6の10「ネフィリムと頼み事」



「何かと言われましても……。


 治癒術なら、かけましたけれど」



「マリーの体は、王都中の治癒術師に診てもらった。


 それでもちっとも良くならなかったんだよ?」



「私は上級冒険者です。


 王都の治癒術師よりもレベルが高いので、


 呪文の効果にも違いが出たのかもしれません」



「レベル……。


 そんな簡単なことだったのか……?」



 ミツキの言葉を聞いても、クリスティーナは納得がいっていないようだった。



「仮説ですよ。あくまでも」



「確かに、学者としては、結論を決め付けてしまうのは良くないね。


 だけど……」



 クリスティーナはミツキに向かい、深々と頭を下げた。



 そして言った。



「本当に、本当に、ありがとう」



「…………」



「…………」



「…………」



 ユリリカ、マリー、ネフィリム。



 クリスティーナの行動を見た一家が、一斉に頭を下げた。



 四人とも、礼をしたまま固まってしまった。



「止めて下さい。居心地が悪いです」



「そうかい?」



 ミツキの言葉を受けて、四人は頭を上げた。



「……借りを作ってばかりだな。キミたちには」



「お返しを楽しみにしていますよ」



「うん」



 ヨークたちは、サザーランド邸から去っていった。



 家の庭に、家族が四人残された。



 ヨークたちが消えて少しすると、ユリリカがマリーの方を向いた。



「ねえ、立てるの?」



「えっと……」



 ユリリカの疑問を受け、マリーは立ち上がろうとした。



 足裏でしっかりと地面を踏み、両手で車椅子の手すりに力をかけた。



 そしてゆっくりと膝を伸ばしていった。



 ふらふらと、あぶなっかしく。



 彼女はなんとか立ち上がったが、再び車椅子に座り込んでしまった。



「マリー……!?」



 ユリリカは慌てた様子で、マリーの肩に触れた。



 姉を心配させまいと、マリーはすぐに口を開いた。



「だいじょうぶ。


 ただ……歩くのは難しい。ふらふらする」



「完全に治ったわけじゃ無いのかしら……?」



 ユリリカの疑問を見て、クリスティーナが口を開いた。



「筋肉が衰弱しているだけだと思うよ。


 リハビリをすれば、きっとすぐ歩けるようになるよ」



「良かった……」



 姉の言葉を聞いて、ユリリカは安堵の吐息を漏らした。



「うん」



 マリーが頷いた。



 次にクリスティーナがこう言った。



「……本音を言うと、少し妬ましいね。


 キミに手足をプレゼントするのは、


 ボクの役目だと思ってたのに……。


 結局ボクの研究は、ミツキさんに及ばなかった。


 ダメなお姉さんだね。ボクは」



 マリーが治ったのは嬉しい。



 だが、姉としても技術者としても、ただ嬉しいだけでは済まない。



 そんな複雑な心境を、クリスティーナは吐露した。



「そんなことない。


 姉さんたちのおかげで、私は色んな所に行けた。


 そのおかげで、ミツキさんにも会えた。


 姉さんが居なかったら、こうはならなかった。


 姉さんは……天才」



「やっぱり?」



 クリスティーナは気取った笑みを見せた。



 それを見たユリリカの口から、笑い声が漏れた。



「あはは。お姉ちゃんはそうじゃないと」



「ふふっ」



 3姉妹の顔に、明るい笑顔が宿った。



「…………」



 ネフィリムは、三人から少しだけ離れた位置で、寂しそうに微笑んでいた。



(本当に……良かったのであります。ですが……。


 自分はもう……用済みでありますね)




 ……。




 後日。



 宿の寝室で、ヨークがリホに声をかけた。



「行ってくる」



「了解っス」



 リホを宿屋に残して、ヨークたちは迷宮に行くことにした。



 ヨークとミツキは、大階段の有る広場へと到着した。



 二人はそのまま大階段へと向かった。



 大階段の近くに、緑色のフード付きローブを身につけた人物が立っていた。



 フードの奥には顔全体を覆う、のっぺりとした仮面が見えた。



(待ち合わせかな?)



 知らない他人が立っている。



 ヨークはそう認識した。



 それでその人物を無視して、横を通ろうとした。



 すると……。



「待って欲しいのであります!」



 緑ローブの人物が、二人を呼び止めた。



「ネフィリムさん?」



 ミツキは声音からそう推測して、尋ねた。



「はいであります……」



 ネフィリムは一瞬だけフードと仮面を外し、素顔を見せた。



 それからすぐに、それらを被り直した。



「色々と面倒ですよね。第三種族は」



 トラブルを避けるため、第三種族であることを隠しているのだろう。



 ミツキは自分自身とも照らし合わせて、そう推測した。



「……はいであります」



 ネフィリムは頷いた。



 次にヨークが口を開いた。



「仮面なんて、徹底してるな」



「普段はここまでの事はしないのであります。


 ラビュリントスには、荒くれ者が多いと聞いたので」



「そうか。それで、どうしてここに居るんだ?」



「実は……」



 ネフィリムは突然、勢い良く土下座をした。



 そしてこう言った。



「自分を弟子にして欲しいのであります!」



「えっ?」




 ……。




 サトーズの宿屋、ヨークたちの部屋。



 作業台で、リホがじっと魔石と向かい合っていた。




「…………」



 リホはただ魔石を見つめるだけで、その手は少しも動いてはいなかった。



 そのとき、部屋の扉がノックされた。



(ミツキに、知らない奴は入れるなって言われてるんスよね)



 面倒だから、無視しておこうか。



 リホがそう思っていると、ドアが何度も何度もノックされた。



 そしてうるさい声が、ドアの向こうから聞こえてきた。



「ブラッドロードさん! 居ないの!? ブラッドロードさん!」



(知ってる奴だったっス……)



 その声は、良く聞き慣れたものだった。



 それにしてもうるさい。



 実にうるさい。



 アレを放置しておけば、近所迷惑にもなるだろう。



 そう考えたリホは、しぶしぶと扉に向かった。



 扉を開けるとリホの予想通り、クリスティーナの姿が見えた。



「何スか?」



 リホは、面倒くささを隠さずに尋ねた。



 仕方ないから嫌々話を聞いてやる。



 そんな態度だった。



 一方のクリスティーナは、リホの態度を気にする余裕も無いようだった。



 妙に顔色が悪い。



「ネフィリムが……これを……」



 クリスティーナは震える手で、リホに紙切れを差し出した。



 その紙には、知性の感じられない線で、なんらかの文字が書かれていた。



「手紙っスか? 汚い字っスね……。ええと……。


 『探さないで下さい。ネフィリム』」



 リホは紙切れに書かれた文字を読み上げた。



 するとクリスティーナが、食らいつくように言葉を重ねてきた。



「そう! ネフィリムが家出したんだ!」



「何かしたんスか?」



 リホがそう尋ねると、クリスティーナはどんよりとした表情でこう言った。



「それは……。


 マリーを転ばせたのを叱ったことを、


 怒ってるのかもしれない……」



「まあ、確かにサザーランドの物言いは、ちょっとキツかったっスけど」



「やっぱりそうかな……?」



 クリスティーナの表情が、さらに曇った。



 それを見たリホは、軽くフォローを入れてみることにした。



「けど、家出するほどのことでも無いと思うっスけど」



「だったらどうして家出なんてするんだよ……!?」



 クリスティーナはむっとしたような顔を見せた。



 ……せっかくフォローしてやったのに、噛み付いてきやがって。



 リホはうんざりとした気分になった。



「知らないっスよ。ウチに聞くなっス」



 リホが投げやりに言うと、クリスティーナは寝室に首を突っ込んだ。



 そしてキョロキョロと室内を観察し、こう尋ねてきた。



「ブラッドロードさんは?」



「迷宮に出かけたっスよ」



「そう。いつ帰ってくるのかな?」



「知らないっス」



「戻ってくるまで待たせてもらうよ」



「帰れっス」



 リホはクリスティーナの頭を押して、扉を閉めようとした。



 クリスティーナは抵抗して、扉を閉めさせまいとした。



「ぐぬぬ……!」



「ぎぎぎ……!」



 力の拮抗は、長くは続かなかった。



 今のリホは、まだクラスレベルを上げられてはいない。



 素の身体能力が、勝敗に結実する。



 小柄なリホに比べて、クリスティーナの方が体格が良い。



 さらにクリスティーナは、妹の介護のため、モヤシのリホよりも鍛えられている。



 力比べには当然、クリスティーナが勝利した。



「ボクの勝ちだ!」



 部屋への侵入を果たしたクリスティーナが、勝ち誇って言った。



「……頭では勝ってるから良いっス」



 我が物顔で室内に侵入したクリスティーナは、ベッドに腰かけた。



「……はぁ」



 リホはため息をつき、作業台に戻った。



 そして魔石と向き合った。



「それは魔弾銃の魔石かい?」



 クリスティーナは、先日エボンの店まで同行している。



 そのときに、リホの図面を読んでもいた。



 それでリホにそう尋ねた。



「……そうっスけど」



「自分で刻印をやってるんだね?」



 クリスティーナは物珍しそうに言った。



 彼女は設計技師だ。



 魔石の刻印は、全て工房の刻印技師に任せている。



 自力で刻印をしたのは、学校の授業が最後だ。



「見せてもらっても良いかな?」



 クリスティーナはそう言うと、リホに体を近づけていった。



「ダメっス」



「ケチケチするなよ。見せなさい。見せろ」



 クリスティーナは、リホを作業台から押しのけようとした。



「止めるっス……!」



 リホはクリスティーナに抵抗した。



「そんなに必死になることじゃ無いだろ……!?」



「何に必死になろうが、ウチの勝手っス……!」



 またしても、二人で押し合いになった。



「ふぬぬ……!」



「ぐぎぎ……!」



 ドアの時と同様に、力比べはクリスティーナが勝利した。



「ボクの勝ちだ」



 クリスティーナは、リホから作業台の椅子を奪い取った。



 そして魔石がセットされた顕微鏡を覗き込んだ。



「止め……!」



 拡大表示された魔石の表面が、クリスティーナの瞳に映った。



「これは……。


 まだ何も手をつけていないじゃあないか」



 顕微鏡にセットされている魔石は、なんの刻印も施されていない、まっさらなモノだった。



 クリスティーナは、軽い困惑と共に尋ねた。



「いったい何を恥ずかしがっていたんだい?」



「べつに何も恥ずかしがって無いっス!」



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