5

 暗闇と静寂に支配された地下牢。そこに一人閉じ込められた刺客は、うつらうつらと舟を漕いでいた。身動きがとれず、何もすることがないと言っては否が応にも眠気がやって来る。


「──よう、起きてるか?」


 かくりと首が傾いた矢先、格子の向こう側から声がかかる。

 腐っても彼は刺客だ。びくりと体を揺らして顔を上げる。突如耳に入った声には覚えがあった。

 お前は、と叫ぼうとして、刺客はその行為が無意味だと気付く。舌を噛んで自害せぬようにと、あらかじめ布を噛まされているのだ。


「あはは、安心しろよ。俺はお前を殺しに来た訳じゃない。どんな顔をしているか、覗きに来ただけだ」


 格子を挟み、来訪者はからからと笑う。屈託のないように見えて、底知れぬ笑み。刺客は二の腕が寒くなるのを感じた。

 この来訪者──案内人は、何に味方しているのかさっぱりわからない。ただ気まぐれに刺客の前に現れては、追い詰められつつある自分を嘲笑っているように見える。


「そんなに怯えて、俺の何が怖いんだ? この前だって、ちょっと問い詰められただけでぶるぶる震えてさあ。ただの人間相手に、何を恐れることがある? ただでさえ、お前は他よりも強い刺客だってのに」


 ああでもハイランドのデカブツには負けてたな、と案内人は顎を上げる。形の良い顔の輪郭線は、生来の白さもあって薄ぼんやりと浮かび上がって見える。

 ただの人間。そんなの嘘だと刺客は思う。

 初めて出会った時から、この案内人には異様な雰囲気を感じていた。精巧な表皮の裏側に凝る、隠しようのない狂気。人死にがあろうと、それが失敗して己が身に危険が及ぼうと、この会合が犠牲なしに終わらなかろうと──案内人が膝を屈することはないのだろう。きっと今のように薄笑いを浮かべながら、さてどうしてやろうかと舌舐めずりしているにちがいない。

 化物だ。こいつは、人間という器に収まってしまった、どうしようもない怪物だ。


「ああ、そうそう」


 するりと髪の毛を耳にかけながら、人に生まれ落ちた怪物は何てことのないように続ける。それは楽しげに、ひたすら愉快そうな声色で。


「当初の標的──エリスとやらだが、あいつ、お前の入ってる牢の鍵を失くしたみたいだぞ」

「……⁉️」

「あは、良い反応じゃねえか。何、実際に聞いた訳じゃない。あいつが必死こいて探し物してるから、なあ? 首から下げてる遺産の鍵は失くすはずがないし、それ以外に大事なものっていったら大体見当がつく。つまりは俺の勝手な憶測だ」


 半笑いの案内人を前に、刺客の震えは止まらない。どうにかして体を落ち着かせたいのに、身動きがとれないこともあって一向に収まる気配はなかった。

 エリスが地下牢の鍵を失くした。それが何を意味するか、わからない程刺客も愚鈍ではない。

 もし、どこかに落とされた鍵をエリス以外が拾ったら。恐らく、彼女に返却する者はいないだろう。ここは誰もが一攫千金を狙い、他者を蹴落とすことに躊躇いがない世界だ。舞い込んでくるかもしれない利をわざわざ手放す理由など、あるはずがない。

 このままでは殺される。刺客は戦慄し、目蓋の端をたわませる。


「そんなに怖がるなよ、笑いを堪えるのって結構きついんだからさ。俺の心配は無駄になるかもしれないし、ならないかもしれない。どう転ぶかはお前の運次第ってだけだ」


 だからそう怯えるなよ、と案内人は格子に顔を近づける。にいとつり上がった口角が三日月のようだった。


「しかし、おかしなこともあるものだな。お前は散々人を殺してきたのに、自分の死となったらそんなにも恐れてさ。今まで下してきたものだろう? 慣れ親しんだそれを何故怖がるのか、俺には理解できねえや」


 くつくつと笑ってから、案内人はその場を離れる。遠ざかっていく足音は、刺客の心に安らぎを与えてはくれない。むしろ死の宣告に等しかった。

 次に来る者が自らの命運を分ける。故に刺客は怖くて仕方がない。

 刺客は呼吸のしかたも忘れて、惨めに転がりながら怯え続けた。もうじき死が訪れるのだと思うと、何を考えて良いかすらわからない。

 案内人は、自分が何故死を怖がっているのか理解できないと口にしていた。単なる煽りの可能性も捨てきれないが、あの怪物ならば真に理解していなくてもおかしくはないだろう。それだけ、あの案内人は。人の常識を軽々と踏み越えて、平然と外法げほうでこちらをなぶる。あれはそういう生き物だ。

 怖い。嫌だ。死にたくない。本能的な恐怖が、刺客の胸中を埋め尽くす。

 刺客は先に逝った二人のことを思った。こちらの目的が知られることを恐れ、自ら死を選んだ二人。彼らは刺客よりも経験豊富であり、それゆえに事の露呈を許せなかったのだろう。彼らが死ぬ音は、刺客もしっかりと耳にしていた。

 自ら命を絶つのと、これからやって来る他者に殺害されるのでは、どちらが良いのだろうか。頭を打ち付けて死ぬ苦しみは、天の国を失う恐ろしさは、果たして他者に命を奪われることよりもましなのか──刺客にはわからない。

 気付けば刺客は祈っていた。どこにいるかもわからない、姿など人の作った仮初めのものしか知らない、唯一の神に向かって。

 どうか生き延びたい。苦しい思いをしたくない。この夜を、無事に終わらせてくれ。

 ぎゅうと瞑っていた目を、ゆっくりと開く。今までの出来事が全て幻で、ずっと悪い夢を見ていたのなら、どれほど良いだろう。

 布を噛まされている刺客は、あ、と声を上げることもできない。ただ沈黙をもって、眼前の光景を直視することとなる。


 刺客の真上では、がらんどうの黒い瞳が、瞬きもせずにこちらを見下ろしていた。

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