7

□マイカ


 床に崩れ落ちたケントの死体を確認し、マイカは剣を振って血を落とす。柔らかく埃っぽい絨毯に、赤黒いしみがぽつぽつと飛んだ。

 レアード・テューフォンは死んだ。一応脈を確かめはしたが、予想通りの結果だった。ここから彼が再び起き上がる手段はないだろう。

 ケントに関しても言わずもがなである。何せ彼は自分が殺した。仕損じることなどありはしない。──エリスの時が、稀な例外だっただけだ。

 衣服に返り血は飛んでいない──が、手は少し汚れてしまった。懐から手巾ハンカチを取り出し、そそくさと手を拭う。

 レアード、そしてケント。今晩だけで二人が死んだ。きっと明日は大騒ぎだ──あるいは、誰もが落ち着き払って葬式のような空気になるか。

 いずれにせよ、マイカのやるべきことは変わらない。主のために他の参加者を蹴落とし、カルヴァート家の遺産を手に入れる。報酬分の仕事は果たさねばなるまい。

 レアードには見向きもせず、マイカは部屋を出る。すっかりと夜の更けた古城内部は、夜目を利かせなければまともに歩みを進めることもできない。これで軽やかに動き回っていたエリスは、やはり普通ではない。


(まさかあの女──僕と同業者じゃないだろうね)


 足音を消しながら、マイカは脳裏によぎる金色の髪、そして翠玉に似た瞳に眉をひそめる。

 カルヴァート家の遺産を得る上で、最も障害となるのはエリスだろう。彼女が持つ鍵をどうにか入手しなくては、何も始まらない。だが腕利きの殺し屋であるマイカですら圧倒するあの戦闘力が健在では、目的達成の妨げとなることは確実だ。邪魔者を排除するにあたり、エリスを最優先とする──これは主との間でもあらかじめ決めていた。

 とある部屋の前で立ち止まり、前もって預けられていた鍵を使って扉を開ける。燭台によって芒と照らされる室内に、マイカは敢えて足音を立てながら入った。


「こんばんは。きたよ」

「──そう。相変わらずの手際の良さね」


 麗らかに声をかければ、椅子に腰かけていた少女──アドラシオン・メサ・テジェリアは口につけていた銀器を側の机に置いて微笑んだ。それを目にするだけで、マイカの胸中はすっきりと晴れる。


「レアード・テューフォンとヘーゼルダインの従者は死んだ。どうしてかはわからないけど、例の従者はレアード・テューフォンに目を付けていたみたい。おかげで手間が省けたよ」

「あら、随分と素っ気ないのね。仮にも一時の主であったのに」

「僕の主はあなただけだよ、アドラシオン。あなたの頼みだったから、僕はあいつの懐に潜り込んでいたんだ。レアード・テューフォンのことを主と思ったことは一度もないよ」


 アドラシオンの座する椅子の前まで歩を進め、マイカはうやうやしく膝をつく。騎士としての礼、それを示す仕草を真似ているのだ。

 先の発言に偽りはない。マイカの真なる主は目の前の麗しき少女──アドラシオンに他ならない。

 単純な話だ。アドラシオン──正確にはテジェリア家──の方が、レアードよりも一足早くマイカへ依頼を済ませただけに過ぎない。その相手がマイカにとって好ましい人物ということも多少は加味されるが、何にせよ早い者勝ちという訳である。そのアドラシオンがテューフォン家の代表たるレアードの動向を探るよう命じたため、マイカはテューフォン家の依頼に乗った──ように見せかけ、彼の従者を演じていた。

 レアードの死により、マイカはようやく本来の主のもとへと戻ってきた。裏で繋がっていたことは秘匿しなければならないが、マイカとしては自分に相応しい主の下にいられるので万々歳だ。幼稚で高慢なレアードなど、アドラシオンの風上にも置けない。


「そういえば、あなたのところの従者はどうしたの? 姿が見えないようだけれど」


 アドラシオンの隣へと立ち、マイカは問いかける。彼女の従者──テオのことが気にかかっている訳ではない。彼よりも自分の方が重用されているということを再確認したいだけだ。

 案の定、アドラシオンは些末なことを思い出したようにああ、と呟く。そうして、軽く眉間を揉んでから応じた。


「あれなら、見回りに行かせているわ。あなたと鉢合わせしたら都合が悪いでしょう?」

「僕は全然構わないけどね。何、あの従者って嫉妬深い人なの?」

「そういうのじゃないわ。ただ、あれはエリスと近しいから、なるべく刺激したくないのよ。こちらの情報を流されでもしたら、堪ったものじゃない。あなたには悪いけれど、しばらく私と繋がっていることは内密にしてくれるかしら。お互いのために、ね」

「わかってる。他ならぬあなたの命令だ。僕はそれに従うだけだよ」


 従順に答えると、アドラシオンは安心したのか薄く微笑む。彼女の笑む姿は、マイカの心を上擦らせる。

 聡明で理知的な、マドリードの才媛。この仕事をしていなければ関わることはなかったであろう、理想の少女。

 アドラシオンのためなら、誰だって消そう。何としてでも彼女の願いを叶え、物語に伝えられるような忠臣──騎士になることはできないけれど、似たようなもの──に、なるのだ。


「ヘーゼルダインとテューフォンが脱落し、所々に綻びが見え始めた。私たちが動くには、絶好の機会ね」


 銀器に注がれた薬湯を一口啜ってから、アドラシオンは立ち上がる。小柄で華奢な彼女は、同じく体格に恵まれているとは言えないマイカから見ても儚く、そして可憐に見える。

 だが、マイカは知っている。アドラシオンは決してか弱い悲劇の乙女ではない。彼女の内に秘められた苛烈さと冷徹さ──炎と氷、いずれにも当てはまる凄烈さは、他の誰にも追随を許さない。


「必ず、カルヴァートの至宝を手に入れる。私の大願成就のため、これからも力を貸してくれる? マイカ」

「勿論。いつだってあなたの御心のままに」


 美しき主と、腕利きの従者。至宝を手に入れるのは、自分たちこそが相応しい。

 アドラシオンに寄り添い、マイカは口角を上げる。この夜こそ、勝利への布石となるのだと信じて。

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