6の31「起業と入院」
真珠貝の援助によって、魔導器工房が設立された。
工房には、イジューの名がつけられた。
ドミニ魔導器工房の誕生だった。
学校を出たばかりの若造が、工房の主になるなど、尋常では無い。
異例の出世コースだと言えた。
とはいえ、新参の工房が簡単に成り上がれるほど、甘い業界でも無い。
イジューは寝る間も惜しんで働いた。
一年ほど経つと、工房もそれなりの形にはなってきた。
イジューはそこで初めて、休みを取ることにした。
里帰りをしよう。
イジューはそう考えた。
それで金貨を包んで、孤児院へと足を向けた。
世話になった孤児院への、恩返しをするつもりだった。
イジューは孤児院の庭へと入っていった。
シホと別れてからは、1度も訪れたことが無かった。
久しぶりの帰省だった。
「あっ……」
孤児の一人が、イジューに気付いた。
その少年のことは、イジューも良く知っていた。
友好的な関係を築けている。
イジューはそのつもりだった。
「皆! イジューだ! イジューが来たぞ!」
少年が叫んだ。
「…………?」
少年の声に、他の孤児たちも集まってきた。
在学中によく帰省したが、このような反応は初めてだった。
(俺が社長になったからかな?)
イジューはのんきにそう考えた。
自分が有名人になったから。
それに、しばらく帰れなかったから。
皆いつもよりも、自分に会いたいと思っていたのかもしれない。
そんなふうに考えた。
ちょっとしたスター気取りだった。
次の瞬間。
「死ねッ!」
イジューに石が飛んできた。
「…………!?」
孤児が石を投げつけてきていた。
一人や二人では無い。
それが孤児院の総意であるかのように、投石は止まなかった。
「帰れよクズ野郎!」
「おまえなんか死んじまえ!」
石が次々に、イジューの体を打った。
小さな子供が投げた石は、それほど痛くは無かった。
だが孤児の中には、成人が間近に迫った者たちも居た。
そういう子たちが投げる石は、洒落にならない威力を持っていた。
痛い。
だが、それよりも困惑が勝った。
(どうして……?
まさか、俺がシホを振ったからか?
シホが俺を、悪く言ったのか?)
石がイジューのこめかみに当たった。
皮膚が裂け、血が流れ出した。
(確かに、一方的に別れ話をしたのは、
俺が悪かったさ? だけど……。
ここまでする必要は無いだろうが……!)
垂れる血とは逆方向に、イジューの内面で、怒りが燃え上がった。
1発ぶん殴ってやろう。
そんな気分になった。
そのとき……。
「止めなさい!」
怒鳴り声が聞こえた。
孤児院の玄関前に、年輩の女性が立っていた。
院長のマーサだ。
彼女が子どもたちを、叱りつけたらしい。
投石が止んだ。
「けど……けどさぁ……」
「うえぇぇ……」
子供たちは、攻撃を止めることに、納得がいっていないらしかった。
中には泣き出す者も居た。
イジューはうんざりした。
(泣きたいのはこっちだ。
馬鹿みたいに高い服が、血で汚れた。
安物だと舐められるから、奮発して高いのを買ってるのに)
イジューが不機嫌に立ち尽くしていると、マーサが歩み寄ってきた。
「イジュー。久しぶりね」
「……どうも」
マーサの手が、イジューの傷に伸びた。
「風癒」
マーサの回復呪文のおかげで、イジューの傷が塞がっていった。
「応接室に来なさい。場所は覚えているわね?」
「まあ」
子供たちの敵意をすり抜けて、イジューは孤児院に入った。
そして応接室に移動した。
室内は無人だった。
イジューは遠慮なく、古びたソファに座った。
少し待つと、マーサが応接室にやって来た。
その腕には、赤ん坊が抱えられていた。
彼女の肌は、魔族より薄い青。
ハーフだった。
マーサは赤ん坊を抱えたまま、イジューの向かいに座った。
「その子は?」
「分からない?」
「まあ」
「この子はシホの娘。
……父親はあなたよ」
「…………は?」
予想外の答えに、イジューは間抜けな声を漏らした。
「聞こえなかった?
それとも、理解したく無いのかしら?」
こんな状況で、マジメな院長が、自分を騙すわけが無い。
そう思ったイジューは、全てが真実であるという前提で話を進めることにした。
「シホはいつ……その子を……?」
「学校から帰って来て、五ヶ月くらいかしら」
イジューはシホと別れた日のことを、思い出した。
『実は、私も大事な話が有るんだ』
『えっとね……』
『忘れちゃった』
「あ……。
言ってくれれば……」
呆けた顔で、イジューはそう漏らした。
それを見るマーサの瞳は、厳しかった。
「あなたがシホを突き放したんでしょう」
「っ……」
イジューは反論できなかった。
急に絶縁宣言をしてきた男に、腹の子供の話をする。
どれだけ難しいことだろうか。
「シホは……?
どうしてこの子は孤児院に……?」
「シホは今、病院に居るわ」
「病気ですか?」
「怪我をしたのよ。ラビュリントスでね」
「ラビュリントス?
どうしてシホが、ラビュリントスなんかに」
「どうしてって、生きるためよ。
その日の稼ぎを得るために、ラビュリントスに潜る。
孤児にとっては珍しいことでは無いわ」
知っている。
イジューはそんな暮らしが嫌で、必死で勉学に励んだのだから。
「けど、あいつには仕事が……」
シホは学校の主席卒業者だったはずだ。
イジュー以上の将来が、約束されていはずだ。
迷宮に潜るような人では無かったはずなのに……。
「まさか、子供が出来たせいで?」
子供が重荷になって、仕事を止めざるをえなかったのだろうか。
イジューはそう推測した。
だが……。
「いいえ。この子のせいじゃ無いわ。
彼女は就職できなかったのよ」
マーサの答えは、イジューの推測を超えていた。
「え?」
「卒業のニヶ月くらい前に、
内定をいきなり取り消されたんですって。
他に働き口も見つからなかった。
それで冒険者になるしか無かったの。
……あなたは良かったわね。
魔導器工房の、社長になったんですって? 良い服ね」
「…………」
イジューの脳裏に、シラーズのにやけ面が浮かんだ。
「あの……野郎……」
イジューは怒りに歯噛みした。
だがすぐに、優先すべき事柄が、他に有るということに気付いた。
「…………。
シホは……どこに……?」
「知ってどうするの?」
イジューは鞄から袋を取り出した。
袋を開けると、そこから金貨が零れ落ちた。
「金だけは、有る」
「……そう」
マーサはソファから立ち上がり、戸棚に向かった。
そして紙とペンを持ち、元の位置に戻ってきた。
彼女は紙に何かを書いて、イジューに寄越した。
「シホはそこに居るわ」
「ありがとう」
紙を手にすると、イジューは立ち上がった。
紙には病院の住所が記されていた。
イジューは応接室を出て、玄関から外に出た。
ついさきほどまでと同様に、庭には孤児たちの姿が有った。
イジューは孤児たちの敵意を浴びながら、庭を抜けた。
そのとき。
「イジュー」
孤児院の前の通りに、見慣れた顔ぶれが有った。
男が二人に、女が一人。
イジューと同年代の幼馴染だ。
頭の出来は平凡だったので、学校には行けなかった。
彼らは冒険者の格好をしていた。
男の拳が、イジューへと伸びた。
「がふっ……!」
顔面を殴られて、イジューは地面に転がった。
「テメェのせいで……シホは……!」
「やめろ! 彼女を守れなかったのは、俺たちの責任だ!」
「けど……!」
「私たちのレベルでこれ以上やったら、殺しちまうよ」
「…………」
男たちは黙り、孤児院へと入っていった。
イジューは無言で立ち上がった。
彼の口から、血が垂れ落ちた。
口の中が切れていた。
イジューは流れる血を拭うこともせず、病院へと向かった。
そして受付カウンターで尋ねた。
「この病院に、シホ=ミラストックという患者が入院しているはずだが」
「あの、血が出てますけど?」
「ちょっと転んだだけだ。それより、シホの病室は?」
「えっと……シホさん?」
受付の女が、男の看護師に話しかけた。
「先輩。シホ=ミラストックさんって知ってますか?」
「ああ」
「あの寝たきりの子だろ?」
「寝たきり……?」
「知らないのか? アンタ、彼女の何だい?」
看護師の男は、イジューに怪しむような視線を向けた。
「同じ孤児院の出身だ」
隠すようなことでもない。
そう思ったイジューは、素直に答えることに決めた。
「久々に孤児院を訪ねたら、彼女が入院していると聞いた」
「ふ~ん……? 孤児の割には、立派な服を着てるじゃないか」
「飼われてるんだ。金持ちのガキに」
「うひゃぁ……」
「それより、答えてくれ。寝たきりとはどういう事だ」
「迷宮で、背骨をやられたのさ。
ヘタに背骨をやると、他が無事でも動けなくなったりする。
ポーションでも呪文でも治らない。
もう一生、何もできないよ。あの子は」
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