4の11「下見と頓挫」



 浴室の事件の翌日。



 大神殿内の教室。



 クリーンは、教師のレディスから、個別授業を受けていた。



 アシュトーに負わされた傷は、既に癒えていた。



 神殿には、治癒術の使い手が多い。



 十分な治療を受けられた。



 だから、体調に問題は無い。



 だが、その顔は、どこかぼんやりとしていた。



「つまり、この場合の受け答えとして、正しいのは……」



「…………」



「ノンシルドさん。


 聞いているのですか?」



 黒髪黒衣の老婦人が、身の入らない様子のクリーンを、咎めた。



「あっ……ごめんなさいです」



 クリーンは、慌てて謝罪した。



 レディスはクリーン一人のために、わざわざ時間を作ってくれている。



 今の態度が失礼だということは、クリーンにもわかっていた。



「ちょっと、ぼんやりとしてしまって……」



「いけませんよ。


 そんなことでは。


 聖女の試練は、もうすぐそこまで、


 迫っているのですから」



「はい。その通りなのです。


 集中します。全力でやるのです」



「……続けますよ?」



「はい。


 ……がんばれ私!」



 クリーンは、自分の両頬を張った。



 気合を入れるためだ。



 ぴしゃりと小気味良い音が、教室に響いた。



「はしたない。減点です」



「えっ?」




 ……。




 その日の授業が終わった。



 教師のレディスは、大神官ニトロの部屋を訪れた。



 クリーンについて、報告をするためだった。



 彼女を大神殿に受け入れたのは、ニトロだ。



 彼女に対する責任も権利も、ニトロが有していた。



「失礼します」



「うん」



 黒衣の老婦人は、机を挟み、大神官と対面した。



「彼女の様子は、どうかな?」



「逸材かと」



「キミが、そこまで言うほどなんだ? 彼女は」



「授業を始めた直後は、


 腑抜けた感じでしたけどね。


 一度注意をすると、


 集中するようになりました。


 それからは、驚くべき速度で、


 知識を吸収していきました。


 それだけに、惜しいですね。


 あと三ヶ月というのは」



「間に合わないかな?」



「はて」



 ニトロの問いに対し、レディスは目を細めてみせた。



「他の候補が間に合っているとは、


 私には思えませんが」



 レディスは他の聖女候補にも、授業を行ってきていた。



 その中に、及第点と言えるレベルの生徒は、滅多に居なかった。



 皆が特別に、不まじめというわけでは無い。



 多くの生徒は、ほどほどには出来ている。



 だが、聖女とは、選ばれし者が就く役職だ。



 ほどほどでは困る。



 レディスはそう考えていた。



「手厳しいね」



 ニトロは聖女に対し、そこまでの思い入れは無い。



 問題さえ起こさなければ、それで良いと思っていた。



 レディスとの間に、明確な温度差が有った。



 レディス自身も、その温度差に気付いていた。



 彼女はため息をつきたくなったが、ぐっと堪えた。



 優雅で無いからだ。



 レディスは背筋を伸ばしたまま、言葉を継いだ。



「教養よりも、品格よりも、


 『力』有ることが求められる。


 なんとも、やりがいの無い話です」



「仕方の無いことだ」



「事情は分かりますけどね」



「迷宮の魔獣を、


 王都へ溢れさせるわけにはいかない」



「仰るとおりです。


 ですが、楽しくはありませんね」



「…………。


 彼女の教育だが、


 明日は休みにして欲しい」



 ニトロがそう言うと、レディスは厳しい視線をニトロに向けた。



「時間が無い。そう言ったはずですが?」



 レディスの言いたいことは分かる。



 だがニトロにも、彼なりの言い分が有った。



「彼女は未だ、


 パワーレベリングを受けていない身だ。


 先日に、候補同士のいざこざがあって、


 彼女は負傷した。


 小競り合いだが、


 レベル差が大きいと、


 冗談では済まない。


 身の安全のためにも、


 早くレベルを上げさせる必要が有る」



「そもそも、そのようないざこざが有ったというのが、


 如何なものかと思いますがね。


 過剰な拝金主義と、


 実力偏重主義。


 それらがイビツに折り重なって生まれた、


 醜悪です。


 ……正気ですか?


 候補二人を負傷させて、


 特にお咎めも無しというのは」



「彼女のバックボーンを考えると、


 仕方の無いことだ」



「腐りきっていますね。


 商会の連中、何を考えて……」



「さあね。


 ただ、彼女は強く、


 神官長は黄金色のクッキーが


 お気に入りだ」



「…………。


 すべて葉っぱに


 変わってしまえば良いのに」



 レディスは毒づいた。



 彼女の振る舞いは、悪意の中ですら、優雅さで満ちていた。




 ……。




 大神殿にある、イーバの個室。



 そこへ、トリーシャとマギーが駆け込んできた。



 室内には、イーバの姿が有った。



 彼女はテーブル脇の椅子に、腰かけていた。



 彼女の手中には、ティーカップが有った。



 カップの中では紅いお茶が、湯気を立てていた。



「イーバ様!」



 トリーシャは、強くイーバに呼びかけた。



 イーバは彼女に対し、不快さを露わにした。



「騒々しい」



「あっ……。申し訳有りません」



 トリーシャは、しゅんとなって謝罪した。



「それで? どうしたの?」



 イーバが尋ねると、言いづらそうに、マギーが口を開いた。



「その……クリーン=ノンシルドの件なのですが……」



「話しなさい。早く」



 イーバがトリーシャにそう言った。



「アッハイ。


 彼女は明日、


 神殿騎士による


 パワーレベリングを受けるようです」



「そう。新入りだものね。


 ……それで?」



 イーバがそう尋ねると、マギーがこう提案してきた。



「彼女の留守に、


 こっそり部屋に忍び込んで、


 グチョグチョにしてやるというのはどうでしょうか?」



「ん……」



 マギーの案に対し、イーバは思案する様子を見せた。



「……どうかしらね」



 思案の後、イーバは気乗りしない様子を見せた。



「パワーレベリングの回数は、


 限られているわ。


 せっかくの機会、


 その程度で済ませて良いものかしら……」



「それでは何を……?」



 トリーシャがそう尋ねると、イーバはまた思案を始めた。



 そして少しすると、何かを思いついた様子を見せた。



「……そうだ!


 パワーレベリングに参加する騎士が誰か、


 調べてきなさい」



「分かりました!」



「行ってきます!」



 トリーシャとマギーは、駆け足でイーバの部屋から出て行った。



 残されたイーバは、悪女の笑みを浮かべた。



「ふふふ……。


 私に楯突いたこと、後悔するのね」




 ……。




 大神殿の南方。



 サトーズの宿屋。



 ヨークたちの部屋。



 早朝。



「…………」



 ミツキはベッドに横たわり、目を閉じていた。



 まだ眠っているようだった。



 ミツキのそばで、ヨークが体を起こしていた。



 いつもより早めに、目を覚ました様子だった。



「起きろ~」



 ヨークはミツキの体を、揺さぶった。



「んっ……んぅ……」



 体をゆさゆさと揺られ、ミツキは目を開いた。



 ミツキは壁の時計を見た。



 まだ、無理に起こされるような時間ではない。



 そのように思われた。



「……何ですか? 朝から」



「今日さ、迷宮に行く前に、


 寄りたい所が有るんだ。


 だから、ちょっと早めに出ようぜ」



「……分かりました。


 けど……もう5分……こうして……」



「分かった」



 ミツキは眠そうに、目を閉じた。



 ヨークは、彼女の隣に寝転がった。



「ん…………」



 ミツキはヨークにしがみついた。



 ヨークは愛おしそうに、ミツキの頭を撫でた。




 ……。




 1時間後。



「行ってらっしゃいませ」



 サトーズがヨークに、見送りの挨拶をした。



「行ってきまーす」



 ヨークたちはいつもより早く、宿屋から出発した。



 外へ出ると、通りが混雑しているのが分かった。



「あれ? いつもより人多いか?」



「この時間帯は、


 職場に向かう人が多いのでしょう」



「早いなあ。


 ……ナマケモノか。俺たちは」



「そうですね」



「ほら」



 ヨークはミツキに手を伸ばした。



「はい」



 ミツキはヨークの手を取った。



 二人は手をつなぎ、通りを歩いていった。



 二人の足は、北へと向けられていた。



「どちらへ?」



 歩きながら、ミツキがヨークに尋ねた。



 するとヨークは、楽しげにこう言った。



「それは、着いてのお楽しみだ」



「この方角だと……大神殿が有りますね」



「あっ」



 行き先を、言い当てられてしまったのだろう。



 ヨークは、しまったといった感じの表情を浮かべた。



「……すいません」



 ミツキはちらりと、ヨークの表情をうかがった。



「…………」



 ヨークは固い表情で、前へと視線を向けていた。



「怒ってます?」



「怒ってません」



 怒ってないらしかった。



 それからヨークは無言になった。



 二人は無言のまま、歩き続けた。



 やがて、大神殿が見えてきた。



 正面口から中へ入り、礼拝堂へと歩いた。



 二人は荘厳な礼拝堂の、中央に立った。



 きらびやかな宗教美術が、二人を包み込んだ。



「……綺麗だろ?」



「はい。ですが……どうして?」



「下見だ」



「え?」



「ここで結婚式を挙げよう。


 王都だとさ、


 ここが1番人気らしいんだ。


 けっこう値が張るらしいんだけどさ、


 今の俺たちなら払えるって。


 ……また駄目か?」



 ヨークは困った顔で、ミツキの反応を待った。



「惜しいですね」



「そうか。


 ……キラキラしてるから、


 良いかなと思ったんだが」



「私は第三種族です。


 新しい教えによれば、


 魔族は許され、


 人族と平等の権利を与えられたとされています。


 ですが……私たちは違います。


 人と同じ扱いをされない、


 獣の一族です。


 人々が崇める神は……


 私たちを祝福してはくれません」



「神なんか、気にすんなよ」



(神殿で言うことでは無いと思いますが……)



「そもそも、許可が下りませんよ。


 第三種族が


 結婚式を挙げたと知られれば、


 大神殿のブランドに傷がつきますからね」



「なんだとぉ……」



「凄んでも、ダメなものはダメです」



「そういうもんか」



「そういうもんです」



「……悪いな。いつも考え無しで」



「いえ」



 ミツキはヨークに、そっと体を寄せた。



 そして両腕を、ヨークの背中に回した。



「あなたは強く美しく、


 そして温かい。


 小賢しさなんて、必要ありません」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る