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■エレーレイス・ヘーゼルダイン


 エリスが使う予定だった部屋は、予想通りエレーレイスの利用している客間とそう変わりない間取りをしていた。

 ひとまず言われていたように隠し通路を塞がなくてはならない。エレーレイスは室内を見回して、手近なところにあった椅子を動かして重石にした。手違いがないよう、エリスの記した室内図を持ってきたので場所を間違えることはないだろう。

 施錠を確認してから、エレーレイスは寝台へと腰かける。呑気に眠るつもりはないが、ずっと立ちっぱなしでいるよりは良いだろう。


(何はともあれ、エリスの信用を得られて良かった)


 ふうぅ、と息を吐き出しながら、エレーレイスは先のやり取りを思い返す。

 幸いなことに、エリスはエレーレイスたちを一時的なものではあれど協力者と見なしたようだ。少なくとも敵対者ではないと判断されたことには安堵するべきだろう。

 当初、エリスは孤立無援と形容しても差し支えない状況に置かれていた。参加者が求めるカルヴァート家の至宝をたった一人で守り抜こうとし、他の参加者から命を狙われることも危ぶまなければならない。その心労は相当なものだったはずだ。

 しかし、今は違う。エレーレイス、そしてケントは彼女を守ろうとしているし、確たる行動に移してはいないがメレディス主従とテオもエリスを害したくない旨を口にした。その事実だけでも、精神的な負担は大きく軽減されるに違いない。

 エリスに同情するなとケントは言った。たしかに、彼女の親族を謀殺し、追い詰めておきながら味方のように振る舞うのは卑怯だと思う。その事実をエリスは知らないであろうから、第三者から見たら尚更質が悪い。


(だが……私はどうしてもエリスを放っておけない)


  彼女がどんな境遇にあるかを知っているから。彼女の身の上に起きた悲劇を目の当たりにしているから。


(……あの子はもう、私にとって他人とは言えないんだ)


 そう考えて、エレーレイスは自嘲気味に口の端を持ち上げた。

 自分勝手にも程がある言い分だ。こんな感情はただの自己満足にすぎない。


(それでも、私はエリスを守りたい)


 彼女はきっと、この場で誰よりも孤独だ。あの細く儚い肩に、これ以上の重荷を背負わせたくない。それが偽善であっても構わない。自己満足でも構わない。彼女を一人にはさせない――そう決めたのだ

 そこまで考えたところで、ふっと息をつく。知らず知らずのうちに、思考の中へ没頭していたらしい。気づけば身体が強張っているような気がしたので、大きく伸びをした。

 結局、自分は昔から変わっていない。先程の思索を振り返り、エレーレイスは苦笑する。

 ケントを雇い入れた時も、彼への同情が抑えきれなくなったことが大きかった。貧民街で今にも力尽きそうな彼を目にした瞬間に、エレーレイスの体は動いていた。そのため出会った当初のケントからは不審な目で見られるどころか、激しく暴れて反抗されるなどしたのだが──今となっては笑い話だ。従者としてのケントは、エレーレイスの期待以上に上手くやってくれている。

 だから、きっとエリスのことも幸福にしてみせる。彼女から一時でも安寧を奪ったのだから、その罪滅ぼしがしたい。


(そのためならば、なんだって──)


 なんだってしてみせる。

 その決意に呼応するように、部屋の壁がぎしりと軋む。石造りの壁が軋むことに違和感を覚えたエレーレイスは反射的に顔を上げ、そして、


「──!」


 壁──正確には飾り棚のついた部分が、ぱかりと開く。

 そこから飛び出してきた人間は三人。いずれも手に短めの剣を握り、真っ直ぐエレーレイスへと迫ってくる。

 エレーレイスは咄嗟に立ち上がった。一撃目が降りかかる。


「くっ……!」


 振るわれた凶刃はエレーレイスの肩口から鳩尾にかけてを切り裂いた。痛みで一瞬息が詰まる。

 襲撃者はそのまま二撃目を繰り出してくる。それを間一髪で回避するが、体勢が崩れた。

 刺客たちがその隙を逃すはずもなく、振り下ろされた剣はエレーレイスの腕を浅く斬りつけた。焼けるような熱さが走り、思わず顔を歪める。

 だが、おとなしく殺されるつもりは毛頭ない。

 エレーレイスは身を翻し、毛布を持ち上げて被せるように一番近い位置にいる襲撃者へとぶつける。相手が動揺している隙を突いて駆け出し、出入口から廊下へと飛び出した。


(まさか隠し通路が二つもあるとは……!)


 腹部の傷を押さえながら、エレーレイスは無我夢中で歩を進める。行きはそう時間のかからなかった道行きだが、今となっては不自然な程に遠い。

 エリスでさえも把握できていなかった隠し通路。まさか本当に刺客の襲撃があるとは思いもしなかった。幸い、人目につくのを恐れてか襲撃者たちが追ってくる気配はないが、エレーレイスが負傷したことに変わりはない。早くケントのもとにたどり着き、治療を受けなければ。

 まるで見計らったかのような急襲。この古城にいるのは、本当に人間だけなのだろうか。

 朦朧とする意識の中、エレーレイスは必死に前進した。吐く息は荒く、傷口は焼け付くように熱い。それでいて、体からは温度が奪われつつある。


(私は……死ぬのだろうか)


 自らの血の臭いにせ返りそうになりながら、エレーレイスはぼんやりと思う。

 まだ、まだ死ねない。ここで死ぬべきではないと、エレーレイス自身が理解している。

 だが、エレーレイスはこれほどの重傷を負ったことはなかった。護身術として剣を握ったことはあれども、本物の殺気を前にしたのはこれが初めてだった。


『この城に足を踏み入れた者は、真に目的を達成するまでけっして立ち去ってはいけない』


 何故かここに来て、エリスたちと共に確認したゲッシュのことが思い出された。

 エレーレイスの目的。それはカルヴァート家の至宝を手に入れ、無事にイングランドへと戻ることだ。可能ならば参加者の誰も傷付くことなく会合が終われば良いと、他人事のように思っていた。

 きっと、他の参加者たちもエレーレイスと目的を同じくしているはずだ。帰着する展開はさておき、皆エリスの守る遺産を狙っている。


(だが……それを手に入れるのは、たった一組)


 誰もが目的を達成できる訳ではない。必ず、目的を果たすことなくこぼれ落ちる者が現れる。

 ゲッシュはある種の呪いだ。守った者には祝福、破った者には破滅が待っている。無論、それを実証する手立てはないのだが、こうした状況下に置かれているとどうしても気にかかって仕方がない。

 自分はゲッシュを守れるのだろうか。守らなくてはならない。守れなければ意味がない。


(私は……私は、カルヴァート家の至宝を手に入れ、混沌たるイングランドを修正しなくてはならない。それが、名門たるヘーゼルダイン家の使命だ。こんなところで、終わる訳には──)


 エレーレイスは歯を食いしばり、懸命に足を前へ動かす。ここで倒れてはいけないと、全身が叫びを上げる。

 真っ暗な廊下。どこまでも続きそうな暗闇を、ただ真っ直ぐに歩む。

 しかし、エレーレイスの体は思い通りに動き続けてはくれなかった。

 視界が揺れる。足がもつれ、その場にどさりと倒れる。

 体が言うことを聞かない。立ち上がることもできない。


(ああ……私は……)


 なんと惨めなのだろう。

 ずるり、と倒れ伏しながらもエレーレイスは進もうとした。血まみれの手を伸ばし、ただ、ただ前へ。


「──主……⁉」


 遠くで、ひねくれ者だが忠実で、誰よりもエレーレイスを理解する可愛い従者の声が聞こえた気がして。

 彼の名前を吐息にも近い声量で呼び──エレーレイスは意識を手放した。

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