3
□マイカ
殺し屋である自分が言うのもどうかとは思うが、人死にが出た直後にやることが茶会とは、エリスの正気を疑う他ない。いくら死に慣れていたとしても、これで美味い茶が飲める予感は全くしないし、むしろ不味くなるのは確実だと思う。
「まったく、エリスは何を考えているのかしらね。こんな時にお茶会だなんて」
真なる主であるアドラシオンも、この催し物には呆れ返っている。カルヴァート家の遺産について話し合いが行われるかもしれないという一抹の期待から、彼女は参加を表明した訳だが──不本意なことに、会場たる中庭に一番乗りしてしまった。その不満からか、端正な顔立ちは不機嫌にしかめられている。
アドラシオンと二人きりならば、彼女を優しく宥めることもできただろう。しかし、残念なことにマイカの立場は隠されたまま。アドラシオンの側には、当たり前のようにテオが付いていて、相変わらず軽薄な態度で接している。
「まあまあ、良いじゃないか、殺し合いをするよりはさ。あんたの話術次第じゃ、お目当ての遺産が楽に舞い込んでくるかもしれないぜ?」
「そう都合良くいくとは思えないわね。第一、エリスに話し合いなんて通用するかしら? 通じていないから、ヘーゼルダイン主従とレアード・テューフォンは帰らぬ人になったのではなくて?」
尤もな話だ、とマイカは内心でうなずく。ちなみに、今朝見付かった死体は二つだけではない──地下牢に閉じ込めていた刺客の一人も、何者かの手によって殺害されていた。刃渡りの短い刃物で滅多刺しにされたと思わしき有り様だったので、犯人はケントで間違いないだろう。
アドラシオンが初日に刺客を送り込んだことは、無論マイカも把握している。彼らを城内に誘い、エリスのもとまで案内する役目を負っていたからだ。
しかし、マイカはその日、何故か待ちぼうけを食らう羽目になってしまった。さすがに焦燥感が募り、様子を窺った矢先にエレーレイスが襲われたときたものだから、正直に言って何が起こったのかさえわからない有り様だった。任務を遂行できないどころか、想定外の出来事を止められなかった──これではアドラシオンから失望されてしまうと危ぶんだマイカではあったが、彼女から叱責が飛んでくることはなかった。というのも、マイカが刺客たちを誘い込む以前に、彼らに接触していた者がいたからだ。
(エリスが生き残った三下を詰めていた時はひやひやしたけど……でも、あれは絶対に僕じゃない。僕は一度アドラシオンに合図を送ってから集合場所へと向かった──彼女もそれを確認している。その後、全員揃ったところでもう一度合図を送る手筈だった……だというのに、彼らは一向に現れなかった)
アドラシオンは連携を重視し、事を起こす際は矢文か松明で伝えるようにと事前に指示していた。マイカはそれを固く守っている──勝手に動いたのは刺客たちだ。それは間違いない。
刺客いわく、彼らを案内したのは男女の区別もあやふやな若者。女性にしては長身で、男性にしては平均的もしくは低めの背丈、外套で顔を隠していたという。背丈に関してはマイカよりも高いエリスという女性がいるので何とも言えないところが歯がゆいが、身体的特徴としては概ね自分にも合致していると思う。
だが、マイカは既定の場所で刺客たちを待っていた。であれば実際に刺客たちに接触したのは、マイカにも当てはまる容姿をした、少なくともアドラシオンの息がかかっていない派閥の人間と見るのが妥当だろう。
(最後の一人まで殺されたとなれば、件の案内人に関してはわからずじまいだ。僕としては、はっきりさせておきたかったけれど……まあ、まずはカルヴァート家の遺産をどうにかしないとね。アドラシオンの目的達成こそが、僕の目標なんだから)
今朝見付かった死体の訂正はせず、マイカは横目でアドラシオンを見遣る。今日も彼女は麗しい──少し顔色が優れないように見えるが、ここ数日の疲れが溜まっているのだろうか。じめじめとしたアイルランドに居続けているのも原因の一端と思うと、尚更強情なエリスへの呆れが募る。
「ところで、あんた──マイカ、だったっけ? まるで当たり前みたいにいるけどさ、あんた、主を喪った身だろ? これからどうするつもりなんだい」
アドラシオンとの会話に、面白みを見出だせなかったのだろうか。テオは変に含みのある笑みを浮かべながら、こちらへと向き直る。
相も変わらず軽い態度だが、単なる興味から声をかけてきたのではなさそうだ。彼の目には疑念と不審──何故お前がここにいるのかという、不躾にして純粋な問いが込められている。人が少ないうちに、可能な限りの情報を引き出そうとしているのかもしれない。
さすがに目配せは送れないので、マイカはこういった時アドラシオンならどうするか、どうしたいかを考える。きっと、彼女はテオを信用していない。ならば、できるだけ疑いの目を逸らすべきだ。いくらマイカがいるとは言えど、表向きの従者はテオ。いつでもマイカがその身を守れるとは言いきれない。
「……そうだね、僕は雇われの身だ。まずはテューフォン家に事の次第を伝えようと思っているよ。その前にアイルランドを発ちたいところなんだけど、一人で港に行くだけの手持ちがなくてね。皆に用意された馬車が来るまで、ここにいるつもりだよ」
まずは疑惑をかわす。それがマイカの選択だった。
へえ、とテオは目をすがめる。生意気な表情だ──と、マイカは内心で眉をひそめた。エリスもそうだが、大した経験もないくせにいかにもそれらしい顔をする若者は気に食わない。修羅場を潜ってきた自分でさえ、平生は凶刃の影を気取られないよう努めているのに。
ちらとアドラシオンを見れば、彼女の表情は変わっていなかった。ひとまず、主の意向に逆らうような選択肢ではなかったようだ。
「テオフィロ、あなたは変に警戒しているようだけれど、マイカは雇われの護衛だそうよ。レアード・テューフォンが死ねば契約は終わる……少なくとも、レアードを殺害していない我々に危害を加えることはないでしょう。その心配は必要のないものよ」
こちらの立場を慮ってか、アドラシオンが助け船を出してくれた。それだけで、マイカの胸中は満ち足りた気分で溢れ返る。──顔に出ていなければ良いが、上手く取り繕えているだろうか。
案の定、テオは素直に従う素振りを見せなかった。胡散臭い笑顔はそのままに、なるほどねえ、と意味ありげにうなずく。
「随分とそいつを庇うんだな、お嬢様は。何か思うところでもあるのかい?」
「いいえ、あなたではあるまいし、私情で動いている訳ではないわ。マイカとは、既にお互いを害さないという契約を結んでいる──言ったでしょう、この者は傭兵のようなもの。いつでも雇用関係を成立させられるのよ。私が先んじて手を打ったというだけのこと──あなたが一人で必要のない不安に焦っているだけと、いい加減に気付きなさい」
「そりゃ早合点して悪かったよ。けど、そういう取引をしてるんなら、おれにも共有しておいて欲しいところだな。あんたがマイカにどれだけの信頼を置いているかは知らないが、正規の従者はおれだ。セナイダさんの紹介で雇われたからって、邪険にしないで欲しいね」
「──黙りなさい」
セナイダ、という名が会話に入った途端、アドラシオンの纏う空気が剣呑さを増した。切り付けんばかりの睥睨が、一直線にテオへと向かう。
「その名前を口にするなと、何度言えばわかるの。私は奴のことなんて、これっぽっちも思い出したくないのよ。はっきり言うわ、非常に不愉快です。次にその名前を口にしようものなら、生きて大陸に戻れるとは思わないことね」
「相変わらず物騒だなあ。そんなに義母殿が嫌いかい?」
「好き嫌いの問題ではないわ。首を刎ね飛ばされたいの?」
テオはまだ何か言いたげだったが、彼が二の句を接ぐことはなかった──新たな参加者がやって来たのだ。
現れたのは大小一人ずつ──アイオナ・コフィーと、メレディス家の従者であるサディアスだ。何故かお互いの主従が欠けている。
「やあ、これまた面白い組み合わせが来たな! お互いの主従をあべこべにしたのか?」
これ以上アドラシオンに構っていても仕方ないと悟ったのか、すかさずテオが絡みに行く。──が、無口な二人がすぐに言葉を返すことはなく、その場には若干の沈黙が流れた。
「……意図的に組み合わせを変えたのではありません。私の従者が、メレディス家の名代を連れ去ってしまっただけのこと」
このまま黙って誤解されるよりは、訂正した方がましだとでも思ったのだろうか。渋々といった様子で、アイオナが口を開いた。か細く、抑揚のない声だった。
「連れ去ったって……ニールの兄さんがか? サディアスは追いかけなくて良いのかよ」
これにはテオも困惑していたが、サディアスがこれといった反応を寄越すことはない。まるで初めから誰も話していないかのように、茫と中空を見上げている。
反抗的──と言うには些か気力に欠けるが、何はともあれメレディス主従の協調性は目に見えている。この様子では、アドラシオンの足下にも及ばないだろう。マイカが出るまでもなく、自滅する可能性が高い。
アイオナもまた、自分勝手な従者を制御できないでいるようだ。何とも思っていなさそうなのが逆に気になるが、そもそも主人たる器ではないのかもしれない。そう思うと、肌という肌を隠したこの少女が見た目に限らずちっぽけな存在に見えて、マイカはつい音を立てずに笑ってしまった。
ここまで連携の取れていない主従ばかりでは、アドラシオンの圧勝にちがいない。安堵する反面、マイカとしては少々拍子抜けである──できることなら、物語に語られる騎士の如く、華麗に麗しき女主人を守ってみせたかったのに。
「皆、お待たせ! 準備に時間がかかっちゃった。誰も来てくれなかったらどうしようかって思ってたけど──私の取り越し苦労だったみたい。本当に良かった!」
そうこうしているうちに、茶会の主催者がやって来る。
両手に盆を持ち、ぱたぱたと小走りで近付いてくるエリス。その表情はあまりにも呑気で、人が死んだ日とは思えない程のお気楽さだった。
本当にこの女は、かつて自分を出し抜いた人物なのだろうか。
せっせと配膳物を並べるエリスを、マイカは冷ややかな目で注視した。
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