初々しいラブコメの締めはデートで決まり……?〈3〉

 

 それからはほとりの服飾なども見て回った。

 もしかしてこれはラブコメでよく見る感じのパターンに倣って色んな服を試着するほとりが見られるのではないか、と思ったりもしたが、そんなこともなかった。


 何も購入することなくアパレルショップエリアを回り終えて、再三視界に入った本屋に吸い寄せられ、ほとりオススメのミステリ小説などを購入したり、『そういえば、ラブコメのデートでゲームセンターに行っているのはよく見る気がしますね』というほとりの言に従ってゲーセンコーナーに赴いてクレーンゲームに敗北したりしていると、割とあっさり時間は過ぎていった。


 そして、ほとりが歩き疲れてきた気配も見られたあたりで、そろそろ帰るか、という話になり、二人はショッピングモールを出て駅方面に向かっていた。

 西の空は茜色に染まり始めている。ずっと暖房が効いた屋内にいたのと陽が下がったせいで、外が寒い。


「こんなんで良かったのかな」

「はい、非常に参考になりました。それに楽しかったです」

「……まぁ、うん。楽しかった」


 普通に楽しかった。


 合流した直後は無駄にデートを意識してしまって緊張していたが、映画を見たあとからは特にそんなこともなく。普段とあまり変わらない雰囲気の中で、普段と違うことをできて普通に楽しかった。


 ほとりは満足しているようだが、本当にこれでよかったのか? という念が拭い切れない依人である。

 ラブコメの参考にするというのに、デートらしいことは何もしていなかった気がする。


 例えばそう――手を繋ぐ、とか。


 ――いや別に期待していたとかそういうのではないんですけどね? なんかこうね?


 依人が誰にしてるのかもわからない言い訳を脳内でこねていると、


「手を繋ぐタイミングってありますよね、ラブコメで」


 不意にほとりがそんなこと言い出してめちゃくちゃ焦った依人はゲホゲホと咳き込む。


「大丈夫ですか?」

「だ、だいじょうぶです……。そ、それで、手を繋ぐタイミングって?」

「いえ、けっこう人が増えてきたと思いまして」


 周囲をぐるりと見渡すほとり。

 どうにも有名アーティストのライブがこれからこの付近で開催されるようで、加速度的に人混みの密集度が増している。


 手を繋ぐとは一見関係なさそうな、脈絡のないほとりの台詞だが、依人には分かる。


 これはラブコメあるあるの一つ――ちょっといい感じになってる男女が出先で人混みにぶつかり、『人混みの中で逸れるといけないから……』という大義名分のもと手を繋いじゃうアレである。


「私は思うのですが、そこまで言うほど、手を繋がないと逸れてしまいますかね?」

「いやまぁ、うん。もちろん念のためっていう意味合いもあるだろうけど、大抵の場合はそういう名分を利用しているだけ、というか」

「はい。それは分かっているのですが、どうしてもそういった類のシーンを見るたびに気になってしまいまして」

「うーん」


 依人は別に気になったことなどなく、もうそういうものとしてしか見ていないが、というより、幼い頃を除けば誰かと一緒に人混みの中に入ったことがあまりないので、本当に逸れるのかどうか実際には分からないのだが……。


 などと考えながら横を見ると、隣にいたはずのほとりが消えていた。


「!?」


 一瞬の出来事だった。


 依人がほとりから目を離した一瞬、足元に蹴躓き、たたらを踏んだほとりが前方の人物にぶつかりそうになって足を止め、そのまま人の流れに付いていけずに依人の後方へと流されていった。

 依人は依人で逆に人の流れに逆らうことができず、後方に流されていくほとりの姿を捉えるも、どんどんと距離が空いていく。


「あ~」という感じでこちらに手を伸ばすほとりの姿が、人混みに呑まれて消える。


「ちょっ!」


 慌ててほとりが呑み込まれたあたりに向かう依人。

 すみませんすみませんと謝罪を口にしつつ、人混みを掻き分けてほとりを発掘する。


 ほとりの手を引いて人密度が薄い大通り端っこまで誘導したところで、目を丸くしているほとりがふーっと息を吐いた。


「びっくりしました」

「俺もびっくりした……」

「人混みって怖いですね。侮ってはいけませんでした」

「そうだね……」

「助けて頂いて、ありがとうございました」


 ペコリと頭を下げたほとりが見つめるのは、ほとりを助け出す際に繋いだままの依人の手だった。


「あ、ごめん」


 咄嗟に手を放そうとした依人。

 ――だが、ほとりがぎゅうと力を込めて、外れかけた依人の手を繋ぎ留めた。


「え」

「せっかくなので繋いだままではダメですか? 人混みも怖いですし、手を繋いだまま歩くという行為にはとても興味があります」

「えっ……、と……」

「……ダメ、ですか?」

「よいです」


 ねだるように下から見つめられてもうダメだった。


 即答が口から漏れ出た直後、ワンテンポ遅れて羞恥に襲われる依人。


 今の表情はあまりに卑怯だった。

 もはや魔法の領域である。勝手に口からイエスが出た。恐ろしい。


 ほとりと目が合わせられなくなって、赤い夕空を仰ぐ依人は、『あくまでこれはほとりがより良いラブコメを創作できるようにするための経験に付き合っているにすぎないのだ』という、大儀な名分を自身に言い聞かせる。


「中原さんの手は、やっぱり温かいですね」



 

 恐らく手を握った時の感触をしっかり参考にするために、依人と握る手をニギニギと握り変えて色々試しているほとり。

 対して、色々と耐えられなくなりそうになりながらもなんとか耐える依人。


 そんな感じで、人混みを抜けて目的の駅の近くまでやって来た時のことだった。


 ――あ、やば。


 なんと前方に、水瀬恋夏の姿があった。

 派手な格好をしているのですぐ目に付いた。


「そ、空野さん、そろそろ手……いいかな」

「そうですね。ありがとうございました。とても参考になりました」


 ほとりとの手が外れ、ずっと触れ合っていた部分の熱が外気に触れて冷える。

 妙にくすぐったい物寂しさと引き換えに落ち着きが戻って来て、依人がふうと息を吐いていると、ほとりが「あ」と声を上げて恋夏に視線を留めていた。


 そして、今気付いたが、恋夏もまた手を繋いでいた。


「あーっ! ほとりちゃんと依人くん!」

 依人たちにブンブンと片手を振る恋夏は、小さな女の子と手を繋いでいた。




「二人とも今日はここでデートだったんだ」

「はい。水瀬さんも来てたんですね」

「うんそーっ、あたしは友達とだけどね」

「お友達……ですか?」


 ほとりの視線が恋夏が手を繋いでいる女の子に向けられる。

 まだ保育園か幼稚園に通うくらいの年齢と思われる小さな子だ。その子は、スンスンと鼻を鳴らして深く俯いている。


「あ。この子は違うよ? この子は迷子で、ヒトがいっぱいいるとこでこの子を見つけて声かけに行ったらあたしも友達と逸れちゃって、あたしはまぁ大丈夫だけど、この子のお母さんを今探してるとこ、って感じ?」

「なるほど、理解しました」


 コクコクと頷くほとりが、スカートの裾が地面に触れるのも構わずしゃがみこんで、俯きっぱなしの女の子と視線の高さを合わせた。


「こんにちは、私は空野ほとりと言います」

「………………」

「あー、この子恥ずかしがり屋さんで全然喋ってくれないんだよね。だからどこでお母さんと逸れたのとかも分かんなくてさ」


 苦笑する恋夏は、口を開くタイミングを逃してずっと無言でいた依人をチラリと見やり、「せっかくのデートの邪魔しちゃってごめんねー」と小声で謝りながら片手を立てた。


「い、いや、全然大丈夫……」


 流石の依人も、ここで『か、勘違いしないでよね!』的な発言をしないくらいには空気が読めた。


 恋夏と依人がそんなやり取りをしている間も、ほとりは迷子の女の子をじぃーっと見つめていた。そして不意に、何かに気付いたように女の子の上着の袖をめくる。


「ありました」

「え?」

「迷子用のインフォバンドです。これは恐らく親御さんの携帯電話の番号ですね」


 女の子の手首にはカラフルな細いバンドが巻かれており、そこにサインペンで書かれた数字の並びがあった。


「ほとりちゃんすご! あたし全然気づかなかった!」


 盛り上がる恋夏にほとりは、「いえ」と返し、


「私も昔はよく迷子になってこういうバンドを母に付けられていましたので、もしかしてと思っただけです」

「あー、ほとりちゃんけっこう抜けてるとこあるもんね」

「……。今もですか……?」

「え」

「今は、そこまででもないと思うのですが……」

「あ。あーっ、うん! そうだね! そこまででもないかも!」


 そんな女子二人のやり取りにツッコミを入れるか入れまいか迷った挙句、入れないことにして、スマホを取り出した依人は女の子のバンドに示された番号を打ち込んだ。


 連絡を入れて場所を知らせると、女の子の母親はすぐにやって来た。


 全力で急いできたのだろうと分かる様子で息を切らしながら何度もお礼を言った母親は、背中に隠れる女の子にもお礼を言うよう促した。

 それでも恥ずかしがる女の子に、恋夏がやわらかく笑いかけると、女の子の口から小さな小さな「ありがとう」が発せられた。


 そして、去り際にも頭を下げながら、母親は女の子の手を引いて去っていく。


 その背中を目で追いながら、恋夏は「よかったねーっ」と顔を綻ばせ、ほとりもまた「そうですね」と頷きながら、やさしげに、慈しむように、そこにほんの少しの寂しさを織り交ぜて――。そっと、微笑んでいた。


 そんなほとりの横顔を見た依人は、胸に締め付けられるような痛みを感じた。


 一種類の痛みではなかった。複雑な――色んな情動が綯い交ぜになった痛み。


 その時依人の頭に過ぎったのは、長年まともな会話らしい会話を交わしていない自身の母親のこと、

 優しく歩み寄ってくれようとしていた義父と義妹を拒絶した自分のこと、

 転校して来てしばらくの間はずっとひとりで本を読んでいたほとりのこと、

 母親が遺したラブコメの続きを書くのだと宣言していたほとりのこと、

 ずっとずっとひとりで過ごすことに拘っていた自分と、最近はひとりではない自分のこと。


 そして――――


「――あーっ、恋夏いた! もうっ、連絡くれた場所と全然違うじゃん!」

「あ! ユズっ。ごめんごめんちょっと色々移動してたからさーっ」


 パタパタと駆け寄ってくるのは、恐らく先ほど言っていた恋夏の友達だろう。


 恋夏と同じくらいこなれた感じのオシャレをしたその少女は、依人の通う高校で見かけられけた記憶はない。きっと交友関係が依人の想像もできないくらい広い恋夏のことだから、他校の人物と友達であることには、何の疑問もない。


「あれ、そっちの二人は?」「ウチの高校の友達ー。迷子の子のお母さん探してる途中に会った感じ」「え、ヤバ。恋夏の高校こんなカワイイ子いるん? モデルとか?」「ううん、うん? ほとりちゃんモデルとかはやってないよね」「はい、モデルはやっていません。初めまして、空野ほとりです」「はじめましてーっ。ほとりちゃんって言うんだ。名前もカワイイな。あ、わたしは小林こばやし柚月ゆづきね。よろしくねーっ」「はい、小林さん。よろしくお願いします」「うんうん。んで、こっちの男の子が――」


「――――――」


 小林柚月と名乗ったその少女は依人の顔を真っすぐ見て、大きく大きく目を見開いた。

 依人もまた、小林柚月を見て、頭が真っ白になっていた。


 依人がまだ、中原という苗字ではなかった頃。


 依人の実の父親が、依人の幼なじみの母親と浮気をした。


 依人が現実に必要以上の干渉をすることをやめる、全てのキッカケになった出来事。



 かつて、毎日のように一緒に登下校していた時期もある、その少女は――


 ――――小林柚月は中原依人を見つめて、確信を抱いた疑問口調で、首を傾げた。



「…………依人?」

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