2

□ニール


 何を思っての提案かは見当もつかないが、エリスは全員参加の茶会を開くつもりらしい。

 今朝は人が二人も死んでいたというのに、気楽なことだ。事を重大視していないのか、人死にに慣れてしまったのか──はたまた何も考えず行き当たりばったりなのかは知らないし、詮索しようという気もない。ただ、ニールとしては馬鹿みてえなことを言い出したもんだ、と思う。口にしたら、少しはあのお利口な顔つきも歪むだろうか。

 しかし寡黙な女主人は意外に乗り気らしく、エリスからの伝言を聞くや否やいそいそと支度をし始めた。同行は避けられなさそうで、ニールは人知れず肩を竦めるしかなかった。

 正直な話、エリスとはあまり関わりたくない。彼女の人柄をとやかく言うつもりはないが、エリスの周囲には何とも形容し難い死のにおいが漂っている。エレーレイス、ケント、レアード──加えてエリスの叔父であるエセルバート。少なくとも四人の人間が、エリスを中心として亡くなっている。いずれもエリスが殺害したと確定している訳ではないが、ニールからしてみれば多少の警戒はして当然の状況だった。──それから、


(あいつ、ちんちくりんだからなあ)


 日中でも薄暗い古城を進みつつ、ニールは脳裏に渦中の少女を思い浮かべる。

 整っているが化粧っ気のない顔。手入れしているのか疑わしい太めの眉毛。野暮ったい意匠のドレスに、めりはりのない平坦な体つき。

 田舎の町娘でももう少し垢抜けているだろうとニールは思う。素材が良いと思える箇所が所々あるだけに勿体ない。まあ、どれだけエリスが自分磨きに精を出したところでニールの好みではないので、手違いが起こることはないのだが。


「……気を散らしていますね?」


 かつん。よく響く足音がひとつ、その後に続くのは冷ややかな問い。

 足を止めると、隣を歩いていたはずのアイオナが立ち止まり、こちらを見上げている。相変わらず表情は見えないが、醸し出す空気から冷眼を向けられていることはわかる。

 たしかに考え事をしていたのは事実だ。だがそれを馬鹿正直に伝えれば、この小さな主人はたちどころに機嫌を損ねるだろう。無感動なように見えて、彼女は意外に感情的なのだ──他人にそれを悟らせないだけで。

 そういった理由で、ニールは全てを包み隠さず明かすのは悪手であると判断した。大仰に肩を竦め、悪いな、と反省の欠片もなく嘯く。


「いや何、死体を肴に茶会だなんて、イングランドの奴ってのは相も変わらずいかれてると思ってな。あのちんちくりんがもとからのなのか、血の臭いと敵意に耐えられなくなった末の考えか……どっちがか考えてただけだ。お嬢に不利益なもんは何もないから安心しな」

「……悪趣味。あなたも大概野蛮ですよ。あの女と変わりない」


 冷たく吐き捨て、アイオナは再び前を向く。小さな掌がニールの背中をやや強めに押した──早く行けということだろう。

 すげない態度の主人には興ざめだが、少なくともエリス主催の茶会を全面的に肯定している訳ではないという点においては少し安心した。自分の主人までもがエリスと同類だったのなら、気分が萎えるどころではない。

 エリスが集合場所に指定したのは古城の中庭だ。いわく、そこに机と椅子を並べて、野外で茶を飲もうとのこと。これで麗らかな日差しでも差していようものなら多少は気持ち良いものなのだろうが、アイルランドは今日も今日とて曇天が垂れ込めている。むしろ外でやるのは逆効果なのではと思わなくもない。

 何にせよ、自分はともかくアイオナに戦闘はほぼ不可能と言っても良い。舌戦によって目的達成の機会が訪れるのなら、好機と見て良いだろう。アイオナ本人の意向は知る由もないが、参加を表明したのなら多かれ少なかれやる気はあるということ。これまでの展開を好転させられるかもしれないと考えれば、そこそこの暇つぶしにはなりそうだ。


「……あ?」


 などと取り留めもなく思っていた矢先、ニールの視界に新たな人影が映り込んだ。やや身長差のある若い男が二人──ルイス・メレディスとその従者、サディアスである。進行方向を見るに、二人もエリスの茶会へと向かう最中なのだろう。

 メレディス主従とは、それなりの交流がある。特にルイスのことは個人的に気になっているので、軽く片手を挙げて挨拶した。

 案の定、ルイスが友好的な反応を示すことはない。横目でこちらを見遣ると、眉間に皺を寄せながら睥睨を寄越してきた。せっかく端正な顔立ちをしているのに、ニールの中にある彼の顔はしかめっ面ばかりだ。できることなら、もっと別の表情も見てみたいものだと思い──ふと、今までにはなかった違和感を気取る。


「……おい、メレディスの坊ちゃん。少し止まれ」

「は……?」


 ルイスが是非を口にする前に、ニールはその大きな手を相手の肩に乗せていた。顔をしかめながら、ルイスは半強制的に立ち止まる。

 すっかり見慣れたしかめっ面。だが、それは単なる不機嫌から来るものではない。むしろ何かに耐えているような──呼吸と同時に痛みを覚えているかのような、我慢の表情に見える。

 もしや、とその憶測に至った時点で、ニールはルイスの体を小脇に抱えていた。そのまま回れ右し、先程よりも淀みない足取りで歩みを進める。


「悪いお嬢、急用ができた。先にそいつと中庭に行ってろ、気が向いたら後で合流する」

「はあ⁉️」


 背後から名門の令嬢にあるまじき抗議の声が聞こえてきたが、ニールはあっさりとそれを無視する。早足で客間へと戻ると、ひとまずアイオナに宛がわれていた客間へと飛び込んだ。ルイスに聞けば、彼の使用している部屋もわかったろうが──できるだけ手間取らない方が良い。

 これまでの立ち振舞いを鑑みれば多少の抵抗はしてもおかしくなさそうなルイスだったが、この時は何故だか大人しくされるがままになっていた。その顔は白いを通り越して青く、体調不良は目に見えて明らかである。

 そんなルイスをアイオナの使っている寝台に横たえてやり、ニールは近場にあった椅子を持ってきて腰かけた。どかりとフェーリアを気にすることなく足を広げつつ、浅い呼吸を繰り返すルイスを見下ろす。


「どうだ、寝っ転がった方が楽だろ」

「…………」


 言葉はないが、ルイスがうなずいたところから見るに多少はましになったのだろう。話さないというよりは、話すことそのものが苦痛といった様子だ。


「そっちも大変そうだな。何をどうしたら肋骨を折る羽目になるのかは知らないが──まあ、あの従者だろ? 言われなくてもわかるぜ」


 ルイスは肯定も否定もしなかったが、そっと目を逸らした辺り図星なのだろう。脳裏に茫としたサディアスの顔が思い浮かび、ニールは無性にその顔を凸凹にしてやりたくなった。

 命令を聞かない点に関しては自分も他人のことを言えないが、主人に暴力を振るうとなると話は変わってくる。このまま放っておけば、いつかルイスの命に関わるのではないか──他者には入れ込まない主義だが、こればかりはニールも心配せずにはいられなかった。


「……私が、未熟だからだ……」


 とりあえず胸部を固定しようと窓帷カーテンを引き裂いていた矢先、ニールの耳元に掠れた声が届いた。

 ゆるりと視線を移せば、そこには首だけをどうにか起こそうとするルイスの姿がある。──が、力の入れ加減を間違えたのだろう。大きく顔を歪めてから、もとの体勢に戻った。


「私の指導が行き届いていないから……あいつは、暴力によって黙らせるのが最良の手段だと思っている……。意見があれば交渉せよと……その方がずっと平和的で、互いにとって利があるのだと……主人である私が、納得させなければ……」

「へえ、責任感は強いのな。けどよ坊ちゃん、お前はこれまでに何度もあいつにそう説いてるんだろ? で、その結果がこれだ。悪いが、効き目があるようには思えねえな」

「だから、それは……」

「自分が未熟だから、か? ま、自己反省できるってのは大方美徳だ。だが、お前の従者は端から主の話を聞く気がねえ。その上、お前みたいに自責することもねえ──多分、あいつは自分が間違っている可能性を考えることすら知らないんだろうな。だから、過ちは全て他者に集中する。良いか、メレディスの坊ちゃん。世の中には、言葉で常識を説いたところでどうにもならねえ奴だっているんだよ」


 ルイスの服を脱がせながら、ニールは鼻で笑う。彼を嘲っているのではない。主人を害し、それでいて何とも思わないような顔をしている従者が異常なのだと、ルイスにわからせたいだけだ。

 負傷のためか、ルイスは激しく抵抗することはなかった。しかし眼光だけは変わらず、たしかな反抗心をもってニールを見据える。


「それでも、私はあいつの主だ……責任を放り捨てて、あいつがおかしいのだと、頭ごなしに決め付けるのは……与えられた役割に、相応しくない……」

「そんなに主人って立場が大事か、メレディスの坊ちゃん? 言い訳のひとつでも覚えておいた方がやりやすいぜ。世の中ってのは、くそ真面目な奴程損するようにできてるからな」

「戯言を……」


 短く吐き捨て、ルイスは瞑目する。大人しくしていると、普段よりも随分柔らかい。それがつまらないと感じるのは、自分だけではないはずだ──いやそんな物好きそうそういるかと、ニールは自問自答する。

 ひとまず、ルイスの胸部は固定できた。あとは本人の回復力次第だが、はてさてどうなることやら。


「すまない……手間をかけさせた」


 何はともあれ、しおらしいルイスは滅多に見られたものではないだろう。良いものが見れたと内心で思いつつ、ニールは良いってことよ、と何でもない風に告げた。揶揄うよりも、このまま成り行きを見守っていた方が面白そうだ。


「何故……私を助ける? 放っておいた方が、利になるだろう……」


 そういうことは他勢力の前で言うものではないが、ルイスは良くも悪くも素直なのだろう。顔を少し動かして、消え入りそうな声で問いかけた。

 平生なら黙っておいた方が得だが、せっかくルイスが質問を投げ掛けてくれたのだ。ここで黙りは無粋だろうと思い、ニールは長い脚を組む。


「そりゃ成り行きだ。ま、坊ちゃんと敵対してないってこともあるがね。中途半端な怪我人をほっといてうーうー唸られるよりも、多少元気になってもらった方が都合が良いんだよ」

「我々は……お互いにカルヴァート家の遺産を目指している……敵対していない、とは笑わせるな。私を、侮っているのか」

「まさか。単なる善意だよ、善意。というか、今笑ったら辛いだろ。怪我人は安静にしやがれ」

「うるさい……」


 憎まれ口を叩く余裕が出てきたのか、ルイスの口調は弱々しいながらも刺を帯びている。やはり彼はこうでなくてはらしくない。

 だが、すぐもとの調子に戻られるのは拍子抜けだ。ニールはにやりと口角を上げると、寝台に向けて身を乗り出した。


「まあ色々並べ立てたが、実のところを言うと個人的に坊ちゃんのことを気に入ってるってこともあるな。お前は見てて面白いし、正直で歯に衣着せぬところも割と好きだ。あと、顔も結構好みだぜ」

「気色悪いことを言うな……お前の主の寝台で吐かれたいのか」

「ご自由にしやがれ。それに、坊ちゃんは俺のこと蛮族だと思ってねえだろ。態度を見りゃわかる」

「そんなことは……」

「また自分が不利になるような言い訳だな。いくら高飛車に振る舞ったって、性根は案外わかるものだぜ?」


 顔を近付けたのがわかったのだろうか。閉められていたルイスの瞼が、ゆっくりと開く。

 それが好機とばかりに、ニールは目をすがめながら囁いた。


「メレディスの坊ちゃん──お前、イングランドの出じゃないだろう?」

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