5の9「薄っぺらな誓いと精一杯の悪行」
ヨークは震える声で言った。
「人死にが出ずに済んだら……
それが1番良いだろうが。
王都に来たら……
楽しいことがいっぱい有るって思ったのに……。
なんで殺し合いなんかしなきゃいけないんだよ……。
おまえの……おまえらのせいで……」
ぽたりと。
涙が一滴、悪党の頬に落ちた。
「…………」
グリッドは、ぼんやりとヨークを見上げた。
何かを考えている様子だった。
「リーダー。とっとと誓っちゃって下さいよ」
部下のオッチーが、グリッドにそう促した。
「あ? ああ……。
誓おう。
全てに誓う。
今後、俺たちは、おまえとその仲間に、危害を加えない」
「ホントに……?」
「神に誓ったんだ。二言は無い」
こうしてグリッドは、全てに誓った。
誓いの言葉とは、この世界の人たちにとって、大切なものだ。
それを口にするのが、悪党で無ければ。
「そっか……。
ははは……」
ヨークはふらりと立ち上がった。
そしてポケットに手を入れた。
ヨークはそこから薬瓶を取り出し、グリッドに差し出した。
「これ、ポーション。少ないけど、飲んで」
「お、おう……」
グリッドは困惑しながら、薬瓶を受け取った。
ヨークは涙ぐんだ目を、ごしごしと擦った。
そして呟いた。
「良かった……」
「これで手打ちってことで良いか?」
「いいや」
「え……」
「俺は、汚い闇討ちをかけてきたおまえたちを、信用できない」
ヨークはお人好しだ。
お人好しだった。
悪意に鈍い。
大きすぎる悪意を、理解することができない。
人の善意を信じたい。
そう思って生きている。
人は皆、良心を持っている。
そんな幻想を信じている。
この世に多大な悪意が渦巻いていることを、知ろうともしない。
己の世界に閉じこもっている。
愚者だ。
だから騙される。
ヨーク=ブラッドロードとは、そういう少年だった。
そのせいで、友人たちが死にかけた。
ミツキが居なかったら、全員殺されていただろう。
そのことが、ヨークには許せなかった。
「だから……」
いつまでも、ただのお人好しではいられない。
自分も悪くなる必要が有る。
ヨークはそう決めていた。
「木鼠……415連」
ヨークは杖も無しに、呪文を唱えた。
ヨークの周辺から、木の鼠が湧き上がってきた。
「これは……!?」
グリッドの疑問に、ヨークが答えた。
「こいつらは、俺の魔術で創ったネズミだ。
俺の命令通りに動き、おまえたちを見張る。
ずっとずっと、見張り続ける。
おまえたちが誓いを破ろうとしたら、
そいつらがおまえたちを殺す。
……約束、守れよ」
悪行を封じるには、殺してしまうのが手っ取り早い。
実に安直で、効果的な手段だ。
ヨークは人殺しが嫌いだ。
たとえ相手が悪党であっても、命までは取りたくはなかった。
だが、このまま野放しにするわけにもいかない。
そんなヨークが選んだ手段が、監視だった。
それがヨークという少年の、せいいっぱいだ。
悪意の限界だ。
この木鼠が居るかぎり、ヨークたちが連中に害されることは無い。
全て決着した。
ヨークはそう思い、この場から立ち去ろうとした。
「…………」
倒れた男の一人が、ヨークの背中にクロスボウの照準を合わせていた。
舐めたガキに、屈辱を味わわされた。
その事実が男の内面に、怒りを燃え上がらせていた。
(こんな鼠が何だってんだ……!)
どろりと熱く、そして冷酷に。
(死ね……!)
男は引き金を……。
「ぎゃあああああああああぁぁぁぁっ!」
悲鳴が上がった。
木鼠が、男の腕を斬り飛ばしていた。
クロスボウを持っていた手が、ぼとりと地面に落ちた。
そして……。
「止め……! ひいいいいいいいいいいいぃぃぃっ!」
「やめろっ!」
ヨークが怒鳴った。
頸動脈を噛み切る直前で、鼠は動きを止めた。
鼠は主人から命じられるままに、男の肩から下りた。
そして次の命令を待った。
「…………」
ヨークの瞳に、片手を失った男の苦悶の姿が映し出されていた。
「だから言っただろうがっ!」
ヨークは悔しそうに叫んだ。
「これくらいのことが!
どうして守れねえんだよ!
クソがッ!」
そしてヨークは、闇ギルドの面々を睨みつけた。
「おまえら……」
「っ……!?」
約束を破った自分たちは、この場で殺されてしまうのか。
グリッドの体がこわばった。
「何やってんだおまえら……!」
「何って……?」
ヨークの様子が妙だ。
そう思い、グリッドは困惑した。
「こん中に治癒術師はいねえのか!?」
「一応……」
オッチーが、小さく手を上げた。
「仲間が怪我してんだろうが! 助けてやれよ! バカかよ!」
ヨークはそう言って、地団駄を踏んだ。
人を超えた脚力に、迷宮がずんずんと揺れた。
(こいつ……何なんだ……!?)
グリッドには、眼の前の男が、理解出来なかった。
自分を殺そうとした男を、治療しないことに怒っている。
まったく意味が分からない。
本当に人間なのか。
こいつは。
この男は、自分たちの想像を超えたバケモノなのか。
グリッドは戦慄した。
「とっとと治療してやれ!」
「は、はぁ……」
オッチーは、重症を負った仲間に歩み寄り、回復呪文を唱えた。
「……2度目は無いからな。覚えとけよ」
ヨークは、そう吐き捨てて去っていった。
後には闇ギルドの面々が残された。
グリッドの隣で、木鼠がうろちょろと走っていた。
「ぐっ……」
グリッドは、痛みに耐えて立ち上がった。
そしてオッチーに声をかけた。
「こっちにも回復たのむ」
「わかりました。
……風癒」
オッチーの治癒術によって、グリッドの怪我が癒えていった。
「ふぅ……。助かった」
「どうも。
それで、あのガキ、どうやって始末しますか?」
オッチーがそう尋ねた。
「ん?」
「魔術で俺たちを見張り続けるなんて、
出来るわけが無い。
そんなことが出来るなんて、聞いたことが有りません。
ハッタリに違いありませんよ。
それに、いくら強くたって、
相手は甘ちゃんのガキだ。
毒を使ったり、いくらでもやりようは……」
そのとき木鼠が、オッチーの肩に駆け上った。
光を宿さない目が、彼の首に向けられた。
「本当にそう思うか?」
「…………」
オッチーは何も言えなかった。
視力など無いはずの木鼠の視線が、ずっと彼の首筋に向けられている。
「手加減されて、傷一つ負わせられず、
顔も覚えられた。
もしおまえがしくじったら、次は皆殺しかもな?
……それでもやるか?」
「……止めときます。責任とか苦手なんで」
「そうか。
……なあ。おまえ、
初めて人を殺したのって、何歳の時だ?」
「たしか13くらいですね」
「まあ、それくらいだよな。
それをあのガキ……。
俺たちなんかを殺すのが、悲しいんだとよ」
「変なやつですね。
他人を殺すのが悲しいだなんて。
死ねたらもう、お腹を空かせることも無いのに」
「…………。
サボってないで、とっとと治してやれ」
「あいあい。
……癒霧-ユギリ-」
オッチーの広範囲の治癒術が、闇ギルドのメンバーを包み込んだ。
闇ギルドの戦闘員たちは、怪我が治った順に、ちらほらと起き上がりはじめた。
「…………」
グリッドは少しの間、黙って治療を見守った。
そして治療に区切りがついたのを見ると、大きく口を開いた。
「聞け!」
グリッドは、大声を広場に響かせた。
「実働部隊のリーダーとして決定する!
闇ギルドからあの連中への、
一切の手出しを禁ずる!」
「それ、上の人たちが納得しますかね?」
オッチーが尋ねた。
「させるさ。
あのガキのレベルを知ったら、上も納得せざるを得ない」
「ちなみに、おいくらでした?」
「2000だ」
「…………………………………………はい?
何の冗談ですか?
4月だから馬鹿になったんですか?」
「嘘は言って無い」
「はえ~。人間なんですか? アレ」
「さあな」
知りたくもない。
あんなバケモノとは、2度と関わりたくはない。
グリッドは、心底そう思っていた。
……。
ヨークは迷宮を、上へとあがっていった。
そして、8層の途中で、バジル一行を見つけた。
「あっ……」
バニが、ヨークに気付いた様子を見せた。
「ん?」
バニの様子を見て、フルーレたちも、ヨークに顔を向けた。
「ヨークさま!」
エルがヨークの名を呼んだ。
「終わったの?」
バニが小走りに、ヨークに駆け寄っていった。
「多分」
「目、赤いわよ」
「埃が目に入った」
「……ごめんなさい。
あなたを守りたかったのに、守られてばかりいる」
「ずっと一緒に育って来たんだ。
たまたま俺に力が有った。
バジルたちが俺の立場でも、同じ事をするさ」
「そうだけどね。
……悔しいわ。なんだか」
「バニ。ヨークも混ざれるのか?」
事情を知らないフルーレが、のんきにそう尋ねてきた。
「ううん」
バニは首を左右に振った。
「ヨークが疲れてるみたいだから、
今日はもう上がって良い?」
「そうか。疲れてるのか。
……良し。帰ったら甘い物でも食べに行こう」
「ええ。そうしましょう」
フルーレ一行は、迷宮の探索を終えた。
そして八人で、広場へと帰還した。
それから屋台で甘いお菓子を買って、一休みをした。
「それじゃ、また明日」
フルーレがバニに向かって、別れの挨拶を口にした。
「うん。また明日」
「…………」
エルは黙って頭を下げた。
フルーレたちは、ヨークたちに背を向けて去っていった。
「さて……」
バジルが口を開いた。
「詳しい話を聞かせてもらうぜ。ヨーク」
……。
ヨークたちは、廃屋の応接室へ移動した。
ヨークはそこで、闇ギルドとの決着がついたことを説明した。
「そういうわけで、もう俺たちには手を出せないはずだ」
「呪文で監視って……。
そんなこと、マジで出来ンのか?」
バジルが疑問を見せた。
「出来るよ」
ヨークが答えると、次にドスが口を開いた。
「なるほど。だが、不安が有るのも事実だ。
それで提案なんだが……。
ヨークたちの宿に、俺たちも引っ越して良いか?」
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