彼と彼女の非日常〈2〉

 視線を感じていた。凄まじく、視線を感じていた。


「…………」

「中原さん、どうかされましたか?」


 同じマンションから家を出て、謎過ぎるラブコメ寸劇を繰り広げたのち、ラブコメ談義をしながら駅へ。

 タイミングよくやって来た電車に乗り込み、ほどよく混み合う車内で、持ち込んだ本を姿勢よく立ち読みし始めたほとりが、電車の揺れに合わせてふらっふらと左右に揺れるのを隣でハラハラしながら見守り、目的の駅に着いても本に目を喰らいつかせて離そうとしない彼女を引きずって降車。

「空野さん本閉じて、本」「すみません、今いい所なので話しかけないでください」「……」

 こいつ……っ! 今までどうやって一人で登校してたんだ!? と思いながら、ほとりの頭を引っぱたきたくなる気持ちを堪え、彼女の華奢な背中を押しながら改札へ向かい、改札の横で彼女の読書を見守ること十数分、「すみません、お待たせしました」と、ようやく本から顔を上げたほとりと共に駅を出て、同じ高校の制服に身を包んだ学生たちの流れに乗るように、依人はほとりと並んで登校していた……のだが。


「……中原さん?」


 こてんと首を傾げたほとりが、周囲を気にしている依人を見上げた。


「いや……」


 何の疑問もなく、さも当たり前のようにほとりと一緒に登校をしてしまっていた依人だが、同じ学校の生徒たちから集まる視線を感じて、はたと気付いた。


 空野ほとりは、その類まれなる容姿の良さと身に纏うミステリアスな雰囲気から、同クラスや同学年だけでなく、学校全体における有名人である。


 彼女の転校直後は噂が噂を呼び、学年問わず多くの生徒らが依人のクラスを訪れて、噂の美少女――空野ほとりの姿を一目確認しに来た。

 中には彼女に話しかける者もいたが、その時の彼女は例外なく読書中だった……と言えば、その結果は語るまでもない。


 そんなほとりが、男を引き連れて堂々と登校していれば――


 ――そりゃまぁ、見るよな。うん、見るよ。


 凄まじく既視感のあるシチュエーション。

 ラブコメあるあるの一つ――学園内で有名な美少女と偶然関わり合ってしまって周りから好奇と羨望の目を向けられる冴えないラブコメ主人公あるあるだった。


 依人を不思議そうに見上げるほとりは、周囲の視線の意味に全く気付いていないご様子。


 あなたが望んでいたラブコメ実体験シチュですよ、と教えてあげたかったが、今の依人にそんな余裕はなかった。

 存在からして目立つほとりは、普段から人に見られ慣れているからあまり気にしていないのだと思うが、依人は違う。


 普段から陰に身を隠すように生きている依人は、この量の視線に耐性がない。


「あのさ……、空野さん」

「はい、なんでしょう?」

「このまま教室まで行く流れだよね、これ」

「……? 行かないんですか? 教室」

「いや、行くよ。行くんだけどね。行くんですけども」

「…………?」


 ここで周りから勘違いされたくないから別々に登校しよう、などと提案すれば、一体どうなるか。


 当然、この少女であれば、「なぜですか?」と、「何を勘違いされるのでしょう?」と、問うてくるだろう。

 そこで、「俺たちが付き合ってる的な勘違いをされちゃうとね、うん」などと返答をするのは、なんだか自意識過剰な上にラブコメのテンプレをなぞってるみたいでイヤだった。


 ラブコメのテンプレがイヤと言う話ではなく、むしろ依人はそういった王道的テンプレ展開は好きな方なのだが、それはともかくとして。


 依人はラブコメの優しい世界をただ浸るように眺めていたいだけであり、自身がその中心に入っていきたいとは少しも思っていないのだ。


 加えてほとりの場合、「そのように勘違いされるのは、アリかもしれませんね。ラブコメを理解する参考になります」などと宣い始める可能性が否定できない。

 怖い。マジで否定できなくて怖い。


 ほとりという少女の裏側を垣間見た依人ではあるが、それを知ったのも昨日今日の話であり、未だ彼女に対して掴み切れない箇所は山ほどある。


 端的に言えば、ほとりの言動は全く読めない。

 それはもう、今朝の奇行で証明された事実である。


 注がれる好機の視線に冷や汗を流しながら、一体どうしようか、うーん、うーん、などと悩んでいる内にも歩みはスムーズに進んで行き、ふと気づくと目の前に教室があった。


 隣には、黙りこくってしまった依人を不思議そうに見ているほとり。


「…………」


 ――もう知らん。どうとでもなってくれ……。


 と、半ば諦めの境地で教室にインする依人ウィズほとり。


 改札横でほとりの読書タイムがあったため、登校時間的にはそこそこギリギリであり、既にほとんどのクラスメイトが教室内にいた。

 あたかも一緒に登校してきましたよ、と言わんばかりに隣り合って入室した二人に気付いた瞬間、わいわいガヤガヤと賑わっていたクラスメイトたちの空気は一変した。


 ザワッと沸き立つ気配。視線の集中砲火を浴びる。


 これには流石のほとりも違和を感じたのか、こてっと首を傾げていた。

 そしてクラスメイトの面々をぐるりと見渡して、一瞬、顎に手を添えて何やらを考えこんだほとりが、シンと静まり返る教室の中、涼しい顔で依人を見上げて、一言――



「――依人、くん」



 下の名前で、依人を呼んだ。


 再度、ザワッと教室が沸き、依人とほとりに向けられる視線の熱量が上がった。


「……ちょっと、空野、さん。こっち来て」


 頭痛のするこめかみを片手で押さえながら、ほとりの腕を引いて教室を出る依人。

 トイレ前のひと気が薄い場所までほとりを誘導してから、依人は言った。


「……どうして、急に俺の呼び方を変えたのでしょうか」


 可愛い女の子に初めて下の名前を呼ばれる、という本来なら胸キュン必死であろう甘酸っぱいシチュエーションが、普通に意味不明過ぎて恐怖だった。

 冷や汗ヤバい。


「すみません。昨日拝読したラブコメで、先程のようなシチュエーションの中、ヒロインが初めて主人公の下の名前を呼ぶというシーンがあったので、好奇心が抑えきれず、つい」


「ついじゃねえ」


 頭を抱える依人。


「……ていうか、ソレ、『ラブ神』の二巻だよね」


 するとほとりはパチクリと目を瞬かせて、コクリと頷く。


「正解です」


『ラブコメの神様を信じるな』――略して『ラブ神』二巻のツンデレヒロインの見せ場、『ふだんから主人公にツンツンと当たりの強い彼女が、急に主人公と仲良くなり始めた別ヒロインに無自覚の嫉妬をして、クラスメイトの注目が集まっている中、顔を赤くしながら見せつけるように牽制でもするように、初めて主人公の下の名前を呼ぶ』という――。


 ツンを溜めに溜めて放つ不意打ちレーザービームのようなデレシーン。

 ツンデレの面目躍如。破壊力抜群。見事と言わざるを得ない。


 ……が、今はそんな語りをしている場合ではなく。


 好奇心でこんなことをするのはやめて頂きたい、という話であり。

 確かに、ラノベのラブコメについてほとりが理解できるように協力することは了承したが、別に依人は――――『俺にできることなら何でも協力するよ、空野さん』


 唐突にフラッシュバックする二日前の記憶。


 言っていた。何でもすると言っていた。


 ――……いや、別にあれは言葉の綾みたいなもので、その場の勢いというか、調子に乗ったというか。なんというか。


 脳内で自己弁護を繰り広げる挙動不審な依人を見て、不思議なものを見るような顔のほとり。

 そんな彼女は、ふんふんと頷いて言う。


「しかし依人くんは、流石ですね」

「……なにが?」

「下の名前を呼んだ私に対して焦り、廊下に連れ出して二人きりになる、という『ラブ神』の主人公と同じ動きをしてくださるとは。やはり依人くんは、よく分かっています」

「…………」


 再度、大仰に頭を抱える依人。


 何をお前は無自覚にラノベ主人公と同じムーブをしとるんだ……! という呆れ、羞恥、後悔の念がぐるぐると渦巻く。


「ですが、よく分からないんですよね」


 くいっと首を捻り、疑問気にほとりが言う。


「ラブコメにおいて、何かしらの秘密を抱える者同士がその露見を恐れて、多くの注目が集まる中連れ立ってその場を飛び出していく、というシーンは度々見かけられますが、あんなことをすれば余計に怪しまれてしまうことは自明だと思うのです」

「………………そうですね」

「なぜそんな不合理なことをするのか、依人くんは分かりますか?」

「…………焦っていると、合理的な判断ができなくなるからでは、ないでしょうか」


 とても実感の籠った発言だった。


「なるほど。確かに依人くんの言う通りかもしれません」


 納得したように頷くほとり。


「……空野さん」

「はい」

「その依人くんって呼び方、続けていく感じ?」

「ダメ、でしょうか?」

「ダメ……というか、落ち着かない、といいますか」

「ふむ」


 見透かすようにジッと依人を見つめるほとり。

 あまりに遠慮のない真っすぐな視線に、気恥ずかしくなった依人は顔を逸らす。


「依人……くん」

「……」

「依人くん?」

「っ」

「もしかして依人くんは、照れていますか?」

「……」

「私と目を合わせてくれませんし、ほんの少し耳が赤いように見えます。客観的に見て、この状況は異性の私に下の名前を呼ばれて照れていると解釈するのが――」

「冷静に分析しないでくれる!?」


 赤面は承知で、顔を正面に戻してほとりを見据える。


 ――ほんとやめてください。


 そんな念を言外に滲ませつつ、既に誤魔化しようがない依人は両手を上げた。

 降参、の意である。


「そうです。いきなりそういう呼び方されると恥ずかしいのでやめてください」

「では依人さん、なら――」

「そういう問題でもないです」

「なるほど、理解しました。ではやめておきましょう。しかし、中原さんは水瀬さんにも下の名前で呼ばれていると把握しておりますが」

「よくご存じですね……」


 いつも本ばかり読んでいるくせに、ほとりは周囲の諸々の状況をしっかりと把握しているきらいがある。

 かと思えば、意味不明なところですっぽ抜けていることがあるのも、彼女という人間なのだが……。


「私が呼ぶ『依人くん』と、水瀬さんが呼ぶ『依人くん』は、何が違うのでしょうか」

「…………」


 ――え、これ俺が解説するの?


 そんな問いかけを含めるつもりでほとりを見下ろすと、彼女はじぃっと依人のことを見つめていた。

 感情の読み取り辛い静かな表情だが、心なし、その瞳は無垢な期待に輝いているように見える。


 なんというか……。

 知らないもの、分からないことに出会った時、「なんで? これなんで?」と問いかけて、その返答をワクワクしながら待つ幼児にも似た雰囲気を感じた。


 だが、依人とほとりは幼児ではなく高校生であり、今日は平日であり、ここは学校。


 現在の時刻は朝のHRが開始する一分前、という所にまで迫っていた。


「……とりあえず、それに関しては一旦置いておいて、今は教室に戻ろうか」



 

 そして、HR開始直前に教室に戻った依人とほとりは多大な注目を浴びつつもそれぞれの席に着いた。

 既に先生も教壇に立っており、「HR始めるぞー」という声がタイミングよくかかったので、依人はクラスメイトから追及を受けることはなかった。


 ――なんだこのベッタベタなラブコメ主人公みたいな状況は……。


 クラス中から向けられる静かな圧を感じつつ、ひとり席で冷たい汗を流す依人。


 そんな感じでHRが終わり、続けて始まった一限目の授業も終わり……。


 休み時間に入った途端、教室の空気が変わったのが肌で感じられた。


「おい、お前聞いて来いよ」「えー、お前がいけよ」「やっぱりアレって、あれだよね」「えっ!? 付き合ってるのかなーっ」「だいぶ急だよね」「びっくりしたよね」「そんな雰囲気あった?」「いや、アイツらいつもひとりだしな」「裏では元々付き合いがあった的な?」「本好きどうしのあれかな」「そんな感じじゃない?」「でも意外だよね」「でもさぁ」


 ヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソ……。


 ほとんどのクラスメイトたちが、依人とほとりに意識を向けて、抑えた声量で会話を繰り広げている。


 依人はカバンから取り出したラノベを開いて、それらの注目を受け流そうとする。

 ……が、全く集中できず、文に目を通してもまるで頭に入ってこない。


 チラリ、とほとりの方を一瞥すると、彼女も読書中だった。

 ほとりの様子は至っていつも通りで、クラス中から集まる注目など少しも意に介していないように見える。


 クラスメイト達は依人やほとりのことを気にしているものの、直接話しかけてくるような者はいない。

 本からそっと顔を上げると、じぃーっと何かを推し量るように恋夏がこちらを見ていることに気付いた。

 依人は慌てて本に視線を戻す。


 短い休み時間はそんな感じで過ぎて行き、続く休み時間も同じように、依人は読書の振りをして注目の雨をやり過ごした。


 そして、昼休み。

 弁当などが入ったデイパックを肩に掛けた依人は、さっさと人がいない所に行こうと、いつもの空き教室に向かうべく席を立った。

 昼休みくらいは気を休めたい。


 しかし、まるで昼休みになるのを待っていたかのように、すすっと依人に近寄ってくる影が二つあった。

 ――ほとりと、恋夏である。


「……」

「……」

「……」


 依人の前にほとりと恋夏が立って、三人分の沈黙が重なる。


 互いに探るように顔を見合わせたあと、ほとりが恋夏に言う。


「水瀬さんも、中原さんにご用ですか?」


「えぁっ!? あっ、あーうんっ! 用ってほどでもないんだけどねっ」


 わたわたと誤魔化すように手を振りながら、あははー、と笑う恋夏。


「ごめんねほとりちゃん」

「? なぜ謝るのですか?」

「うんっ、邪魔しちゃってごめんね。あたしはホントに大した用じゃないからっ。依人くんもごめんねっ。では、お邪魔者は消えますのであとは若いふたりでごゆっくり」


 ぴしりっと敬礼を決めてから、恋夏は教室の隅で集まっている賑やかなグループの元へ駆けていく。

 その去り際、あたしは応援してるからねっ♪ と言わんばかりの見事なウインクが、パッチーンと依人に向かって飛んできた。


 そんな恋夏を、不思議そうに見ていたほとりが口を開く。


「今のは、どういうことだったのでしょう……?」


 はは、と乾いた笑みこぼして、もう色々と諦めることにした依人であった。

 

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