ラブコメは神秘的~ひとりぼっちな彼女と一緒にラブコメを作ることになったひとりぼっちな彼の日常《ラブコメ》~
神秘的な偶然に運命と名付けるのは振り返ってからでもいい。というかむしろそういうもんでしょ? だよね?〈2〉
神秘的な偶然に運命と名付けるのは振り返ってからでもいい。というかむしろそういうもんでしょ? だよね?〈2〉
「……俺は、さ」
「はい」
「たぶん、子どもの……それこそ小学生くらいの頃の俺はさ、この世にはしあわせしかないと思ってたんだよ。たぶん本気でそう思って、それを疑うことすらなかった」
「はい」
「大抵の場合はさ、少しずつだと思うんだよ。本当にしあわせなことに、親に愛されて、奇跡みたいに普通の育ち方をした子どもたちは、大抵の場合、少しずつ、少しずつ、現実を知っていくんだと思う。冷たい水に入る時、足先からそっと慣らしていくみたいに。あるいは、サンタさんの正体に気付く時は一瞬の出来事なんかじゃなくて、小さな小さな違和感から始まるみたいに。……そんな風に俺たちは、特撮のヒーローが作りモノであることを知って、その上、ヒーロースーツの中にいるのが顔も知らない別人だってことまで知っても、別に驚かなくなるんだよ。――あぁ、やっぱりそういうもんなんだよな、って」
「ちょっと待ってください」
「え?」
「サンタさんの正体……って、なんですか」
「…………え」
「え?」
「…………え? え? ウソでしょ?」
「はい、冗談です」
「え」
「ちょっと言ってみたくなったので、つい。あと場を和ませようかと」
「…………空野さんの冗談マジで分かりにくくて怖いんだけど」
「そうですか?」
きょとんと首を傾げるほとり。
かわいい。あざとい。これは素なのか? どっちだ?
あと、ほとりならギリギリの可能性であり得るんじゃないかとも思ってしまった。
流石にそこまでではなかった。よかった。
ほとりの狙い通り微妙に和んでしまった空気の中、さっきよりもリラックスして依人は口を開く。
「まぁ、だからだよ? だから、『現実を思い知ったのは過去のどの瞬間ですか?』なんて問いかけをされても、即答できる人ってあんまりいないんじゃないかと思う。まあ、あくまで俺の主観だけど。まあでも、どっちにしてもさ……。俺には間違いなくコレだって言える瞬間と、そういう出来事がある」
依人は、ほとりに語る――。
あの日、あの瞬間、至っていつも通りに柚月に話しかけたら、彼女が異様な勢いで泣いて、依人を取り巻く空気が徹底的に一変した――あの瞬間について。そしてそのあと起こった、依人の家庭の顛末について。
「いきなり冷たい水の中に飛び込むと心臓がビックリするって言うじゃん? だから同じ現実でも、たぶん俺の場合、入り方が良くなくなかった。……ってなんかいい訳みたいになってるけど、実際事実として、情けないことに、もう俺は入りたくなくなった。もう二度と入るかって思った、そういう現実に」依人は語る。「でもさ。泳げないのに、別に泳げなくてもいいって思ってるのに、冷たいプールの中でみんなが――クラスメイトとか、元友達とか、……家族とか。そういう周りのヤツらがそこそこ上手くやって楽しそうにしてるのをハタから見てるのは結構辛くてさ、割と本当に辛くて、でもあの時の俺にはまだもう一度そこに足をつける勇気なんかなくて、『大丈夫だからこっちにおいで』って言われても、ぜんぶ拒絶した。……で、そんな時に出会った」
ほとりの母が書いたという『世界一しあわせなラブコメ』に。しあわせな物語の世界に。
「現実逃避だって言われたら否定はできないよ。でも確かにあの時、俺はソレに救われた。ああいう、俺が思い知った現実とは違う、しあわせで温かくて、そういう奇跡が必然に見えるすてきな世界を眺めてるだけで、凍えて悴んでた俺の中の何かはちょっとずつ温まってさ。……そういう現実にも、足先くらいはつけられるようになった」
しかし、依人の世界はそこで停滞した。
物語の世界というぬるま湯に浸り続けて、冷たい現実には手先や足先をほんの少しつける程度で誤魔化して満足して、まっとうに現実を生きているフリをし続けた。
そんなことが何年も続いて、最初はそれが間違っていると分かっていたはずなのに――あの光景を見て辛く感じていたのは、何よりその証拠だったはずなのに――、いつしかこれが正しいのだと自然と思うようになって、違和感すら覚えなくなった。
そんな時――。突然、偶然、目の前に現われた〝彼女〟が、依人にこう言ったのだ。
――あなたがこの水に顔をつけることができたら、ご褒美をあげましょう。
「私、そんなこと言ってませんよ……?」
「いや、うん。例え話です……。妙な言い方してすみません……。俺にとって『せかこめ』の続きが読めるかもしれないっていう可能性がご褒美みたいなものだった的な、あれです」
「いえ。なるほど、理解しました。面白い比喩ですね。もしかすると中原さんには作家の才能があるかもしれませんよ。私と競い合う立派なラブコメイカーになれるかもしれません」
「…………え?」
「え?」
「な、なに。ら、ラブコメ……イ? え?」
「ラブコメイカーです」
「ラブコメイカー?」
「はい、ラブコメイカーです」
「ラブコメイカー…………」
「ラブコメの作り手のことです。ラブコメイカー。今思い付きました。中々センスの良いネーミングだと思います」
「……………………」
冗談なのか本気で言ってるのか判別ができない。
悩んだ挙句、依人はスルーを選択。
「と、とにかくだよ。俺にとってはさ、ご褒美みたいなもんだった。未完のまま途切れて、もう絶対に読めないと思ってた、俺が一番好きで一番大切な物語の続きが読めるかもしれない、ってのが。もう二度と入りたくなかった冷たい水に、それなら我慢しても入っていいかな、って、その場で決断できるくらいには」依人は語る。「そんな風に入ってみた水の中は、自分でもびっくりするくらいあっさりしててさ。こんなに簡単でいいのかって思うくらいで、楽しくて、だから勘違いしてた。俺がそんな風に楽しんでいられたのは、空野さんが側にいてくれたからなのに、調子に乗った俺は足を滑らせて溺れかけて、空野さんが伸ばしてくれた手まで振り払った。俺を水の中に入れてくれたのは、空野さんなのに」
「…………」
ほとりは何か言いたげに口元をムニムニ動かしていたが、今は黙って依人の話を聞いてくれるようだった。
「そうやってまた水の中――現実から逃げ出した俺は、今度は、現実のことを無視することができなくなってた。前までは『どうせロクなもんじゃない』って決めつけて見て見ぬフリをすることもできたソレが、『案外良いものかもしれない』って知っちゃったせいで、無視できなくなった。でも、ずっとずっと現実から逃げ続けてきた俺は、ひとりでそれと向き合う方法が分からなくて、分からなくて、苦しくて、ホントに苦しくて……」
ここからが、依人がここに来た一番の理由。ほとりに伝えたかったこと。
ほとりが書いた
「――冷たい水の中に入れば、誰でも冷たいんだよな、って」
「…………。……? ……。…………?」
一瞬納得したように頷きかけたほとりだが、その直前で硬直して、首を捻り、しばらく考え込んだのちに、もう一度首を傾げた。
『何言ってんだコイツ』と、ほとりが依人を見る目がそう言っていた。
「…………また妙な言い方をしてすみません」
調子に乗って名言っぽいことを言おうとしてミスった感が凄い。
感じる必要のなかった羞恥を感じながら、滑ったギャグの説明をさせられるが如きの気分で依人は口を開く。
でも、さっきのほとりの『ラブコメイカー』なる問題発言を思い返すと、釈然としない。釈然としないんですけど、あの……?
「あー……。だからつまり、この現実に辛くて苦しい部分があるのは当たり前って話。でも前までの俺には、周りのみんなは、そんなことなんて気にせず人生を楽しんでるように見えてた。現実が辛いのは俺だけで、みんなはそんなことを感じなくて済んでズルいって。こうして言葉にするとマジでバカみたいだけど、でもたぶん無意識の内に、なんとなく、曖昧に、自分にとって都合よく、そんな風に見てた。……だけどじゃあさ、〝苦も無くしあわせに生きてる周りの誰か〟って、誰だよ? 物語の中のキャラにだって――少なくとも、俺が今まで読んで憧れて好きになって、感動した物語の中には、そういうキャラクターはいなかった。どんなにしあわせで楽しい物語の中にも現実ってヤツはあって、その上に成り立った物語だからこそ、俺はソレに憧れて、好きになって、感動して、泣いたりもしたんだよ。俺が読んできたのは、憧れたのは、ハッピーエンドが決まってて、予定調和に、ただ作者や読者のご都合に合わせて事が運んだ必然の物語なんかじゃなくて……。数えきれないくらいの偶然と始まりの中から、最後まで諦めなかった誰かのお陰で、そんな風にハッピーエンドに辿り着けた奇跡を、あとから振り返って見せてもらってるようなもんなんだな、って」
小説を書く時、眠るのも休むのすら忘れて、あとになって倒れたり、一日以上眠り続けたりしていたほとりのことを思う。
そこまでして、物語を紡いでいたほとりのことを。
母が遺した物語をしあわせに完結させるために、傍目には少しおかしく見えるくらい、どこまでも真剣なほとりのことを思う。
否定的なニュアンスで用いられることの多い〝綺麗ごと〟ってヤツは、直視すると目を焼く太陽のようにあまりにも眩し過ぎるから、見て聞くと辛くなって、あまつさえそこに触れようなんてことが無謀に過ぎて滑稽に思えてしまうから……。
それでも綺麗なことには違いないから、そう――。
――だからヒトは、現実を知ってなお、狂おしいほどソレに憧れ、求めようとする。
――そしてソレを求めるのなら、諦めず足掻いて進んでみるしかない。
――だって現実でも物語でも、ソレを手に入れた者たちは、皆そうしていたのだから。
ほとりが紡いだ物語は、そういうとても大切なことを依人に気付かせてくれた。
「――だからあの時、俺は居ても立っても居られなくなって、空野さんに会いたくなったけど……。その前にやるべきことがあるって思って、水瀬さんに電話して、謝って、柚月と直接会って話せるように協力してもらった」
柚月と翌日に会う約束が取り付けられたあと、依人は柚月と会ってどのように話をするかをずっと考えていた。
多分大丈夫だよな? という楽観と、いやそれでも……という不安の狭間で、実際に柚月と顔を合わせるその時まで、ずっとそんなことを考えていた。
「それで今朝、柚月と直接会って話をした。昔の事と、今の事、俺の事と、柚月の事を話して、ようやく……、俺は――」
ようやく、ひとりでも現実のことを直視できるようになった……気がする。
気がするだけかもしれない。でもそれが、今の依人にとっては何よりも大切なこと。
「……で、それが終わったあと、そのままここに来たから、空野さんの書いた小説は最後まで読めてません……というか……。はい、そんな感じです」
「……なるほど」
こっくんと、静かに頷いたほとり。
「随分と長い、いいわけでしたね」
「え」
「つまり、私よりも、私の小説よりも、小林柚月さんと会うことを優先した、ということですね?」
「え」
ほとりが依人を見つめる表情は、静かだった。
これは……、どっちだ?
「え、ご冗談、ですか……?」
「半分冗談です」
半、分、だと……。まさか、そんな選択が。
「中原さんにとって小林さんと話をすることがとても、とても大切なことだったとは理解できます。だから中原さんを責める気持ちは私の中に少しもありませんし、ちゃんと納得することができました。……ですが、それはそれとして、私の書いた作品が、そんなことすら気にならなくなるくらい夢中になれる面白い物語ではなかった、ということなので、ちょっと拗ねています。単に私の実力不足と理解した上で、拗ねています」
「拗ねて、るんですか……?」
「はい、拗ねています」
ほとりの顔がむくれていた。かわいい。
そして、拗ねるほとりをどうにかこうにか宥めたのち、
「…………それで、俺が気になるのは、空野さんがどういう気持ちであのシーンを書いて、どういうつもりであの小説を俺んちのポストに入れたのか、ってとこなんだけど……」
「ふむ……。そうですね」
ほとりはしばし黙考して虚空を見つめ、また依人を見る。
「特に、具体的な意図があったわけではないですね。ですがあの日のデートの帰り、中原さんと気まずくなってしまって、私はとても後悔しました。あぁまたやってしまった、と。クラスメイトの皆さんとお話しできるようになって、なんだか全部上手くいっているような気がしていたけれど、それは勘違いで、私はやはり空気の読めない私のままなのだ、と」
「…………」
色々と口を挟みたい気分になった依人だが、今は黙って話を聞く。
「でも、そんな風に落ち込んでいる私に、水瀬さんがこう言ってくださいました。間違えてしまうことは誰にでもある、と。そして、間違えてしまう頻度は、その間違い方は、人それぞれだと。だから大切なのは、それに気付けたそのあとに何をするか、なのだと」
恋夏が聖人過ぎる……。ちょっと先走ってしまいがちなきらいはあるものの、水瀬恋夏は世界一尊いギャルなんじゃないだろうか。
「そして――。あの時の私にできることは、小説を――ラブコメを書く、ということ以外にありませんでした。それ以外……できませんでした。本当は中原さんに謝って、ちゃんとお話しをしたかったのですが、どうすればいいのか、分かりませんでした、ので……」
空野ほとりもまた、中原依人と似たような思いを抱えていた。
「だからとりあえず思うままに、私が書きたいラブコメをそのまま筆に任せて書きました。あのラブコメの主人公、羽鳥大地は私と非常によく似ていますが、それでも大地は大地で、私は私です。別の人物なんです。……しかしやっぱり、私と大地が共通して持っている想いというのは確かにあって。あのシーンで大地がドア越しのさよりに語った想いは、そういうナニカだったのだろうと、思います。それはきっと、言葉にできない代わりに、小説越しに私が中原さんに伝えたいナニカでもあったのだろう、と。……あの時はただ、自分にできることをやって、完成した自作のラブコメを中原さんに見せるという約束を果たしただけのつもりでしたが……。きっと、そういうことなんです」
「そっ、か……」
そうであるのならば、あの時依人が受け取ったナニカは――その受け取り方は、間違っていなかったのだと分かる。
それが分かっただけで、十分過ぎるほどだった。
ようやく――と、依人は思う。
今まで現実から逃げてばかりで、臆病で、不器用で、情けなくて、心も海のように広いという訳にはいかなくて。
そんな依人が心の底からこの言葉を彼女に告げるためには、こんなにも面倒な過程が必要だった。
それは、何も依人ひとりの力で得られたものではなくて、だから――。
「空野さん」
「はい」
依人は体ごとほとりに向き直って、深く頭を下げた。
「あの時、空野さんを傷つけるようなことを言って、ごめんなさい」
「……はい。私も、あの時、配慮にかけた言動をしてしまってすみませんでした」
ほとりもまた、依人に向き合って丁寧に頭を下げた。
しばらくの静寂が続いて、同時に顔を上げた二人は目を合わせると、くすぐったくて落ち着かないのを誤魔化すように、控えめな笑みをこぼした。
そして、依人がもう一度口を開く。
「あと……さ。――ありがとう、空野さん」
その台詞に込めた想いは、それ以上具体的に説明できるようなものではなく、無理に多くの言葉で飾ろうとすれば、依人がこの胸に抱く神秘的な気持ちとズレてしまう気がした。
だからただ、ありがとう――と。
たったそれだけで伝えた依人の気持ちを、ほとりがどう受け取ったのかは分からない。
だけどほとりは、「はい」と、嬉しそうに頷いて、そっと、やわらげに微笑んで――
「――ありがとうございました。そして、ありがとうございます、中原さん」
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