清楚とギャルは矛盾しない〈1〉

 十二月になった。


 差し迫る期末試験に生徒らが頭を抱え始め、微かに残っていた秋の気配はもうどこにも見当たらない。

 そして、十月の終わりからほとりと共に過ごすようになり始めた依人の学園生活は、しかしながらそれ以上の特筆すべき変化もなく。


 週明けの月曜日である今日も、依人が家を出ると目の前にほとりが立っていた。


 この寒い中、ちゃんとした約束をしている訳でもないのに、毎朝屋外で依人が出てくるまで待っているっぽいほとりに対して、いよいよ申し訳なさを覚え始めた依人は、先日からほとりと家を出る時間を示し合わせるようになったのだが。


 その時間より依人が少し早めに出たとしても、必ずほとりが先にいる。


 ――マジで何時から外に出てるんだ……?


 それについてほとりに尋ねてみようと思いかけた依人の思考はしかし、視界をぶん殴るようにして飛び込んできたほとりの格好に跡形もなく消し飛ばされた。


 そこにいたのはほとりだが、ほとりではなかった。


 より正確に言うと、依人が今まで見てきたほとりではなかった。


 まず、いつもはまっすぐと下ろされていた見事な黒髪ストレートロングが、今日はコテか何かでゆるっと巻かれ、さらにおしゃれ可愛いハーフアップにアレンジされていた。


 服装も、ブラウスとスカート、ブレザーを校則通りに着て、丈の長いスクールコートを防寒目的で重ねていただけの先日までとは違う。


 ブラウスの第一ボタンは外され、その上からオーバーサイズのスクールセーターを着込み、ブレザーは着ていない。

 そしてアウターとして、胸元下あたりまでジッパーを開いた厚手の白いパーカーを羽織っている。

 スカート丈も膝上まで詰められ、普段はタイツに包まれているほっそりと綺麗な生足が覗いていた。


 化粧っけが全くなかった顔にも変化が表れており、まつげがいつもの何割増しかで長く見え、唇も普段よりぷるんとしていて色が明るいのでリップか何かが塗られているのだろう。

 両手に提げるようにして持っていたシックなカバンもそこにはなく、ぬいぐるみ系統のキーホルダーが大量にぶら提げられたカジュアルなリュックサックを背負っていた。


「ど、どうしたの、その、格好……」

 

 愕然とした依人の口から、そんな台詞がこぼれ落ちる。


 一言で表すなら、ギャルっぽい見た目になったほとりがそこにいた。


 湧き出る疑問と驚きを脇に置いて感想を言うなら、滅茶苦茶かわいい。


 いつもの飾り気のないスタイルが、ほとり本人が有する端麗な容姿を純粋に打ち出すものだとするなら、今日のファッションは、ほとりが内に秘める瑞々しい可憐さを全力で引き立てるようなものだった。

 派手な身なりではあるが、ほとりが常に纏う品のある気配は決して損なわれていない。


 清楚ギャル、とでも形容できそうな風貌である。


 口を開いたまま固まっている依人に対し、淡々とした表情で顔の横にぴしっとピースを決めるほとり。指の爪に、シンプルな薄桃色のネイルが艶めいている。


 ほとりが言う。


「マジ、パなくないですか」

「まじ……、ぱねぇっす……」



 

「私、オリジナルのラブコメを執筆してみようと思いまして」


 マンションを降りて登校を開始してから、ほとりが言った。


 イメチェンが過ぎるほとりに動揺が隠せないまま、依人はソワソワと落ち着きなくほとりの話を聞く。


「私は、実践経験に勝る学習法はないと思っています。最近は中原さんのおかげでラブコメについても理解が得られるようになってきた気がしますし、母に恥じないレベルで『世界一しあわせなラブコメ』の続きを執筆できる力を養うためにも、このあたりで一度、自分でもラブコメを書いてみて、さらに理解を深めようと思うのです」

「……うん」


 結局その恰好は何なんだ……という疑問や、以前ほとりがつくったツッコミどころしかないラブコメ寸劇脚本のことが思い出されて湧き上がる不安に、依人はさらにソワソワし始めるが、ひとまず彼女の話を聞こうと相槌を打った。


「そして、私が創作するラブコメのキャラとして、ギャルの方を出したいと思っています」

「ギャルの方……」

「ということで、先日、ギャルの心得について水瀬さんに色々聞いてみたのですが」


 ――ギャルの心得って、なに……。


「その流れで水瀬さんのご自宅にお邪魔させて頂くことになりまして、ちょうど昨日、水瀬さんのご自宅でご教授を頂きました」


 そこで依人は、ようやく得心がいった。ほとりの『実践経験に勝る学習法はない』という発言と、『ラブコメのキャラとしてギャルを出したい』という発言が繋がる。


「……つまり空野さんは、ラブコメでギャルっぽいキャラを書くために、自分でもそれを体験しようとしてる、ってこと……?」

「はい、そういうことです」


 そういうことらしい。


 ほとりは依人のことを見上げ、また顔に添えるような横ピースを決める。


「中原さんから見て、私のこの格好はどうでしょうか」

「どう、っていうと……そう、だな。えー……と。似合ってると、思うけど……?」


 見慣れないほとりの姿に落ち着かない依人は、熱くなる頬を誤魔化すようにしてほとりから視線を逸らし、平静な口調を意識してそう言った。


「ふむ」


 依人の反応を確かめるように、じぃーっと視線を向け続けるほとり。


「…………」


 どうにも、もっと感想を欲しがっていそうな雰囲気である。


 一体何を言うべきか――と、緊張して焦った依人はふと、ちょうど逸らした視線の先にあった、だぼっと丈の余ったセーターの裾と同じくらいの防御力しかない短いスカートが目に付いて、思わず――


「スカート……、短すぎないですか」


 口に出してから、言わない方が良かったかもと後悔するが時は既に遅かった。


 羞恥と後悔に襲われる依人に対して、しかし特に気にした様子もないほとりは、「大丈夫です」と言いながらスカートの裾をつまんだ。


「下にはスパッツを履いているので――」

「――わーっッ!!? 見せなくていい! 見せなくていいから!」


 往来のど真ん中でスカートをたくし上げようとしたほとりに慌ててストップをかける。


「……?」


 スパッツなので恥ずかしくないですよ? と言わんばかりに首を傾げるほとりに、危ういものを感じざるを得ない依人。


「あの、空野さん、ほんとにやめましょう、そういうの」

「どういうのでしょう?」

「……女の子が外でスカートまくっちゃいけません」

「でも、周りに人はいませんでしたし」


 くるりと周辺を見渡すほとり。確かに、現時点で目の届く範囲に他者はいないのだが。


「……そういう問題では、なくてですね、とにかく、人前で簡単に考えもなしにそういうことするのは、やめましょう、ほんと」


 するとほとりは、どことなく不服そうな顔で依人を見上げた。


「別に私とて、誰に対しても同じことをする訳ではありません。中原さんになら、まぁ別に構わないかなと思っただけです。考えていない訳ではありません」


 ――だからそういうのもほんとやめて欲しいんですけど……。


 何なら余計にやめてほしいまである。


 ほとりのヒトとの距離感がバグっていて、依人に対するそれが最近どんどん顕著になっていることは察していたが、流石の依人と言えどもいきなりこういう言動をぶっこまれると理性の機能が失われる。


 端的に言えば、勘違いしそうになるのでやめて頂きたい。


「……俺に対しても、やめましょう」


 そうハッキリ告げると、ほとりは見定めるような瞳をジッと依人に向け、数秒ほどの無言を保ってから、こっくんと頷いた。


「わかりました。では、そのご意見についても参考にさせて頂きます」


 一体どう参考にするんですか……。


 気になり過ぎる疑問を胸に抱きつつ、依人はほとりと一緒に学校に向かうのだった。




 依人とほとりが教室に入ると、教室が沸いた。

 より詳細には、ギャル化したほとりを見た陽キャグループの女子たちが、きゃーっと喜色の声を上げた。


「ほとりちゃんかわいーっ!」という声と共に、瞬く間にギャルの方々に囲まれるほとり。


 その女子たちの凄まじい勢いを慌てて躱した依人は、陽キャってこわい……と震えながら自席に移動した。


 かわいい可愛いともてはやされる度、ありがとうございます、ありがとうございますと頭を下げ、選挙活動中の政治家みたいな反応をしているほとり。


 ――なんか、あっという間に馴染んだよな……。


 ほとりが恋夏たちに勇気を出して話しかけてからまだ一週間ほどしか過ぎていないが、休み時間中に読書をせず恋夏たちと話していることもよくあるし、恋夏たち以外のクラスメイトと喋っている所もチラホラ見かけるようになった。


 なんというか、クラスのマスコット的な存在として扱われている感がある。


 ほとりが転校してきた当初には想像もできなかった光景。


 昨日の日曜日には恋夏の家にも遊びに行ったようだし、特に問題もなく仲良くやれているのだろう。

 ほとりは周りと距離を詰めたいと思っていて、周りも喜んでそれを受け入れている。


 誰も不幸になっていない、しあわせなこと――。


 良いことだ、と。そう思って、依人は静かに本を開いた。





 昼休みになると、てこてこと歩いてきたほとり(清楚ギャル)が依人の前に立って言う。


「今日もご一緒させて頂いて、よろしいでしょうか?」


 以前までは確認もなく依人が過ごす空き教室にやって来ていたほとりだが、恋夏たちと最初にお昼を過ごしたあの日以降、こうして予め確認を取るようになった。


 あれからも一度、恋夏たちのグループと一緒にお昼を過ごすことがあったほとりだが、今日は依人と一緒に昼食を取るつもりらしい。


 依人は頷いてそれを承諾する。


「では、遅れてお伺いしますね」


 じぃー……っと、やけに依人の顔を見つめながら、ほとりが言った。


 ――な、なんだ……。俺の顔になんか付いてる……?


 いつもより華々しさが増しているほとりの視線に耐えきれず、依人は顔を逸らし、席を立った。


「じゃ、じゃあ、俺先行ってるから……」

「はい」




 弁当や本、飲み物が入ったカバンを持って教室を出る依人。


 恰好はもちろんそうなのだが、やはり今日のほとりは何かいつもと様子が違う気がする。


 困惑する依人。


 ――マジで、何なんだ……?


 例の空き教室に向かう途中、トイレに寄って鏡を見てみたが、依人自身の外見はいつもと何も変わらないように思えた。

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