その2の3(断章)「龍の神と復讐の剣」
ヨーク=ブラッドロードの誕生より、時を大きく遡ったある日。
ある月夜。
龍神の世界樹。
その頂上に、1人の月狼族の女が、辿り着いた。
彼女の名は、カゲツ。
本来は美女であるはずのその姿は、血と埃で見る影も無い。
着物はあちこちが裂け、裂け目からは、地肌と傷が覗いている。
手に持つ刀には、明らかな刃欠けが生じていた。
長く伸びた黒髪はボサボサ。
種族の特徴である獣耳と尻尾も、薄汚れていた。
女のそばには、金色のサーベル猫の姿が有った。
猫はカゲツと同じく薄汚れ、傷だらけだった。
猫が本来持つ、鋭く長い犬歯も、激しい戦いで欠け落ちていた。
それらは、世界樹という危険地帯を踏破するための、対価だった。
「はぁ……はぁ……」
肩で息をしながら、カゲツは進んだ。
木肌を踏み、前へ。
その少し後ろを、牙の無いサーベル猫が続いた。
ここで膝を折るわけにはいかない。
目的地は、すぐ目前に有るのだから。
カゲツの視線の先に、体長100メートルの、巨大な白龍の姿が有った。
その龍は、眠っているのか、目を閉じている。
彼が、カゲツの目指した場所だ。
かみさまだ。
白龍の鼻先から、10メートルの距離にまで、カゲツは近付いた。
そして、神へと語りかけた。
「かみさま。
ようやく辿り着きました。我らのかみさま。
……ヨーグラウ様」
「…………」
カゲツの声を受け、龍は目を開いた。
龍眼が、月狼族の女とサーベル猫を捉えた。
「人に、そして猫か」
龍は言葉を発した。
龍の口が動くことは無い。
彼の神力が、空気を揺らしていた。
「見事だ。
辿り着いたのか。この世界樹の頂上に」
大いなる試練を乗り越えたカゲツを、龍神がたたえた。
「みゃあ」
サーベル猫が鳴いた。
カゲツは地面に座り込み、正座の姿勢になった。
それから両手を地面につき、頭を地につく直前にまで下げた。
月狼族に伝わる、ドゲザの作法だった。
「かみさま、我らをお救い下さい!」
悲痛な声で、カゲツは神に訴えかけた。
「我が一族は、人と魔に虐げられ、数を減らす一方。
今のままでは、月狼族は滅んでしまいます。
どうか……どうか……」
「それは出来ん」
カゲツの切なる願いを、ヨーグラウは断ち切った。
カゲツは顔を上げた。
納得のいっていない顔だった。
命を賭けて、ここまで来た。
そう簡単に、引きさがれる理由が無かった。
そんなカゲツに対し、ヨーグラウは、冷酷な事実を口にした。
「俺は既に敗れた身だ。
この肉体は、邪神からの呪縛を受けている。
もはや世界樹から、指1本抜け出すことも出来ん。
死体と変わらん」
「そんな……」
「そう悲観することも無い。
猫の手、加護の力を借りたとはいえ、
お前は世界樹の試練を乗り越えた。
世界樹の試練は、神へと到る道。
お前の魂は、徐々に、神の域へと近付いている。
親兄弟を守るくらいの力は、得ているはずだ」
「親兄弟……?
もう、居ません」
戦いが有った。
大きな戦いが。
そこでは人命など、大して価値の有るモノでも無かった。
老若男女の区別無く、運の悪い者から死んでいった。
カゲツの家族だった者たちも、そこに含まれていた。
そして今、運が良かっただけの者たちにも、滅びが迫っていた。
「そうか」
「私は……あの邪神を討ちたい……!
その手下どもも……!
私の父を……母を殺した連中を……!
ですが……。
この程度の力では……邪神の軍勢には勝てません」
「……そうだな」
ヨーグラウは、人であるカゲツよりも、遥かに強い。
そんなヨーグラウですら、邪神たちに勝つことはできなかった。
カゲツが抗ったところで、結果は目に見えていた。
「どうにもならないのですか?」
「俺もお前と大差無い。
ただの敗れ去った邪龍だ。
だが、こんな俺の力を、
もし欲するというのなら……」
「俺を殺せ。月狼族の娘よ」
「え……?」
思いがけない言葉に、カゲツの呼吸が止まった。
再び息を吸うことを思い出すまでに、少しの時間を必要とした。
カゲツの動揺が、少しだけ収まるのを見て、ヨーグラウは続けた。
「この身には、邪神の呪いが刻まれている。
ならば……。
死して呪縛から逃れ、
来世にて奴らを討つ。
……邪神の喉笛に、喰らいついてやろう。
俺を殺せるか?
月狼族の娘よ」
「それであの邪神どもを、殺せるのなら」
「保証はせん。
俺も戦ってやるという、それだけの話だ。
その誓いに、勝ち負けは関係が無い。
それに……。
創造主である俺を殺せば、
お前は呪いを受けるだろう。
俺を殺した瞬間、
父殺しの大罪が、魂へと刻まれる。
お前は子孫を残すことも出来ず、
非業の死を迎える。
7度生まれ変わっても、
その運命は続くだろう。
……どうだ?
それでも俺の力を望むか?
月狼族の娘」
「……カゲツです。私の名前は」
「そうか。
それで、どうする?
娘よ」
「七世先も、私と共に戦っていただけますか?」
「わが魂に誓おう」
……。
「はあああっ!」
カゲツの刀が煌いた。
その太刀筋は、完璧に白龍の首を捉えていた。
欠けているはずの刀が、強固な鱗を通り抜けた。
刀身本来の長さよりも深く、その剣閃は、龍神の命に届いた。
神殺しは為された。
「ああ……。
綺麗だな……」
全てを為遂げたカゲツを、ヨーグラウが称えた。
「かみさま……」
神を殺して、平然としていられる人など居ない。
称えられたカゲツの顔は、悲痛に歪んでいた。
そんな彼女の気持ちは、ヨーグラウにもよく伝わった。
「……すまない。我が子よ」
「……いえ」
カゲツは努力して、微笑みを造った。
血塗られた道だが、自分で選んだ道だ。
神を相手に、泣き言など言いたくは無かった。
「感謝する……。
お前のおかげで……このきもちを持って行ける……」
ヨーグラウの死が、すぐそこまで来ていた。
ヨーグラウは最後の助言のため、大気を震わせた。
「我が子よ……。
大陸の南東に……小さいが住みよい島が有る……。
その位置を……お前に教える……。
そこに……一族を……逃がすと良い……」
カゲツが一瞬、淡い光に包まれた。
彼女には、ヨーグラウが言う島の光景が、確かに見えた。
「感謝します」
ヨーグラウの首が落ちた。
それが落ちきる前に、カゲツはヨーグラウに、血塗れの背中を向けていた。
少し遅れて、猫もカゲツを追った。
その後、カゲツは一族の救世主となり……。
そして、若くして惨死した。
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