Ⅱ A half-baked revenge is more boring than a farce!

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■レアード・テューフォン


 エレーレイス・ヘーゼルダインが死んだ。

 その報せをもたらしたマイカはいたって冷静だった。まるで業務連絡のような口調に、寝起きのレアードがみっともなく口を半開きにしたのは言うまでもない。

 エレーレイスが気に食わない存在だったことは事実だ。報告の正誤はともかく、死んでくれたのならざまあないとさえ思う。

 だが、参加者のいずれかに先手を打たれたというのがどうしても許し難い。エリスの息の根を止めるのは自分に他ならないと本気で思っていたレアードとしては、自分を出し抜いた不届き者を断罪しなくてはという使命感に燃えていた。

 本来なら面倒極まりない集合に応じたのも、抜け駆けした参加者をあぶり出すためだ。緊急事態なので全員集まって欲しい、と呼び掛けたエリスに、この時ばかりは素直に従うこととする。


「まさか、このようなことが起こるなんて……」


 呼び出し先──ヘーゼルダイン集住が使用している来客用の寝室には、この会合に参加する全ての人物が集まっている。

 顔をしかめ、眉間を揉みながら先のように発言したのはアドラシオンだ。寝不足なのか、はたまた単純な体調不良なのか、心なしか顔色が悪い。しかしそこに悲しみはなく、ただ起こった惨事に迷惑している、とでも言いたげな顔付きだった。隣で表情を強張らせている従者とはえらい違いである。

 レアードはちらとエリスを見る。

 彼女はエレーレイスが横たえられた寝台の側にいた。出血が酷かったのだろう、室内は誤魔化しきれない程の鉄錆の臭いで満ちている。じめじめとした天気なのも相まって、げんなりする空気感だった。

 その中で、エリスはあくまで気丈に振る舞おうとしている──ように、見えた。もともと色白で皮膚が薄いのであろう彼女は、前日以上に血色が悪い。それでも唇を引き結び、決して涙を見せまいと耐えている。はっきり言って滑稽だった。茶番じみた表情は、造形こそ整っていたもののこか作り物めいており、薄っぺらくて気持ち悪かった。

 そのエリスは、一度息を吐き出してから、おもむろに口を開いた。


「皆さん、急に集まってもらってごめんなさい。でも、事態はかなり深刻だから──どうか、今だけでも協力してもらえないかな」


 そう告げる声は震えていたが、弱々しさよりも必死さの方が勝っている。その言葉に、レアードは鼻で笑った。

 そもそも、現状はエリスが招いた事態ではないか。初日、素直にカルヴァート家の遺産を引き渡すと表明していればここまで話はこじれなかった。それを棚上げして協力を求めるなど、図々しいにも程がある。何より、今回の件を引き起こした張本人が何を言っているのかと思えば腹立たしくて仕方がなかった。

 お前のせいでこうなったのだ、と言いかけてぐっと飲み込む。こんな奴相手に感情的になっても意味がない。まずは状況を整理するのが先決だ。


「して──昨晩、エレーレイス・ヘーゼルダインは、どういった経緯で殺害された?」


 こみ上げる苛立ちを抑えながら、レアードは問いかける。エリスに問うのは気分が悪いが、寝台を挟んだ垂直線上に佇むエレーレイスの従者──ケントには、到底話しかけられそうもない。一切の光を映さない虚ろな目で、ただただ主人の死に顔を見下ろしている。これではまるで生ける死体だ。

 エリスはそっと目を伏せながら、躊躇いがちに答えた。


「実は昨晩、私とエレーレイスさんは部屋を交換していたの。彼は私の身を案じてくれていたし、私自身、もし何かあったらと思ったら怖くって……。それで提案に乗ってくれたんだけど……」

「そこで運悪く刺客の襲来があった、ということ?」


 アドラシオンが静かに尋ねる。言い様もない緊迫感がその場に広がった。

 エリスはややあってから、歯切れ悪く首肯した。


「……そう。何者かがエレーレイスさんのいる部屋に侵入し、傷付けた。彼が正面の扉から脱出したことを考えると、窓か……あるいは隠し通路から侵入された可能性が高いと思う」

「隠し通路、ね。既にような口調だけれど」

「うん、あるよ。あることは知っていたし、一つは目星をつけていた。……んだけど、もしかしたら私が見付けられていない隠し通路があったのかもしれない。そこは私にもわからないよ」


 私が聞きたいのは、とエリスは語気を強める。


「この中の誰かが、エレーレイスさんの殺害に関与しているかもしれない。私はそれが怖いの。だから、昨夜に皆が何をしていたか聞かせて欲しいんだ。自分が犯人じゃないっていう証拠を提示してもらえれば、少なくともここにいる人たちが直接手を下した訳じゃないってわかるから」


 そこまで言い切ると、エリスは改めて室内を見渡した。

 彼女の言う通り、ここには殺人を犯した可能性のある人物が揃っていることになる。彼女を含めて、全員が容疑者なのだ。

 その上で、エリスは不在証明を求めている。一見すると単純に犯人と同じ空間にいることを怖がっているように見えるが、実際は犯人をあぶり出したいのだろう。でなければ、こうも毅然とした振る舞いはできないだろう。


「昨日の夜……ね。普通に客室で休んでいたわ。テオフィロも同様にね。彼は日中、あなたと共にエセルバート殿の様子を見に行ったけど、その間も私はずっと客室にいたわ」


 真っ先に口を開いたのはアドラシオンだ。彼女は普段通りの涼しげな顔で淡々と答える。

 そっか、とエリスは一度うなずいて視線を移ろわせた。その先には、しかめっ面をしたルイスと、無表情のサディアスがいる。


「……私もテジェリア殿と同じく、夜は客間で休んでいた。お前が押しかけてくるまでな」


 ルイスの返答はつっけんどんだった。だがそこに棘はなく、むしろ嫌味を言う気力すらないといった様子である。実際、彼の声には覇気がない。

 それを聞いたエリスは一瞬だけ眉根を寄せたが、すぐにありがとう、と礼を口にする。彼女自身が訪問したからか、気になる点はないようだった。


「じゃあ次は僕たちの番かな。ご主人様は就寝してたから、僕から話すね」


 そろそろこちらも不在証明を示すか、と思っていた矢先に、これまで沈黙を貫いていたマイカが口を開く。相変わらず主人を敬う態度が見受けられず、レアードは聞こえよがしに舌打ちした。

 しかし当人は意に介さず、マイカはすらすらと昨夜の行動について述べていく。


「僕たちはずっと客室に籠ってたよ。ご主人様が寝てからも、念のためしばらく起きて警護してた。でも結局何も起こらなかったし、そこのお兄さん──サディアス、だったっけ? 彼が事の次第を伝えに来るまで、変な物音だとか、変わった様子はなかったよ」

「……一時でも部屋からは出なかったの?」

「そうだよ、何故僕が嘘を吐かなければならないの? 僕はただ事実を述べているだけだよ」


 マイカの言葉はどこまでも無機質で冷たかった。その表情こそ麗しい微笑を浮かべていたが、声に乗る感情は一切ない。余裕綽々といった態度は、いっそ不気味ですらあった。

 一方、そんなマイカに対して、エリスはわずかに目をすがめる。何を語るでもなく、じっと見つめて──ややあってから、小さく息を吐き出した。


「……わかった。教えてくれてありがとう」

「ふふ、お礼なんて良いよ。皆すべきことなんだから。ひとまず僕たちのことを信じてくれたなら、それで十分さ」


 麗らかに告げて、マイカは柔らかく微笑む。中性的な美貌は平生と変わらないが、この状況には似つかわしくない。何せこの部屋には死体があるのだ。少なくともにこにこすべき場ではない。

 エリスは表情を強張らせ、ふいとマイカから目を逸らす。疑いの目を向けられていることはひしひしと伝わってきた。

 こういった展開が待っていると知っていたのなら、自分が語るべきだった。──などと後悔したところで、レアードはマイカの証言通り熟睡していたので、説明しろと言われたところでどうしようもないのが現実なのだが。


「……アイオナさん、そっちはどうだった? わかる範囲で構わないから、教えてくれないかな」


 見るからに無理をして笑顔を浮かべるエリス。彼女の眼差しは、未だ沈黙するヴェールの令嬢──アイオナへと向けられている。

 相変わらず、アイオナは一切肌を見せていなかった。当然、表情を窺い知ることはできない。


「……俺が話す。構わないな?」


 ここで口を開いたのは、アイオナの従者として彼女の側についている青年だった。小柄なアイオナの前に立たれると、壁のような印象さえ覚える。

 彼の申し出に、エリスは無言で首を縦に振った。それを承諾と受け取ったのか、従者の青年は訥々と語り始める。


「お前にとっては聞き慣れた文言かもしれないが、うちのお嬢も部屋を出ずに過ごしていた。お嬢はあまり体が強い方じゃない。加えてここまでの長旅もあって、部屋に戻った瞬間に倒れ込んでな。そのまま、朝までぐっすりだ」


 仏頂面はそのままに、青年は続ける。喋ってみると声もざらついて低く、本人にその気はないのだろうがさらに威圧感が増した。

 ああ、それと、と青年は平然とした様子で続ける。


「そこのちびすけは、変わった様子や物音はないって言ってたが──深夜、騒々しい足音が聞こえたんでな。何事かと思って音を追ってみたら、この場の誰でもない野郎が三人いやがった」

「⁉」


 一同の視線は、ほぼ同時に青年の方へと向けられた。がらんどうの目をしていたケントでさえ、いつの間にか顔を上げている。──ありとあらゆる表情がそげ落ちているにも関わらず両の目だけは妙にぎらついたその表情に、一瞬でも恐れを覚えてしまったのはレアードだけの秘密だ。


「そ──それって侵入者を許しちまったってことじゃないか? あんたは、ええと……」

「呼称か? ニールだ」

「そりゃどうも! で、ニールの兄さん、件の見知らぬ三人組はその後どうしたんだよ? まさか放置なんてしてないだろうな?」


 真っ先に発言したのは、引き攣った笑みを浮かべるテオ。侵入者と言われて、いてもたってもいられなかったらしい。主人たるアドラシオンを背に庇い、アイオナの従者──ニールに詰め寄る。

 対して、ニールは軽く肩をすくめた。彼の広い肩幅では、しおらしさなど微塵も演出されなかったのだが。


「無論、引っ捕らえて縛り上げたさ。ちゃんと徒手空拳ステゴロで対応したから、奴等が変な抵抗でもしてなきゃ話はできるだろうよ。地下に幾つか独房があったんで、そこに一人ずつぶち込んだ。一応身動きできないように手足を縛ってはいるが、応急処置なんでそこまで期待はしないでくれ」

「引っ捕らえて縛り上げたって……あなた一人で?」

「ああ。見に行くか?」


 呆れた様子のアドラシオンの問いにも、ニールはあっさりと答える。示し合わせた訳ではなかろうが、その場にいる面々──正確にはアイオナとエリス以外は静かにニールから距離をとった。

 一同が引くのも無理はない。いくら体格が良いとはいえ、刺客と思わしき人間を三人相手取って勝利、しかも目視する限り無傷でぴんぴんしている人間が目の前にいるのだ。従者とすれば頼もしいことこの上ないだろうが、もしも敵に回ったら、と考えて何も思わずにいられる者はいないだろう。多かれ少なかれ、危機感を抱くはずだ。


「とにかく、その侵入者は見に行こうよ。その人たちがエレーレイスさんを殺した、とは一概に言い切れないけど……その証拠さえ示されれば、状況は進展するんだから。──ニールさん、案内を頼める?」


 何とも言えない空気が流れた室内だったが、エリスがそう切り出したことで一同の意思は固まったらしい。言葉は交わされなかったが、皆ぞろぞろとニールの後に続いて部屋を出て行く。

 レアードも移動しようと一歩踏み出し──ふと、背後を振り返った。特にこれといった理由はないが、何となくうなじがざわりと擽られるような感覚を覚えたのだ。


「ケント君、行こう。部屋の鍵はかけておくから」


 見れば、その場に固定されたように動かないケントに対して、エリスが声をかけていた。気遣わしげに近付き、そっと手を伸ばす。

 しかし、ケントはその手を取るどころか、乱暴に弾いた。鋭い睥睨を食らったエリスは、眉尻を下げてその場を後にする。

 良い子ちゃんな主に似合いの、胃もたれしそうな従者だ。嘲りと共に口元を歪めたレアードは、靴音を響かせながらその場を後にする。

 ──ケントの視線が、先を行く者たちの背中を射抜かんばかりに突き刺さっていることも知らぬまま。

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