清楚とギャルは矛盾しない〈2〉


 昼食中。


「…………」

「…………」


 ――食べにくい……。


 お互いが食べ終わるまで、向かい合って無言のまま昼食を取るというシュールな光景はいつも通りだが、今日はそれだけでなく、両手に持つパンをかじっているほとりがめっちゃ依人を見ていた。


 めっちゃ、見ていた。


「…………」


 ほとりから視線を逸らしても、見られているのが分かる。


 ――なに、マジでなに。こわい……。


 ほとりに怯える依人の食の進みは遅々としたものとなり、依人が弁当を完食したのは、ほとりがパンを食べきったのとほぼ同時だった。


 野菜ジュースまで飲み切ってから「ごちそうさまでした」と手を合わせ、ほとりが依人を見る。揺らぎのないほとりの眼差しに晒され、「すみません何か気に障ることでもしましたかごめんなさい」と依人が口にしかけた時、ほとりが口を開いた。


「中原さん」

「は、はい……」

「中原さんが好きなラブコメのキャラについて、お聞きしたいです」

「…………俺の好きなキャラ?」

「はい。今朝も申し上げたように、私はオリジナルのラブコメを書いてみようとしているのですが、その中に登場して頂くキャラクターをどうしようかと迷っているので、中原さんのご意見を参考にしたいと思っています」


 ――それが聞きたくてずっと見てたのか……?


 何となく違うような気もしたが、ひとまず依人は尋ねられたことについて考える。


「俺が好きなキャラっていうのは……、具体的なキャラ名を言った方がいいのかな。それともどういうタイプのキャラが好きかってこと?」

「どちらでも有難いですが、私としましては中原さんが好ましいと思うキャラの属性と言いますか、そうですね、どういうタイプのキャラが好きなのかをよりお聞きしたいです」

「うーん……、そうだな」


 改めて問われると、具体的にコレ! というのは思いつかない。


 これまで数多のラブコメを読みこんできた依人だが、特にこれと言って好きなキャラの系統が決まっているわけではない。

 依人はむしろ、キャラそのものに対してというよりも、


「俺はどっちかと言うと、ツンデレとかギャルみたいなキャラのタイプじゃなくて、キャラ同士の関係の方を重視してる気がする、かも」

「関係、ですか?」

「あぁうん。一番わかりやすいのは主人公とヒロインの関係とか、ヒロインと別のヒロインの関係とか、かな。お互いがお互いに対してどんなことを思ってるのかとか、それがどんな風に変わっていくのか……とか?」

「ふむ」

「例えば王道だと、幼なじみ同士で小さい時からずっと一緒に居るせいでお互いを恋愛対象として見てなかった主人公とヒロインが、あるキッカケから段々とお互いを意識していく、みたいな」

「なるほど、確かにそういうのはよくありますね。とても分かりやすいです」


 感心したようにふんふんと頷くほとりに、ちょっと得意になった依人が調子よく言葉を続ける。


「そういう関係性とかで、他に具体的なのだと、俺は両片想いとか、腐れ縁とか、一見犬猿の仲だけど実はお互いが気付かない内に支え合ってるヤツとかが好きかな。他には――」


 などと、若干早口になって語りまくる依人は、ほーっとした顔でほとりに見られていることに気づき、ハッと我に返った。


 そもそもほとりが聞いてきたのはキャラのタイプについてなのに、キャラの関係性を長々語ってどうする。

 あまりに分かりやすい早口オタクを晒してしまった依人は、あぁーーっ! と叫んで頭を抱えたい衝動に駆られる。


 しかしほとりはいたく感心した様子で、


「そういうキャラクターの捉え方もあるのですね。とても参考になります」

「あ、うん、はい。そういうのもあります……」


 そこで依人は、以前にも少し我を忘れてほとりに熱く語ってしまった時のことを思い出す。あれはほとりの家でオムライスを食べている途中、『ラブコメのキャラの多くが間接キスを恥ずかしがる理由』について答えた時だ。あの時は、確か――


「……あっ」

「どうされましたか?」

「いや、俺が好きなキャラのタイプについて、だけど……」

「はい」


 改めて自分を振り返ったことで、『今まで自覚なかったけどもしかして俺はこういうキャラが好きなんじゃないか……?』という気付きを得た依人は、しかし改めて口に出す段階になって二の足を踏む。


 ――なんかこれ、自分の性癖を暴露するみたいですげぇアレだな……。


 だが、既にどこか期待するような色を瞳に浮かべているほとりを前にして、言わない訳にもいかなくなった依人は、羞恥に顔を熱くしながら口を開く。


「恥ずかしがりやすい照れ屋なキャラとか、かわいくて、けっこう好きかもしれない……」

「なるほど。中原さんはそういうキャラがお好きなのですね。ふむ」

「…………はい」


 依人とほとりの昼休みは普段とあまり変わりなく、大体そんな感じで過ぎていった。

 



 放課後。


 いつもと同じようにほとりと共に帰路に着いていた依人は、やはりほとりからのいつもとは違う視線を強く感じていた。


 ――やっぱ見られてるよな……。


 そんな風に落ち着かない気持ちを抱えたまま、ほとりとラブコメの話をして歩く依人。


 そして二人の住まいであるマンションの四階までたどり着いて、それぞれの自宅の扉前で向かい合う。


「中原さん、今日もお疲れさまでした。それでは、またあした」


 ペコリと頭を下げてから、依人を見上げるほとり。


 改めて今日のほとりを意識すると、平時のイメージからはだいぶかけ離れている装いなのに、よく似合っている。

 まさに清楚ギャル。


「中原さん?」


 別れの挨拶に返事をせずほとりを見ている依人に、ほとりは首を傾げた。


「……あの、空野さん」

「はい、なんでしょうか?」

「もしかしてさ、俺に何か言いたいこととか、あったりする……?」

「言いたいこと、ですか? どうしてでしょう?」

「いや、なんか今日空野さんがめっちゃ俺を見てる気がしたから……」


 依人は今日一日のほとりについて思い返す。

 朝、イメチェンが過ぎるギャルっぽい格好で現れたほとりは、それからずっと依人に妙な視線を向けていたように思える。


 だからきっと何か言いたいことがあるのだろう、と。


 例えばそう、クラスメイトと仲良くなって話したいことも多いから、これからは依人と一緒にいる時間を減らしたい、とか。これから放課後は恋夏たちと一緒に帰りたい、とか。

 依人としては別にそんなことを一々言ったりする必要はないと思うが、律儀で礼儀正しいほとりのことだから、そういう可能性もあり得る。


「……そんなに、見ていましたか?」


 ほとりは少し驚いたように目を丸くしていた。


「見てたと、思うけど……」

「そうですか……」


 するとほとりは何かを考えこむように顎をつまんで、「ふむ」と頷いた。それからもう一度、依人のことを見上げる。


「言いたいこととは少し違いますが、気になることならあったかもしれません」

「どういうこと……?」

「私の今日の装いは、昨日水瀬さんのご自宅で色々とご指導頂き、試した衣装の内の一つなのですが」


 ほとりが胸に手を当て、自分自身を見下ろすようにする。


「その時、これと同じ恰好をした私を見て、水瀬さんが仰ったのです」

「……なんて?」

「その……。この格好をした私を中原さんに見せたら、絶対に可愛いと言ってくれる、というようなことを……」


「――」


「ですので、本当に言って頂けるのかと、気にしてしまっていたかもしれません……」


 言いにくそうな口調で言ったほとりが、そっと窺うように依人を上目に見つめた。


 ――あぁ~~~~~~……………っッッッ!!


 ついに耐えきれなくなった依人は片手の手平で顔を覆って、心の中で叫んだ。


 依人とほとりの関係を勘違いしているっぽい恋夏が、どんなことを思ってそんな台詞を言ったかは大体想像できるが、もはやそれは問題ではなく。


 恋夏やほとりの意図はどうあれ、今朝のほとりの格好を目にした依人が、ほとりのことをとても可愛いと思ったことは事実であり、なのにそれを直接伝えるのを躊躇して、『ま、まぁ似合うんじゃない?』的な需要無き照れ隠しと、『スカート短くない?』などというセクハラまがいの発言で雑に誤魔化してしまったことも、紛れもない事実な訳で。


 そして、どこかしょんぼりした様子で、不安そうにこちらを見上げているほとりに対して、今の依人が思うことは――――


「――か、……かわいい、よ」


 ここは、そう、口にせねばならないと感じた。

 らしくない自覚があったとしても、とんでもなく恥ずかしかったとしても、この場で自分の気持ちを偽るのは、ちょっと〝無い〟だろう……と。


 だがしかし、ここで一つ確認しておきたいのは、かわいい女の子をただ〝かわいい〟と褒めることに、依人が致命的に慣れていないという点である。


 ラブコメの中に出てくるような対女の子用のコミュケーションテクニックは熟知しているものの、そんなものは飾りにすらならない。


『かわいい』と、ほとりに向けて言い放った直後、ありとあらゆる杞憂と緊張に襲われた依人は早口でまくし立てる。


「あーっいや別に今空野さんに言われたからお世辞で言ってるとかではなくて、朝からちゃんとしっかり可愛いって思ってたのは事実なんだけど、ちょっと言えなかったというか、普段と違い過ぎてびっくりしたのもあるというか、あと別に俺も普段から思ってること全部口に出して生きてるわけでじゃないのでそういうこともあるといいますか……。あー、だから、えっと、別にウソとかじゃなくて、今日の空野さんは、めっちゃ、かわいい、と……、思います……」


 赤い顔の半分を手で覆ったまま、一息にそこまで言い切った依人。


「……」


 ほとりはパッチリと瞳を開き、意外なものでも見るように数秒ほど無言で依人に視線を向けていたが、不意に口元を手で隠すようにして、くすり――と。


「――――」


 可笑しそうな笑いを小さくこぼしたほとりを見て、しどろもどろになっていた依人の思考にやけな冷静な部分が戻ってくる。


 ――あぁ、そんな風に笑うこともできるんだ。


 依人の視線がほとりにとらわれ、バクバクと騒がしい心臓の音が静かな世界で響く。


「大丈夫ですよ、中原さん」


 やさしげな微笑を静かに滲ませて、ほとりが言う。


「中原さんがウソをついてないことくらい、分かりますので」

「……そ、そっ……か」

「はい。ありがとうございます。中原さんに可愛いと言って頂けて、嬉しいです」

「そ、それは……何より、です」

「はい。ではせっかくなので、もう一つ中原さんにお聞きしてみたいことがあるのですが」


 いつもと同じような、純粋な関心事を尋ねかけるような調子のほとりに、依人は少し落ち着きを取り戻して答えた。


「なん、でしょうか……」

「私の今日の装いは、クラスメイトのみなさんにもたくさん可愛いと褒めて頂けたのですが、実は、私としては少々落ち着かないものがありまして……」


 また自分の体を見下ろすようにしたほとりが、軽く身をよじった。


 ――かわいい。


 どことなく恥じらうようなその仕草に、あまりに自然とそんな感想が浮かんだ。


 ――いやかわいいじゃなくて、いやかわいいんだけども、待って落ち着いてください俺。


 勝手に妙なことを考え始める脳みそをどうにか押さえつけようと、平静を装った状態で内なる自分と戦い始める依人。


 そんな依人の内心には気付かない様子で、ほとりが依人を見つめた。


「今日の私と普段の私なら、中原さんは、どちらの方が良いですか?」

「ぇ……」


 それってどういう意味――と、またも妙なことを考えたアホな自分を蹴り飛ばして、複雑な意味なんてないのだと諫める。


 ラブコメの読み過ぎだ。現実との区別を付けろ。ほとりは単に意見を求めているだけで、依人がそこに勝手な意味を見出すのはおこがましい。


 だから――。


 依人もまた、単に、質問を受けて率直に思ったことを伝える。ただ、純粋に。


「あー……、うん。……今日の空野さんの格好がかわいいってのがウソじゃないことは、今言った通りだけど……。俺は、いつもの空野さんの方が良い、かな」


 まぁ、と一呼吸挟んでから、依人はほとりに照れを残して笑いかける。


「やっぱり俺も、いつもの空野さんの方が落ち着くし」


 するとほとりは、「なるほど」と納得したように頷き、「貴重なご意見ありがとうございました」と頭を下げる。


「うん、どういたしまして」

「では、そろそろ失礼致します。お疲れさまでした」

「お疲れ様。じゃあ、また」

「はい、またあしたですね」


 お互いが控えめに手を振り合って、それぞれの家に帰る。


 このあと、自分の醜態を振り返った依人がひとりで声を押えて叫んだりベッドの上で暴れまわったりするのだが、彼の名誉のためにもそれは割愛する。




 そして翌朝、ほとりは清楚ギャルモードではなく、いつもの格好に戻っていた。


 それについて依人が聞くと、


「ギャルの方の装いについては昨日で十分経験できましたし、ギャルの方と同じように振舞うのは私には無理だと分かりました」

「うん、無理はしないようにしよう。うん」


 依人が思っている以上に色んな表情を持っていると分かったほとりだが、流石に一日や二日で心身ともに恋夏のような陽キャになられてしまったら、依人もどう反応していいか分からない。


 いつも通りに戻ったほとりに、内心でほっと安堵する依人。


 昨日のほとりが非常に可愛かったことは認めざるを得ないが、やはり――


 依人の隣を楚々と歩くほとりが、穏やかな微笑みを依人に向ける。


「やはり、いつもと同じ方が落ち着きますね」

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