大体そんな感じ
「中原さん。おはようございます」
朝、依人が学校に行こうと家を出ると、当たり前のようにほとりが立っている。
「……。おはよう、空野さん」
ぺこりと上品に頭を下げたほとりに、依人は挨拶を返した。
――なんかもう、この光景にも慣れてきたな……。
依人とほとりが最初に一緒に登校したのが二週間前の月曜日で、今日は水曜日。
あの日から平日は毎朝例外なく、扉を開けるとそこにほとりがいる。
基本的に依人が朝家を出る時間は決まっており、あの日以前は彼女と出くわすことはほとんどなかったので、まぁ、まず間違いなく依人が出てくるのを待っているのだろう。
「では、学校に行きましょう」
「……。うん」
手提げカバンを両手で前に持って、しずしずと歩き始めたほとりの隣に依人は続く。
最初の方は、彼女の小さな歩幅に合わせることに違和感しかなかったのだが、いつの間にか意識せずとも彼女のペースに合わせて歩けるようになっている自分に気が付く。
「中原さん、いくつかお尋ねしたいことがあるのですが、良いでしょうか?」
「……。はい、どうぞ」
「男性の方が、なぜ女性の『パンチラ』を見て喜ぶのかは理解しました。普段は隠されている女性の裸体に近しい姿に、生殖本能としての性欲を刺激されるからでしょう。しかし、私が昨夜読んだ男性向けのライトノベルの中に、男の人は、好ましいと思う女性の下着が全て露出される場合よりも、一瞬だけしか見えない『パンチラ』こそ、より『エロス』が高く、興奮するのだということが書いてありました。なぜ、一瞬だけの方が良いのでしょうか? 私としては、しっかり全部見えている方が男性的には嬉しいのではないのか、と思ってしまうのですが。中原さん、どういうことなのでしょう?」
「………………………………………………………うん」
「……空野さん、そろそろ降りるよ」
毎度の如く、電車の中で本に夢中になっているほとりに依人は告げた。
しかしほとりは本から顔を上げない。完全に本の世界に入り込んでいる。
依人が横からページを覗くと、強面の主人公が罰ゲームで無理やり女装させられるシーンだった。
文字を目で追うほとりの顔はとても真剣である。
「……」
仕方なく、ほとりがある程度区切りが良い所まで読んだと思われるタイミングで、依人は本を取り上げた。
「っ!」
ハッ、と。顔を上げるほとり。彼女は不思議そうにキョロキョロ周囲を確認してから、隣にいる依人が本を持っていることに気付くと、ぐぃぃぃっと手を伸ばす。
……が、依人が高く持ち上げた本の位置には、ほとりはめいっぱい背伸びしても届かない。
「中原さん、あと少しだけ、あと少しだけ、ダメですか、あと少しだけです」
「ダメです」
「…………はい」
そして、ほとりが項垂れたタイミングで、電車が止まる。
カックンと車体が傾き、慣性の法則に敗北したほとりが依人の胸に勢いよく飛び込んで――ゴスンと鼻の頭をぶつけた。
「っ、っ、ぅ…………」
無言のまま鼻を押えてフルフルと震えるほとりに、依人は少なからず同情した。
「失礼します」
昼休み、依人がいつもの空き教室で本を読んでいると、パンと野菜ジュースを両手に持ったほとりが現れた。
特に何か示し合わせている訳でもないのだが、あの日以降、依人が今まで通りこの空き教室にいると、購買で昼食を買ったほとりも遅れてやって来るようになった。
最初の方は、ほとりが来る前に弁当を食べ始めていた依人も、ほとりが毎回現れることを理解してからは、彼女がやって来るまで弁当に手を付けるのを待つようになった。
ほとりは丁寧に「いただきます」と口にして、まず野菜ジュースの紙パックにストローを刺し、それを隣の机に置いてからパンの包装を開けていた。
ちまちまとパンを食べ進めるほとりは、それを食べ終えるまでは基本的に何も喋らない。
お互いが向かい合って、無言のまま昼食を取る。
――マジで何なんだろう。この時間……。
依人が弁当を完食してから約五分後、パンを食べきって野菜ジュースも飲み干したほとりは、「ごちそうさまでした」と丁寧に手を合わせる。
――えらい……。
そして、瞳をぱちくりと瞬かせたほとりが、真剣な顔で依人を見る。
「中原さん」
――くるぞ……っ。
「『バブみ』って、なんですか?」
放課後。帰路に着く依人の隣には、ほとりがいる。
もう、気付いたらいる。
帰りのHRが終わって、帰宅の準備をして、教室から出ようとしたら隣にいる感じだ。
夕暮れの街中。ラブコメの疑問について、無駄に論理的な持論を展開しているほとりの話を「うん……、うん……」と相槌を打って聞きながら、依人は思う。
――なんというか。
ほとりには、非常に失礼な考えになってしまうのだが。
近所に住む人見知りの子供と一回一緒に遊んであげたら、妙に懐かれてしまった感、というか……。近所に住む無愛想な野良猫にエサをやったら、実はそんなに無愛想でもないことが分かって、妙に懐かれてしまった感、というか……。
大体そんな感じである。
「中原さん、今日もお疲れさまでした」
「……。お疲れさまでした」
隣り合った住まいの前で、依人とほとりは向かい合う。
「では、また明日ですね」
「……。うん。またあした」
胸の前で小さく手を振ってくるほとりに、依人も手を振り返してから、帰宅する。
大体、そんな感じだった。
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