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□ルイス・メレディス


 会合の舞台となった古城が何を目的に建造されたのか、少なくともルイスは知らない。生まれてこの方アイルランドに縁はないし、訪れたのもこれが初めてだ。

 だが、地下牢があるということは罪人を収容する必要がある時期が存在したということなのだろう。アイオナの従者──ニールの案内した先は湿っぽく青臭い地下室で、彼や他の従者たちが持つランプの灯りがなければ足下に不安感を覚えずにはいられない。これはルイスの所感ではあるが、たとえこの古城の全盛期であったとしても、地下室は日常的に使用されるものではないだろう。

 陰鬱な雰囲気を前に、会合の参加者は一様に口をつぐみながら歩を進めていた。かつんかつんと、複数人の足音が不規則に反響する。


「──ここだ」


 先頭を歩いていたニールが足を止めた。彼の持つランプの光が、薄暗い石壁を照らし出す。

 眼前には、平均的な体格の人一人を収容しておけるであろう空間を有した独房が横一列に並んでいた。そのうちの三つに、ニールの言う侵入者が入れられているようだった。

 す、とニールはランプを持つ手を上げる。木製の鉄格子越しに、独房の内部がぼんやりと浮き彫りになった。


「ひっ……!」


 情けないことだが、独房の内部を視認した瞬間、ルイスは喉の奥を鳴らすように悲鳴を上げていた。サディアスが冷えた視線を向けてきたが、今はそれどころではない。

 三つのうち、中央に位置する独房。内部の壁にもたれ掛かるように浮かび上がる人影がある。体型からして、壮年の男性だろう。

 その男はぴくりとも動かない。頭部は抉れるように陥没し、壁を伝ってどす黒い血糊がべったりと付着していた。


「……ち、死んでるな。舌は噛めないようにしておいたが……まさか壁に頭を打ち付けて死ぬとは。何としてでも情報を割らんということか、見事だ」


 独房に足を踏み入れたニールが、不機嫌そうに舌打ちする。そのまま隣の独房を同様に覗いてから、一同に向き直る。


「すまん、こっち側の奴も死んでいる。手足を縛って口に布を噛ませておけば大丈夫かと思ったが、その筋の連中はそうもいかないんだな。俺の考えが甘かった。まあ、手間が省けたと思ってくれ」

「…………」


 淡々と告げられた言葉に対して、当意即妙に言葉を返した者はいなかった。

 アドラシオンは狼狽することなく気丈な振る舞いを貫いていたが、予想外の出来事に戸惑いを覚えずにはいられなかったのだろう。顔を青ざめさせながらも、唇を強く噛んで引き結んでいた。従者であるテオも、顔の筋肉を引き攣らせながらアドラシオンの前に立って、彼女に陰惨な現場を見せないよう努めているように見えた。

 彼女と比較すると、レアードは目に見えて動揺していた。しかし恐怖におののいているというよりは、怒りに震えているようだった。額に青筋を立て、歯を食いしばり、皮膚の表面が白く変色する程に強く握り締めている。そんな主人とは異なり、従者であるマイカは涼しい顔をして事の成り行きを見守っていた。

 ニールはさておき、アイオナは相変わらずである。彫像のように動かず、言葉も発しない。認めたくはないが、サディアスも同様に棒立ちだった。


「……ちょっと待って。侵入者って、三人いたんだよね?」


 最後にエリスを見よう──としたところで、見計らったように彼女が発言する。その顔付きを前に、ルイスは視界をたわませる。

 彼女は落ち着いていた。恐らくは、この中の誰よりも。

 そんな彼女の立ち振る舞いに驚いているのは自分だけと信じたくなかったが、少なくともニールは特にこれといった反応を寄越さなかった。僅かに目をすがめてから、エリスの言葉を首肯する。


「ああ、総数は不明だが、俺が捕らえたのは三人だ。残りは今から確認する」


 言うが早く、ニールは最後の独房を解錠して中へと踏み入る。暫しの間、ごそごそと動く音のみが聞こえ──やがて、ひょっこりとニールの顔が覗く。


「朗報だ。一人は生きてる」


 手放しに喜べるような状況ではない。とりあえず、生存している侵入者の様子を窺おうということで満場一致で決まったのだろう。皆固まって、ニールの入った独房の前へと近付いた。

 ランプの灯りに照らされた室内には、壁際に座り込む人影があった。うつむきがちで、陰になっているためか、はっきりとは見えない。


「おい、お前。生きてるよな? 起きろ」


 ニールが乱暴に肩を揺すると、人影──おそらくは男が緩慢に面を上げた。左頬が晴れ上がり、目元に青痣を作っている辺り、昨晩ニールに殴られるか何かしたのだろう。見ているだけで痛々しい顔付きだった。


「う……?」


 掠れた声と共に、焦点の定まらない目が開く。だが、それも一瞬のこと。意識が覚醒したのか、男の目はぎょっと見開かれた。


「……⁉ っ、……!」

「あー、暴れるな暴れるな。余計なことをしないなら喋らせてやる」


 侵入者の男は錯乱しているのかもがいて暴れたが、両手両脚を拘束されている男に逃げ道はない。芋虫のように床を這いずる彼を、ニールは苦々しげに見下ろしていた。

 やがて男は力尽きたのかおとなしくなった。ニールは床に転がる彼をじっと見つめていたが、この状態なら危険はないと判断したのか、口に噛ませていた布を外した。


「良いか、俺は無駄なことは嫌いなんだ。質問に答えれば解放も考えてやるが……逆らうとどうなるか分かってるな」

「あ、あ、あ……」

「落ち着け、深呼吸しろ。そう、ゆっくり息を吸って吐け」


 ニールの誘導に従い、男は必死になって大きく胸を上下させる。過呼吸になりかけていたのかもしれない。


「……おれたち、何見せられてるんだろ」


 ぼそり、とテオが呟く。知るか、と切り捨てたかったが、会話をするのも億劫なのでルイスは何も言わなかった。アドラシオンがと従者を鋭く見たが、慣れているのかテオはそっぽを向くだけだった。

 やがて、荒い呼気を繰り返しながらも、男は落ち着きを取り戻したらしい。相変わらず怯えてはいるが、苦しげな様子は幾分か収まっていた。

 男が落ち着くまで結構な時間を要した訳だが、それまで付き添っていたニールは変なところで面倒見が良いようだ。こうまで怯えさせているのもニール自身なので、傍観者としては何とも言えないのだが──無理矢理の尋問、と洒落込むよりはまだましだ。

 何はともあれ、これでようやく話が進められる。それはニールも理解するところなのか、男の背中をさすってやりながら口を開く。


「さて、落ち着いたところで改めて聞くぞ。お前、何者だ?  一体どこから来た?」

「……」


 男は沈黙を保ったまま口を開かない。ニールのこめかみがぴくりと動いたが、すぐに彼は溜息をついて首を振った。ニールが強面であるが故か、先程黙秘した男の顔が引き攣る。


「まあ、お前の名前は後回しでも良い。気が向いたら話してくれ。本題は、手前てめえらがエレーレイス・ヘーゼルダインの殺害に関与しているか、だ」

「エレーレイス・ヘーゼルダイン……?」


 男はエレーレイスの名前に聞き覚えがなかったのか、訝しげに首をかしげる。演技のようには見えなかった。

 ニールは一度鼻を鳴らす。しかし特にこれといった反応は見せず、あっけらかんと口にした。


「昨晩、この古城内で殺された人間がいてな。そいつの名前だ。金色の長髪に碧眼、顔だけなら男か女かわかんねえような見た目をしてる。実際は野郎だそうだが」


 この場にケントがいれば、ただでは済まなそうな発言である。だが幸か不幸かケントは付いてこなかったようで、何かしらの抗議や反発が起こることはなかった。

 男は少しの間、沈黙を守っていた。……が、昨晩ニールからこてんぱんにやられたのが効いているのか、先程のように黙りを決め込むことはなく、ぽつりと消え入りそうな声を発した。


「……ヘーゼルダイン家の男に関しては、何も知らない。俺たちは、カルヴァート家の女を殺すようにと指示を受けて来たんだ」

「──!」


 ひゅ、と息を飲む音が聞こえた。

 それが誰のものだったか、ルイスにはわからない。だが、その直後に口を開いたのはアドラシオンだった。


「それは……一体、誰の指示?」


 彼女の声音は硬い。激情を抑え込んでいるようにも感じられた。

 普通、この状況で質問するとなればエリスが妥当なのだろうが、何故アドラシオンが先に発言したのか。怪訝に思って彼女を見遣るルイスを余所に、男はうつむいたまま、わからない、と首を横に振った。


「わからない、わからねえよ。俺たちは依頼人の名前さえ聞いていない。名乗りもしない使者にカルヴァート家の娘を殺すようにって言われて、報酬の額が今までの依頼とは桁違いだったから、仕事を受けただけだ」


 今にも泣き出しそうな声なのは、ニールに顎を挟むように掴まれ、至近距離で睨まれているからだろう。上背の大きい彼は手も大きい。間近で見れば、迫力はひとしおだろう。


「こっちに来てから、案内人を名乗る協力者と会って、隠し通路を先導された。それで、目標のいる部屋を教えられて……奴とは途中で別れた。カルヴァート家の娘は金髪で、女にしちゃ背が高いって聞いてたから、切り付けた相手を見た時、間違いないって思ったんだ! 相手が逃げ出したから、一旦立て直そうと思って、それで」

「俺と鉢合わせしたってことか」


 みるみるうちに声を上擦らせる男を見ていられなかったのだろう。ニールはぽいと捨てるように顎から手を離す。


「……その下郎の供述が真実だったとして、だ。その案内人とやらは、既に古城内に滞在し、内部構造に精通していたと見るのが妥当ではないか?」


 くつくつと笑いながら投げられた一石。これまで発言しなかったその人物に視線が集まるのは当然の成り行きであった。

 発言者──レアードは注目されて気分が良かったのか、早い段階で勝ち誇った笑みを浮かべる。尊大で偉ぶった態度は個人的に気に食わないが、あちらがメレディス家を下に見ているのは確実なので余計な口出しはしないでおく。


「……何が言いたいの、レアード・テューフォン? 私たちに何か言いたいことがあるとでも言うの?」

「ああ、あるさ、たっぷりな。理性的かつ公平であるべき会合において、事もあろうに刺客を用い、我々を出し抜こうとした不届き者がいる。俺はそれを明らかにしたいだけだ」


 レアードの唇が弧を描く。愉快で堪らないといった顔に、アドラシオンは眉根を寄せた。


「どういう意味かしら?  あなたが何を言いたいのか、私には理解できないのだけれど」

「ほう、マドリードの才媛と聞いていたが、大したことはないのだな。ならば下等生物どもにもわかるよう、ようく噛み砕いて教えてやろう。この中に、そこの下郎の言う案内人とやらがいるのではないか、という話だ」


 息を飲む気配が複数あった。それはアドラシオンも同じだ。彼女は驚愕に目を見開き、信じられないと言わんばかりに唇をわななかせる。他の者たちも似たり寄ったりの反応だった。自分で情けないとは思うが、ルイスもまた、動揺を隠せなかった。

 レアードはそれら全てを嘲笑うかのように笑みを深める。会話の中で優位に立っているという事実に酔っているようにも見えた。


「さあ、名乗り出るが良い。どこの誰だかは知らないが、案内人に依頼人、貴様らは殺人を犯したのだ。相応の報いを受ける覚悟はできているのだろう? なに、案ずることはない。テューフォン家の威信にかけて、必ずや貴様らを裁いてみせる。俺の名の下に、貴様らのような外道は断罪されるべきなのだ!」

「──レアードさん」


 高らかに宣言するレアード、その出鼻を挫いたのは、危うく被害者になるところだった張本人──エリスである。

 彼女は静かにレアードの前へと進み出た。彼の従者であるマイカは面白そうに口角をつり上げ、その場から微動だにしない。

 突然割り込まれるとは思ってもいなかったのだろう、レアードは目をぱちくりとさせる。そんな彼を真っ直ぐに見据えながら、エリスはよく通る、高い声で言った。


「犯人の後ろに付いている存在を明らかにしてくれるなら、純粋にありがたいとは思うけど……その程度じゃ、私、遺産を渡そうとは思わないよ」

「…………は?」


 レアードがぽかんと口を半開きにする。滑稽な表情だった。

 それをエリスは笑わない。笑わなかったが、容赦もしなかった。


「単なる下心で、大勢に混乱をもたらすようなことはしないでくれるかな。はっきり言って迷惑だよ?」


 エリスは微笑んだのだろう。お手本のように唇の端がつり上がったが、そこには明確な拒絶があった。

 レアードの顔中が憤怒に染まる。しかし、彼が顔を真っ赤にしたその時、既にエリスは侵入者の入れられている独房へと足を踏み入れている。何となくねっちゃりとした湿り気のある床は気にも留めず、しかめっ面のニールに目をくれることもなく、しゃがみこんで男と向き合った。


「私からも質問するね。あなたが見た案内人は、どんな容姿をしてた? もしもこの中にいるなら、そう答えるだけで良いよ」


 男ががちがちと歯を鳴らした。ニールに対するのと同じ──いや、彼を前にした時以上に怯えきっている。


「ね、答えて」


 エリスが顔を近付ける。その後何かを囁いたようだったが、ルイスの耳には届かなかった。ニールだけは聞き取れたのか、眉毛を片方だけ跳ね上げる。

 男は震えながら、ぱくぱくと口を開閉する。やっとのことで紡がれた言葉は、酷く震えていた。


「そ、れは……」

「言えない?」

「そ、そ、そういうのじゃない……。でも、そいつは外套を被っていて、顔はほとんど見えなくて……」

「じゃあ、わかる範囲で大丈夫だよ。背丈とか、体型とか、声色とか……そういう部分でも、きっと参考になると思うから」


 男の目が泳いだ。そんな彼を追い込むように、エリスが先を促す。答えないという選択肢を、念入りに潰すようだった。

 ルイスは二の腕をさする。何故だか、鳥肌が立っていた。


「あ、あ……せ、性別が、よくわからなくて……振る舞いは男みたいだし、服も男物だったが、声変わりはしていなくて、細っこくて……。上背は、男なら並か中の下、女なら高いくらいだった……でも、履き物までは見ていなかったから、詳しいことは、何も」

「……そう」


 静かに、エリスが相槌を打つ。その声がやけに低く聞こえて、ルイスは知らず知らずのうちに一歩だけ後ずさりしていた。

 エリスは音もなく立ち上がった。彼女の纏う雰囲気は、いつの間にか和らいでいる。


「教えてくれてありがとう。助かったよ」

「へ……?」


 朗らかな声色に、男だけでなく周囲にいる面々も拍子抜けした。誰もが呆気に取られてエリスを見つめる。

 彼女はくるりと振り返ると、困ったような笑みを浮かべた。太めの眉毛がわかりやすく尻下がりになる。


「この人がエレーレイスさんを殺害したのは間違いないだろうし、それはとても悲しくてやるせないことだと思う。でも、だからといってこの人ばかりを責めていたら根本的な解決にはならない。また、私を狙う刺客が送り込まれるかもしれない」


 それが誰に向けられた言葉なのか、ルイスには理解できなかった。皆に言っているようでもあり、誰もいない空虚な空間に向けて放たれているようにも聞こえた。

 エリスは軽やかに床を踏むと、ニールを見た。片膝をついている彼を見下ろして、麗らかに言う。


「ニールさん、悪いけどここの牢屋の鍵、私に預けてくれないかな。万が一のことがあったらいけないし、問題が解決するまでこの人は閉じ込めておくべきだと思うんだ」

「構わねえよ。好きにしやがれ」


 ニールは素っ気なく鍵の束を投げ渡す。エリスは肩を竦めながらそれを受け取った。


「ありがとう。立て続けに申し訳ないけど、ニールさん、この人は初めと同じようにしておいてね。死んじゃったら困るから」


 言うが早く、ニールは男に布を噛ませる。んぐ、と男が苦しげな声を漏らした。

 かつかつと靴音を響かせながら、エリスはもといた場所へと戻る。──具体的には、レアードの前に。


「レアードさん。ひとつ、言っておきたいことがあるの」


 レアードは答えない。彼は全身に嫌悪と怒りを纏わせている。

 そんな彼に臆することなく、エリスは口角を上げた。


「あなたの──いいえ、ここにいる誰も、手出しは結構。私は私のやり方で、刺客を送り込んだ真犯人を見付けて、罪を精算する」


 レアードの顔、そのありとあらゆる部位が、大きく歪んだ。

 彼が叫び散らす前に、エリスは踵を返している。一度だけ振り返って、場違いに明るい声を出す。


「そういう訳だから、皆さんはどうか周辺に気を付けて! お迎えが来るまで、手放しでは難しいかもだけど、羽を伸ばしてゆっくりしてね」


 ひらひらと手を振り、今度こそエリスは地下牢を後にする。

 ルイスは短く息を吸い込んだ。一度瞑目し、傍らの従者に悟られぬよう拳を握る。

 ──あの女は、おかしい。

 人知れず、ルイスは確信する。何を噛みつぶした訳でもないのに、何故だか口の中に苦みが広がった。

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