えたのだろうか。ニールはにやにやと悪どい顔で口を開いた。


「なら答え合わせしようじゃないか。坊っちゃん、お前はウェールズから来たんだろう? 前に話した時、それらしい発音で喋ってたよな。普段は上手く英語を話せてるが、地元の言葉はそう簡単に隠せるものじゃねえ。前々から思ってたが、詰めが甘いんだよ」

「……別に、隠そうとしている訳ではない」


 誤解されたままというのも癪だ。話す度に腹部が痛むので無駄口は叩きたくないが、訂正のためにルイスは唇を動かす。

 ウェールズ。あるいはカムリ。山地が大部分を占め、複数の湾を臨む土地。薔薇戦争では戦場となり荒廃を招き入れたこともあったようだが、百年も経てばただの昔話。ルイスの記憶にあるのは、しっとりと湿る朝靄と霧雨、柔らかな落葉の絨毯、薄ぼんやりと霞む空くらいのものだ。過去の歴史は記述と伝聞にしか聞いたことがない。


「……どこの出であろうと、私のすべきことは変わらない。余計な口出しは無用だ、ハイランド人」


 これ以上茶化されるのはさすがに不愉快だ。ルイスは痛みに顔をしかめつつ、精一杯の虚勢を張ってニールに挑みかかった。

 無論、手負いのルイスの威嚇などニールに効くはずもない。軽く肩を竦め、彼は臆した様子など微塵もなく返す。


「事実を突き付けられたところで傷付く奴がどこにいるんだよ。少なくとも、お前はハイランド人をどうも思ってねえだろ」

「そんなことは……」

「お前はイングランド人を気取りたいのかもしれないが、はっきり言って向いてないぜ。本物は俺を同じ人とは思ってねえ。未開の土地の野蛮な生物、くらいにしか見えないんだろうよ。もっと上手く擬態したいなら、俺のことは人によく似た姿かたちの獣と思え」

「……うるさい。不要な忠告だ」

「そうかい。だったら大人しく休んでるんだな。……ああ、坊っちゃんの部屋になら運んでやるから心配するなよ。いつまでも客人を連れ込んでいたら、帰って来たお嬢にどやされる」


 そう言ってニールはもともと使っていた客室まで送り届けてくれた。物言いこそ気に食わないが、ルイスからしてみれば助けられてばかりである。

 こうして、ルイスは今の今まで眠りについていた。存外に疲労が溜まっていたのか、気付けばこのような暗さだ。サディアスはまだ戻っていないようで、室内にある音と言えば自分の息遣いのみ。いてもいなくてもそう変わらないように思えるサディアスではあるが、ニール程ではないものの上背があるので存在感は相応のものだ。それを抜きにしても、主という立ち位置にいるからには従者の気配を記憶しておくのは当然のことだとルイスは思う。

 エリスの茶会は滞りなく終わっただろうか。寝返りすら打てず、天井を見上げながらルイスは行くはずだった茶会について思案する。

 こんな時に何をやっているのかと呆れる気持ちは勿論あったが、ルイスはここで茶会が開催されることに違和感を覚えなかった。ヘーゼルダイン主従にレアード、三人もの参加者が殺害されたとなれば、誰が犯人かはさておき疑心暗鬼は避けられない。エリスとしても、これ以上命のやり取りでカルヴァート家の遺産を奪い合うような状況にしたくなかったのだろう。そこで、参加者が一堂に会する──はずだった──場を設けた。

 ただ、問題はエリスの意思が動くかである。彼女はカルヴァート家の遺産を誰にも渡したくないようで、ただ一人の味方もいない敵地に今も尚身を置き続けている。その覚悟を揺らがせるだけの方策を、果たして招待された者たちは持ち合わせているだろうか。

 どうすれば、エリスは遺産を渡す気になるか。静寂の中で、ルイスは一人考えを巡らせる。

 自分が不利な立場にあることはよくよく理解している。家格が取り立てて高い訳でもなければ、主従関係に強みがある訳でもない。むしろ成立しているのか首をかしげたくなる有り様だ。今日だって、茶会に行くのを面倒臭がるサディアスを急かした結果、腹を殴られて今に至る。主従関係の欠片もない。

 であれば、頼れるのは己のみ。武術に優れているとは言い難く、各所との繋がりも希薄なこの身でできることとは、一体なんだろうか。


(憶測に過ぎないが……恐らく、他の参加者たちはエリスを自然と格下扱いしている。皆、遺産の全てを接収することに前提を置いているのではないか)


 イングランドで名を轟かせ、さらには優秀な嫡子を名代として立てるヘーゼルダイン家。今や世界を分割する大国の都に身を置く名家のテジェリア家。いずれイングランドの実権を握る可能性を持つスコットランドで優勢を誇るテューフォン家とコフィー家。いずれも名家たり得る歴史を持ち、古くよりその存在感を主張している。

 メレディス家にはそれがない。イングランドで栄えつつも、台頭したのはここ数十年。認めるのは悔しいが、この会合において最も下位にいると言っても過言ではない。

 だが、それを逆手に取れば切り札になるのではないか。カルヴァート家を服従させる、あるいは自らに取り込む対象としてしか見えていない者たちと、自分は違う。ただ遺産を奪い取る相手ではないと認識されれば、エリスにも考える余地が生まれないか。


(すなわち──カルヴァート家とメレディス家、双方の合意によって共同事業に着手する。我々には海運業の心得があり、カルヴァート家は王室との繋がりがある。それを上手く組み合わせれば、我々もエリスも利益を得ることができる──カルヴァート家が消える必要もない)


 エリスは必ずしも排除すべき相手ではない。やりようによっては、メレディス家の益となる取引先にもなり得る。

  要はエリスと対等な立ち位置で交渉すれば良いのだ。どれだけエリスの精神が強靭であろうとも、何度も生命を狙われれば自ずと疲弊するにちがいない。そこに話の通じる相手が現れればどうだろう。彼女が何を危惧しているかまではわからないが、少なくともカルヴァート家を存続させられるとわかれば多少姿勢を軟化させることはできるはずだ。そこを上手く突けば、エリスとの協力を取り付けられるかもしれない。

 問題は、如何にしてエリスを交渉の席に座らせるかだ。立ち振舞いこそ気さくではあるものの、連日の死人でエリスの警戒心はさらに強まっていることだろう。彼女の思い腰を上げさせるには、提示する条件がエリスにとってうまみのあるものでなくてはならない。

 動き出すのは早ければ早い程良い。ルイスは浅く呼吸しながら、未だ引かぬ痛みを憂う。誰かの助けがなければまともに動けない体が恨めしい。またニールが介助してくれるとは限らないし、その他の面々と繋がりを得ている訳でもない。せめてエレーレイスが存命ならば、協力関係を構築することもできたかもしれないが──彼は第一の被害者となってしまった。初日にゲッシュを見た者と言えばテオもいるが、彼の主人は強硬路線の気が強い。テオが良くてもアドラシオンが許さぬ限り、手を取り合うことは不可能だ──恐らく、アドラシオンは格下のメレディス家など眼中にないだろう。

 そういった事情も込みにすると、やはり独力で事を成し遂げる他ないように思える。もとより味方が増えることを予想してはいなかったので、ルイスにこれといった落胆はない。

 何はともあれ、カルヴァート家の遺産を手に入れるという当初の目的だけは違えられない。競合相手は手強いが、エリスから目に見えて敵視されていない──と思いたい──ことは利点であろう。活用しない手はない。

 瞼を開け、細く息を吐く。今日は無理でも、明日には行動に移したい。茶会の様子を聞き出しておきたいが、サディアスが話してくれるとは思えない──手間がかかるが、テオ辺りに聞くのが手っ取り早いか。

 そのようなことを考えていた矢先、扉の開閉する音がした。首を動かして様子を窺うが、暗がりでは誰か判別することは難しい。


「サディアス……?」


 従者が戻ってきたのかと思い、無視されるのは承知で声をかける。案の定、返事はない──だが、足音はこちらに近付いてくる。

 ルイスの視界を暗い影が覆い、次いで彼の首に両手がかけられた。


「──っ⁉️」


 首を絞められている。そう気付いた時には遅く、ルイスは息を詰まらせた。抵抗しようにも折れたらしい肋骨が鈍く痛み、彼は声にならない叫びを上げる。

 苦しい。痛い。一体誰がこのようなことを。いや、誰でもあり得ることだ。もう三人も、この古城で殺害されているのだから。

 しかし、納得はできても受容はできない。自分には課せられた使命がある。メレディス家のために、この会合でカルヴァート家の遺産を手に入れる──それを果たすまで、死ぬなどあり得ない。

 霞む視界と意識の中で、ルイスはぐいと手を伸ばした。自らの首を絞める手首を掴み、ありったけの力を込める。

 死ねない。まだ死ねない。死ぬ訳にはいかない。ルイス・メレディスとしての役目を放棄するなど、何よりも誰よりもこの自分が許さない!

 意識が段々遠くなる。空気を求める少年は、ただの一度も絶望することなく気を失った。

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