7の21「妻殺しとさらなる凶行」


「他人の妻を奪って良いだなんて、知らなかったよ。


 本当に、目から鱗が落ちた気分だ。


 ああ……。世間知らずだったな。私は。


 ありがとう。大切なことを教えてくれて、本当にありがとう」



「あなた……何を言って……?」



 イザベラは困惑を見せた。



 今のニトロがまとっている雰囲気は、彼女が知る普段の夫とは明らかに異なる。



 ニトロは少し目を見開いて、口の端では冷たい笑みを浮かべていた。



「さて……。


 キミはもう、要らないな」



 そう言って、ニトロは抜刀した。



「えっ……!?」



 イザベラは驚きを見せた。



 まさか温厚な夫が、いきなり剣を抜くとは。



 とはいえイザベラはまだ、自分に危害が及ぶとは思っていなかった。



 だって、自分の夫は『いいひと』なのだから。



 イザベラは夫を舐めていた。



 その判断が過ちだったということに、彼女が気づくことは無かった。



 イザベラの首に、スッと線が走った。



 そして彼女の頭は、ごろりと地面に落ちた。



 遅れて首から血が噴き出した。



 法の裁定を受けることも無く、淫婦はこの世から去った。



 イザベラの血が、モングーザの体を汚していった。



「な……! 何考えてやがる!


 自分の嫁を殺すなんて……!」



 モングーザは狂人を見る目をニトロへと向けた。



 ニトロにはモングーザの言葉こそが、狂人のそれに感じられた。



「自分の嫁……?


 ソレはキミのだろう?」



 ついさっきまで繋がっていたくせに、コイツは何を言っているのだろうか。



 ニトロはそう思っていた。



「ああ。それにしても……。


 よくも人の妻をさらって犯して殺してくれたね?」



「何言ってやがる……!」



「ああ。助けるのが間に合わなかった。なんてかわいそうなイザベラ」



「このキ◯ガイが!」



 モングーザは、ニトロに立ち向かおうと構えた。



 モングーザの体格は、ニトロよりもたくましい。



 外見だけを見れば、彼はニトロよりも強そうに見えた。



 だが、ニトロは神殿騎士だ。



 メイルブーケ一族に並ぶ、王都で最強の武装集団の一員だ。



 そこいらのチンピラが、太刀打ちできる相手では無い。



 おまけにモングーザは丸腰だ。



 勝負になどならない。



「死ね」



 ニトロの剣が、モングーザの胴を断った。



「あっ……」



 その上半身が崩れるのを見届けることなく、ニトロは部屋を出た。



「ヒッ……!」



 廊下には、受付の男の姿が有った。



 ニトロが何をしでかすのか、様子をうかがいに来ていたらしい。



 ニトロには、男を生かしておく理由は無かった。



 余計な事を言いふらされては困るし、何より目障りだ。



 ニトロは剣先で、受付の胸を突いた。



 剣は無慈悲に心臓を破壊した。



「あが……」



 胸を鮮血に染めて、受付は床に崩れ落ちた。



 ニトロは表情一つ変えず、その建物を出ていった。




 ……。




 後日。



 王都の大神殿。



「ニトロ」



 ニトロは大神官である父のフーダイに呼び出された。



 フーダイの執務室で、ニトロは父と対峙した。



「はい」



 ニトロはやる気のない口調で、父に言葉を返した。



「痩せたか?」



「そんなことは無いと思いますけど」



「まあ良い。それよりも……。


 イザベラを殺したのはやりすぎだったな。


 彼女の家は、それなりに力が有る。


 だからこそ、おまえの結婚相手に選んだというのに……」



「はぁ」



「いくら私でも、今のままではおまえを庇いきれんぞ」



「はぁ。そうですか」



 心底興味がなさそうな様子で、ニトロはそう返した。



 様変わりしたニトロに、フーダイは呆れ顔を向けた。



「……女を寝取られたくらいで、腑抜けおって」



「…………。


 あの女は、間男の子を宿し、俺の子と偽りました。


 その首を斬ったのが、そんなにいけないことでしょうか?」



「構わんさ。あの女の家に、何の力も無いのならな」



「それで、私の処罰はどうなりますか?」



「早まるな」



 そう言うと、フーダイは机に真珠の腕輪を置いた。



「取れ」



「これは……」



「真珠の輪に入れ。ニトロ。


 そうすれば、組織の力でおまえを守ってやれる」



「ちから……」



 ニトロは真珠の腕輪を手に取った。



「真珠の輪とやらに入れば、助力がいただけるというわけですか」



「その代わりに、おまえは大賢者さまのために働かなくてはならない」



「それは構いませんけど……。


 その助力というやつ、


 あと少し前借りさせていただいても良いですかね?」



「何をするつもりだ?」



「女を一人、見つけてもらいたいのですが」



「何者だ? その女というのは」



「以前王都に居た、第三種族の女です。


 彼女を……私のモノにする」



「好きにしろ。ただし、子は残すなよ」



「ありがとうございます。父上」



 ニトロは世界樹の頂上で神と対面し、真珠の輪の一員となった。



 そして神から新たな力を授かった。



 一週間後。



 ニトロの視線の先に、小さな村が有った。



「あなたが探していた女は、あの村に居るわ」



 ニトロの隣で、リーン=ノンシルドが口を開いた。



 彼女には、強力な『探知』スキルと転移の力が有る。



 彼女が本気になれば、どこの誰だろうと、見つけ出すのはたやすかった。



 たとえその相手が、王都から遠く離れた田舎に住んでいたとしても。



「ありがとうございます。大賢者様」



「はぁ……。どうして私がこんなことを……」



 横恋慕の手伝いなど、本来であれば、自分がするようなことではない。



 そう思っているリーンが、うんざりとした表情を見せた。



 そんな些細な抗議など、今のニトロからすれば、どうだって良いことだ。



「それでは、行って参ります」



 ニトロはリーンと別れ、村に侵入した。



 そして村人たちに気付かれないように、セイレムの居場所を探った。



 田舎の村というだけはあって、ハイレベルの冒険者などは住んでいないようだ。



 ニトロの技量が有れば、村人から気配を隠すことなど簡単だった。



 その気になれば、村を全滅させることすら可能だったはずだ。



 さすがにそこまですることは無い。



 そう考えたニトロは、慎重に村を進んでいった。



 村は狭い。



 ニトロはさほど困らずに、セイレムの家を見つけることが出来た。



 窓から家を覗き込むと、久しぶりにセイレムの顔を拝むことが出来た。



 ずっと恋焦がれていた、愛しい人の顔だ。



 それを単純に嬉しいと思えなかったのは、セイレムの傍に、彼女の家族が居たからだ。



 セイレムの隣にはリュークが、そして彼女の腕の中には、赤子の姿が有った。



 赤子の名前がヨーク=ブラッドロードということを、ニトロはまだ知らない。



 ニトロは気配を殺したまま、家の様子を観察した。



 今すぐに押し入って、セイレムを奪い去りたいという気持ちは有った。



 だが、それが最適解だとも思えなかった。



 もう少しスマートに事を進めたい。



 そう思ったニトロは、リュークが一人になる時をじっと待った。



 辛抱強く待っていると、リュークは家を出た。



 それから村を出て、村の近くに有る森へと向かっていった。



 木の実でも取りに行くつもりだろうか。



 ニトロは気配を殺し、リュークの後を追った。



「リューク」



 リュークが森に足を踏み入れると、ニトロは背後から声をかけた。



「え……?」



 リュークは振り返った。



「ニトロ……?」



 彼の表情からは、戸惑いが読み取れた。



 リュークはニトロに行き先を教えていない。



 こんな田舎の村に居るだなんて、分かりようが無いはずだ。



 それなのに、いったいどうしてここに居るのか。



 ……何のために?



「久しぶりだね。リューク」



 ニトロは親しげな笑みを浮かべた。



 だが、彼が次に取った行動は、親しさからはかけ離れていた。



「悪いけど、世間話をするつもりは無い」



 ニトロは神から授かった呪剣を構えた。



「っ……!」



 久闊を叙するいとまなど無い。



 そう悟ったリュークは、ニトロに背中を向けた。



 そして走って逃げようとした。



「無駄だよ」



 商家の子息であるリュークと、神殿騎士として修行を積んだニトロ。



 二人の身体能力には、大きすぎる差が有った。



 呪剣がリュークの背を突いた。



 剣はリュークの胴体を貫通し、胸の方にまで抜けた。



「が……!」



 ニトロはすぐに剣を引き戻した。



 リュークは為す術なく倒れた。



 そして……。



「……!? 体が……!?」



 リュークは自分の傷口が、石になっていることに気付いた。



「この呪剣は、キミを石にする」



 リュークからセイレムを奪うことを、ニトロは心に決めていた。



 それは絶対の決定であり、覆ることは無い。



 だが、友だったリュークを殺めることに、嫌悪を覚える自分も居た。



 そんなニトロの妥協の選択肢が、石化の呪剣だった。



 石となり生きながらえることが、リュークにとって幸せな事なのか。



 ニトロには分からなかった。



「セイレムは貰っていくよ」



「どうして……分かった……?」



「…………?」



 リュークが何を尋ねているのか、ニトロは一瞬迷った。



 それから自分なりに結論を出し、こう答えた。



「居場所のことなら、


 同僚に人探しが得意な方が居てね。


 キミたちのことは、彼女に見つけてもらった」



「…………」



 リュークの石化は進み、既に体の半分以上が石となっていた。



「息子を……ヨークを頼む……」



 そう言い残して、リュークは完全に石となった。



「そんな……


 そんな頼みごと……私が聞きたいと思うか?」


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