6の19「優等生と夏期講習」



 怒声が響いた。



 それによって、ベージュもクリスティーナの存在に気付いた。



 ベージュはおそるおそると、クリスティーナへと振り返った。



「えっと……先輩……?」



「聞こえなかったのか?


 とっとと彼女から離れるんだ」



 クリスティーナが構えた。



 その手には、魔弾銃が握られていた。



「えっ……? 偽物……ですよね?」



 ベージュ本人も、自分が善いことをしているとは思ってはいない。



 とはいえ、ハーフのチビをかわいがってやっているだけだ。



 銃を向けられるほどのことはしていない。



 そう思っているので、彼にはクリスティーナの気迫が、どこか冗談のように感じられた。



「…………」



 笑い事なものか。



 クリスティーナは引き金を引いた。



 銃口から、氷の魔弾が放たれた。



 ベージュのすぐ隣を、魔弾が通過していった。



 ベージュの頬に、赤い一筋の線ができた。



 そこからつうっと、血が顎へと垂れていった。



「ひっ!?」



 ベージュの表情が、一瞬で青ざめた。



 魔術学校の生徒には、温室育ちのお坊ちゃまが多い。



 田舎の村民のようなケンカなど、したこともない連中だ。



 彼らにとって暴力とは一方的な搾取であり、それ以外は存在しない。



 血を流させることは有っても、自分が血を流すなんてありえない。



 ……この程度の傷、冒険者であれば、かすり傷だと思うだろう。



 だが彼らからすれば、重傷だと言えた。



 彼らは一片の戦意すら、沸き立たせることができなかった。



 ただ眼前の暴力を理不尽に思い、震えるだけだった。



 趨勢が決したのを見ると、クリスティーナは眼光を強めた。



 そして、邪悪とすら言える表情で、二人を脅しつけた。



「2度と彼女に近付くな……!


 他の連中にも言い聞かせておけ!


 指1本でも触れたら、そのスカスカの頭に、


 風穴を開けてやるからな!」



 少しでも自分が恐ろしく見えるよう、繊細な注意と共に、クリスティーナは叫んだ。



 その効果は覿面だった。



「っ……すいませんでしたぁ!」



 ベージュは慌ててリホから離れ、校舎へと駆けていった。



「待ってよベーくん!」



 もう一人の男子も、ベージュを追って去っていった。



 後にはクリスティーナとリホの二人が残された。



「ふぅ……ふぅ……」



 クリスティーナは興奮で、息が荒くなっていた。



 彼女だってケンカ慣れしているわけでは無い。



 まともに人を殴ったことすら無かった。



 それが人に銃を向け、血を流させることになった。



 その興奮は、しばらく収まらなかった。



「…………」



 やがて呼吸が落ち着いてきた。



 クリスティーナは魔弾銃を、腰のホルスターに仕舞った。



「……………………」



 リホは地面に横たわったまま、動かなかった。



 完全に気を失っている様子だ。



 クリスティーナの瞳に、脱がされたリホの下着が映った。



(服を……着せてあげないと……)



 クリスティーナは下着を拾うと、リホの足の辺りにしゃがみこんだ。



 そして足に下着を通そうとして……。



「っ……」



 着崩れたスカートから、リホの美しい太ももが覗いていた。



 ごくり。



 扇情的な光景を前に、クリスティーナは深くつばを飲み込んでしまった。



 彼女の視線が、リホの肌に釘付けになった。



 クリスティーナの手が、リホのスカートに伸び……。



「ん……」



「ひっ!」



 リホが身じろぎした。



 驚いたクリスティーナは、びくりと立ち上がった。



 そして逃げるように、屋上の出入り口まで駆け出していた。



 校舎に戻ったクリスティーナは、下り階段に駆けた。



 そして一気に、1階まで駆け下りた。



「はぁ……はぁ……」



 階段の終点で、クリスティーナは立ち止まった。



 そして自身の右手を見た。



 そこにはリホの下着が有った。



「何をやってるんだ……ボクは……」




 ……。




 一方、屋上。



「ん……」



 一人きりになったリホが目を覚ました。



(あいつらは……?)



 自分をここに連れてきた奴らの気配が、感じられない。



 リホはそれを不思議に思いつつ、上体を起こした。



「っ……」



 殴られたお腹に、まだ痛みが残っていた。



 リホはその痛みに耐えて、立ち上がった。



(ウチは首を絞められて……それから……)



「っ……!」



 意識がはっきりしてきたリホは、慌ててスカートを捲り上げた



 身に付けているはずの下着は、そこには無かった。



 いったいその事は、何を意味しているのか。



 リホは13歳だ。



 それを考えられるくらいの知識は、既に与えられていた。



(あぁ……。


 ウチは……あいつらに……)



「う……うぅっ……」



 リホの両目から、悔し涙がこぼれた。



 リホは涙が枯れるまで立ち尽くし、学校を出た。



 そして病院で薬を処方してもらい、学生寮へと帰った。




 ……。




 翌日。



 授業の合間の空き時間。



 クリスティーナはいつものように、図書室へと向かった。



 図書室に入った彼女は、いつものように、お気に入りの席へと歩いた。



 そして……。



「あっ……」



 クリスティーナは声を漏らした。



 いつもの席に、リホの姿が有った。



 普段リホは、クリスティーナの隣の席に座る。



 だがこの日の彼女は、なぜかクリスティーナが使う席に座っていた。



 クリスティーナの存在に気付いたリホが、彼女に視線を合わせてきた。



「……何スか?」



「…………。


 べつに」



 クリスティーナは、リホの三つ隣の席に座った。



 そして製図用紙を広げ始めた。



「ッ……!」



 リホは席から立ち上がり、クリスティーナの隣に立った。



「何なんスか……?


 ウチが悪いって言うんスか……?


 見られて困る図面……置きっ放しにしないで欲しいっス。


 それで暴力をふるうなんて……最低っス……!」



「…………」



 クリスティーナは、リホに顔を向けることは出来なかった。



 もし彼女を見れば、別の気持ちが芽生えてしまうかもしれない。



 そしてそれは、気持ちだけの問題では済まないかもしれない。



 そのことを恐れていた。



「そうだね。悪かったよ」



 クリスティーナはリホを見ずに、穏やかそうな笑顔を浮かべた。



 それを見たリホの顔に、安堵の表情が浮かんだ。



「それなら……」



「けどね、ボクも暇じゃあ無いんだ。


 やるべきことが有るんだ。


 あまり手間を取らせないでもらえるかな?」



 それは明確な、拒絶の言葉だった。



「……………………。


 そうっスか。


 今までお世話になりました。先輩」



 リホは頭を下げると、自分の席に戻った。



 そして、テーブルから本を拾い上げ、去っていった。



 クリスティーナからは見えない位置まで来ると、リホは椅子に腰かけた。



 クリスティーナは一人になった。



 孤独はきっと、思考を研ぎ澄まさせてくれる。



 そのはずだ。



 何も問題は無い。



(ボクは……ボクに出来ることをやらないと……。


 だけど……。


 学生レベルの予算じゃあ、大がかりなフレームを作るのは無理だ。


 いったいどうしたら……)




 ……。




 特に良い案も浮かばないまま、夏休みがやってきた。



 クリスティーナは、特別講習に出席するため、学校に向かった。



「あっ……」



「あっ……」



 クリスティーナとリホは、ほぼ同時に声を漏らした。



 特別講習の教室に、リホの姿が有った。



 クリスティーナは、リホからは離れた位置に着席した。



 教室内に、リホと同年齢の生徒は居ない。



 高学年の生徒ばかりが座っていた。



「…………」



「…………」



 二人とも、無言で講習のはじまりを待った。



 やがて教室の前がわの扉が開いた。



 そこからスーツ姿の男が入ってきた。



 男は教壇に立った。



 そして、生徒たちに向かって口を開いた。



「あ…………。


 今回、特別講師を務めることになった、イジュー=ドミニだ。


 1週間という短い間になるが、よろしく頼む」



(イジュー=ドミニ……!?)



 クリスティーナの内心が、驚きで激しく揺れた。



(若くして魔導器工房を立ち上げて、


 王都有数の規模にまで育て上げた天才……!


 どうして彼が、夏季講習なんかに居るんだ……!?)



「えっ? 本物ですか?」



 突然のビッグネームの登場に、生徒の一人が間の抜けた声を上げた。



「無駄口を叩くな」



 イジューは生徒を睨みつけた。



「ひう……!」



 イジューの眼光に、生徒が縮み上がった。



(本物だ……!)



 生徒たちはその貫禄を見て、彼が本物のイジュー=ドミニだと確信した。



 他に口を開く者が居なかったので、イジューは話を進めた。



「事前に説明されていると思うが、


 この夏期講習では、魔導器の設計を学習してもらう。


 もっとも、ただの魔導器の設計など、


 この講習に出る者なら、既に身に付けていると思うがな。


 私の講習では、商品になる魔導器の設計を身に付けてもらう。


 前半三日は座学。後半四日は、実際に製図をしてもらう。


 それでは……」



 座学が始まった。



 現場を知るイジューの教えは、学校の教師からは得られない濃密なものだった。



 あっという間に三日間が過ぎ、四日目になった。



 生徒それぞれに、製図用紙が配られた。



「それでは各自、設計を始めろ。


 何かわからないことが有れば聞きに来い」



 イジューがそう言うと、リホが手をあげた。



「あの……」



「ぁ…………。


 どうした? リホ=ミラストック」



「ウチ、名前言ったっスか?」



「……生徒の名前くらい、把握している」



「はぁ。さすがっスね。それで……。


 ウチ、もう帰っても良いっスか?」



「……どういうつもりだ?」


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