4

□サディアス


 サディアスと呼ばれ、従者の役割を担う青年は騒音を好まない。静けさが好き、というよりは、うるさい状況が煩わしいだけだ。

 だから、主人を名乗る少年──ルイスにはうんざりする。口を開けば礼儀作法だの従者としての務めだのとうるさ過ぎる。頼んでもいないのに上流階級の遣う英語とやらを身に付けろと強要してくるし、定期的に説教をしなければ気が済まないのだと言わんばかりにぎゃあぎゃあ騒ぐ。サディアスとしてはこれ以上付き合っていたくないのだが、これも大事な役目なのだと言いつけられている以上勝手に帰ることは許されない。──帰ると言っても、そうした居場所はないのだけれど。

 何にせよ、ルイスが騒がしいことは事実だ。地下牢を出た途端、彼は自室に戻るでもなく、ばたばたと急ぎ足で何かを探し歩いている。本音を言えば早いところ自室に戻って突っ立っていたかったサディアスではあるが、行動に移そうとしたらルイスから叱責された。お前は頭がおかしいのか、何を考えたら主を放って部屋に戻れるのだ──などと、云々。とにかく付いていかなければルイスは喚くのをやめてくれなさそうだったので、仕方なく──本当に仕方なく、彼の後に続いている。

 ルイスがまず初めに向かったのは、エレーレイスの遺体を置いていた客室だった。しかしそこにはどす黒い血痕の残った寝台があるだけで、人間の気配は皆無。何か忘れ物でもしたのかと思ったが、ルイスは室内の様子を確認すると不機嫌そうな顔をしてさっさと立ち去ってしまった。そこで、サディアスは主人が人を探しているのだと憶測した。


「くそ、どこに行った……?」


 ルイスが何に対して焦燥感を募らせているのか、サディアスにはわからない。わかろうとする気も起きない。サディアスは主人に──いや、他者に対して興味関心を持っていないのだ。

 それゆえに、サディアスは主人の意図を掴めないままその後をついて回っている。疑問を覚えることはなく、ひたすら辟易としながら。

 サディアスはある程度の体力を有しているが、ルイスはそうでもないらしい。階段の上り下りや、長時間歩き回っていることが起因してか、彼は肩で息をしたり、時折立ち止まったりして、目に見えて疲労感を滲ませていた。華奢な体格から予想できていたことではあるが、改めて確認するとその貧弱さに呆れてしまう。

 そうして、何度目になるかわからない小休憩を挟んだ直後のことだった。死角となる曲がり角から人影が現れ、こちらに向かってよたよたと歩を進めてきたのは。


「あれは──」


 うつむきがちに歩いていたルイスも、人影の存在を視認したのだろう。途端にしゃんと背筋を伸ばし、ひとつ咳払いをしてから駆け出した。


「おい、お前、エレーレイス・ヘーゼルダインの従者だろう。一体、どこをほっつき歩いて──」


 なるほどルイスが探し回っていたのはケント──生憎サディアスに他人の名前を覚える気は更々ないので、顔を覚えているだけに留まっているが──だったか。今更ながら納得し、サディアスは主の背中を眺める。度々注意されていることではあるが、彼には主人の側に常に控えているという考えがない。だから今も、こうしてルイスの用事が終わるまで待っている。

 だが、そのルイスの様子がおかしい。早口で紡いでいた言葉が、ぷつりと途切れる。

 何かあったのだろうか。ここでようやく、サディアスは先行した主人を注視した。


「お、お前……それは、」


 最初に飛び込んできたのは、声を上擦らせながら震えるルイスの姿。他人事のよう──というか他人事だが、傍から見ていると何とも情けない。

 そんなルイスの前にいるのは、ケント──のはずだが、その立ち姿にサディアスは違和感を覚える。その場に立っているのはケント一人なのだが、その背中にはもう一人分の身体が覆い被さっていた。

 ケントはエレーレイスの遺体を背負ったまま、そこに佇んでいたのだ。


「な……何をしている? 私の質問に答えろ」


 明らかに関わってはいけない雰囲気を醸し出している相手に、何故かルイスは諦めず話しかけた。顔は青く、声は今にもひっくり返りそうなのに、だ。

 ケントは客室で目にした時と同様に、心ここにあらずといった様子だった。暗く澱んだ瞳はルイスの姿を捉えてはいないようで、そのままよろよろと彼の横を通り過ぎようとする。しかし自身よりも上背の高いエレーレイスを背負っているからか、その足取りは不安定でおぼつかない。今にも前のめりに倒れてしまいそうな歩き方だ。


「おい、無視するな! 質問に答えろと言っているんだ……!」


 無視されたのが堪えたのか、ルイスが並走しながら声を荒らげる。いつも自分に無視されているのに、まだ慣れないのかとサディアスはぼんやり思う。早いところ場の空気を察して口をつぐめるようになって欲しいものだ。

 ただ追いかけるだけでは無駄だと悟ったのか、ルイスは勢いよくケントへと手を伸ばす。ちょうど、先程エリスがしたのと同じように。


「──触るなよ」


 だが、ルイスの手は空を切る。

 地の底から響いたのかと思わせる程に低い、拒絶の声。一瞬、それが誰のものなのかサディアスは理解できなかった──それほどまでに、これまで聞いた彼の声とかけ離れた冷たい響きを持っていたのだ。

 いつの間にか、ケントは立ち止まっている。首だけを動かし、光のない目でルイスを睨み付ける。


「汚い手で、主に触れるんじゃねえ」


 吐き捨てるように言い放ち、ケントは再び歩き出す。しかし、その歩みはやはりどこか危うげで、ゆらゆらと不安定に揺れていた。

 サディアスは立ち尽くす主人を横目で見遣る。あの少年には何を言っても、働きかけても徒労だ。これ以上意味のない行動で時間を無駄にするべきではない。もとより、意思疎通を試みること自体が間違いだった。


「──聞き捨てならんぞ、この馬鹿」


 だが、ルイスは諦めなかった。

 眉間に深い皺を刻んだ主人を、サディアスは白眼視する。何故こうも無意味なやり取りに固執するのか、彼にはとんとわからない。

 案の定と言うべきか、ルイスは再びケントへと近付いた。顔を真っ赤にしながらも、どうにか溢れ出そうな感情を押し殺すように声を落とす。


「主君の急死で混乱するのはわからないでもないがな、自棄やけになって良い理由にはならない。他人の声も聞かず、必要最低限の協調もせず、これ見よがしに自分は不憫な被害者だとでも言いたげな素振りを見せよって、同情が欲しいだけならその死体を連れてさっさと郷里に戻れ」

「……死体?」


 ゆらり、とケントが顔を上げる。虚ろで焦点の合っていない瞳が、ルイスへと向く。


「俺の主を貶めるなよ……。テメエが死体になりてえってんなら話は別だが」

「威勢だけは一丁前だな。ここで殺人なぞ起こしてみろ、お前が得られるのは一時の優越感だけだ。それにお前自身が罪人と見なされ、ヘーゼルダイン家は損を被る。誰にも利をもたらさない、まさに愚行と呼ぶべき選択だ」

「……ヘーゼルダイン家がどうなろうと知ったことか。俺が主と仰ぐのはエレーレイス・ヘーゼルダインただ一人だ」

「ふん、まともな受け答えはできるじゃないか。……が、お前の主人とて、自らの従える召使いが罪人になることを望んでいるとは到底思えんがな」

「黙れ。お前如きが主を語るな。その減らず口、今すぐにでも──」


 ケントの眼光が鈍く揺らめいた矢先、彼の体はつんのめる。

 予想外の出来事に、ルイスはびくりと体を震わせて後退りする。刺されるとでも思ったのだろうか。相手の両手は塞がっているのに、随分とお粗末な想像力だ。


「何かと思えば、ちびどもの言い争いか。ガキはもっと素直になりやがれ」


 その場に反響するは、ここにいる誰でもない人物の低音。すっかり声変わりを終えて安定した男の声だった。

 サディアスは反射的に視線を上げる。それなりに身長のある自分よりも背の高い影が、かつん、と靴音を響かせる。


「テメエ……! 返せ!」


 まず反応したのは、敵意をみなぎらせるケントである。彼の背中からはエレーレイスの遺体が消えており、先程よりも身軽に動き回れるようになっていた。

 ケントは身を翻すと、腰のベルトに引っかけていた短剣を素早く抜き去る。白刃が閃き、エレーレイスを奪った者を切り裂かんと迫る。

 だが、ケントの短剣は相手の肌を傷付けなかった。それよりも先に、彼の手首をがしりと掴んで動きを止める手がある。


「別に死体を盗もうなんざ考えてねえよ。お前一人で運ぶのは無理がありそうってことで、俺が代わりに運んでやるって申し出るところだったが……こうも暴れられちゃ話にもならん。まずはその得物を手放しな、ヘーゼルダインの坊や」

「離せよクソ野郎! 主を殺したかもしれない相手の言葉なんか聞いていられるか!」

「それを言ったら誰の言うことも肯定できなくなるだろうが。少しは頭を冷やせ、話はそれからだ」


 ケントは必死に抵抗するが、相手が力負けしているようで全く歯が立たない。しばらく身をよじらせていたが、疲労感には勝てなかったのか最終的にはおとなしくなった。


「お前は、確か……コフィー家の、ニールとか言ったか。何故ここに?」


 落ち着いたところを見計らって発せられたルイスの言葉で、サディアスは突如割り込んできた、エレーレイスを軽々と肩に担いでいる美丈夫──ニールの名前を思い出した。言われてみればそんな名前をしていた気がする。

 からん、とケントが短剣を取り落としたのとほぼ同時に、ニールはその手を離す。相変わらず無愛想な仏頂面だった。


「言ったろ、この坊やが見てられなかったんだよ。お前とそう変わらねえ」

「……勝手な憶測で私の行動を語らないでもらいたい。私はたまたま歩いていたらそこの危なっかしい従者を見付けただけだ」

「ふうん、たまたまか。その割には古城中をひとしきり走り回っていたようだが」

「なっ…………Rydych idiotこのっ、馬鹿!」


 疲労ではなく羞恥からか再度赤面したルイスは、サディアスには理解不能な言葉を発してそっぽを向いてしまう。よく見れば、耳の先まで真っ赤だ。

 何故嘘を吐いて自滅しているのだろう。語学だ作法だと普段サディアスに口やかましく言うが、地頭が悪いのはどう見てもそちらではないか。

 そんな思いを込めて主人を見ていると、いつの間にかニールが眼前に立っていた。他者から見下ろされることは滅多にないため、サディアスは知らず身を強張らせる。


「お前、仮にも従者だろう。主の行動を黙って見守るのがメレディス家の気風なのか?」


 ニールの言葉を全て理解できる訳ではない。だが、お前が悪いのだと責められていることはすぐに読み取れた。

 どうしてニールは機嫌を損ねているのだろう。これは自分とルイスの問題であって、コフィー家に仕えるニールが口出しすべきことではないし、彼に実害を与えた訳でもない。ルイスがどうなろうが、ニールに影響を及ぼすことはないと言って良いだろう。無関係の人間にとやかく言われる筋合いはない。

 このようにサディアスは少なからず反発を抱いた訳だが、わざわざ言い返して体力と精神力を摩耗されることを考えると面倒な気持ちの方が勝った。それゆえに、サディアスは沈黙して時が過ぎるのを待つ。あちらから何か仕掛けてきたなら、都度対応すれば良い。


「……黙りかよ、どうしようもねえ奴だな。まあ良い、対話の手間が省けたって考えれば儲けものだ」


 サディアスにとっては幸運なことに、一分も経たないうちにニールは会話を打ち切った。ふいとそっぽを向くと、短剣を拾わずに自分を睨み付けているケントへと向き直る。


「で、こいつは一体どこに連れて行けば良い? 歩き回ってたってことは、行き先を決めてたんだろ?」

「……礼拝堂」

「よし、それなら決まりだ。場所はわかってる、気になるんなら付いてこい」


 ケントが答えるや否や、ニールはさっさと歩き出してしまう。徹底的に無駄を嫌う性分のようだ。それはサディアスも同様のはずなのだが、どうにも波長が合わない。

 正直、このまま客室へと戻りたかったが、頭でっかちな主はそうもいかない。一方的に目配せすると、ニールの後を小走りで追いかけ始める。恥をかかされた相手だというのにまだ関わろうとするのかと、サディアスの頭は疑問と呆れでいっぱいだった。

 仕方ないので、先行する二人を追いかける。より面倒なことになると思うと、自然と足取りは重くなった。

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