5

□ニール


 古城と礼拝堂は渡り廊下で繋がっている。古城の大きさに霞みがちだが、こちらもなかなかの大きさを有しているため、注意深く観察していた者ならこの地に到着した時点で存在を認知していてもおかしくはない。

 残念ながら、ニールは到着時点で礼拝堂の存在を認識した訳ではない。アイオナから、この古城の内部構造を把握しておくように、との指示を受け、色々と歩き回ったことで辿り着いた。人並みの──これはあくまでニール自身の基準である──方向感覚と体力を持っていて良かった。でなければ、今頃は筋肉痛で参っていたことだろう。


「よし、着いたな。お前は礼拝堂へ、と言っていたが……こっちの方が適してる」


 歩みを止め、肩に担いでいた死体を下ろす。光の入らない空間である故か、どことなく肌寒い。


「……地下聖堂か。たしかに遺体の安置ならばうってつけだ。悪くない選択だが……よく見付けられたな」


 きょろきょろと辺りを見回しながら言うのはルイス。礼拝堂自体を知らなかったのだから、その真下にある地下聖堂も然り、といったところか。

 成り行きで付いてきたのであろうサディアスは相変わらずの無表情だ。しかしその全身からは今すぐにでも帰りたいとでも言いたげで、忠誠心の欠片も感じられない。ニールとしては気に食わないが、相手にが起こらないのなら下手に突っかかるべきではない。ニールは無駄と浪費が嫌いなのだ。

 何はともあれ、本題はエレーレイス──そして、その亡骸に執着するケントである。特に主人を喪ったケントは心神喪失状態と言っても過言ではなく、今でこそ落ち着いてはいるものの冷静な判断ができるとは思えなかった。

 何はともあれ、当初の目的は達成された。ニールは表情を変えず、エレーレイスの遺体から視線を外さないケントへと向き直る。


「やるべきことはやった。そろそろお暇する……が、坊や。お前、これからどうするつもりだ」


 他人の事情に口出しするのは野暮と、頭で理解はしている。だが、今のケントをこのまま放置して何事もなかったように戻るのは何となく気持ち悪い。アイオナからは他の参加者に関する命令を受けていないので、このくらいのお節介は許容範囲だろう。

 案の定、ケントは何も言わずにこちらを一睨みし、再び遺体を前にうつむいた。こちらの言葉を聞き入れるつもりはないらしい。

 こうなったら埒が明かないことは目に見えている。膝をつき、主の遺体から離れないケントの旋毛つむじを見下ろしながら、ニールは平坦な口調で告げる。


「まあ良い、それがお前の選択なら止めはしねえよ。せいぜい他人様に迷惑をかけず、上手くやるんだな」


 そのまま踵を返して地下聖堂を後にする。もう訪れる機会はない──と信じたいが、未来を予測できる程の慧眼は生憎持ち合わせていない。せめて遺体に布くらいはかけていて欲しいものだ、と思う。

 大股でずんずん進んでいたニールだったが、背後に足音を感じて立ち止まる。礼拝堂に上がったところで振り返れば、息を切らして追いかけてくるルイスの姿があった。


「どうした、そんなに慌てて。もしかして俺に用事でもあったのか?」


 純粋な疑問から問いかけてみれば、ルイスはとまなじりをつり上げた。ニールの何がそうさせたのかはわからないが、どうやら気に障ることを口にしてしまったらしい。


「呑気な口を利いている場合ではないだろう! あの狂犬を放っておいて、一体どう責任をとるつもりだ? あの様子では、何を仕出かすかわからないのに!」

「狂犬……ああ、あの坊やのことか」


 肩を怒らせるルイスを見下ろしつつ、ニールは先程置いてきた少年の顔を思い出す。たしかに、エレーレイスから何が何でも離れまいとする様子は犬のそれに近い。しかし、あれは狂っているというよりも、落ち込み、打ちひしがれていると形容すべきではなかろうか。

 何にせよ、ルイスの懸念はケントにあると解釈して良さそうだ。わざわざみっともなく息を切らす程に駆け寄ってまでこちらを問い詰めているところからして、打算や駆け引きのための行動ではないのだろう。これまでの言動から、ルイスが嘘偽りに関して致命的であろうことを加味しての憶測ではあるのだが。

 ニールは細く息を吐き出してから肩を竦める。ここでやっとサディアスがのっそりと合流したが、気にせず口を開く。


「そう心配することはないだろうよ。何を仕出かすかわからんのは事実だが、恐らくあいつは他者を頼らない。事を起こすにしても単独以外でやるとは思えんがな」

「どこに安心する要素があるんだ、馬鹿者! あいつはきっと報復するつもりだ。エレーレイス・ヘーゼルダインを殺めるよう命令した者にな! もしあいつの推理が外れていたら……いや、この場にいる全ての者を標的にしていたらどうする? 我々はとんだ巻き添えを食らうことになる! お前は腕っ節に自信があるようだから、余裕ぶっているのだろうが……まともな思考のできない人間の行動程、予測不可能なものはない! 強引にでも郷里に追いやるべきだ!」


 一気に吐き出したからか、ルイスはそこまで言い切ると苦しげに荒い呼吸を繰り返した。普段はあまり声を荒らげないのだろう。

 なるほど、とニールは顎をさする。知らず、口角が持ち上がった。


「つまり、何だ? お前は俺たちの身を案じてくれてるってことかよ」

「…………え?」


 導き出された推論をそのまま口にすると、ルイスは虚を衝かれたように目を丸くする。元々の目が大きいので、一気に幼い表情になった。

 相手が未だ言葉を発せられないのを良いことに、ニールはさらに口角をつり上げながら畳み掛ける。


「だってそうだろ? 俺たちは互いにカルヴァート家の遺産を狙ってる。その競合相手が運良く潰れるかもしれないってのに、お前はその危険人物を遠ざけようとしてるじゃねえか。他人のためにここまで必死になれるなんて、大したもんだと思うぜ?」

「ちがっ……私はただ、己の身の安全を守るためにだな……!」

「そういうところだよ、メレディスの坊ちゃん。普通は逆だろ? 慌てて保身の意思を伝える奴がいるかよ」


 指摘されて、ルイスはようやく自身の発言で墓穴を掘ったことに気付いたのだろう。わなわなと震えながら、真っ赤な顔でこちらを睨み付けてきた。童顔と上目遣いのせいで、いまいち威圧感には欠ける顔付きである。

 ルイスからしてみれば屈辱的だろうが、ニール個人の好みを言うと良くも悪くも素直な人間は嫌いではない。腹の探り合いが主となるこの会合には不向きとしか言い様がないが、こういう裏表のない人間が一人いるだけで場が和む。和んでいるのはニールだけだろうが、それはそれ。何事にも癒やしは必要なのだ。


「そんなに気にするなよ、俺はお前の振る舞いを好ましく思ってる。ま、他の連中の前でぼろを出さなきゃ大丈夫だろうさ」


 いつまでもルイスを羞恥心の只中に置くのも可哀想なので、慰めも込めて軽く肩を叩いた。……のだが、相手はお気に召さなかったらしく、すぐに振り払われた。悲しいことだ。

 しかし、本人が二の次にしているにせよ、万が一ケントがルイスに対して狙いを定めたのなら厄介である。ルイスの華奢な体格は明らかに武術を体得した者のそれではないし、従者のサディアスはそもそも主人を守る気がない。今だって、ルイスには見向きもせずつまらなそうに手遊びをしている。彼が何のために付けられたのか、部外者ながら首をかしげたくなる。


「そんなに心配なら、俺が側に付いてそっちを護衛するってのもやぶさかじゃねえが」


 駄目元で提案してみるが、直ぐ様断る、と却下された。アイオナの従者という立場がなければ、この危なっかしい少年の護衛など軽く受け持てたのだが──立場とは時に壁となるものだ。残念だが、相手の信用を得られていないのなら仕方がない。


「どうせ私を陥れ、カルヴァート家の遺産を掠め取るつもりなのだろう? 侮るのも大概にするのだな」


 しかし、こうも疑われているとさすがに悲しくなってくる。横目で睥睨するルイスを真っ向から見下ろしつつ、ニールは片眉を跳ね上げた。


「別にお前をどうこうしようって魂胆はねえよ。単純に案じてる……と言っても、すぐには信じられないか」

「すぐも何も、こちらは初めからお前を信じてはいないのだ。付け狙うならば他の家にすると良い」

「付け狙うとは、大層な言い方だな。俺は何者にも迎合しない。以後信用してくれるなら、これ程嬉しいことはないんだがな」

「ふん、言っていろ。──行くぞ、サディアス。これ以上こいつと付き合っている時間はない」


 冷ややかに言い放ち、ルイスは早足でその場を後にする。ややあってから、サディアスが億劫そうにその後へと続き、主従揃って一度もこちらを振り返ることなく礼拝堂を去っていった。

 やれやれ、とニールは肩を落とす。一度地下聖堂の出入口を見遣るが、ケントが出てくる気配は一向にない。


「難しいな、他者の信用を勝ち取るってのは」


 誰にでもなくごちてから、ニールは古城へと戻る。ステンドグラスの反射光が、彼の頬を場違いに照らした。

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