7の33「ヨークとセイレム」
「ニトロさん」
ヨークは大神殿の地下牢を訪れた。
通路を歩き、牢屋を一つずつ見ていった。
その中の一つに、ニトロの姿が有った。
牢屋の中には椅子もベッドも無かった。
彼は小汚い床に腰をおろしていた。
同行していた神殿騎士が、牢の鍵を開いた。
扉が開け放たれ、ニトロは開放された。
ニトロは重い腰を上げて、ヨークの後ろを見た。
そこに立つリーンに向かって、ニトロは口を開いた。
「……決着がついたという事かな?」
「そうね。
トルソーラさまは亡くなられた。教えは改められた。
あなたの禁忌が裁かれることも無くなったわ」
セイレムにエルを産ませたニトロは、罰を受けて死ななくてはならない。
それが今日までの神殿のルールだった。
だがそれは撤回された。
首の皮はつながった。
だというのにニトロは、特に喜んだ様子も見せなかった。
「……そう」
ニトロは無気力な声音で言った。
「だけど私は、多くの人を傷つけてきた。
このまま開放されても良いとは思えないな」
ニトロは悪人だが、良心がまったく存在しないわけでは無い。
彼の価値観は、自分が罰を受けないという事実に、納得がいっていない様子だった。
「あなたがやった事なんて、私と比べたら大したこと無いでしょうに」
リーンの手は、ニトロよりも遥かに血に汚れている。
大虐殺を行ったことも、一度や二度では無い。
神の意思であるという点を考慮しなければ、彼女以上の極悪人は、この世に存在しないだろう。
そんな自分が堂々としているのに、どうしてニトロが落ち込む必要が有るのか。
リーンはそう言っているようだった。
「……人と比べるものでも無いと思うけど」
「真珠の輪の犯罪の全てを裁いていては、
際限が無いわ。
新しい教えに背くとはいえ、
今日までのそれは、神の真意だったのだから。
大神殿としては、
教えが改められるまでに犯された罪を裁く意向は無い。
今後あたらしい教えに逆らうのなら、
それは間違いなく神への背信。
そのときは、躊躇無くあなたは断罪されることでしょう」
「…………」
「納得がいかないという顔ね」
「当然だろう?
私の本性は、神の存在に根ざしたものじゃあ無い。
真珠の輪は関係ない。
私の罪は私自身のものだ」
「死にたければ勝手に死ねば良いじゃない」
「…………」
それも良いか。
そう思ったのだろうか。
ニトロは力なく笑った。
そのとき。
「お父様!」
聞き慣れた娘の声が、ニトロの鼓膜を揺らした。
ニトロのすぐ前の位置まで、サレンが駆け寄って来た。
「サレン」
「お父様が捕らえられたと聞きました!
いったい何が有ったのですか!?」
彼女の疑問にリーンが答えた。
「別に。もう釈放されるわ」
「そうなのですか? 良かった……」
サレンは安堵の笑みを浮かべた。
「そうですよね。お父様が罪を犯すはずが有りませんから」
サレンの言葉は父への信頼で満ちていた。
ニトロはサレンに対してだけは、決して裏の顔を見せなかった。
清廉潔白な、神殿騎士の模範。
善であり正義。
弱者に優しく、悪に毅然と立ち向かう。
サレンにとっての父は、そういう存在だった。
だが……。
「いや……」
「お父様?」
「私は悪いことをしたんだよ」
「嘘でしょう? お父様が……」
「本当だ。
サレン。キミは立派に成人を迎えた。
私が語る醜い真実も、きっと受け止められるね?」
「…………聞かせて下さい」
ニトロは要点をかいつまんで、自身の過去の行いを語った。
彼の話の中には、サレンの母の末路も含まれていた。
話を聞いたサレンの顔色は、とても良いとは言えなかった。
「酷い親で済まない」
「あなたが酷いだけの父だとは思いません。
人々を救ってきたのを、何度も見てきました。
たとえ悪魔のような面が有ったとしても、
その事実は変わりません。
あなたは人のために生きられる人です。
生きて罪を償って下さい。私はそう望みます」
「身内びいきだよ。それは。
世の中の人たちは、そうは思わないはずだ」
「構いません。
あなたに向けられる剣が有れば、
私はそれに立ち向かいます。
それで邪悪と呼ばれることになっても、悔いは有りません。
私はあなたを愛しているのですから」
「…………」
「それで? どうするの?」
問答に飽きたリーンが、横からそう尋ねた。
「……偽善者をやらせてもらうことにするよ。
私は……臆病だから」
「そう。ヨーク。あなたはどう思うの?」
「えっ? 俺に関係有るのか?」
「……無いような気がしてきたわ」
「だよな?」
次にニトロがヨークに声をかけた。
「……ヨーク。
キミのお母さんの所に案内したい」
「はい」
ヨークたちは大神殿を出た。
そして、ヨーク、ミツキ、ニトロの三人で、ニトロの家に移動した。
大神官をやっているだけあって、ニトロの家はちょっとした豪邸だった。
三人は正面玄関から家の中に入っていった。
「この部屋だ」
「…………」
ヨークはニトロに招かれて、個室へと入った。
かつてセイレムが監禁されていた地下室とは違う。
1階にある綺麗な客室だった。
ヨークは室内のベッドを見た。
そこに石像が横たえられているのが見えた。
自身に良く似た美人の顔が、ヨークの瞳に映った。
「この人が……俺の……」
「うん……」
「石化を解除する方法は無いんですか?」
「わからない。
彼女を石にした呪剣は、
トルソーラさまから授かった物だ。
あの方なら、解呪の方法も知っていたかもしれないが……」
そのときミツキが口を開いた。
「ちょっと良いですか?」
「うん?」
ミツキが前に出て、石像に手を伸ばした。
ミツキの手が石像に触れた。
すると石はあっという間に、生身の肉体へと変貌していった。
ニトロが驚愕の表情をミツキへと向けた。
「う……?」
生身に戻ったセイレムが目を開いた。
彼女はぼんやりとした表情で上体を起こした。
そして部屋の中を見回した。
彼女の目が、ニトロの瞳を捉えた。
「ニトロさん……?」
「覚えているかな?
キミは私の剣を奪い、自害しようとした。
そして、剣の呪いで石になってしまっていたんだ」
「……はい。覚えています」
「彼女はミツキ。キミの石化を治してくれた人だ」
「ありがとうございます」
セイレムは、ミツキに軽く頭を下げた。
「いえ」
「そして…………彼はヨークだ」
「…………」
ヨークは黙ってセイレムの瞳を見た。
セイレムもヨークを見返した。
そしてこう尋ねてきた。
「ヨーク……?」
「……うん」
「大きくなったのですね」
「……まあ」
「おいで。ヨーク」
セイレムはベッドを軽く叩いた。
「…………」
ヨークはベッドの端に腰かけた。
セイレムは、ヨークを後ろから抱きしめた。
「ごめんなさい。あなたを一人にしてしまって」
「別に。
色々有ったんだろ? 気にしてねえし」
「強いのですね。ヨークは」
「まあ……普通だけど……」
「話を聞かせて下さい。
あなたが歩んできた、これまでの道を」
「うん……」
……。
ヨークはセイレムに事情を話し終えた。
「だから、これからは第三種族だからって、
奴隷にされることは無くなると思う。
母……セイレムさんも、そんな首輪しなくて良いんだ」
「セイレムさん?」
ヨークにさん付けで呼ばれると、セイレムは表情を固くした。
そしてツンとした様子でこう言った。
「『ママ』って呼んでください」
「いや、それは……」
ヨークは強い躊躇を見せた。
人をママなどと呼ぶ機会は、産まれてこのかた一度も無かった。
「『ママ』」
セイレムはヨークに強い圧力をかけた。
「……………………ママ」
「かわいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」
「むぐうっ!?」
セイレムはヨークの顔を、自分の谷間へと押し付けた。
そして気が済むまで、ヨークの頭を撫で回したのだった。
「はぁ……はぁ……」
しばらくして開放されたヨークは、呼吸を荒くしていた。
「ごめんなさい。つい嬉しくて」
「…………首輪、外す」
ヨークは素手でセイレムの首輪を破壊し、放り捨てた。
「凄い……」
「鍛えてるから」
「がんばりやさんなのですね。ヨークは」
「うん」
「良い子良い子」
「…………」
「あの」
ミツキが口を開いた。
「はい。なんでしょうか?」
「旦那さんのことを、放っておいて良いのでしょうか?
あなたと同じく石にされているのでは?」
「ああ……。
会いに行かないといけませんよね」
ミツキに言われるまで、まったく気にも留めていなかった。
そのような様子で、セイレムはそう言った。
次にニトロが口を開いた。
「……そうだね。
大賢者様に頼んで送ってもらうことにしよう」
……。
「私は運送屋じゃない」
転移を頼まれたリーンは、不機嫌さを隠さなかった。
「悪い」
ヨークが謝罪すると、リーンはツンとした表情を崩した。
「……まあ、あなたには借りが有るから。
これで全部チャラだからね」
「わかった」
「……お人好し」
「何が?」
「行くわよ。ちゃんと掴まりなさい」
「は~い」
セイレムが間延びした声でリーンに答えた。
ヨーク、ミツキ、ニトロ、セイレムの四人が、リーンの体に掴まった。
リーンが転移術を使用した。
リーンはヨークたちと共に、村に瞬間移動した。
五人の足が、ハインス村の地面を踏んだ。
「わっ!?」
転移の場に居合わせたドンツが、驚きの声を上げた。
「あら。ドンツくん?」
「セイレムさん!?」
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