オタクに優しいギャルはオタク以外にも優しい〈2〉
翌朝。
「中原さん、その怪我はどうされたのですか?」
「いや、昨日ちょっと転んで……」
顔と手のあちこちに擦り傷をつくって絆創膏を貼ったりしている依人を見て、ほとりが首を傾げている。
「大丈夫なんですか?」
「大丈夫です」
「一つ、気になるのですが」
「……なに?」
「随分と可愛らしい絆創膏ですね」
「……」
依人が貼っている絆創膏にはファンシーな花柄がキラキラと彩られており、もちろん依人が買ったものではない。
昨夜、自転車を巻き込みながら盛大にすっころんで傷だらけになった依人は、「ごめんねぇぇっ」と若干涙目になりながら何度も謝る恋夏に、大丈夫だから気にしないでと言いつつ、もうすぐそこまで来ていた恋夏の家まで彼女を送った。
そして、務めは果たしたということでそのまま帰ろうとしたのだが、治療するからという理由で恋夏の家に引きずり込まれ、しっかりと治療されてから帰宅した。
その帰り際に「これ使ってね!」と、治療に使用されたのと同じタイプの絆創膏を大量に押し付けられた訳だが、帰宅して入浴後に絆創膏を貼り変えようと思った依人は、悩んだ。
こんな無駄に可愛い絆創膏を自分で貼るのには抵抗感があるが、せっかく恋夏が気を使って渡してくれたもの。明日は学校で恋夏と顔も合わせるだろうし、ここはもらった絆創膏を使うのが筋というヤツではないのか。
そんな思考を経て、無駄に律儀な依人はその絆創膏を貼った状態で家から出てきた訳だが、既にちょっと後悔していた。
依人の絆創膏をじーっと見つめているほとりに、諦観めいた口調で依人は一言。
「……かわいいよね、これ」
「はい、とてもかわいいです」
「――『オタクに優しいギャル』というキャラの人気が、ラブコメにおいて近年では増加傾向にあるようです」
登校中、ほとりが真剣な顔でそう言って、依人を見上げた。
「中原さんはお好きですか? 『オタクに優しいギャル』」
「……………………好きか嫌いかと言われたら、好き、だけど」
「なるほど、そうなんですね」
ふんふんと、何かを納得したように頷いているほとり。
「……」
確かに、好きではある。決して嫌いではない。
だが、特別好きなタイプのキャラという訳でもない。けど、好きか否かと言われたら、しっかりと好きだ。
しかしながら、あくまでそれはラブコメの中に出てくるそういう感じのキャラについての話であり、現実とは無関係である。
例えば恋夏のような、俗に『オタクに優しいギャル』と呼称されるようなラブコメのヒロインにも引けを取らないくらい可愛くて誰にでも優しいギャルが現実に存在していても、彼女はあくまで現実の人物である。
もちろん、水瀬恋夏という個人を依人が好ましく感じていることもまた事実だが、それとこれとは別の話だ。
「『オタク』とは、とある事柄、取り分けサブカルチャーと俗称されるような分野の中の何かしらに対して傾倒的に熱中している方を指すことが多い単語であると、私は理解していますが」
「……うん」
「対して『ギャル』ですが、これは英語で若い女性を意味する『ガール』から派生した単語です。時代と共に『ギャル』という呼称が示す対象も移ろっているようですが、ここ最近では、若い女性かつ、性格が陽気で、格好が派手寄りの、ファッションや流行にも明るい方を示すことが多いようです」
「へぇ」
素直に驚きの声が出る依人。何をもってギャルとするかなんて考えたことがなかったが、確かに今ほとりが説明したような人物をギャルと呼ぶことは多い気がする。
「『オタク』も『ギャル』もだいぶ定義が曖昧で、例外はいくらでも挙げられるのですが、ひとまずそのような区別に倣うのであれば、中原さんはライトノベルのオタク、ということになるのだと思います」
「……そうですね」
「そして、私たちが所属するクラスには、他にもオタクと呼ばれるような方や、ギャルと呼ばれるような方が何人かいらっしゃいます」
「……いるね」
「創作物内のキャラクターと現実の人物を同一視することができないことは理解していますが、創作とは往々にして現実から生まれるモノです。そして、オタクやギャルという要素は、ライトノベルのラブコメを深く理解して、その執筆にも着手する予定の私としては押さえておきたいところです」
つまるところ――と、ほとりが結論を言う。
「ラブコメを理解するための参考の一つとして、同じクラスのオタクやギャルの方々とお話をして、実際に色々お聞きしてみたいことがあります」
「オタクやギャルの、方々……。……だったら、話しかけてみたら?」
「そう……、ですよね」
珍しく、歯切れの悪い反応をするほとり。
依人を見上げていたほとりは、そっと地面に視線を降ろす。
トボ、トボ、と。心なし歩調まで鈍くなっているほとりを、依人は怪訝に思う。
依人の認識として、ほとりはあまり悩むイメージのない少女だ。
その時その場で、自分やりたいこと、自分の目的のためにやるべきだと思うことを、特に迷わず実行するのがほとりだと思っていた。
自分の目的のために、自分の所有物でもないラノベを横からかすめ取って、その所有者が依人であると突き止め、その昼休みには迷わず依人に話しかけてきたあの時なんかはまさにそんな感じだろう。
迷わず……。
――本当に、そうだろうか?
この一か月にも満たない短い期間、空野ほとりという少女を側で見てきた依人は、その上で思い返した。
依人とほとりが最初にまともな会話を交わした時とも言えるあの昼休み、ほとりが依人に『ラブコメを理解したいから手伝って欲しい』と持ち掛け、依人はそれを断って――、
『そう、ですか。……こちらこそ、急に無理を言ってしまって申し訳ありませんでした』
依人に申し出をハッキリと断られて、ほとりはそっと目を伏せた。
あの時のほとりと、今隣にいるほとりの姿が、重なった。
――俺は、バカだな……。
悩まない訳がない。迷わない訳がない。
掴み切れない所が多いというだけで、ほとりだって依人と同じ人間だ。
彼女は彼女で、きっと、依人が知らない色んなものを抱えている。
でも、依人にはそれが分からない。理解できない。察せない。
だったら、聞くしかないだろう。
「……どうしたの? 空野さん」
目を伏せて歩いているほとりに依人が問うと、ほとりが顔を上げた。そして首を傾げる。
「なにがでしょうか?」
「あー……いや、空野さんは、ウチのクラスの人たちと話してみたいんでしょ」
「……はい」と、ほとりが頷く。
「でも、なんか、話しかけにくい事情でもあるのかな……と」
他者の心の内側に踏み込んでいる自覚があった。らしくないと、そう思いつつ、緊張に体を強張らせながら依人は言った。
するとほとりは、パチクリと驚いたように瞳を瞬かせて、とてもゆっくり頷く。
「私は……」
「うん」
「人と関わるのが、得意ではありません」
「……うん」
「昔から、私は、他者との距離感を調節するのが苦手で、空気を読む……というのでしょうか? それをすることがあまりできません」
「……」
「幼い頃は、仲良くしたい方と一緒にお話しをしていても、私の話は長くて難しくて、よく分からないと、私と一緒にいると疲れてしまう……と、そのようなことを言われることがよくありました。私が至らないせいで迷惑をかけてしまうことも多く、私は……人と関わることを諦めて、本ばかり読むようになりました」
ほとりは、そっと、自嘲気味に微笑んだ。
「本の世界は好きです。本は、いつでも変わらず、どんな私でも受け入れてくれますから」
しかし……と、ほとりは続ける。
「本の世界に閉じこもった私は、もっと人と関わるのが苦手になってしまいました。だから、今更になって他の方との距離を詰めようにも、私にはその方法が分かりません。私が転校してきてからしばらくは、私に話しかけてくださる方々もたくさんいらっしゃいましたが……私は、その、あの時はまだ、別にひとりで過ごすのも構わないと思っていた上に、本にとらわれて我を忘れ、みなさんに失礼な態度を取ってしまいましたので……」
ほとりは酷く申し訳なさそうに、ばつが悪そうに、しゅんと項垂れる。
「でも空野さんは、普通に俺とは――」
仲良くできてる――と、そう言いかけて、依人は選ぶ言葉を変える。
「俺とは、普通に話せてると思うけどな。えーっと……、あの時、空野さんが俺のラノベを水瀬さんから受け取って、昼休みに俺に話しけた時みたいにすれば、いいんじゃないの?」
「あの時は、中原さんに協力を取り付けるというハッキリとした目的がありましたので……。それに、一度は断られてしまいましたが、そのあと中原さんの方から協力を申し出てくださったので、私としてはとてもありがたかったのです。ですが、ただお話しをしてみたいというだけでは、具体的にどのようにすればよいのか……」
「いや、それでいいじゃん」
依人の言葉に、ほとりが目を大きく見開いた。
「いいと思うよ、それで。普通に話してみたいって伝えるだけで、大丈夫だと思う」
きっと空野ほとりは、中原依人とは違う。
『あの時はまだ、別にひとりで過ごすのも構わないと思っていた』と、ほとりはそう言った。
つまり、人と関わるのを諦めた過去があったとしても、今は誰かと進んで関わろうとする気持ちがある、ということだろう。
――依人とは、違うのだ。
ほとりにその意志があるのなら何も問題はない。
依人とほとりのクラスメイトは良いヤツばかりで、ほとりが自ら歩み寄れば間違いなく受け入れてくれる。
「失礼なことしちゃったって思ってるなら、ちゃんと謝れば許してくれると思うし、それでも不安なら、まずは水瀬さんに話しかけてみなよ」
「水瀬さんに、ですか?」
言いながら、ほとりはくいっと首を傾げて、
「水瀬さんがみなさんに親切なギャルだからですか?」
「いや……そういう訳でも……ん? そういう訳なのか……? いやどっちでもいいけど、ともかく、水瀬さんに最初に話しかけたら絶対大丈夫だから」
「ぜったい、ですか?」
「うん、ぜったい」
依人はほとりを安心させるように頷いた。
まさに昨夜、ほとりと仲良くしたいと言っていた恋夏のことを思い出しながら、
「空野さんがこの前読んだっていう少女漫画の話とか出してみると、良いかもね」
依人は、曖昧な笑みを浮かべた。
一年Dクラスの教室に、依人はほとりと並んで入る。
依人とほとりが一緒に登校してきたことを気にする者はもう誰もおらず、依人とほとりはそれぞれ自分の席に着く。
いつもの流れであれば、このあとは、依人もほとりもHRが始まるまで自席でひとり読書をするのだが、今日はほとりの動きが違っていた。
荷物を置いてから席を立ったほとりは、一見無感情にも思える静かな表情に、微かな緊張を滲ませて、教室の隅で友人たちと盛り上がっていた恋夏の元へ歩み寄った。
恋夏を含めたその場にいた者たちは、驚いたようにほとりを見て会話を止める。
「あの、一つ、よろしいでしょうか?」
「――。うんうんっ! いいよー! どうしたのっ?」
呆気に取られていたものの、すぐに気さくな笑みを浮かべた恋夏。
ほとりはすっと息を吸い込んで、口を開いた。
「私、水瀬さんと……」
そこまで言ってから、恋夏に視線を合わせていたほとりは、その場にいた全員を改めて見渡して、再度口を開く。
「私もみなさんと、お話をしてみたいです。よろしい……でしょうか?」
「――――」
一瞬、間が空いた。
だがその間は、単に恋夏たちがほとりの台詞を呑み込んで理解するまでの時間でしかなくて。
不安そうに瞳を揺らしているほとりの心配は、杞憂に過ぎないだろう。
次の瞬間、恋夏がパッと顔を輝かせてほとりに笑いかけたのを確認したところで、依人はその光景から視線を逸らし、手元の本のページをめくった。
「中原さん、中原さん」
昼休みが始まると同時、依人の元にやってきたほとりが、いつもより弾んだ口調で言う。
「水瀬さんたちから、一緒にお昼はどうかとお誘い頂けたのですが、中原さんもご一緒しませんか?」
「あー……、え……っと。ごめん、俺は遠慮しとく」
曖昧に、依人は笑みをつくる。
「どうして、ですか……?」
ほとりは、少し離れた位置からこちらをうかがっている恋夏たちのグループをチラリと一瞥してから、再度依人を見て、首を傾げる。
「うん、ちょっと……。俺のことは気にしなくていいから、大丈夫だよ」
ほとりは何かを推し量るように依人のことを見つめ、しかし結局また首を捻って、不思議そうに言う。
「……。中原さんが、そう、おっしゃるのなら……。……では、失礼いたしました」
ほとりはペコリと頭を下げて、去り際にも不思議そうに依人を見やりながら、恋夏たちの元へ向かう。
それを見届けると、依人はそれ以上余計な干渉を受ける前にと、カバンを肩にかけていつもの空き教室に移動した。
ほとりと昼を共にするようになってからまだ一か月も経っていないというのに、ひとりで過ごす昼の時間は、それ以上に久しぶりに感じた。
――これで、何も問題ないよな……。
その思考が自身に言い聞かせるようなものになっていたことに、中原依人は気付かない。
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