2の9「猫と空」



 ヨークはメイルブーケ邸の、正門へと移動した。



 城に帰るため、マルクローもメイルブーケ邸を出た。



「それじゃあ、僕は行くよ」



 マルクローがヨークに言った。



「王族として、出来ることをしなくてはならない」



「ああ」



 正門前には、王家の猫車がやって来ていた。



 パーティの日にヨークが乗った物より、さらに豪奢だった。



 車を引く猫は、当然に、毛並みの良いサーベル猫だ。



 御者が、猫車の扉を開けた。



 マルクローは猫車に乗り込んだ。



 車の扉を閉めると、業者は業者台に戻った。



 猫車が走り出した。



 王城に向かって。



 やがて猫車は見えなくなった。



 正門前には、ヨーク一人になった。



「…………」



 ヨークは、しばし待った。



「お待たせいたしました」



 エルの声が聞こえた。



 見ると、エルは羽猫を連れてきていた。



 ヨークはその猫に、見覚えが有った。



 宿屋の前で、フルーレたちと居た猫だった。



 猫の隣には、デレーナの姿も有った。



「羽のやつか」



 ヨークが言った。



 希少な羽猫を用意してもらえたことが、ヨークには意外だった。



「みゃあ」



 羽猫が鳴いた。



「よしよし」



 ヨークは羽猫を撫でた。



 ふさふさだった。



「みゃあぁぁ」



 羽猫は、嬉しそうに鳴いた。



「ポチと言います」



 エルが、猫を見ながらそう言った。



「みゃあぁ」



「そうか。


 羽のやつに乗るのは始めてだ」



 ヨークがそう言うと、デレーナが口を開いた。



「ソウナンですの?」



「田舎には、


 荷運び用の


 ダガー猫しか居なかった。


 それと、小さい町猫か。


 ……まあ、なんとかなるだろう」



「なんとかって……」



「心配か?」



「誰があなたなんか」



「フルーレも俺が助ける」



「えっ……」



「だから、心配せずに待ってろ」



 絶対に勝てる……などとヨークは思ってはいない。



 1度敗れた相手だ。



 2度目も有り得る。



 だがヨークは、デレーナを元気づけるため、こう言った。



「…………。


 ちょっと、


 そこで待っていて下さい!」



 デレーナは急に大声を出した。



「あ? ああ……」



 ヨークは呆気にとられた。



 デレーナは、家の中へ駆けていった。



 彼女は速かったが、足音は聞こえなかった。



 少しして、デレーナは戻ってきた。



 やはり足音は無かった。



 彼女の服装は、ドレス姿では無くなっていた。



 動きやすい、男性的な礼服になっている。



 腰には剣が見えた。



「私も行きますの」



 デレーナは、背筋を伸ばしてそう言った。



「止めとけよ。危ないぞ」



「そんな危険な所に、


 御一人で向かわれるおつもりですの?」



「……俺は良いんだよ」



 自分が負けて死んでも、悲しむ者も少ないだろう。



 ヨークはそう考えていた。



「べつに、


 闘いに加わるつもりは


 ありませんの。


 羽猫であなたを送ったら、


 とっとと帰らせていただきますわ」



「その格好は?」



 ヨークはそう言って、デレーナの首から下を見た。



 今の彼女の格好は、ヨークには、臨戦態勢だとしか思えなかった。



「気分の問題ですわ。


 それに、ドレスでは


 猫に乗りにくいですから」



「……行くか」



「ええ」



 デレーナはポチに跨った。



 そしてヨークに声をかけた。



「後ろに」



「分かった……」



 ヨークはデレーナの後ろに跨った。



 デレーナは、背筋を伸ばして手綱を握った。



 背の高い男のヨークが、女のデレーナに守られているような見た目になった。



「男の俺が後ろって、


 なんか格好悪くないか?」



「あの時の踊りよりは、


 マシですわよ」



「村の踊りを馬鹿にするな」



「それは失礼。


 行きます。


 しっかり捕まってくださいませ」



「ああ。こうか?」



 ヨークはデレーナのお腹に、手を回した。



 そして、ぎゅっとしがみついた。



「ひゃっ……!」



 デレーナは短い悲鳴を上げ、少し赤くなった。



「悪い。強かったか?」



「べつに。


 慣れないことなので、


 少しびっくりしただけですわ」



 デレーナは、表情を改めて、手綱をしっかりと握りなおした。



「そのまま捕まっていて下さい。


 さもないと、


 振り落とされましてよ!」



 デレーナが、ポチの手綱を操った。



 ポチが羽ばたいた。



 羽猫が、宙へと飛び立った。



「飛んだ……!」



 ヨークは感激の声を上げた。



 空を舞うのは初めてのことだった。



 それなのに、どこか懐かしいような気もしていた。



 背中が疼くような感覚が有った。



「羽猫が飛ぶのは、


 当たり前のことですわ」



「そうか。


 お前には、


 これが当たり前なんだな」



 ヨークは空中から、王都を見下ろした。



 人が、米粒のように見えた。



 平民のほとんどは、羽猫に乗ることなどできない。



 空の景色など知らずに、その人生を終えていく。



 見えている景色に、どうしようもない違いが有った。



 羽猫は、王都の外壁を越えた。




 ……。




 羽猫は飛び続けた。



 王都を離れて、少しの時が経った。



 ヨークはデレーナに話しかけた。



「砦はまだ見えないのか?」



「……はぁ。


 お買い物に行くのではありませんのよ?」



「そうか。見えないか……」



「気負っても、


 猫が飛ぶ速度は変わりませんわよ」



「さあ、肩の力を抜いて」



「おう……」



 ヨークは体の力を抜くと、デレーナにもたれかかった。



「っ……。


 人にもたれて良いとは


 言っていませんわよ」



「そうか」



 ヨークは姿勢を正した。



「……悪いな。つき合わせて」



「いえ。


 先ほど言った通り、


 危なくなる前に


 帰らせていただきますから」



「待てよ?」



「はい?」



「良く考えたら、


 ミツキがさらわれたのって、


 お前らのせいだろ?


 獲物の何人か譲ってやっても、


 俺は構わんのだが?」



「お断りしますの。


 幸せを掴む前に、


 傷物になっては堪りませんもの」



「幸せって?」



「それはもちろん……」



 デレーナは、少しの間を置いて、言葉を続けた。



「素敵な殿方を見つけ、


 結ばれることですわ」



「それが幸せなのか?」



「ええ。女の幸せですわ」



「それじゃあ、


 今は幸せじゃないのか?」



「えっ?


 別に……そういうわけではありませんわ。


 今よりも、もっともっと、


 幸せになりますの」



「そうか。見つかりそうか?


 素敵な殿方ってやつ」



「……そのうち」



「そのうちか」



「どこかに素敵な殿方が


 生えていないものかしら」



「きのこたけのこかよ」



「……あなたは?」



「俺? 何?」



「ヨークは冒険者ですのよね?」



「ああ。フルーレとも


 迷宮で知り合ったんだ」



「幸せですの?」



「今は最悪だな」



 ミツキが、連中の手中に有る。



 それで幸せだなどと、言えるはずが無かった。



 必ずミツキを、取り返さなくてはならない。



「その前は?」



「楽しいよ。


 真新しいことばっかでさ」



「そう……。ですけど……。


 毎日迷宮に潜っていたら、


 そのうちに飽きてしまうかもしれませんわよ?」



「そっか……。


 迷宮に飽きる……。


 今まで考えたことも無かったな。


 ……けど、大丈夫かな?」



「……どうしてですの?」



「そりゃ、独りで潜ってたら、


 飽きるかもしれねーけどさ」



 ヨークはミツキの顔を思い浮かべた。



 想像の中のミツキは、ヨークをからかうような顔をしていた。



 ヨークはその表情が好きだった。



「俺の仲間は


 おもしろいやつだから。


 あいつとなら……どこに居ても大丈夫かな」



「仲間……。


 それは楽しそうですわね」



「友だち居ないのか?」



「失礼ですわね!


 それくらい居ますわ!


 ですけど……。


 あなたのように、


 窮地に駆け付けて下さることは、


 無いかもしれませんわね」



「フルーレは?」



「あなた、一人っ子ですのね?」



「ああ」



「姉妹なんて、


 他人とそう変わりがありませんのよ」



「そうか?」



「ええ」



「けど、フルーレはオマエのこと好きだろ」



「どうしてそんなふうに思われますの?」



「…………」



 ヨークは、決闘前のフルーレの様子を思い返した。



 彼女はすがるような目を、デレーナに向けていた。



「決闘の時……フルーレは本当は……


 俺じゃなくて、


 おまえに戦って欲しかったんだと思う。


 そんな顔をしてた」



「…………。


 期待を……裏切ってしまいましたわね」



 デレーナは、寂しそうに笑った。



「どうして戦わなかった?」



「嫁入り前の女が


 決闘だなんて、


 皆に笑われてしまいますわ」



「笑われる……?」



「ええ。あなたの踊りのように」



 デレーナは、からかいの笑みを浮かべた。



「うるせー」



 ヨークは大げさに拗ねてみせた。



「ふふっ」



「まあ、俺にも笑われる気持ちは分かる」



「よく存じておりますわ」



「踊りの話じゃなくてな?


 俺……スキルを笑われた」



「スキルを?


 そんなことが有るんですの?」



「有るんだよ。


 珍しいスキルだとな。


 ……それで怖くなって、


 半年くらいスキルを使えなくてさ」



「そうなんですの?」



「ああ」



「あなたは……もっと豪胆な方かと思っていましたわ」



「そうでも無い。


 けど、自分のスキルと向き合って、


 乗り越えたんだ。


 俺はこのスキルで良かった。


 今はそう思う。


 ……もう、怖くない」



「…………。


 ですけど……


 それはあなたのスキルが、


 実は強かったから


 言えるのでは無くて?


 ……もし本当に、


 馬鹿にされる程度のスキルでしか無かったら……。


 あなたはそうやって、


 胸を張っていられましたの?」



「それは……。


 分かんねえ」



 勝者の立場になれば、何とでも言える。



 つらい日々も、屈辱も、全て勝利のためだったのだと。



 もし自分が敗者のままなら、何と思ったか。



 敗れ去った者は、努力の日々すら呪ってしまうのだろうか。



 ヨークには、想像がつかなかった。



「……でしょうね」



「けど……。


 妹のために戦うのが、


 本当に恥ずかしいって思うのかよ?」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る