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■レアード・テューフォン


 世の中には、存在が不確定ながらもまことしやかに囁かれている噂──いわゆる都市伝説が少なからず流布している。

 イングランド社会に流布する噂を、レアードはあまり知らない──彼に言わせれば、知る必要性がない。しかし、そんな彼でも耳にしたことがあり、かつ興味を惹かれているものがひとつだけ存在する。

 それこそが、カルヴァート家の至宝。イングランドに代々忠節を誓う一族が所有する、アルフレッド大王時代より受け継がれているという、国の歴史とも言える財産の数々。

 その財産が具体化に何を指しているのか、レアードは知らない。だが、そんなことはどうだって良い。目の前の少女──エリスが、たしかに口にしたのだ。それだけで、彼は十分だった。

 きっと、この場にいる誰もが動揺し、身の程知らずな期待を抱いているに違いない。何せ、この古城に集められた者たちの目的は一致している。主催者──エリスの叔父だという、エセルバート・カルヴァートも、それを見越してこの人選を決めたのだろう。


(すなわち──次の財宝の担い手を決める会合だ。この中から、新たな所有者が選ばれる)


 先程までの苛立ちは何処へやら、レアードは口元に笑みを浮かべてさえいた。

 カルヴァートの至宝は、一説によればイングランドそのものを動かせるという話だ。財宝はイングランドの何処かにあるというくらに収められ、その鍵はイングランド国王とカルヴァート家当主にのみ受け継がれる。カルヴァートの至宝を手にした者は、イングランドの片翼を担ったも同然だ。


「──エリス、といったわね。発言してもよろしいかしら?」


 ……と、レアードが思考を巡らせているうちに、挙手する者が一人。スペイン出身の才女、アドラシオンだ。本国の人間と遜色ない、淀みない英語である。

 彼女はその場から一歩も動かず、値踏みするようにエリスを見つめていた。エリスもまた視線を逸らさず、静かに言葉を返す。


「構いません。なんでしょうか」

「この会合の主催者はあなたの叔父上だと、先程申し上げたわよね。ならば何故、あなたが先に我々のもとへ姿を現したのかしら。エセルバート殿は、何をしていらっしゃるの?」


 鋭い声色だった。

 その言葉には、下手な誤魔化しは効かないという威圧が込められていた。場馴れしていない庶民であったなら、たとえ非力な女性が相手だったとしても竦み上がっていたに違いない。

 だが、エリスにも相応の胆力はあるらしい。しっかとアドラシオンと向き合うと、声を落とすことなく答えた。


「叔父は、亡くなりました」


 ──衝撃。

 それは波紋のように広がっていった。目に見えて動揺する者こそいなかったが、誰も彼も──ヴェールで顔を隠しているアイオナ以外──皆、多かれ少なかれ戸惑いと驚愕の狭間にいた。

 皆の反応を眺めつつ、エリスは毅然と続ける。


「叔父の死が発覚したのは、つい先程です。私と叔父は下準備のため、数日前からこの古城に入っていました。昨夜の時点で、叔父に変わったところはなかった。しかし、今日になっていつまでも起きてこないので、確認してみたところ……息絶えていたということです」


 皆さんへの呼び掛けが遅れたのもこれが原因です、とエリスは気丈に言った。


「ご迷惑をおかけしたこと、深くお詫び致します。申し訳ございませんでした」

「いや、それは構わない。不測の事態だ、君も大変だっただろう」


 紳士的に労うのはエレーレイス。レアードにとっては、いい子ぶるいけすかない男だ。

 しかしエリスは彼にしなだれかかるような振る舞いは見せない。いえ、と微笑み、すぐに表情を引き締める。


「それに伴い、今後は私が皆さんに事の次第を説明しようと思います。叔父のようにとまではいきませんが……私は、この会合を穏便に終わらせたい。そのためのご協力をお願い致します」


 さて、とエリスはすぐ近く──エレーレイスの対角線上の席へと向かう。しかし用意されている椅子には座らず、その場に立ったまま話を始めた。


「皆さんがこの場に集められた理由は、明らかかと思われますが……今一度確認しましょう。あなた方は、叔父の誘いに乗り、カルヴァート家に伝わる至宝──その鍵の所有権を求めて、こちらにいらっしゃった。相違ありませんね?」


 反論はない。皆、心を同じくしている。


「そうですか……わかりました。では、鍵について説明致します。至宝を集めた庫の鍵は、現時点で私が所有しています」


 告げると、エリスは襟元のボタンをひとつ外し、内側から何かを取り出した。

 首から下げられた、金色の鍵──それを掲げると、途端にその場の空気が張り詰めた。皆、目を皿のようにして至宝を繋ぐ架け橋を注視する。


「何故、跡継ぎになれない私がこの鍵を有したのか──という顔をされている方もいらっしゃいますね。たしかに、私は女。当主にはなれません。ですが、こちらの措置にも理由があります」


 その中に込められた反感を、エリスは感じ取ったのだろう。冷静な口調を維持したまま、鍵をしまって続ける。


「本来ならば、前当主──私の祖父の後を継ぐのは、父であるアダム・カルヴァートのはずでした。ですが父は女王陛下より下された命によりイングランドを離れ、そのまま六年間戻る気配がありません。遠く離れた地への派遣でしたので、五年までは致し方ないと判断されてきましたが──それもとうに過ぎてしまった。そして、父が戻らぬまま、祖父は他界してしまいました。父には私しか子がおらず、家を継ぐに相応しい親類は、何故か皆揃って亡くなっています。現時点では私が鍵を所有する他ありませんでした」

「待って。それならば、あなたの叔父上はどうなるの?」


 質問を挟んだのはアドラシオンだ。彼女の刺すような眼差しにも、エリスは屈しない。


「今は亡き祖父の意向です。カルヴァート家当主の座は、断絶でもしない限り本家に近しい人間でなくてはならない、と。叔父はもともと母方の人間かつ跡継ぎにはなれぬ次男だったため、私の後見を務めるために急遽後見人となったのです。ですが叔父はカルヴァート家の血を引いていない。叔父で当主の座が事足りるなら、このような会合は開催していません」


 それゆえに、とエリスは言葉を次ぐ。


「カルヴァート家の至宝を引き渡すに値する人間を見定めるため、叔父はあなた方をここに呼び寄せました。本来なら、叔父も交えて会合が行われるはずでしたが……彼がいないとなれば、私が決断する他ないのでしょう。どうかご理解いただきたい」


 異論は出なかった。皆、困惑しながらも、エリスの判断に従うことを決めたのだ。   ──レアードとしては、このような身分の低い──とはいえテューダー朝以前からイングランドで地位を築いている一族の一人娘である──女に従うのは、非常に不本意ではあったが。

 後見人であるエセルバートがいれば、彼を丸め込んで至宝を手にすることもできた。しかし、彼が不慮の死を遂げてしまった以上、エリス一人に集中するしかない。気丈に振る舞ってはいるが、どうせ単純な女なのだろう。自身の交渉術と財力にものを言わせれば、なんとだってなる。他の連中など、恐れる程のものではない──。


「──ですが、私の心は決まっています」


 ……などとほくそ笑んでいた矢先、凛としたエリスの声が響いた。レアードは反射的に顔を上げる。

 翠玉の双眸に射抜かれる。揺るぎない意思が、そこにあった。


「私は、この中の誰にも我が一族の至宝を渡すつもりはございません」


 揺らぐ水面に、またひとつ石が投じられた。

 誰もが瞠目し、エリスを凝視した。この少女は、本気で言っているのか。叔父という後ろ盾を失った身で、尚も我が儘を通さんとするのか。

 頭がおかしい。生意気だ。エレーレイス以上に気に食わない。

 レアードの心に、苛立ちがぶり返す。目の前の美しい少女は、ただの障害物にしか見えなくなっていた。


「ああもう、この際だから改まるのはやめにする。私は本気だよ。本気で、鍵を渡すつもりはないの。一週間後に人数分の馬車を寄越すつもりだから、それまで悪いけどこの古城でくつろいでいて。自力で帰るっていうなら、どうぞご自由に。私から皆に求めることはそれだけだから、よろしくね」


 ふっ、とエリスの肩から力が抜ける。言いたいだけ言ってすっきりしたのかもしれない。

 だが、彼女以外の面々は勿論納得などしていない。当然、反論の声が上がる。


「貴様──どれだけ愚かな決断か、理解しているのか?」


 真っ先に異議を申し立てたのは、やはりレアードであった。

 納得がいかない。何故そうまでして自分の邪魔をする。この女さえ素直になれば、レアードの勝利は確約されたも同然なのに。


「わからない。少なくとも、私は自分の判断を愚かだとは思っていないよ」


 エリスは当然のように反論した。全く臆する様子などない。スコットランドでは名の知れた、それこそカルヴァート家とは比較にならない程の領地を有しているテューフォン家の嫡男に対して、である。

 気位の高いレアードとしては、殺意さえ抱く対応だった。身の程をわきまえない、愚かで下品な女。目の前に立たれ、そして主導権を握られていることそのものが憎らしい。


「彼と同意見ということは不本意だけど……私もあなたの判断には同意しかねるわ。あなたがカルヴァート家の至宝を持っていたとして、一体何になるというのかしら?」


 前半部分に聞き捨てならない発言があったものの、アドラシオンもレアードの意見に同調した。エリスの罪を暴き立てるような、鋭い睥睨が飛ぶ。


「それに、私たちが口にせずとも、皆あなたに従って何もせず帰るつもりはないと思うわ。ねえ、招待客の皆様。エリスの意向に従って、彼女にカルヴァート家の至宝を預けたい? そう思う方は、今すぐ挙手してはくれないかしら」


 口調こそ皆の意思を尊重しているようだったが、アドラシオンの眼力には挙手などしないだろう、という恫喝めいた鈍い光が宿っている。力を持たないからこそ、話術で他者を支配することに長けているのだろうか。

 この空気では、たとえエリスの意向に賛同していたとしても挙手などできまい。案の定、その場にいる招待客の誰もが手を挙げず、責めるようにエリスを見つめるばかりだった。

 エリスは困ったように苦笑いする。忌々しいということに変わりはないが、さすがのレアードもその顔立ちが整っていることは認めざるをえなかった。


「そっか……そういうことなら、仕方ないね。わかった、話し合おう。皆の意見を聞いたら、私も心変わりするかもしれない」

「かもしれない、ではないわ。心変わりしてもらわなければ困るのよ。何にせよ、あなたの考えには賛同できません。あなたが折れるまで、私は反対し続けるわ。賢明で迅速な判断をお願いしたいわね」


 それから、とアドラシオンは冷俐な声色で切り込む。


「名家とはいえ、カルヴァート家の規模はたかが知れている。先導者と言わんばかりの態度はやめてくれる? 分をわきまえることね」


 エリスは一瞬瞠目し、その後に少し口角を上げながら肩を竦めた。牽制など効いていない、と言うような態度だった。

 そして、彼女は何事もなかったかのようにアドラシオンから目を離す。にっこりとお手本のような笑顔を浮かべてから、くるりと出口の方へ踵を返した。


「エリス」


 そのまま退室するかと思われたエリスだったが、呼び止められてすぐに振り向く。彼女の視線が向かう先には、忌々しい金髪。


「呼び止めてすまないね。一度、エセルバート殿にお会いすることは可能だろうか。ただ亡くなった、と言われただけでは、納得しがたい部分も多い。君の許す範囲で、色々と確かめさせてもらいたい」

「……エレーレイス・ヘーゼルダインさん、だよね? うん、勿論。私も突然のことで、わからない部分が多いから……そうしてもらえると、すごく助かる」

「ありがとう。では、同行させてもらうとしよう。改めて、よろしく頼むよ」


 従者であるケントを伴ったエレーレイスは、エリスと共に颯爽と大広間を出た。その様子を窺うようにして、または自らの意思で、その他の面々も大広間を後にする。

 最後に残されたのは、レアードとその従者。自分たち以外、誰もいなくなったことを確認してから、彼は従者を側に寄らせる。


「……マイカ。全員の顔と名前は把握したな?」

「うん。当然でしょ」


 中性的な従者──マイカは、自信たっぷりにうなずいた。自分に対して敬語を遣わないところは気に食わないが、マイカにはそれだけの実力がある。実力主義のレアードが認めるのだ、その能力に間違いはない。

 ここだけの話だが、マイカはテューフォン家に仕えている使用人ではない。会合にあたり、外部から呼び寄せた人間だ。レアードの求める能力を持つ者は、テューフォン家内にいなかった。そのため、莫大な資金を投じてマイカを雇ったという訳だ。

 その職務経歴は、既にレアードも把握している。この麗しき従者ならば、彼の望む成果をもたらしてくれるだろう。


「良いか、余程のことが起こりでもしない限りは事前に打ち合わせた通りで行け。決して失敗は許さん。僅かでも仕損じた場合、その時が貴様の命日になる覚悟をしておくんだな」

「大丈夫、ちゃんと理解しているよ。でも、今日はせめて様子見に徹したいな。あいつらの実力、まだ見極めていないからね」

「ああ、わかっている。だが、すぐに済ませろ。もたもたしていたら、他の連中の邪魔が入るやもしれん。それだけは避けたい」


 アイオナやルイスは眼中にないが、残りの二組──エレーレイスとアドラシオンは要注意人物だ。あの二人は侮れない。認めたくはないが、レアードの上を行く作戦を練っているかもしれない。出し抜かれるのは、何としてでも避けたいところだ。

 任せて、と微笑するマイカを他所に、レアードは焦燥を募らせる。一刻も早く、カルヴァート家の至宝を手に入れたい。その一心が、彼をいつになく急き立てていた。

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