8
□ルイス・メレディス
退屈とは得難いものだ。これまでの人生で散々実感してきたことではあるが、この日改めて思い知らされた。
認めたくはないが、この会合においてメレディス家は格下だ。最下位と言っても過言ではない。
どうにかしてカルヴァート家の至宝を手に入れ、役目を果たさなくてはならない。そのためにルイスは相当な努力をしているつもりだが、何より協力者が皆無である。従者であるサディアスは本当に従者なのかと疑いたくなるくらい動かないし、他の参加者と一日で親密になれるはずもない。幸運なことにエリスの保護を巡ってエレーレイス・ヘーゼルダインとアドラシオン・メサ・テジェリアの従者であるテオと交流を持つことができたので、そこを起点として立ち回るのが上策だろう。
書き物の手を止めて、ルイスは眉間を揉む。ちらりと従者の方を見たが、サディアスは側に立ったままぴくりとも動かない。
舐められているのだと思うと、苛立ちから舌打ちしたくなった。だが日中のレアードを思い出し、ぐっと我慢する。いくら名家の子息であろうと、ああいった振る舞いは褒められるべきものではない。末席とはいえ相応の家格を認められてこの場にいるのだから、それに相応しき振る舞いを心掛けなければ。
──と、気を引き締めた矢先のことであった。何者かによって、強く扉が叩かれたのは。
「……サディアス、様子を見て来い」
尋常ではないノック音は鳴り止まない。不思議……を通り越して恐怖すら感じる。
そのため放っておく訳にもいかないと思い、ルイスはこのように命令したが、サディアスは動かない。言葉ひとつ発することなく、その場に屹立するのみ。
「サディアス!」
語気を強めて呼び掛けても、ひょろりと背の高い従者は無視を貫くばかり。初めから聞こえていないとでも言いたげな態度に、ルイスの顔が熱を持つ。
何故このような男が従者として付けられたのだろう。共に行動してからずっとこの調子だ。最早英語がわからないとか、そういった次元でなければ認められない程の不敬の数々である。
鳴り続けるノック。言うことを聞かない従者。そして気の休まらない環境。
ルイスは胃の痛みを感じつつ、自分にできる最善を考える。顔をしかめ、数秒間瞑目し──立ち上がって扉の前へと近付いた。
「誰だ、このような夜中に騒ぎ立てる馬鹿者は! 人を訪ねるならまず名乗るのが礼儀だろう!」
積もりに積もった苛立ちを来客にぶつけるのはどうかと思うが、こうでもしなければ腹の虫が収まらない。ルイスは額に青筋を立てながら、扉を叩く音に負けないくらいの声量で怒鳴りつけた。
そんなルイスの内心が相手にも伝わったのだろうか。けたたましく鳴り響いていたノックがぴたりと止む。代わりに耳へと滑り込んできたのは、対照的なか細い声。
「ルイスさん……?」
「……! お前は──」
随分と印象の違う声色だが、それは聞き覚えのある声だった。
ルイスは目を見開いてから、そっと解錠して扉を細く開ける。自分とほぼ変わらない高さにある、金色の髪の毛が視界に飛び込んできた。
「エリス・カルヴァート……? 一体、何が」
突然の騒がしい来訪者──それは、肩で息をするエリスだった。
彼女の様子は一目見ただけで尋常でないとわかった。何かに急き立てられているように息を荒げ、華奢な体を震わせている。
エリスはしばらく荒い呼吸を繰り返していたが、やがて弾かれたように顔を上げる。小刻みに震える手で、ルイスに縋り付いた。
「ど……どうしよう、ルイスさん……。エレーレイスさんが……エレーレイスさんが、私のせいで」
「……? エレーレイス・ヘーゼルダインがどうかしたのか?」
エレーレイス・ヘーゼルダインは日中にエリスの保護を立案した男だ。名門の生まれながら、飾らずルイスにも平らかな態度で応じる分別のある人物なので、抱く印象は悪くない。むしろ良いと言っても過言ではない。
そのエレーレイスが、一体どうしたというのだろう。ただならぬ様子を察してか、棒立ちだったサディアスもいつの間にか隣に並んでいる。来るのが遅すぎる、という叱責は後に回そう。
エリスは何度か深呼吸を繰り返した。しかし全身に纏わせた恐慌はそのまま、おもむろに口火を切る。
「エレーレイスさんが……いきなり襲われて、重傷なの」
「は……⁉」
それは、あまりにも予想外の情報だった。
ルイスは瞠目し、唇をわななかせる。しかしこのようなところで慌ててはならないという矜持が動揺を抑え付け、目に見えて取り乱すことは防がれた。
「襲われた、とは──加害者はわかっているのか?」
やっとの思いで問いかければ、エリスはふるふると首を横に振る。
「それがわからないの。何が起こったのか、私もさっぱりで……。でも、事故とは思えない様子だったし、誰かに襲われたとしか思えなくて。とにかく人を呼ばなきゃと思って、それで……」
「わかったから落ち着け。して、エレーレイス・ヘーゼルダインの容態は?」
「今はケント君が手当してくれているけど、きっと一人じゃ足らないと思う。無理を言っているのはわかるけれど、どうか手伝ってくれないかな。このままじゃ、エレーレイスさんは助からないかもしれない。そんなの、私、嫌だよ」
一次は落ち着きを取り戻したかに思えたエリスだったが、話しているうちにいてもたってもいられなくなったのだろう。両手で顔を覆ってしまった。
これにいち早く反応したのは、意外なことにサディアスだった。
「人を呼んでくる」
簡潔にそれだけを告げると、こちらの返事も待たず部屋を飛び出してしまう。あっ、とルイスが声を上げた時には、既に寡黙な従者は真っ暗な廊下へと身を投じていた。
口数が少ないのはどうかと思うが、今は四の五の言ってはいられない。ひとつ咳払いをしてから、ルイスは未だ狼狽しているエリスへと向き直る。
「大方の事情はわかった。他の連中はサディアスが呼び集めるだろう、まずはエレーレイス・ヘーゼルダインのもとに案内しろ」
「……うん、わかった。私も、いつまでもこんなんじゃ駄目だよね」
顔を上げたエリスは、こくりとうなずいて首肯する。それに肯定も否定もせず、ルイスは部屋にあった手燭を持ち、行くぞ、と彼女を促す。
「待って」
と、そこでエリスが制止の声を発した。彼女はルイスの手からひょいと手燭を取り上げると、そのまま先導するように歩き出す。
「私が前を歩くよ。ルイスさんは後ろを警戒していて」
「……ああ、そうだな。任せた」
この暗闇ではエリスの言う通り、背後に気を配らなければ危ないだろう。足下がおぼつかないこともあるが、エレーレイスが襲撃されているのだ。加害者がどこかに潜んでいると考えてもおかしくはない。
先を進むエリスの背中を見つめながら、ルイスはそっと息を吐く。
──エレーレイス・ヘーゼルダイン。あの男が、まさかこのような事態に陥るとは。
彼はあくまでも理性的で、エリスを保護しようと提案した男。それゆえに、彼女が狙われる可能性についても考慮していた。穏健派、というべき立ち位置にいると考えるのが妥当だろう。
そんな彼の方針は、少なくともルイスにとっては好ましいものだった。だが、参加者の中には他者を害してでもカルヴァート家の遺産を奪おうとする獣心の持ち主もいないとは限らない。恐らくそういった手合いによって、エレーレイスは襲われたのだ。
テジェリアか、テューフォンか、コフィーか。いずれも当てはまるような気がするし、そうした強硬策に打って出る程無謀にも思えない気がする。何せ、ルイスは伝聞でしか彼らのことを知らない。人となりならば尚更だ。
歯がゆさから唇を噛む。自分の無知さ加減に腹立たしくなった。
「……ルイスさん?」
エリスに声をかけられ、ルイスははっとして思考を中断した。振り向けば、いつの間にか部屋の前まで辿り着いていたらしい。
「大丈夫? 顔色が悪いみたいだけど……」
「問題ない。それより、早く入れてくれ。非常事態なのだろう?」
そう促せば、エリスはこくりと小さくうなずく。そして扉を押し開け、手燭で室内を照らし出した。
真っ先に視界に飛び込んできたのは、寝台の上に横たわる男。血色の失せた肌に、じっとりと血液の滲んだ痛々しい包帯──変わり果てたエレーレイス・ヘーゼルダインの姿であった。
その傍らには、彼の従者であるケントがおり、額に玉の汗を浮かべながら手当に励んでいる。二人が入ってきたことにさえ気付いていないようだった。
「……ケント君」
そんな彼の姿を見つめて、エリスは小さく呟いた。静かに寝台へと歩み寄ると、おもむろにエレーレイスの手を取る。だらりと力なく持ち上げられるそれは、生者らしさを微塵も感じさせない。
そのまま、エリスは顔を動かした。視線の先には、包帯を替えて必死に主の胸元へ布を押し当てるケントがいる。
「……もういいよ、ケント君」
「……は?」
ケントが顔を上げる。のろのろとした、緩慢な動きだった。
「何言ってるんだよ、まだ手当が終わってねえだろうが。このままじゃ、主が」
「うん。そうだね、助からない」
目に見えて狼狽えるケントに対して、あっさりとエリスは言い放つ。
その場の空気が凍ったと、半ば部外者のルイスにもわかった。きっと、ケントは傍らの少女を睨み付けている。あまりにも残酷な言葉を放ったエリスを、沈黙をもって非難している。
だが、エリスは怯まない。淡々と、ただひたすらに平坦な声で告げる。
「エレーレイスさん、死んじゃった」
エリスが手を離す。
放り出されたエレーレイスの腕は、重力に逆らうことなく落下し──くぐもった音と共に、寝台へと沈んだ。
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