7の26「リーンと秘術」



「どうして……!?」



「分かりきった道理だと思いますが」



 苛立ちを隠せないリーンに対して、ザックスは堂々と答えた。



「賊が現れたのであれば、


 クローン=リーンが略奪される可能性も有る。


 賊の手が彼女に及ぶ前に、本懐を遂げた。


 私の行いに、何か過ちでも有りますかな?」



 トルソーラに仕える一族の者として、最善の選択をした。



 そう思っているザックスの言葉には、一片の揺らぎも無かった。



 彼のまっすぐな視線は、リーンを責めているようですらあった。



「……無いわよ」



 ザックスの問いに、リーンはそう答えた。



 それから彼女は思い切り、ザックスを殴り飛ばした。



「ぐっ……」



 床に転がったザックスは、リーンを見上げて言った。



「やはり情が移っていたのですな。彼女に」



「…………」



「どういうことだよ? クリーンはどうなったんだ?」



 二人のやり取りが理解できないヨークが、焦れて口を開いた。



「……クリーンは死んだわ」



「っ……!」



 ヨークはクリーンに駆け寄った。



 彼女の体は鎖によって、椅子に縛り付けられていた。



 頑丈なはずのその鎖を、ヨークは軽々と引きちぎった。



 鎖の破片が床に転がった。



 それからヨークは、クリーンの顔に耳を近付けた。



 そうするとクリーンが、すうすうと呼吸をしているのが聞こえた。



「生きてる……! 息をしてる……!」



 ヨークは安心した様子を見せた。



 だが、すぐにリーンが、無慈悲な言葉をぶつけてきた。



「じきに止まるわ。


 その体には、魂が無いのだから」



「…………?」



(魂……?


 そういえば、前にサンゾウも、


 魂がどうとか言ってた気がするが……)



「魂は、人の生存を支える重要なエネルギー体。


 この世界の人々は、


 魂が無ければ生存を続けることが出来ない。


 それが自然の摂理よ」



 語られたリーンの言葉を、無学なヨークは否定できなかった。



 それで、彼女の言葉が真実であるという前提で、こう尋ねた。



「クリーンの魂はどうなったんだよ?」



「在るべき所に帰ったわ」



 リーンはそう言って、家の天井を見上げた。



 そのずっと先には、広大な天空が広がっているはずだ。



「あの世に行ったって言いたいのか?」



「いいえ。


 彼女の魂が向かったのは、世界樹の頂上。


 トルソーラさまの所よ」



「何のために」



「クリーンに宿っていた魂は、元々はトルソーラさまの物だから」



「……………………?」




 ……。




 昔々、ある日の世界樹の頂上。



 トルソーラとリーンは、そこでカードゲームに興じていた。



「スリーソード」



「トリプル。私の勝ちですね」



 トルソーラの手は、あまり良いものでは無かった。



 対するリーンの手札では、同じ数字が三つ揃っていた。



 今回の勝負はトルソーラの敗北だった。



「ふむ……」



 勝負に区切りがつくと、トルソーラはカードをシャッフルし直した。



 負けたばかりだが、苛立ったりした様子は見られない。



 彼にとってこのゲームは、会話のおまけ程度のものに過ぎないのかもしれない。



「まだ見つからんか。聖剣を複製出来る魔導技師は」



「はい」



 トルソーラの問いに、リーンは頷いた。



 かつて聖剣は、カナタ=メイルブーケによって破壊された。



 それは聖障壁を破るための唯一の手段だった。



 聖障壁を破らねば、ガイザークを倒すことはできない。



 ガイザークを倒すには、聖剣が必須だということになる。



 オリジナルの聖剣は、トルソーラが神の力で生み出したものだ。



 だが今は、トルソーラが持つ力は、その大半が封じられている。



 そんな状態では、新たな聖剣を生み出すことなど不可能だった。



 文明レベルが進めば、人々の手で聖剣を生み出せるのではないか。



 トルソーラはそう予期し、時が来るのを待っていた。



 そして彼らが抱えている問題は、聖剣の有無だけでは無い。



「それに、聖剣を与えるに足る剣士も見当たりません。


 鍛えられた神殿騎士でも、レベル80が限界。


 私がレベリングすれば、


 上っ面のレベルだけなら、もう少しは上げられますが……。


 そんな見せかけの強さでは、とてもガイザークには敵わないでしょうね」



「忌々しい。


 ガイザークにこの身を縛られてさえいなければ、


 新たに神剣と血族を生み出せるというのに。


 密室の鍵が、部屋の中に置き去りになっているようなものだ。


 カナタ……。何故裏切った」



「止めましょう。あの男の話は」



「…………アルゼとミーナの子供たちはどうだ?」



「赤肌を継いだ子供たちは、


 並の人族よりは優れた力を持っています。


 ですがやはり、二人には及びません。


 神の血に自らの力で耐えた者と、ただ受け継いだ者とでは、


 素質に差が有るのでしょう」



「むぅ……。


 何か……無いものか。ガイザークの呪縛から逃れる方法が」



「…………」



 トルソーラを満足させられるだけの答えを、リーンは持っていなかった。



 それで沈黙し、神の次の言葉を待った。



「ヨーグラウは……どうなったかな?」



「どう……とは?」



「死んだヨーグラウの魂は、輪廻の輪に帰っただろうか」



「かもしれません」



「あやつは死によって、


 我らの呪縛から免れたのかもしれん。


 死してなお、ヨーグラウが我らのことを忘れぬと言うのなら……。


 余は生まれ変わったあやつに討たれるだろうか?」



「…………」



 リーンはその疑問にも答えられなかった。



 ただ黙り、神の言葉に耳を傾けた。



 リーンが少し待つと、トルソーラがこう言った。



「あるいは……


 この余自身が転生するというのはどうだ?」



「トルソーラさま?」



「ガイザークへの呪縛は残したまま、


 余への呪縛は抜け殻の肉体へと逸らす。


 そして、転生した余の神力で聖剣を生み出し、ガイザークを討つ。


 どうだ?」



「そのような事が可能なのでしょうか?」



「やってみなくては分かるまい。


 リーンよ。術を完成させろ。


 余を転生させ、ガイザークへの刺客とするのだ。


 そしてガイザークを討った後は、魂を元の体へと戻せ。良いな?」



「努力します」



「うむ」



 そして数百年後。



 リーンはトルソーラの元を訪れる。



 その傍らにはニトロの姿も有った。



「…………」



 ニトロは黙って跪き、頭を下げていた。



 その隣にはリーンが立ち、トルソーラに視線を向けていた。



「何用だ?」



 トルソーラがリーンに尋ねた。



「トルソーラさま。転生の秘術が完成しました」



「よくやった」



「ありがとうございます」



「では、早速やってみせろ」



「もうですか? 今生との別れとなるわけですし、お心の準備などは……」



「余が何年待ったと思っている。とっととしろ」



「はい。それでは……」



 そう言うと、リーンは自身の腹に手を当てた。



 そして苦しそうに呻いた。



「ん……!」



「何をしている?」



 トルソーラは術の全貌を、リーンから聞かされてはいない。



 リーンの意図がわからずに、そう質問した。



「普通の胎児に、


 トルソーラさまを転生させることは出来ません。


 芽生えた命には、すぐに魂が入り込んでしまいますから。


 ですから、今ここで、


 私の胎に私自身のクローンを着床させます。


 そして着床の瞬間にトルソーラさまに術をかけ、


 魂を胎児へと移動させます」



「おまえが余を産むわけか」



「そういうことになりますね」



「ビックリだ」



「そうですね」



「……苦労をかけるな」



「続けますよ?」



「ああ……」



 リーンの手が、強く輝いた。



「んんんっ……!」



 外からは見えないが、リーンの胎には新しい命が宿ったはずだった。



 リーンは次いで、トルソーラへと両手を向けた。



「ぐ……!」



 トルソーラは呻いた。



 トルソーラが抗う気であれば、聖障壁が術を弾いただろう。



 だが、攻撃的な性質を持つリーンの術を、トルソーラは無抵抗に受け入れた。



 トルソーラの体から、真っ白に輝くエネルギー体が吸い出された。



 そしてそれは、リーンの胎内へと吸い込まれていった。



 魂を失ったトルソーラは、リーンの術によって氷漬けとなった。



 魂の無い肉体を生き永らえさせるための、延命の秘術だ。



 トルソーラは未だ健在。



 そう認識したガイザークの術は、抜け殻の肉体へと働きかけ続けることだろう。



「はぁ……はぁ……」



 術の疲れから、リーンは膝をついた。



 そんな彼女を、ニトロが気遣う様子を見せた。



「だいじょうぶですか? 大賢者様」



「……多分ね。


 産まれて初めてなんだから。こんなこと」



「それはそうでしょうね」



「……育休を取らせてもらうわ。


 私が休んでいる間、真珠の輪のことをよろしく頼むわ」



「新入りですよ? 私」



「あなたに私たちが、どれだけ投資したと思っているの?


 代償は払ってもらう。そう言ったでしょう?」



「はぁ。がんばります。


 ……魔族は滅びることになるのでしょうか? 第三種族も」



「上手く行けばね」



「…………」



「黒翼の愛人が心配? 上手く手柄をあげれば、


 奴隷の一人くらいは生かしても許されると思うわよ」



「そうですか」




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