Ⅲ Let's knock the dominoes down , it's perfect for throwing away a lot of garbage at once.

1

□ルイス・メレディス


 今日も今日とて働かない従者に辟易としながら、致し方なく朝食の準備に取りかかろう──としたところで、ルイスは瞠目した。瞼の裏に凝り固まっている眠気や鈍い頭痛も一瞬にして吹き飛ぶ心地だった。


「ルイスさん、サディアスさん、おはよう!」


 朗らかな挨拶。そして異臭を放つ黒焦げの物体。

 ルイスは息を吸い込んだ。本音を言えば呼吸したくなかったが、深呼吸でもしなければやっていられなかった。

 ちらりと従者の方を見てみたが、サディアスは完全に天を仰いで見ないふりを貫いている。無感情に見える彼でさえも、眼前の光景には言葉を失う他ないのだと思うと、一周回って愉快な気持ちになった。

 何はともあれ、思考を放棄している場合ではない。気を取り直すためにひとつ咳払いをしてから、ルイスは平静を装いつつ尋ねた。


「朝から元気で結構なことだ、エリス・カルヴァート。ところでその手に持っている物質は何だ?」

「何って、朝ご飯だよ? さっき作ったんだ」


 屈託のない声色を維持したまま、エリスはあっけらかんと答える。一切の疑いなく、自分が正しいのだと確信しながら。

 彼女の返答は辻褄が合っている。ここは調理場、自らの朝食を作ることは何もおかしい行動ではない。毒殺の可能性がある身ならば尚更だ。

 なのに、ルイスの思考は相手が持つ黒焦げの何かを食べ物と認識したくなかった。ルイスとて常に最上級のものを食べている訳ではないが、この有様は最早食材に対する侮辱だろう。何がどうしてここまで食材を炭化させてしまったのか、そして明らかに失敗作であろう物質を生み出しておきながら普通に皿へと盛り付け、あたかも問題なく完成したかのように振る舞っているのか──知りたいような知りたくないような、複雑な気持ちに襲われる。


「私、蒸した野菜が大好きなんだ。濃いめの味付けは得意じゃないから、私好みの薄味だけど……良かったら二人もどう?」


 す、と皿を差し出すエリスは、十割善意で勧めているのだろう。見ずともわかる、きらきらとした雰囲気が心苦しい。

 頼りにならないとわかってはいるが、ルイスは傍らの従者を顧みる。あからさまに目を逸らされた。本当にサディアスはどうしようもない。


「──他人の手作りなんて警戒して当然だろ。お人好しを気取るのも大概にしやがれ」


 食べて味覚を犠牲にするか、断ってエリスを悲しませるか。究極の選択を迫られていたルイスの背後からにゅっと伸びてきた腕が、彼の葛藤を粉砕した。

 あっ、とエリスが声を上げた時点で、彼女特製の蒸し野菜は口へ運ばれている。数度咀嚼した後、彼の喉が上下する。


「うん、まずいな。失敗作か?」

「ひっどい! ニールさん、さすがに直球が過ぎるよ!」


 ちゃんと成功させたつもりだよっ、とエリスが抗議するも、彼女の力作を摘まんだニールは素知らぬ顔だ。ただ、まずいと言いながらしっかりと嚥下した辺り、まだ食べられるまずさと見て良いのだろうか。

 いや、エリスの料理については一度置いておこう。ルイスとしては、他に指摘したいことがある。


「……顔を出すなとは言わないが……何故上を着ていないんだ、お前は」


 朝からどっと押し寄せてきた疲労感に、思わずルイスは眉間を揉む。

 前述の指摘通り、ニールは上半身に何も纏っていなかった。片手で肩に引っかけている襯衣シャツをもともと身に付けていたのだろう。今にも湯気が出そうな程蒸気した肌と、太い首筋から分厚い筋肉に覆われた胴体を伝って流れ落ちる汗を見るに、暑くて脱いだのは明白だった。上半身をくまなく覆う刺青も、隆起した筋肉に沿って膨張しているように見える。

 ん、とニールは不躾にこちらを見下ろす。やたら上背の高いこの男を前にすると、否が応にも見下ろされるのが気に食わない。


「朝に体を動かして鍛練するのが日課なんだよ。いくら日が出てないと言っても、動けばそれなりに暑い。下は穿いといてやるから気にすんな」

「気にするなって、お前な……。ここには若い女もいるのだぞ。少しは慎みを持て」

「別に私はどうとも思わないかなー」


 手料理をまずいと評価されたのが不満だったのか、そっぽを向きながらエリスがやんわりと否定する。ニールを非難するのではなく、何故か自分の意見が突っぱねられたことにルイスは疑問を禁じ得ない。


「なんだ、気にしてるのはお前だけか。可愛い奴だな、よしよし」

「おい、何を勝手に触っている? 無礼だろうが」

「遠慮するな、どうどう」

「本当に怒るぞ……!」


 大きな掌で上から押さえ付けられ、髪の毛を乱される。それだけでもルイスは耐え難いというに、畜生のように扱われたのでは堪ったものではない。

 ええい離せと手足をじたばたさせれば、ニールはわざとらしく肩を竦めながら解放してくれた。主導権をあちらに委ねているような感覚に、ルイスは一層腹立たしい気分になる。ついでに、主君の危機をぼうっと眺めているサディアスへの不満も膨れ上がるが、ここにはエリスもいるということでどうにか抑えた。


「そう怒るなよ。少なくともそこのちんちくりんよりは可愛げがあるぜ、メレディスの坊ちゃん」

「嬉しくも何ともない。口を慎めこの無神経のっぽ」

「そうだよニールさん。一人前の淑女をちんちくりん呼ばわりなんて、一生結婚できないよ」


 ルイス、そして流れでちんちくりん扱いされたエリスによる抗議を前にしても、ニールの態度は変わらない。今にも口笛を吹きそうな態度で受け流し、言ってろ、とうそぶく。


「とにかく、その下手物ゲテモノはお前一人で食うんだな。何がどうなったら食材をこれだけ台無しにできるんだ? いっそ尊敬するぜ」

「台無しだなんて、失礼にも程があるよ。こういうのはちゃんと火を通さないと痛い目を見るんだから」

「だからってこれはないだろ。炭でも作ってんのか、お前は」

「そんなことないもん。ね、皆も火加減は強めの方が良いよね?」


 あどけなく頬を膨らませたエリスは、ぐるりと一同を見回し──唐突に、あ、と声を上げる。


「……なんだよ、じろじろ見やがって」


 エリスにつられて視線を向けた先には、不機嫌そうにこちらを白眼視する少年がいる。ルイスにとって見覚えのある人物に他ならない──が、どうしても驚きを隠さずにはいられなかった。

 それは初めに彼を捕捉したエリスも同様だろう。彼女にしては珍しく、歯切れの悪い声色で話しかける。


「えっと……ケント君、だよね」

「他に誰がいんだよ。数日で俺の顔を忘れたか」

「そういうんじゃないけど……」


 よく知る態度で調理場に現れたのは、エレーレイスの従者ことケントだった。

 だが、昨日までの彼は違った。主人の死に憔悴し、何もかも自暴自棄といった振る舞いで、同じ穏健派のルイスたちにも敵意を隠さない。そんな、目を離せばすぐにでも消えてしまいそうだったケントが、一晩経てばエレーレイスが健在であった頃の彼とまではいかないが一気に落ち着いている。ニールやサディアスは特にこれといった反応を示さなかったが、ルイスは困惑せずにはいられなかった。


「とりあえず、朝ご飯を食べに来たんだよね? せっかくだし、いっしょに食べようよ。蒸し野菜は色々言われちゃったけど、実はスープも作ってるんだよ。良かったら食べない?」


 どのような経緯があったにせよ、ケントが回復しつつあることを喜ばしく思っているのだろう。すぐに声色を華やがせたエリスが近付き、鍋の方へと誘う。

 何がケントを心変わりさせたのか。果たしてケントは、本当に立ち直ったのか。

 不安は拭えないが、疑ってかかるばかりなのもいただけない。ルイスはふるふると首を振って雑念を追い払う。昨日はともかく、初めのうちのケントは冷静で分別があった。上手くいけば、また協力関係を築けるかもしれない。


「……あんたさ、魔女って呼ばれたことねえの? なんで食材を煮詰めただけで吐瀉物ゲロみたいになるんだよ」

「ほら、やっぱりお前がおかしいんじゃねえか。今後調理場に入らない方が良いぜ」


 ……蒸し野菜に続き、エリスの料理は惨憺さんたんたる有り様のようだ。前方から今までに聞いたことのない酷評が聞こえてくる。

 今回ばかりは、サディアスを見習っても良いかもしれない。いつの間にか出入口付近まで移動していた従者に呆れつつ、ルイスは一人嘆息した。

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