第16話 悠真! 悠真!!!
「ふふふふ~ん、ふふふふ~ん♪」
悠真君マンゴーラッシーは好きかな、美味しいって飲んでくれるかな?
私は大好きだから、悠真君も同じもの好きになってくれたら……えへへ、それなら凄く嬉しいな! 悠真君も私と同じもの、好きになってほしいな!
「ふふふ~ん、次はおかし~! 美味しい~おやつは戸棚のうえ~! 甘い美味しいお菓子大好き、私大好きお菓子さ~ん」
私知ってるもんね、お母さんが戸棚の上に美味しいお菓子隠してるの知ってるもんね! 歩美ちゃんとたまにつまみ食いしてるもんね!
今日もあそこの扉を開けばいつもの美味しいお菓子が……じゅるり。
「待っててね、お菓子ちゃん! それ、よいしょ、よいしょ、ん~よいしょ! ひょいひょいひょいしょ……う~ん、届かない、戸棚高い。そり立つ壁」
う~ん、戸棚が高すぎて届かないよ、私の身長じゃジャンプしてももう一歩届かない。いつもは歩美ちゃんに開けてもらってるから私でも届くと思ったけど……うみゅ、なかなか厳しいものがあるね。
「うみゅ、どうしよ、あそこのお菓子悠真君にも……あ、今日も歩美ちゃんに……だ、ダメダメ! わ、私は悠真君と歩美ちゃんよりお姉さんなんだから! お姉さんの私が色々悠真君にしてあげるんだから!」
ずっとずっと悠真君とか歩美ちゃんに頼ってばっかりじゃダメだからね、私もお姉さんしないとだからね!
だから戸棚上のお菓子くらい、私が一人で……あ、椅子! この椅子を足場にしよ!
「ちょっと重たいけど、なんとか持てる……うわっ、この椅子、グラグラ……うわっ!?」
思ったよりこの椅子、足場に向いてない!
足元グラグラして、グルグル回って……ううっ、ちょっと目回っちゃった。
「うゆっ、ふらふらしんどい、おえっ……で、でも負けない! 悠真君と一緒に、美味しいお菓子食べるんだ! 頑張れ、私はお姉さん! お姉さんだから頑張れる、悠真君のために頑張る!」
えへへ、待っててね悠真君!
私が美味しいお菓子届けるから、悠真君と一緒に食べるために!!!
☆
「名前で呼んで、私の事。藤井さんじゃなくて名前―ちゃんと歩美、って呼んで」
さっきまでの殺伐とした真っ黒で尖った雰囲気をピンク色のほわほわした甘い色に反転させて、瞳に浮かぶ怒りのギラつきを甘々な幸せに変えて。
お互いの息が当たってしまうような距離までピンク色に上気したキレイな顔を近づけた甘える猫のようなポーズの藤井さんが、俺の唇に人差し指をぴとっと当てながらそうイタズラに呟く。
期待と楽しみのこもった、声で。秋穂さんによく似た蕩けた幸せ笑顔で。
「……ど、どう言う事!? な、何でそうなるの!? なんで俺が藤井さんの事を名前で呼ぶとかそんな……もがっ!?」
突然、俺の口にふわっと柔らかい感触がぶつかる。
俺の唇つけていた人差し指をパッと広げた藤井さんがその柔らくて小さな手のひらで俺の口を覆って……ふわっ!?
「だーかーら! 藤井さん禁止、私は歩美! 私の事は歩美って呼んでくれなきゃヤダ、悠真は私を歩美って呼んで! 私の事は歩美以外ダメ、ずーっと歩美だよ、これから! だってわかったんだもん、私! 私、わかっちゃったの、全部! 全部全部わかったの!!!」
「ふがっ、もがっ……」
「だから悠真、まずは私の……あ、ごめん! ごめん悠真、息苦しかったよね? ごめんね、悠真、ごめん……で、でも悠真が大好き、って言ってくれたから。ちゃんと好きって言ってくれて、ずっと一緒に居たいって言ってくれて……だから嬉しかったの、私! 悠真がそう言う事言ってくれて嬉しかった! 嬉しくて、嬉しくて抑えられなくて……でもわかったから。悠真の理由、わかったから!」
「……え? な、何の話!? ちょ、え……ひゃう!?」
手を離してくれた藤井さんはハイテンションのまま、うっとりしたような目でじーっと俺の事を見つめる。
でもその目は獲物を狙う猟犬のようにも、大好物を目の前にした肉食獣のようにも見えて。
そんなどこか言いようのない恐怖を孕んだ藤井さんが、今度は俺のほっぺにぴたっと手を這わせて、
「うふふふっ、悠真カッコよくて、可愛い。やっぱり私の……ふふっ、今は違うね。今は見惚れてる場合じゃない……あのね、悠真。私ね、悠真が私じゃなくてお姉ちゃんと一緒に居る理由、わかったの。悠真がお姉ちゃんと付き合ってる理由、わかったの……ふふふっ、悠真、まずは名前からだよね! まずは私の名前、呼ぶことから始めよ! ほら、歩美って呼んで! 私の事まずは歩美って呼んで、悠真!」
「ちょ、え、だ、だからなんで? と、というかまず手離して、近いし、その……ひゃひっ!?」
「だーめ、離さない。だって悠真のほっぺ、温かくて気持ちいいんだもん、離したくないもん。それにこうすると悠真表情が色々……ねぇ。悠真名前で呼んで? 私の事、名前で呼んでよ……えへへ、まずは私、悠真と仲良くなりたいからさ」
「え、あ……えぇ?」
俺のほっぺにゆっくりと撫でまわすように指を這わせる眼前数センチの藤井さんはうっとりとした、でもどこか狂気に満ちた表情のままそうニコッと笑う。
何今日の藤井さんすごく怖い……な、仲良くなりたいって何!? ど、どうしたの急に、しかもそんな狂気的な……な、何本当に!? ちょっとおかしいって、今の藤井さんおかしいって!!!
「ふふっ、悠真のほっぺ、もちもちしてて好き。悠真のここ、ちゅー……ってまた藤井さんって呼んでる。ダメだって、それ! 私の事は歩美、歩美って呼ばなきゃやだ! そうしないと悠真のほっぺ、かぷってしちゃうぞ!」
「か、かぷ?」
「うん! 悠真のもちもち美味しそうなほっぺ、かぷってするの……えへへ、かぷかぷ!」
……ほ、本当に何なんですか、今日の藤井さんは!?
カプって何、テテフ、レヒレ? 自然の怒り……HP半分持ってかれる!?
「ふふっ、悠真! 悠真……えへへ、大好きなんだよね? 大好きで、ずーっと一緒に居たいんだよね? 今は我慢してるけど、本当は大好きなんだよね?」
こんな近い距離でも藤井さんはすごく可愛いし、こんな蕩けて甘々な表情の藤井さんなんて普通はご褒美だし、本能もそう言ってる……でも、頭の部分で、ただただ恐怖を感じてしまう。その目の奥に見え隠れする狂気が本当に恐ろしい。
何で、何があったのこれは?
さっきまであんなに怒ってたのに、今はこんなにピンク色で、幸せ甘々雰囲気で……ど、どう言う事、これ!?
も、もしかして秋穂さんへの大好きが暴走しすぎた感じ!? 秋穂さん大好きすぎて、色々暴走してる感じ!?
俺と秋穂さんのイチャイチャ見て、それで秋穂さんへのラブが暴走して、その暴走を止められなくて……そ、そう言う事ですか!?
「ねえ、悠真、名前。私の事、歩美って呼んで……まずはそこから始めないと、まずはここからだよね! 悠真と私、ここから始めないとだよね!」
……わかんない、そう考えても全然わかんない。
暴走したらこんな風になるの? どうすれば止められるの……そもそも暴走してるの?
困惑する俺をよそに、少しぷんぷんとピンクのほっぺを膨らませた藤井さんが、今度は耳元に顔を近づけてふーっと熱い息を吐きながら、
「も~、早く呼んでよ、悠真! 呼んでくれないと……もっとイタズラしちゃうぞ」
「ひゃい!? い、いたずら!?」
「ふふふっ、反応好き。大丈夫、そんなすごいことはしないよ。本当は悠真の耳、パクってしたかったけどまだ早いよね、これはもうちょっとあと」
「……え?」
「でも悠真の耳見てたら気持ち盛り上がってきちゃった、真っ赤でカッコ可愛いお顔見てたら興奮してきちゃった……えへへ、これくらいならいいよね……よいしょ!」
「!?」
ぶつぶつと何かを呟いた藤井さんが、猫のポーズから腰を下ろし、俺の伸ばした足の上に自分も大股広げて着地する。
「えへへ、お姉ちゃんの言う通り……私もこの体勢、好きかも。それに悠真の真っ赤なお顔も見れて、すごく好き……えへへ、今お姉ちゃんの気持ち、すごくわかる」
そしてその手を俺の腰あたりにぴたっと這わせて、いわゆる対面座位の……!?
「ちょ、藤井さん!? やばいって、この体勢はまずいって! これは本当にダメだって!!! この体勢はその、マジで……ひゃな!?」
やばいって、この体勢はダメだって!
藤井さんの甘いキレイな顔が近くにあるのもそうだけど、秋穂さんでは味わえないようなムチムチな感覚とか、そう言うビデオで見たえっちな……本当にやばいって、これは!
でも、そんな俺の気持ちはわかんないという風な藤井さんはその体制のままキュッと俺の腰をくすぐって、
「もー、また名前で呼んでない! 私の事は歩美、それにお姉ちゃんとはこう言う事してるでしょ? だったら問題ないよね、私でも? 大好きだから問題ないよね? 今も顔赤いし、しかもこれってやっぱり……えへへ、問題ないよね、悠真?」
「も、問題大ありだって! その藤井さん、この体勢は色々……」
「名前! 歩美って呼んでよ、なんでまだ呼んでくれないの? 大好きなんだよね、大好きなんだよね! だったら呼んでよ、私の事……私、悠真と家族になるんだよ? 家族になるのに名前じゃないの、おかしくない?」
「か、家族?」
「うん、家族! なるよね、つくるよね、私たちで家族!」
問題ありの体勢のまま、俺の腰に回した手の力をギュッと強くして、コテンと蕩けた顔を可愛く傾ける藤井さん。
でもやっぱりその目に孕む狂気や真っ黒な色は消せなくて……や、やばいって!!!
この体勢自体がすでにやばい体勢なのに、それとは違うベクトルのやばさが段々と音を立てて近づいてきて……ああ、もう!
秋穂さんとそう言う事になるのは嬉しいし、ああもうだ! こういう暴走には満足するまで付き合うのが吉だ!
「わ、わかった! 呼ぶよ、歩美ちゃんの事も! ちゃんと名前で呼ぶ、家族なるもんね! わかった、名前で呼ぶよ!」
「ちゃんもいらない、歩美が良い。お姉ちゃんと差別化で、歩美って呼んでほしい」
「そ、そっか! わかった、歩美! よ、よろしく、歩美!」
「うん、正解! それでいい、私はそれが良い……えへへ、悠真! 悠真!」
満足した様に微笑んだ藤井……歩美が俺に向かって幸せそうに微笑む。
よ、良かった! そ、それじゃあ秋穂さんが帰ってくるし……
「えへへ、悠真……ん~、悠真? 私の名前は? 私の名前呼んでくれないの? 私が名前読んでるのに、私の名前は呼んでくれないの?」
「え? あ、歩美?」
「うん! 悠真! 悠真!!!」
「う、うん! あ、歩美! 歩美!」
「えへへ、悠真! 悠真! 悠真!!!」
「悠真君、お菓子持ってきたよ! 悠真君と一緒に食べたいお菓子……ってあれ? 歩美ちゃん? 何してるの?」
突然部屋のドアが開き、お菓子とジュースを持った秋穂さんが入ってくる。
そして対面座位のまま、お互い色づいた表情で名前を呼び合う俺たちを見て、キョトンと目を丸くして……
「……!?」
★★★
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