7の31の2「怨嗟と猫舌」



「運命を書き換える……? どういうことですか?」



 ミツキがトルソーラに尋ねた。



「悪いが、おまえと問答している場合では無い。


 ヨーグラウを倒さぬ限り、


 奴の体からは、邪悪な怨嗟が流れ続ける。


 このままでは、ヨーグラウの怨嗟で、世界樹が腐り落ちる。


 そうなれば、人々の魂が行き場を失う。


 世界の破滅だ。


 一刻も早く、術を完成させねば……」



 トルソーラの周囲で、強い力が渦巻いていた。



 彼の真剣な表情は、とても口を挟んで良いような雰囲気では無かった。



 だがそれでも、ミツキは彼に問いかけた。



「良いから答えて下さい!」



「む……」



 術の構築を続けたまま、トルソーラはしぶしぶと口を開いた。



「余は世界樹のあるじとしての権能で、


 運命に干渉する力を、人に授けることが出来る。


 自分自身のためには使えず、


 世界の危機を救うためという条件付きだが」



「それって……まさか……。


 あの日記帳は……あなたの力で……!?」




 ……。




 ある日、少年の村が、巨大なスライムに滅ぼされた。



 もっと自分に力が有れば。



 そう思い、少年は鳴いた。



 ある日、少年は黒鎧の戦士に敗れた。



 あの壁を、破ることさえ出来れば。



 そう思い、少年は鳴いた。



 ある日、少年の大切な人が、吸血鬼に殺された。



 この手枷さえ無かったら。



 そう思い、少年は鳴いた。



 邪龍の鳴き声が、世界にこだました。



 少年の中身は、邪龍の怨嗟で満ちていた。



 少年は産まれながらにして、世界に対する呪いだった。



 邪龍からこぼれた黒い怨嗟が、世界を埋め尽くしていった。



 神は人々を護るため、少年を救おうとした。



 神は村を救うため、少年に魔術の杖を与えた。



 少年は杖を用い、無事にスライムを討ち果たした。



 村は救われたが、世界は救われなかった。



 神は黒鎧の戦士を倒すため、一本のナイフを少年に与えた。



 そのナイフは、ハーフの少女の発明品だった。



 少年はナイフを用い、黒鎧の戦士を討ち果たした。



 ハーフの少女は救われず、世界も救われなかった。



 神は吸血鬼を倒すため、少年に魔弾銃を与えた。



 それはありふれたモノだったが、手枷を壊すには十分だった。



 吸血鬼は倒され、月狼族の少女も救われた。



 だが……。



 他ならぬ神自身のせいで、少女は命を落とすことになった。



 結局、世界は救われなかった。



 神は神を倒すため、少女に日記を与えた。



 そして、世界は……。




 ……。




「日記……? 何を言っている?」



 トルソーラはミツキに疑問符を向けた。



 トルソーラには、確かに運命を変える力が有るのだろう。



 だが彼本人ですら、運命の変化を察することは出来ていないらしい。



「……運命の改変は、これで最初では無いということです」



「確かか?」



「別に、嘘だと思ってもらっても構いませんけど」



「……何にせよ、急場をしのぐ必要が有る。


 おまえに余の力を預ける。なんとかしてみせろ」



 トルソーラはミツキに力を向けようとした。



 日記を過去に送ったのと同様に、また運命を書き換えるつもりなのだろう。



 だが、ミツキは首を横に振った。



「……いえ。


 私は今を、諦めたくはありません」



 そう言って、ミツキは前に出た。



「何か作戦でも有るのか……?」



「そんな立派なモノは有りませんけどね。ただ……」



 言葉を断ち切って、ミツキは地面を強く蹴った。



 そして。



「いい加減に目を覚ましてくださいっ!」



 ミツキのドロップキックが、ヨークの頭部に直撃した。



「ガウッ!?」



 ヨークは白龍の兜を砕かれ、吹き飛ばされた。



「ガウウ……!」



 ヨークはしりもちをつき、黒い怨嗟に下半身が埋まった状態で、ミツキを睨みつけた。



 兜を失くした顔は傷だらけで、両目からは、黒い血涙が流れていた。



 一方、彼と向かい合うミツキの脚は、黒い怨嗟に浸かっていた。



「馬鹿な……!」



 ミツキの無謀を見て、トルソーラは思わず声を漏らした。



 怨嗟は生命を蝕む。



 ミツキの脚からじゅうじゅうと、何かが焼けるような煙が出ていた。



 ミツキはそのまま、ヨークの正面に歩いた。



 そして膝をつき、下半身を怨嗟へと埋めていった。



 ミツキから上がる煙が、激しさを増した。



 激痛が走っているはずだ。



 だが、それを気にした様子も無く、ミツキはヨークに話しかけた。



「ヨーク……。


 こんなこと、あなたには似合いませんよ。


 らしくない事は止めましょうよ」



 ミツキはそう言って、ヨークへと手を伸ばした。



 ミツキの両手が、ヨークの頬を挟み込んだ。



 ミツキはヨークの頭を引き寄せようとした。



 それと同時に、ミツキは自身の顔を、ヨークへと寄せていった。



 お互いの息が触れ合うほどの距離にまで来た。



 ミツキは唇の間から舌先を伸ばした。



 ぺろりと。



 ミツキの舌が、ヨークの顔の傷に触れた。



 それからミツキは、自身の顔を少しだけ下げた。



 そしてヨークの唇に、自身の唇を合わせた。



 そのとき。



 ヨークの脳裏に、見覚えの無いはずの記憶がよぎった。




 ……。




「そこに……一族を逃がすと良い」



「感謝します」



 カゲツの剣によって、ヨーグラウの首が落ちた。



 首が落ちてもヨーグラウには、しばしの時間が残されていた。



 ヨーグラウは、すぐに訪れるであろう死を待って、目を閉じた。



(十分だ……。


 俺は……十分に憎めている……。


 この気持ちを……来世に持っていけるはずだ……)



 だが、そのとき。



 頬に温かいものを感じて、ヨーグラウは目を開いた。



「みゃあ」



 猫の声が聞こえた。



 ヨーグラウは声の方を見た。



 猫がぺろぺろと、傷だらけのヨーグラウを舐めているのが見えた。



(癒さないでくれ)



 もはやヨーグラウには、言葉を発することもできない。



 だから心のなかで願った。



(この怨嗟を薄めるような真似は、しないでくれ。


 俺の復讐にそんなものは不要だ。止めてくれ。


 だが……。


 とても……温かいな……)



 一抹の救いを感じながら、ヨーグラウの命は終わった。



 ヨーグラウの魂が旅立っていった。



「行くぞ。ニルヴァーナ」



 カゲツが猫の名を呼んだ。



 サーベル猫はにゃあと鳴き、主人の後を追っていった。




 ……。




 そして今。



___________________________




ユニークスキル 癒し手


 効果 触れた相手の傷病や呪いを回復させる


  追加効果1 相手への思いやりにより効果上昇


  追加効果2 舌で触れることにより効果上昇



___________________________




「あ……?」



 ヨークの血涙が止まった。



 顔の傷が塞がった。



 地にこぼれた黒い怨嗟が蒸発していった。



 辺りが静まると、ミツキはヨークから顔を離した。



「ヨーク。目が覚めましたか?」



「猫……?」



 ぼんやりと、ヨークはそう呟いた。



「猫がどうかしましたか?」



「あ……いや……。


 悪い。ちょっと寝惚けてたみたいだ」



「まったく。まだ戦闘中ですよ?」



「悪いって言ってるだろ?」



(まったく、敵わねえよなあ……)



 ヨークは苦笑しながら立ち上がった。



 そしてトルソーラを睨みつけた。



「なあ神様。


 ミツキのことを好き勝手言ってくれたな。


 凡庸だの何だのと。


 何も知らねえくせに、デタラメ言ってんじゃねえぞ。


 このドメ○ラが」



 対するトルソーラは、信じられないといった様子でミツキを見ていた。



「怨嗟を祓ったというのか。その女が。


 世界を破滅に導きうるほどに高まった、


 神魂の怨嗟を、たやすく……」



「良い女だろう?」



「かもしれんな」



 トルソーラはヨークを注視した。



 ヨークの体から、白いオーラが立ち上っていた。



 それは人の域を超えた、神の闘気だった。



 怨嗟は去り、神魂の力はヨークのコントロール下に有った。



 この力が有れば、トルソーラを倒せるのだろう。



 ヨークはそう考えた。



「ちょっと引っ込んでろよ」



 ヨークは白い力を抑えつけた。



 少しずつ、ヨークから放たれる闘気が減少していった。



 やがて闘気は消えた。



 ヨークが放つプレッシャーは、人間のそれに戻っていた。



「何のつもりだ?


 せっかく余を倒せるだけの力を取り戻したというのに。


 どうしてその機会を、棒に振ろうというのだ?」



「ヨーグラウの力でおまえをぶっ飛ばして、


 それでめでたしめでたしか?


 積年の恨みを叩きつけて、そんだけで全部終わりかよ。


 それってさ……。


 俺はどこに居るんだ? ミツキは?


 ヨーク=ブラッドロードはどこに居るんだよ。


 俺は俺の意思で、おまえをぶっ倒しに来たんだ。


 おまえが俺の仲間を傷つけたから、ぶん殴りに来たんだ。


 くだらねえんだよ。大昔の恨み言なんざ」



「大した矜持だな。だが、どうする?


 おまえは余に敗れた。


 どう足掻いてもその事実は変わらん。


 再戦を望む不遜は許してやろう。


 だが、ヨーグラウの神威無しに、どうするというのだ?」



(……俺にとって、一番大切なのはミツキだ。


 ミツキを守るためなら、ヨーグラウの力に頼っても良い。だけど……)



「まだだ」



 ヨークは魔導抜刀の構えを取った。



「まだ俺は……。


 ヨーク=ブラッドロードは、全部を見せちゃいねえ」



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