5の20「王子と腕輪」



 マレル公爵領。



 その中心地、大都市リヨに位置する、マレル公爵本邸。



 広大な館に有る公爵の執務室に、兵士たちがなだれ込んで来た。



 室内には、ユーリアとシュウの姿が有った。



 ユーリアは執務用の椅子に腰かけ、シュウはその隣に立っていた。



「おやおや。いったいこれは何用ですか?


 ……お父様」



 ユーリアは芝居がかった口調で、闖入者のリーダーに声をかけた。



 兵士たちに守られるように立っているのは、ギャブル=マレル。



 この部屋の、ついこのあいだまでの主人だ。



 今は公爵としての権利を剥奪され、ただの平民となっていた。



 だがそれでも、長く領地を治めていただけのことは有る。



 彼に従う兵隊が、まだ残っていたらしい。



「何の用かだと? よくも……!」



 ギャブルはユーリアを睨みつけた。



「父であるこの私を売っておいて、よくそんな事が言えたものだな!?」



「それで?」



 ユーリアは実の父に冷ややかな視線を向けた。



「それでだと……!?」



「あなたの罪は、既におおやけにされています。


 私を捕らえたところで、何も変わらない。


 それどころか、揺らぐ公爵領の地盤を、さらに揺るがしかねない。


 お父様……。


 あなたはいったい、何がしたいのですか?」



「ッ……!


 父に背くという大罪を、償ってもらう!」



「なるほど」



 ユーリアの視線がさらに冷えた。



「特に未来への展望も無く、私を私刑にかけるということですか。


 ……救えないね。


 元公爵ともあろう方が、その場の感情だけで暴挙に走るなんて。


 そんなふうだから、賭博で身を持ち崩すのですよ」



「黙れ!


 公爵家に背いた大逆人だ! 捕縛しろ!」



 兵士たちは、ギャブルに忠実だった。



 命じられるがままにユーリアに迫った。



「シュウ」



 ユーリアが一言、シュウの名を呼んだ。



「はい」



 事はそれで済んだ。



 ばたばたと、兵士たちが倒れていった。



 シュウは一瞬で、大勢の兵士を切り伏せてしまったのだった。



「ひっ……!」



 運良く倒されなかった兵士は、明らかにシュウに怯んだ様子を見せた。



 それを見て、シュウはこう言った。



「命までは取らん。おとなしく武器を捨てろ」



 元々、たいした覚悟も無かったのだろう。



 彼らの中に有ったのは、薄っぺらい忠義か、それとも安い打算か。



 それらを萎まされた兵士たちは、次々に武器を取り落としてしまった。



 シュウに立ち向かおうとする者は、一人も居なくなった。



 場が収まったのを見ると、ユーリアは父に声をかけた。



「さて。観念してもらえますかね。お父様」



「シュウ……! 恩知らずの化け物め……!」



 ギャブルは忌々しげにシュウを睨んだ。



「化け物?


 俺は凡庸なメイルブーケですよ。


 本当に平凡な……。


 それと俺のあるじは、ずっとユーリア様です。


 あるじの父として敬うことはあっても、あなたに主従の恩はありません」



 シュウはギャブルに歩み寄った。



 そしてあっという間に、ロープでギャブルを捕縛してしまった。



「ユーリア。父を縄にかけることを、何とも思わんのか?」



「あなたのせいで、ユーリは死ぬところだった。


 家族を守ろうともしなかったあなたに、


 肉親の情に訴えかける権利なんて無い。


 ……シュウ。お父様を牢屋に」



「はい」



 ギャブルを連れて、シュウは部屋を出ていった。



「キミたちも、さっさと消えてくれるかな?」



「はっ……!」



 無傷の兵士が、倒れた兵士たちを運び出していった。



 やがてユーリアは一人になった。



 ユーリアはぐったりと、椅子に体重を預けた。



 そして天井を見た。



「たとえアナタみたいなロクでなしでも……


 何とも思わないはずが無いでしょうが。お父様」




 ……。




 数日後。



 王都。



 王宮の中庭に、フルーレとエルの姿が有った。



 二人が中庭を進むと、あずま屋が見えた。



 フルーレはあずま屋に進み、石造りの椅子に腰掛けた。



「お待たせしてしまいましたか?」



「いや。僕も今来たところだよ」



 フルーレの向かいの席には、マルクロー王子が座っていた。



 二人は平凡な世間話をした。



 少しするとフルーレは、マレル元公爵のことを話題に出した。



「それでマレル元公爵は、僻地に送られることになったようですね」



「らしいね。そんなことより……」



 マルクローの手が、フルーレの髪に伸びた。



 恋人同士でも無ければ、無礼なふるまいだ。



 だがマルクローは、当然のようにそれを行った。



「今日も綺麗だね。フルーレ」



「ありがとうございます」



 フルーレは愛想笑いを浮かべた。



「それで……考えてもらえたかな?


 僕との結婚のこと」



 そのとき、フルーレが急に立ち上がった。



「フルーレ?」



「歩きながら話しませんか?」



「うん。良いよ」



 フルーレの提案によって、二人はあずま屋を出た。



 供を連れ、中庭を歩いた。



 王宮の庭では、季節の花が咲き誇っていた。



 花と花のあいだを、一行は進んでいった。



「先日のパーティのことですが……」



「うん」



「ヨークが名乗り出なければ、殿下が決闘をするようになっていましたね」



「気にしなくて良いよ。


 愛する人のために剣を取るのは、男として当たり前のことだ。


 それに、こう見えて、けっこう腕に覚えが有るんだよ」



「そうですか。


 それで、結婚に関してですが……


 ユーリとの婚約を、継続することになりました」



「……………………えっ?」



 マルクローの表情が、驚きで固まった。



「どうして……? あんなことが有ったのに……」



「たしかに、良からぬ陰謀に巻き込まれたことは、ショックでした。


 あの時は、関係を修復することなど、


 不可能のように思いました。


 ですがどうやら、ユーリたちにも事情が有ったようです」



「事情が有ったからって、やって良いことと悪いことが有るだろう?」



「そうかもしれません。ですが……。


 あの後で必死に謝罪をされて、気付いたのです。


 私はまだ……あの人を愛しているのだと……」



「駄目だよ……! そんなこと……!」



 マルクローはフルーレに掴みかかった。



 フルーレの手首が、乱暴に掴まれた。



 とても紳士の行いでは無い。



「あんなロクでもない男……! キミを不幸にするに決まっている……!」



「それでも彼を愛しているのです」



「そんな……。


 ッ……!


 首飾りは……?」



 マルクローはフルーレが、いつもの首飾りを身に付けていないことに気付いた。



「首飾り?」



「とぼけるなよ! 当主の証の首飾りだよ!」



「ああ。あれですか。


 実は……


 ラビュリントスで不覚を取って、落としてしまったのです」



「な……!」



 マルクローの手が緩んだ。



 フルーレの腕が開放された。



「どこだ……! どこで落としたんだ……!?」



「さて。手傷を負っていたので、とんと思い出すことが出来ません。


 ひょっとしたら、もう誰かに拾われてしまったかもしれません。


 殿下……」



 フルーレは、マルクローの左手を掴んだ。



 袖の奥にちらりと、真珠のブレスレットが覗いた。



 真珠粒は全て、ゴールデンパール色をしていた。



「素敵な真珠ですね。


 それでは。ごきげんよう」



 フルーレは、エルと共に去っていった。



「あ……。


 探せ……!」



 マルクローは、自身の従者に命じた。



「ラビュリントスの隅々まで、調べて探し出せっ!」




 ……。




 ミツキが運命を変える以前のこと。



 フルーレは夫となったマルクローとその護衛、そしてエルとで迷宮に潜っていた。



 そして……。



「あっ……」



 突然に、フルーレの胸を刃が貫いた。



「お嬢様!?」



 唐突な悲劇を前に、エルは悲痛な叫び声を上げた。



「マルクロー……?」



 フルーレは、なんとか後ろへ振り返った。



 刃が伸びてきた方角へ。



 そこには酷薄な笑みを浮かべた夫の姿が有った。



「呼び捨てにするなよ。気持ち悪い」



 マルクローは、死に瀕する妻の体から、強引に首飾りをむしり取った。



「ぁ……」



 そしてフルーレの体を、地面へと蹴り倒した。



「お嬢様! お嬢様っ!」



 突然の事態に混乱しながら、エルはあるじを呼んだ。



「うるさいな。黙らせろ」



 マルクローの部下たちが、エルに掴みかかった。



「むぐーーーーっ!」



 エルは布で口を塞がれ、何もできなくなった。



「エ……ル……」



 血を失いながら、フルーレは従者の名前を呼んだ。



 そんな彼女を、マルクローはあざ笑った。



「鳥肌モノだったよ。おまえみたいな迷宮臭い女と結婚だなんて。


 全てはこの鍵を、手に入れるためだった。


 ようやく手に入れた。僕たちの悲願を。


 ハハハハハッ!」



「……っ!」



 屈辱を浴びても、フルーレは何もできなかった。



 胸の傷は致命傷だ。



 死がすぐそこまで迫っていた。



 そんなフルーレに対し、夫だったはずの男が言った。





「『魔剣化』しろ」






「『魔剣化』しないのなら、メイドも殺す。


 それに、おまえもこのまま野垂れ死になんて、望んじゃいないだろう?


 矜持を残してみせろよ。メイルブーケ」



「む~~~~~っ!」



 口が開けていたら、エルはフルーレを止めていただろう。



 だが、布で抑え込まれた彼女の口からは、うめき声しか出てこなかった。



「……………………」



 何も残せずに死にたくは無い。



 フルーレはそう思ってしまった。



 だから呟いた。



「『魔剣化』」



 それはメイルブーケにだけ伝わる、呪いのスキルだった。



 フルーレの体が、強く輝いた。



 周辺の全てが白く染まった。



 光が消えた後、フルーレの姿は無く、ただ一本の魔剣だけが有った。



 エルの体から、ガクリと力が抜けた。



 フルーレはもう居ない。



 逝ってしまったのだ。



「まったく、化け物だな。メイルブーケも」



 マルクローは、かつてフルーレだった魔剣を拾い上げた。



「これに聖障壁殺しを、刻むという話だったな。


 新たな聖剣となれるのだから、この女も本望だろう」



「このメイドはどうしますか?」



 部下がマルクローに尋ねた。



「…………」



 大切なあるじを失ったエルは、放心状態にあった。



 それをかわいそうとも思わず、マルクローはこう言った。



「丁重に扱え。


 そいつの引き取り先は、既に決まっている」



 そして……。



「申し訳有りません……! 僕が非力だったばかりに……!」



 メイルブーケ本邸の、応接室。



「…………」



 マルクローの前に、ブゴウ=メイルブーケの姿が有った。



 自身の手で殺めた妻の父親の前で、マルクローは泣いてみせたのだった。



「顔を上げてください。殿下。


 魔獣相手に後れを取った娘が甘かった。それだけのことです」



「お父さん……。


 本当に……本当に申し訳ありません……」



 父親の許しを得られると、マルクローは去った。



 そしてけろりとした顔で、王宮まで帰っていった。



「…………」



 残されたフルーレの父は、彼女の死に一筋の涙を流した。





 そうなるはずだった。





 マルクローを袖にしたフルーレたちは、王宮から出た。



 通りを歩いていくと、ヨークとミツキの姿が有った。



「無事に済んだよ」



 フルーレは二人に声をかけた。



 するとヨークが口を開いた。



「良かったな」



「まあこれで、メイルブーケが連中に狙われることは、無くなったはずだ」



「これからどうする?」



「何日かは、迷宮に行くのは止めておいた方が良いかもな。


 混雑するだろうから」



「本物の家宝が、ここに有るとも知らずに……」



 ミツキはスキルを使い、家宝を取り出してみせた。



 事件以来ずっと、首飾りはミツキが保管していた。



 ミツキの手中の首飾りを見て、フルーレはこう言った。



「世界一安全な隠し場所だ」



「過大評価どうも」



 ミツキは首飾りを『収納』した。



「しかし、迷宮に行かないってのは暇だな」



 ヨークがそう言うと、フルーレは微笑んでこう言った。



「そうか。暇か。


 それなら、私とデートでもするか?」



「えっ」



「嫌か? 今ならエルもついてくるぞ。両手に花だ」



「…………」



 エルは期待するような目を、ヨークへと向けた。



「別に嫌じゃねえけどよ。


 おまえとデートすると、婚約者が怖いぜ」



 ヨークはそう言うと、苦笑いを浮かべたのだった。




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