4の40「レディスと杖」



 二人はしばらくの間、月を見上げていた。



 言葉も無く、ただ寄り添っていた。



 静かな二人だけの時間は、やがて終わりを告げた。



「モフミちゃん! ヨーク!」



 聞き慣れた声が聞こえた。



 ヨークたちは、声が聞こえてきた方角を見た。



 中庭の出入り口の方から、クリーンが駆け寄って来ていた。



「もう。勝手に居なくなるなんて。


 探したのですよ」



「すいません」



「ここで何をしていたのですか?」



 クリーンの疑問にヨークが答えた。



「ちょっと、村の踊りをな」



「都の踊りですけど」



「へぇ。見せてもらっても良いですか?」



「良いぞ」



 ヨークは踊りだした。



「ふふっ。変な踊りなのです」



「悪かったな」



 ヨークは踊りを止めて言った。



「ううん。見ているのです。


 これが私の故郷の踊りなのですよ」



 クリーンが踊りだした。



 その踊りは王都の踊りよりも、ヨークの村の踊りに似ていた。



「超ヘンな踊り」



 ヨークは笑いながら言った。



「言ったのですね? あなたも踊るのです!」



「おう」



 二人で踊った。



 二人とも笑顔だった。



 クリーンが、ふと空を見上げた。



 彼女の瞳が、夜空の月を捉えた。



「あっ。


 月が綺麗ですね」



「いえ。全然」



 ミツキが言った。



「えっ?」




 ……。




 大神殿の地下には、牢獄が有った。



「…………」



 いくつも有る牢屋の一つに、レディスが投獄されていた。



 その腕には、手枷が三つもはめられていた。



 通常なら、一つつければ済むものだ。



 手枷の数は、彼女に対する大神殿の警戒度を表していた。



(敗れた……)



 レディスは床に座り、うつむいていた。



 そこにはベッドのような気の利いたものは無かった。



 硬い床と壁、天井、便所、鉄格子。



 レディスの周囲に有るのは、それだけだった。



 淑女の居場所では無い。



 だがレディスは、そのことを気に病んではいないようだった。



(戦いでも、聖女の力でも、完全に……)



 彼女の気持ちは、過去に向けられていた。



 彼女が敗北した聖女の試練に。



 やがて……。



 こつこつと、物音が聞こえてきた。



 靴底が床を叩く音だ。



 足音は、レディスの方へ近付いて来て、鉄格子の前で止まった。



「…………」



 人影が、床に座るレディスを見下ろした。



「何の御用でしょうか?」



 レディスの方から、その人物に声をかけた。



「ここから出たい?」



 男の声が、レディスにそう問いかけてきた。



「……いえ。


 聖女の試練は、どちらが勝ちましたかね。


 マーガリートか、ブラッドロードか」



 第3の試練は、クリーンが勝ったのだろう。



 レディスはそう確信していた。



 だが、第3の試練に勝ったところで、聖女になれるわけでは無い。



 最終試練の前では、全てが茶番だ。



 レディスは実体験として、それを思い知らされていた。



 茶番をブチ壊してやりたかった。



 だが、敗れた。



 ならば、試練は例年通りに進んだのだろう。



 レディスはそう思っていた。



 だから……。



「クリーン=ノンシルドが勝ったよ」



 男の言葉は、レディスにとっては予想外すぎた。



「…………え?


 どうして……?」



 レディスは愕然とした声で、男にそう尋ねた。



 男がレディスの疑問に答えた。



「マーガリートのお嬢様が、


 彼女のために信仰を積んだ。


 そしてサレンたちも」



「そう……ですか……。


 どうやら、彼女と比べたら、


 私はあまりにも小さい。


 ですが……。


 私なりに、精一杯頑張ったんですよ?」



 レディスは力無い笑みを浮かべた。



 そんなレディスの気持ちなど、男からすれば、知ったことでは無い。



 男は無機質な声で、レディスにこう尋ねた。



「もう一度聞くよ。ここから出たい?」



「…………。


 いいえ。


 早く私を処刑して下さい」



「それが望み?」



「はい」



 生き恥を晒したくはない。



 全てを砕かれたレディスは、本心でそう願っていた。



 そんなささやかな気持ちを汲み取る温情すら、男の方には無かった。



「だけど、そういうわけにはいかない。


 大神殿に歯向かった代償は、払ってもらうよ」



「何を……?」



「案じることはない。


 キミの運命は、


 どうせきっと、変わらないから」




 ……。




 聖女交代の儀式の日が来た。



 早朝。



 ヨークたちの寝室。



 ミツキは一人はやく起き出して、作業台で日記を綴っていた。



(この日記帳も、そろそろいっぱいですね)



「ん……」



 ベッドの上で、ヨークが体を起こした。



 ミツキは即座に、日記を『収納』した。



「おはようございます。ヨーク」



「おはよ」



 ミツキが日記を書いていることを、ヨークは知らない



 日記の内容は、大半がヨークのことで埋まっている。



 ヨークには、絶対に読ませられなかった。




 ……。




 ヨークたちは、朝の身支度を済ませた。



 三人で宿から出ると、ヨークはクリーンを、大神殿へと送り届けた。



 クリーンは儀式の主役だ。



 部外者のヨークとは違い、大がかりな準備が必要だった。



 ヨークとミツキはクリーンと別れ、儀式の会場へと向かった。



 会場は、大階段の有る広場だった。



 ここを利用する冒険者たちも、今日ばかりは休業となる。



 大階段の周囲に、儀式のための飾りつけが為されていた。



 階段の手前には、祭壇が設置された。



 祭壇と階段の間に、旧聖女、トトノールが立った。



 ここで新たな聖女を出迎えることになる。



 やがて儀式の時が来た。



 神殿騎士たちが行列を作り、広場へとやって来た。



 その先頭には、クリーンの姿が有った。



 彼女は普段とは違う、威厳の有る服装をしていた。



 豪奢な赤絨毯を踏み、クリーンはトトノールの前に歩いた。



 旧聖女トトノールと、新聖女クリーン。



 二人は祭壇を挟み、向かい合った。



 その周囲は神殿騎士たちに守られ、それを民衆が囲んでいた。



「…………」



 ヨークたちは近くの建物の屋上から、遠巻きにそれを眺めていた。



「特等席だね。少年」



 いつの間に現れたのか。



 後ろから、ニトロが声をかけてきた。



「ニトロさん」



「どんな気分だい? 今」



「ふしぎですね。あいつが聖女だなんて」



「そうかい?」



「そうですよ」



 トトノールは祭壇に手を伸ばした。



 祭壇の上には、黄金の杖が置かれていた。



 聖女の杖だ。



 トトノールは、両手で杖を握った。



 クリーンは一礼し、トトノールの手から、杖を受け取ろうとした。



 そのとき……。



「ヨーク! あれを!」



 ミツキが上空を指差した。



 どうやら只事では無い。



 ミツキの声音からそう感じ取ったヨークは、緊張した表情で空を見上げた。



 そしてそこに有るモノを見た。



「…………!」



「空だ!」



 ニトロが大声で叫んだ。



 護衛の騎士たちに命令を飛ばし、屋上から飛び降りた。



「クリーン……!」



 ヨークもニトロの後に続いた。



 上空から、飛来するものが有った。



 鮮血の色をしたそれは、一直線にトトノールへと向かっていった。



「っ……!」



 飛来するそれを、トトノールは杖で受け止めてしまった。



 鋭い一撃が、杖の魔石を穿った。



 魔石は粉々に砕け散った。



 空から襲来したのは、捕らえられたはずのレディスだった。



 魔石を砕いたのは、レディスの血の槍だった。



「…………」



 破壊を終えたレディスは、ぼんやりとそこに佇んでいた。



「この……!」



 神殿騎士たちが、レディスへと突きかかった。



「っ……」



 レディスは攻撃を避けなかった。



 何本もの剣が、彼女の体へと突き刺さっていった。



「はは……は……」



 山ほどの剣を突きたてられて、レディスは苦笑した。



 吸血鬼は頑丈だが、不死では無い。



 致命傷だった。



 やがて彼女の体は、指先から灰になっていった。



 そしてボロボロと崩れ落ちていった。



 かつてレディスだったモノは、その全てを灰へと変じた。



 地に落ちた灰は、風に流されて消えていった。



 ヨークたちがたどり着いた時には、全てが終わっていた。



「聖女様……!」



 ニトロがクリーンに声をかけた。



「クリーン! 無事か?」



 ヨークもクリーンを呼んだ。



「ヨーク……」



 クリーンがヨークを見た。



「杖が……」



 トトノールは呆然とした様子で、破損した杖を見ていた。



 命が無事だったというのに、まるで安堵した様子が無い。



 彼女の気持ちは、完全に杖に吸い取られてしまっている様子だった。



「大切な聖女の杖が……」



「その杖が……何だって言うんですか?」



 そこまでショックに思うようなことなのか。



 そう思ったヨークがトトノールに尋ねた。



 トトノールに代わって、ニトロが口を開いた。



「その杖は、聖女の力の源なんだ。


 ……その杖が無いと」





「迷宮の魔獣たちが、王都へとあふれ出すことになります」



 トトノールがそう言った。






「え……!?」



 世間知らずのヨークは、ようやく事態の深刻さを受け止めることになった。




 ……。




「いったいどうして吸血ジャックを逃がしたりしたんだ……!」



 大神殿の会議室。



 神殿騎士の一人が、吐き捨てるように言った。



 集められた神殿騎士たちは、苛立ちを隠せない様子だった。



「静かに」



 ニトロが騎士たちを叱った。



「団長……」



「これは作戦会議だ。関係の無い発言は慎むように」



「すいません。つい……」



(俺、なんでここに居るんだろう)



 ヨークが内心で疑問を浮かべた。



 これは神殿騎士団の作戦会議のはずだ。



 だというのに、何故かヨークたちも、この会議に出席していた。



 四角く並べられた長机のそばで、ヨークは着席していた。



「…………」



「…………」



 その両隣には、ミツキとクリーンの姿も有った。



「あの……」



 サレンが口を開いた。



「何かな?」



 ニトロがサレンに尋ねた。



「杖を修理したり、


 複製することは出来ないのでしょうか?」



「聖女の杖は、


 神様から授かった物と言われていてね。


 その原理は、現代の技術でも、


 解明されてはいない。


 レディスのような


 人を超えた化け物で無ければ、


 破壊すら困難な代物だ。


 修理も複製も、


 困難と言う他に無いね。


 もはや聖女の杖が、


 我々の手に戻ることは無い。


 だから……」



 毅然とした表情で、ニトロはこう続けた。



「私はここに、


 ラビュリントスの完全攻略を提言する」



「可能なのですか? そのようなことが」



 ミツキが尋ねた。



「杖が無い以上、


 王都はいずれ


 ラビュリントスの魔獣によって埋め尽くされる。


 それを阻止するには、


 魔獣どもの根源を


 叩くしか無い」



「根源とは?」



「……ラビュリントスの深層に巣食うという、


 邪悪なる者。


 それが魔獣を生み出しているのだと、


 大神殿には伝えられている」



「確かなことなのですか?」



「私は神殿騎士だからね。


 神殿の教えを信じる。


 それに、他に手がかりが無いのも事実だ。


 少数精鋭のチームを編成し、


 ラビュリントスを攻める。


 そのチームには、


 少年たちにも加わって欲しいと思っている」


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