5の22「商人と契約」
(泥棒……?)
「すまんが、誰だかさっぱり分からん」
ヨークは少女の顔を初めて見た。
本当に覚えがなかった。
それが記憶ちがいだとも思えない。
ヨークの村には、魔族は一人も居なかった。
村と王都のあいだの町でも、魔族と関わり合いになった記憶は無い。
なので出会ったとすれば、王都に来てからということになる。
王都で1番大きなケンカをした相手は、闇ギルドだ。
あそこには魔族やハーフの構成員も大勢いた。
だが少女は、闇ギルドのメンバーでも無い様子だった。
王都の魔族の数は、人族よりも少ない。
印象に残りやすいはずだが……。
少女の怒りに関して、ヨークにはまったく心当たりが浮かばなかった。
「なっ……!?」
少女は唖然とした様子を見せた。
ヨークに心当たりが無いということが、よっぽど意外だったらしい。
「なるほど……。よっぽどの罪を重ねているようね。
私のことなんか、無数に積み重ねた罪の、
ほんの一片に過ぎないんだわ」
少女はそう言って、自身を納得させた様子だった。
「はぁ……?」
「人聞きが悪いですね」
ヨークが戸惑っていると、ミツキが口を開いた。
そしてフードを外し、少女をまっすぐに見た。
「犯罪者はあなたの方でしょう? この薄汚い奴隷商人が」
少女を睨むミツキの眼光には、侮蔑の色が歴然と宿っていた。
「……別に、奴隷がメインの商材ってわけじゃないもん……」
ミツキに睨まれて、少女は後ろめたそうな様子を見せた。
(なるほど……)
二人のやり取りを見て、ヨークにもようやく、彼女が何者なのかわかった。
「ミツキを捕まえようとした奴か」
「ええ。まんまとあなたの罠に嵌まってね」
「罠? 何言ってんだ? こいつ」
「冷静に考えれば、貴重な第三種族が、
あんなクソ田舎に居るわけが無かったのよ。
彼女をエサに誘い込んで、返り討ちにして、金銭を奪う。
それがあなたのやり口なんでしょう?」
「違うが?」
少女の勝手な妄想を、ヨークは即座に否定した。
「俺とミツキが出会ったのは、おまえがボコされた後だ」
「どうかしらね?」
「疑り深いな」
「逆に、あなたの言葉を真に受けているようじゃ、
商人なんてやっていけないと思うけど。
どちらにせよ、その奴隷は返して貰うわ」
「……はぁ?」
ヨークは呆れたような声を上げた。
「返すもなにも、ミツキはおまえのモノじゃねーだろ」
「いいえ。私のモノよ」
そう言った少女の声音は、自信に満ちていた。
「どうして?」
「その奴隷がつけている首輪が、私の物だからよ。
野良の第三種族の所有権は、
最初に自分の首輪をはめた者が有する。
実際に首輪をはめたのは、私ではなくあなたでしょうね。
けど、首輪の所有権が無いあなたには、
奴隷の所有権も無い。
結果として、彼女の所有権は、
首輪の所有者である私のものになるのよ」
「そうなのか? なんかややこしい話だな」
村民のヨークには、深い法律の知識など無い。
全てが初耳だった。
「この程度のことも分からないなんて、お里が知れるわね」
「悪かったな。けど、それなら……」
ヨークはミツキの首輪に手を伸ばした。
ヨークの指が、ミツキの首輪に軽く触れた。
「…………?」
ミツキは疑問符を浮かべながらヨークの指先を見た。
「ここで首輪を破壊したら、
ミツキは誰の物でも無くなるんじゃないか?」
ヨークはそう言って、にやりと笑った。
だが……。
「嫌……!」
ミツキは慌てたように、ヨークから素早く距離を取った。
「ミツキ?」
「やめて……壊さないで下さい……」
「気に入ってるのか? その首輪」
「……はい。とても」
ヨークは意外そうにミツキを見た。
あんな首輪の何が良いのか。
理解はできないが、個人の価値観にアレコレ言うつもりも無い。
ヨークは仕方なく手を下ろした。
「残念だったわね。
首輪が壊れたくらいじゃ、
1度発生した所有権は、無くならないわよ」
「そうなのか。それじゃあ……
俺にミツキを売ってくれ。頼む」
ヨークはそう言って、少女に頭を下げた。
「……コソ泥の言うことなんか、聞くと思っているの?」
「俺は泥棒じゃねえ。
それに、どうせミツキを手に入れても、
誰かに売りつけるだけだろ?
だったら、相手は俺でも構わないはずだ」
「あなたに払えるのかしら?
貴重な月狼族の雌。さらにはこの美貌。
奴隷の市場価格がいくらになるか、分かっているの?」
「いくらだ?」
「そうね……。慰謝料も込みで……
小金貨、1万枚。
払えると言うのなら、耳を揃えて払ってもらいましょうか」
少女は勝ち誇ったように言った。
提示されたのは、莫大な金額だった。
並の収入では、その百分の一ですら、支払うのは難しいだろう。
常人の目線で見れば、それは不可能を提示されたのと変わりが無かった。
「せっかく命を救ってやったのに、この女は……」
ミツキが呟いた。
元の運命では、この少女は魔獣に殺されていた。
それが生きているのは、ミツキが運命を改変したおかげだ。
少女にとって、ミツキは恩人とも言える。
そんなことは、今の少女からすれば知ったことでは無い。
ミツキにも理屈では、そのことはわかっている。
だが、恩を仇で返された。
そんな気分になったのだろうか。
ミツキは殺意のこもった目を、少女へと向けた。
「ヨーク。こいつの言うことを聞く必要はありません。
そこいらの川にでも沈めてしまいましょう」
「落ち着け。
おまえが首輪を盗んだのは事実だろ」
「それはそうですが。それを言うならあっちだって……」
「金でカタがつくなら、それで良いじゃねえか。
払うよ」
ヨークはそう言った。
話を聞いた感じでは、少女も完全な加害者とは言えない。
法律だけで考えるなら、ヨークたちの方に非が有るようですらあった。
ヨークからすれば、この国の法律自体に思うところは有る。
だが、気に入らないからといって、何もかも暴力で解決する気にもなれなかった。
なのでできるだけ、穏便に解決したいと思っていた。
「ヨーク……」
ミツキは眉根を下げた。
「金貨1万枚、用意できるというの?」
少女は疑わしげにヨークを見た。
少女からすれば、ヨークはケチな犯罪者だ。
そこまでの支払い能力は無いと考えているのだろう。
「今すぐは無理だ。
けど、必ず払う」
「信用できないわね」
「悪いがこっちも、これ以上は譲歩できんぞ」
なるべく穏便に話をつけたい。
それはヨークの本心だ。
だが、たとえ法律に沿っていたとしても、ミツキを酷い目にあわせるつもりは無かった。
「誓える?」
ヨークが身構えていると、少女がそう尋ねてきた。
「え?」
「必ず1万枚用意できると、全てに誓えるかしら?」
「良いぜ」
「それなら……。
『契約書』」
少女がそう言うと、彼女の手中に、羊皮紙とペンが出現した。
「…………?」
ヨークはそれらをふしぎそうに見た。
空中から物が現れるというのは、ミツキのスキルで見慣れている。
だが、今少女が使ったスキルは、『収納』とは異なるようだった。
「これは、私がスキルで生み出した、特別な契約書よ。
これにサインした者は、契約に逆らうことが出来なくなる。
嫌がる相手にサインさせることや、
命を奪うような契約は出来ないけどね」
(聞いたこと無いな。レアスキルか)
「あなた、コレにサイン出来るかしら?」
「……分かった」
それで信じてもらえるのなら、安いものだ。
そう思ったヨークは、羊皮紙とペンを受け取った。
「ヨーク。ちょっと待って……」
サインをしようとしたヨークを、ミツキは止めようとした。
だが……。
「書いたぞ」
あっという間に、ヨークは名前を書き終えていた。
「えっ?」
「よろしい」
サインが終わった契約書を、少女はヨークから受け取った。
「ミツキ。何言おうとしてたんだ?」
「ヨーク……」
ミツキは渋い顔で言った。
「あなたはちゃんと、契約書を読んだのですか?」
「契約って、俺が金貨を払うってだけだろ?」
「……奴隷商人。その羊皮紙を見せてください」
「私の名前はセンリよ」
「センリ。それを見せて下さい」
「どうぞ」
センリは羊皮紙を、ミツキに手渡した。
ミツキは契約書に目を通した。
そして……。
「…………!
ヨーク……」
ミツキは歯噛みしながら、ヨークに羊皮紙を見せた。
「どうした?」
「きちんと読んでください」
ミツキに言われ、ヨークは契約書の内容を音読し始めた。
「ええと……。
小金貨1万枚を返済するまでの間、
乙は甲の命令に服従する……。
何だこりゃ?」
「だから、金貨を返済するまでの間、
ヨークはあの女に絶対服従だということですよ」
「ナンデ?」
「そういう契約だからです」
「聞いてないが?」
未だにふしぎそうにしているヨークに、センリは小悪魔の笑みを向けた。
「聞いてはいなくても、書いてはあるもの。
契約書にサインするときは、
隅から隅まで文章をしっかりと読むこと。
商人だったら、これくらい常識よ?
今日からあなたは、私の召使い」
「ふーん」
ヨークはのんびりとした口調で言った。
結ばれた契約の内容は、奴隷契約と大差ない。
だがヨークは、それほど気にしてはいない様子だった。
「……軽いわね。あなた」
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