6の28「悪鬼と理性」
家に戻ったクリスティーナは、居間でネフィリムの死を妹たちに告げた。
それとイジューが自害したことも。
話を聞いたユリリカは、家から飛び出そうとした。
「待つんだ。どこに行くつもりだい?」
「決まってるでしょ!?」
ユリリカは、怒声と共に振り返った。
彼女の表情は、悔しさと怒りで満ちていた。
「そのヨークってやつを、ぶっ飛ばしてやるのよ!」
ユリリカは、今までにないほど強く、人を憎いと思っているはずだ。
だというのに彼女は、ヨークを殺すとは言わなかった。
クリスティーナは、そこに彼女の善性を見た。
ほうっておいても、彼女は復讐で人を殺したりはしないだろう。
クリスティーナはそう思いながら、優しくも悲しい声音で、ユリリカに語りかけた。
「ダメだよ。そんなことをしては。
ドミニさんが、悪いことをしたんだ。
ブラッドロードさんは、ただ仲間を守ろうとした。
彼は仲間想いで、強くて、素晴らしい人だよ。
彼を憎むようなことをしては、逆恨みになってしまう」
「けど……! ネフィリムが……!」
「ボクが悪かったんだ。
ドミニさんを止められず、その悪行に加担した。
全部ボクが悪いんだよ。ユリリカ」
「っ……。
うああああああああぁぁぁっ!」
ユリリカは、叫ぶように泣いた。
ユリリカが泣き止むまで、クリスティーナは彼女を抱きしめた。
ユリリカが泣き止むと、クリスティーナはマリーと向き合った。
マリーの目は赤い。
一人で泣いたのだろう。
「マリー。キミに渡したい物が有る。
部屋まで来てくれるかな?」
「……分かった」
クリスティーナは、自身の部屋に足を向けた。
マリーは車椅子を操り、その後に続いた。
自室に入ったクリスティーナは、部屋の隅の箱を開けた。
金属製の、がっしりとした箱だ。
その中に入っていたのは、白い頑丈そうな籠手だった。
クリスティーナはそれを持って、マリーの正面に立った。
そしてその籠手を、マリーの左腕にはめた。
「これは?」
「エクストラマキナ。白蜘蛛。
それはネフィリムがキミに遺した物だ。
大切にするんだよ?」
「うん」
「それとこのマニュアルに、
後で目を通しておいて欲しい」
クリスティーナは薄い冊子をマリーの膝にのせた。
そして妹に背中を向けた。
「それじゃあちょっと、ボクを一人にしてくれるかな?」
「わかった」
マリーは車椅子を、部屋の出口へと向けた。
部屋の出口の直前で、マリーは車椅子を半回転させた。
そして頭だけをクリスティーナへと向け、尋ねた。
「だいじょうぶ?」
「うん。ボクはだいじょうぶだよ」
「……うん」
マリーの車椅子が、部屋の外に出た。
マリーには、扉を閉めることはできない。
代わりにクリスティーナが、部屋の扉を閉めた。
クリスティーナはそれから、何歩かふらふらと歩いた。
膝ががくりと崩れた。
膝が崩れたら、次に上半身も崩れた。
みっともない姿勢で、クリスティーナは這いつくばった。
冷たい床が、彼女の頬に触れていた。
立てなかった。
「う……。
うあぁぁ……」
脳裏に浮かぶのは、ヨークの顔だった。
人が良さそうな、美少年の顔だ。
迫りくる理不尽に耐えて、リホのために戦った。
仲間のために剣をとり、見事に勝利した。
彼は好人物だ。
善人だ。
そう考える。
考えるべきだ。
考えなくてはならない。
そのはずだ。
だが……。
「彼は悪くない彼は悪くない彼は悪くない彼は悪くない彼は悪くない彼は悪くない彼は悪くない」
クリスティーナは自身に向かい、必死にそう言い聞かせた。
実際、ヨークはそう悪くは無いのだろう。
降りかかる火の粉を払っただけだ。
黒蜘蛛の中身がかわいそうな少女だということも、彼は知らなかった。
友人をさらわれて、無理に戦わされた。
彼は被害者だ。
……だけど、そんなことは関係が無かった。
ネフィリムが死んだ。
ただ産まれて来ただけで罪人とされ、哀れな実験体となった少女が。
クリスティーナが望んだせいで、彼女は手足をもがれた。
そんな少女が、真っ二つに裂かれ、血と臓物を垂れ流して惨死した。
彼女こそが、幸せになるべきだったのに。
誰よりも幸せになる権利が有ったのに。
それをヨークの魔剣が断った。
……ヨークに殺意が有ったわけではない。
むしろ彼は、なるべくネフィリムを殺さずに、事を済まそうとしていた。
顔すら知らない殺し合いの相手を、彼は気遣っていた。
あの結末は、不運な事故のようなものだったのだろう。
……それがどうした?
善人だろうが、事故だろうが、アレはネフィリムを殺した仇だ。
内側からドス黒い感情が広がっていく。
彼女はそれを、止めることが出来なかった。
「憎い……!
ヨーク=ブラッドロードが憎い……!」
クリスティーナは自身の本心を、はっきりと口にしてしまっていた。
その言葉は、彼女に憎しみを自覚させた。
そうなると、もう止まれなかった。
「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる」
手足をすり潰して。
玉を踏み砕いて。
舌を切り裂いて。
ハラワタと目玉をえぐり出して。
糞溜めで溺死させてやる。
「ヨーク=ブラッドロード……ッ!」
クリスティーナの心の大半が、殺意に塗りつぶされた。
……。
夜が明けた。
クリスティーナの部屋の前に、ユリリカが立っていた。
いつもの時間になっても、姉が起きてこない。
それを心配して、様子を見に来たのだった。
「……お姉ちゃん。朝だよ」
ユリリカは扉を開いた。
お姉ちゃんはきっと、落ち込んでいるのだろう。
昨日は取り乱した自分を、お姉ちゃんが慰めてくれた。
だから今度は、自分がお姉ちゃんを励ます番だ。
そう決意して、ユリリカは姉の部屋へと入っていった。
「……………………………………………………………………………………」
物言わぬ何かが、ユリリカを出迎えた。
「え……?」
ユリリカは、枯れたような声を漏らした。
天井の照明の所から、ロープがぶら下がっているのが見えた。
クリスティーナは死んでいた。
首を吊って。
糞尿を垂れ流して。
クリスティーナの殺意は、もう収まらない所にまで来ていた。
このまま生きていては、きっとヨークを殺してしまうだろう。
ヨークは強いがお人好しだ。
そんな彼を殺す手段など、いくらでも有る。
殺せてしまう。
彼女は一片だけ残った理性で、それを理解していた。
だから悪鬼へと堕ちる前に、自らの命を断ったのだった。
「ひ……」
ユリリカには、クリスティーナの気持ちなど分からない。
クリスティーナは妹の前で、毅然と振る舞おうとしていた。
強い姉だ。
ユリリカの目にはそう見えていた。
だから、だいじょうぶだと思っていたのに……。
大切な家族が、また一人失われた。
ユリリカに分かっているのは、ただそれだけだった。
ぽたぽたと、クリスティーナの足の裏から、尿が地面に垂れ落ちていた。
「ヒイイイイイィィィィィッ!?」
こうしてまた一人、壊れた。
……。
「……………………」
ユリリカは、居間のソファで放心していた。
何もする気が起きず、ただ脱力していた。
姉の幸せのために、聖女候補になった。
堅苦しい聖女教育に耐え、修練を重ねた。
姉のためを思えば、迷宮の魔獣も恐ろしくは無かった。
がんばれた。
もう全部、無くなってしまった。
「姉さん。
ご飯作った。食べて」
生活能力が無くなったユリリカの世話をしたのは、手足の動かないマリーだった。
マリーは全身に、白の鎧を身にまとっていた。
クリスティーナが残した魔導器。
白蜘蛛だった。
白蜘蛛はほぼ完璧に、マリーの意思通りに動いた。
そのおかげで、料理などの細かい作業も出来るようになっていた。
「さあ」
「…………」
ユリリカは、自発的には食事をしなかった。
スプーンにすくって口元に持っていくと、なんとか飲み込んでくれた。
「逆になっちゃったね。姉さん」
白い兜の奥から、マリーが姉に話しかけた。
「これまでは、姉さんがこうしてくれてたのに。
……ずっと傍に居るから。
ティーナ姉さんが遺してくれた、白蜘蛛の力で……。
ユリリカ姉さんは私が守る」
ユリリカが生活能力を取り戻すまでに、二ヶ月の時が必要となった。
マリーは献身的にユリリカを助けた。
おかげでユリリカは、なんとか普通に暮らせるレベルにまで回復した。
それから二人は学校に通った。
人相が変わったユリリカと、妙な鎧を身に付けたマリー。
周囲の人間は、姉妹を奇異の目で見た。
二人は気にしなかった。
ユリリカは、既に壊れていたから。
そしてマリーは、姉を守ると誓っていたから。
マリーは姉を支え続け……。
そして、聖女の試練でヨークと対峙した。
そうなるはずだった。
運命は変わり、黒蜘蛛はミツキと対峙していた。
(私が弱かったせいで、
ご主人様に罪を背負わせてしまいました。
それに責任を感じたリホさんも、
ご主人様から離れていった)
「……さあ、来て下さい。
ここで運命を変えます」
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