3の26「未熟と末路」




「氷狼、百連」



 ヨークは呪文を唱えた。



 広い前庭に、狼の軍勢が出現した。



 ヨークは狼の背を、両足で踏んだ。



 風が、ヨークの後ろ髪をなびかせた。



 戦闘態勢が整ったヨークは、黒蜘蛛を見て微笑んだ。



「かかって来て良いぜ」



 言われて、黒蜘蛛は前に出た。



 その身体能力は、ヨークを遥かに上回っている。



 一息に、距離が詰まった。



 杖の一撃が来る。



 だが……。



 黒蜘蛛の杖が届く前に、ヨークは間合いから離脱していた。



「…………」



 黒蜘蛛は、ふしぎそうにヨークを見た。



 ヨークは氷狼の背で、しゃがんでみせた。



 そして笑みを浮かべたまま、狼の肩を、ポンと叩いた。



「本気で創れば、


 こいつは俺よりも速いぜ」



「…………」



 黒蜘蛛は、再び前に出た。



 ヨークと黒蜘蛛の距離が、再び詰まった。



 黒蜘蛛は愚直に、杖での攻撃をしかけた。



 狼は低く跳躍し、攻撃を回避した。



 そして黒蜘蛛の周囲を、旋回するように駆けた。



「全開で行くぞ!


 嫌ならとっとと逃げろよ!


 分かったな!?」



 ヨークは怒鳴り、魔剣を黒蜘蛛に向けた。



「穿風、雷牙、嵐紅」



 風、雷、炎。



 3つの強大な攻撃呪文が、立て続けに黒蜘蛛へと向かった。



 だがそれら全ては、障壁によって無効化され、消えた。



(マジで鉄壁だな……)



 障壁の驚異を再確認したヨークは、剣先を少し下げた。



 呪文の狙いを、急所から外すためだった。



「呪壊」



 黒蜘蛛の足を狙い、ヨークは呪文を唱えた。



 頑丈なゴーレムを、一撃で崩壊させた呪文だ。



 だが、何も起こらなかった。



「へぇ……」



 半ば予想していたが、ヨークは感心の声をあげた。



(敵の内部から発生する呪文は、


 発動すらさせてもらえないか。


 それなら……)



 ヨークは魔剣を、天空に向けた。



 そして、唱えた。



「氷竜」



 ヨークの頭上に、長大な竜が出現した。



 体長200メートルを超える、氷の竜だった。



 竜は黒蜘蛛に、頭上から襲いかかった。



「…………」



 黒蜘蛛は、無言で竜を見上げた。



 動じた様子は無かった。



 巨大な竜の質量も、黒蜘蛛の本体には届かない。



 目に見えぬ障壁が、黒蜘蛛を守っていた。



 無為。



 竜の突進は、ただ障壁に阻まれた。



 見事な造形を誇った竜の頭部が、障壁によって砕かれた。



 そして、続く竜の胴体が、粉々に砕けていった。



 竜が消えた後、黒蜘蛛は、攻撃を受ける前と変わらない姿で、そこに立っていた。



(これでも駄目かよ……)



 ヨークが顔をしかめた。



 そのとき……。



「ぐっ!?」



 ヨークの肩に、激痛が走った。


 気が付けば、ヨークの体は宙に浮き、狼から落ちようとしていた。



(…………!?)



 ヨークは痛みに耐えながら、黒蜘蛛を見た。



 黒蜘蛛が、石を拾い上げているのが見えた。



(投石か……!


 シンプルだが……嫌な手だ……)



 ヨークの体が、地面に落下した。



 致命的な隙だ。



 黒蜘蛛は、そう考えたのだろう。



 大地を蹴り、一気にヨークとの距離を詰めてきた。



 一直線。



 だからこそ、動きを読むのは簡単だった。



(大陥穽)



 ヨークは心の中で、呪文を完成させた。



 黒蜘蛛の進路に、大きな陥没が発生した。



 黒蜘蛛は、止まれなかった。



 前進の勢いを殺せずに、大穴へと落ちていった。



(効いた……!


 これでダメならキツい。


 頼んだぞ……)



 ヨークがそう考えた、次の瞬間……。



 大穴から、黒い影が飛び出した。



 黒蜘蛛は、地面を一蹴りするだけで、遥か上方へと跳躍していた。



 深い穴に落ちても、黒蜘蛛は無傷のままだった。



 星の重力ですら、黒蜘蛛を傷つけることは出来なかったらしい。



(無敵かよ……!)



「…………」



 黒蜘蛛が、地上を見下ろしていた。



 上空から、ヨークの姿を探していた。



 手負いの獲物の姿を。



 ……それが致命的な隙になるとは、思いもせずに。



「けど、跳んだな?」



 黒蜘蛛の瞳が、地上から迫る何かを捉えた。



 ヨークだ。



 彼は黒蜘蛛に向かい、飛翔していた。



(どんな奴でも、


 落ちるスピードはトロいって、


 相場は決まってんだ)



 大穴は、黒蜘蛛にダメージを与えるためのものでは、無かった。



 ただ、一瞬の隙を作る。



 そのための布石だった。



 空中では人は、重力加速度の奴隷になる。



 例外となるのは、一部の術者やスキル持ちだけだ。



 戦場で、高く跳躍してはならない。



 戦士の常識だ。



 黒蜘蛛は、戦士では無かった。



 力が有るだけの素人だ。



 戦場の常識を知らない。



 だから簡単に、隙を晒してしまう。



 ヨークは最初の奇襲の時に、それに気付いていた。



 状況さえ揃えてやれば、必ず跳ぶと思っていた。



 そして、ヨークの予想通りになった。



 大地を蹴ったヨークが、黒蜘蛛に肉薄していた。



(行くぞ……!)



 ヨークは魔石ナイフを投げた。



 ナイフが障壁を裂いた。



 黒蜘蛛を守っていた結界が、消失した。



 ナイフは黒蜘蛛の二の腕の、鎧の隙間に突き刺さった。



 黒蜘蛛の体勢が、崩れた。



 必勝を確信し、ヨークは魔剣の柄を強く握った。



 その刀身は、鞘に収められていた。



(このまま片脚斬って、俺の勝ちだ。


 ……紅蓮)



 ヨークは内心で、魔導抜刀のための呪文を唱えた。



 そして、鞘に火炎の力がみなぎると、ヨークは抜刀した。



 剣は、黒蜘蛛の脚に向かった。



 そのとき……。



「…………!」



 黒蜘蛛の腕が、爆発を起こした。



 ナイフが突き刺さった位置の、少し下の部分から。



 爆発によって、黒蜘蛛の位置が、ずれた。



 下へ。



「ッ!?」



 まずい。



 そう思っても、剣は止まらなかった。



 出来損ないの魔導抜刀が、黒蜘蛛の胴に入っていった。



「あっ……」



 ヨークは呻いた。



 ……技は為った。



 嫌な感触が、ヨークの手に伝わった。



 空中では、人は重力加速度の奴隷になる。



 ヨークの体が、地面へと落ちていく。



 ヨークよりも少しだけ早く、墜ちていく物体が有った。



 ヨークの瞳は、それをじっと捉えていた。



 真っ二つに裂かれた、黒蜘蛛の体。



 落ちて、落ちて、落ちて。



 どしゃりという嫌な音と共に、それらは地面へと、叩きつけられた。



 少し遅れて、ヨークも地面にたどり着いた。



 ヨークの視線は、ずっと黒蜘蛛から離れなかった。



「俺は……。


 死ぬかもしれないって……


 言ったのに……」



 ヨークはよろよろと、黒蜘蛛の残骸から後ずさった。




 ……。




 戦闘が終わり、ミツキも目を覚ました。



 ミツキは、リホたちの首輪を(握力で)破壊して、開放した。



 リホは救われた。



 ヨークたちの勝利だった。



 だが、ヨークの顔色は悪かった。



「……………………」



 ヨークはずっと、黒蜘蛛の方を見ていた。



「……申し訳有りません」



 苦しげなヨークを見て、ミツキが口を開いた。



「全くお役に立てず、


 なさけの無い限りです」



「べつに、ミツキは悪くねえよ。


 あいつが……強かったんだ」



「…………」



 次にリホが口を開いた。



「……ウチのせいっス。


 ウチのせいで、


 ブラッドロードが……」



 そのとき……。



「ヨーク=ブラッドロード」



 自由になったクリスティーナが、久しぶりに言葉を発した。



「何だよ?」



 眉をひそめながら、ヨークはクリスティーナを見た。



「馬鹿だね。君は」



「何だよ急に」



「見たまえ」



 そう言って、クリスティーナは黒蜘蛛の残骸へと、歩み寄っていった。



 黒蜘蛛の隣に立つと、クリスティーナはしゃがみこんだ。



 そして、黒蜘蛛の腕に触れた。



 クリスティーナがいじると、黒蜘蛛の腕は、肩から取り外された。



「え……?」



 ヨークは呆然と声を上げた。



 クリスティーナは腕を持ったまま、ヨークの方へ戻ってきた。



 そして、手中の腕を放り投げた。



 ヨークはそれを受け取った。



 見ると、腕は金属で出来ていることがわかった。



 人の腕では無かった。



「これは……」



「黒蜘蛛は、ボクが作った魔導器だ」



「えっ……!?」



 リホが驚きの声を上げた。



「そうなのですか?」



 ミツキがクリスティーナに尋ねた。



「うん」



 クリスティーナは頷いた。



 そしてヨークに言った。



「だから、君が気に病むようなことは、何も無いんだよ」



「あ……。


 は……はは……」



 ヨークは気が抜けて、黒蜘蛛の腕を取り落とした。



 そして、尻餅をついてしまった。



「驚いた……。


 そうだよな。クラスもスキルも無いんだ。


 冷静に考えたらそうだよな。だけど……。


 人間にしか思えなかった。驚いたよ」



「光栄だ」



 クリスティーナは、落ちた腕に視線をやった。



「黒蜘蛛は、ボクの最高傑作だからね。


 ……さて。


 気がかりが無くなったのなら、


 始末をつけると良い。


 ボクも、この事件に加担した身だ。


 望むなら、この場でボクを殺すと良い。


 …………殺せ」



「別に、おまえの首なんかいらねえよ」



 クリスティーナの言葉に、ヨークはそう答えた。



「そうかい。


 罰が決まったら、教えてくれ。


 黒蜘蛛を、弔って来る」



 クリスティーナは、黒蜘蛛の腕を拾いあげた。



 そして再び、黒蜘蛛の残骸へと向かった。



 彼女はしゃがみ込むと、腕を本体へと戻した。



 それから、二つに分かれた体を抱きかかえ、フラフラとどこかへ歩いていった。



 やがて、彼女の姿は見えなくなった。



「さて……」



 ヨークはイジューを睨みつけた。



「…………」



 イジューはヨークに視線を返した。



 そして問いかけた。



「どうする?


 私を衛兵に突き出すか?」



「あいつらは、信用出来ねえ」



「ならどうする?」



「1発ぶん殴る」



「甘いな。


 悪と見たら、殺すべきだ。


 悪人とは、ただの敵対者では無い。


 気がつけば、善なる者を害し、奪い去っている。


 恐るべき災厄なのだから」



「殺して欲しいのかよ?」



「それだけの事はしてきたつもりだが……。


 お前は善良過ぎるな。


 善では悪を倒せない。


 悪を倒すのは、


 善では無く正義だ。


 だが、正義とは常に、


 悪を内包しているものだ。


 悪と悪が潰し合うこの世界で、


 善だけが、戦う術を持たん。


 ……哀れで儚いな」



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