第18話

 母の愛が欲しかったのだと思う。母に褒めて頭を撫でて、抱き締めてもらいたかった、子は母の愛を受け育つ。

 ―だが、それは叶えられることはなかった。

 母はいつも春嘉を睨みつけた。どうしてこんな子が自分の胎の中に居たのだろう、どうして生まれてきたのだろうと、バケモノみたいな子供だと春嘉を恨んだ。

 春嘉は五人家族で三人兄弟の次男として久我家に生まれた。

 久我家長男の夏哉なつやは、初めて春嘉を見た時とても愛らしく美しい子だとそう思った。まるで妹でも出来たかのような想いだった。夏哉は兄弟が欲しかったから結局は男でも女でもどちらでも良かった、触れたくて仕方がなかったけれど触れられることは無かった。

 弟は、所謂イレギュラー、―現『神気』という存在であり稀な存在生まれ持った力が強いせいで下手に触れれば怪我をしてしまう、病院からの案内で専門の場所に一時的に保護された。帰った時には普通に触れられるようにはなったが、家族は誰も彼を人間として見ようとしていなかった。母はいつも春嘉を奇異な目で見るし、父はいつも夏哉に対しても興味関心を持っていなかったから放置気味で、春嘉はいつも一人だったと思う。

 母が春嘉に微笑む時は無かったし、夏哉だけは春嘉にべったりだった。それは夏哉にとって初めてできた大切な弟だったから、可愛くて笑った顔も泣いた時に頼ってくれるのも、初めての言葉が自身を呼んでくれた時も愛おしくて守ってあげたいと心から思ったからだ。


「はるかのことは、ぼくが守ってあげる。だから、泣かなくていいんだよ」


 その思いは心から生まれたもので、夏哉にとっては誓いの言葉のようだった。

 だが、それは今となってはまるで虚空のようだった。

 春嘉が小学生になった時、三男の秋都あきとが生まれた。その子は普通の子だった、母はその子ばかり可愛がった、春嘉のことなんてそっちのけ、夏哉は中学に上がるということもあり春嘉を気に掛けてあげられる時間が減ってしまった。それから時が進むごとに、学業やアルバイトで春嘉と関わりが無くなっていた。

 春嘉は聞き分けもよく、弟の世話もよくしていたアルバイトが許されない彼は家のことをよくしていたし、勉強も運動も出来ていた。だが、何が不満なのか母は、春嘉には辛く当たり、手を上げたりもする父はそんな光景を黙って見ているし、夏哉は早く家を出たかった。春嘉を連れて家を出ようと思ってアルバイトの時間を増やした。

 そして、学校とアルバイトが終わり自宅に帰ると玄関の扉に触れようとして内側から勢いよく開けられた扉の前で夏哉は固まった。

 飛び出してきた人物は春嘉で目が合った、その表情は怒りと悲しみで満ちていた。咄嗟に掴んだ腕から電流が流れ痛みで顔が歪む、それに気づいた春嘉がもっと辛い顔をするから振り払われた時動けないまま、振り出した雨の中走り去っていく春嘉を呆然と見つめることしか出来なかった。


「母さん、春嘉に何をしたんだ」

「夏哉…」

「どうして、春嘉にそんなに辛く当たるんだよ。春嘉が何か悪い事をしたのか?!今まで母さんに何か酷い事をしたのかよ!ただ少し他の子と違うことがそんなに怖いのかよ、嫌なのかよ!俺や秋都あきとと何も変わらない普通の人間だろ…何が怖いんだよ!」

「うるさい!!アンタに何が分かるって言うの?!私の苦しみの何が分かるって言うのよ!あんなバケモノを産んだせいで私がどんな言われようをしたのか、どういう扱いをされるのか知らない癖に…!知ったような口を利かないで頂戴!!」

「母親の癖に、春嘉にはアンタしかいなかったんだ!なのに、突き放した…世間体ばかり気にして、アンタは春嘉を捨てたんだ!子供は親の道具じゃない。アンタの評価や評判の為の物じゃない、俺や、秋都だってそうだ。もっと向き合ってくれよ、愛してくれなくていいから…もっとちゃんと春嘉を見てよ母さん」

「いい加減にしなさい。みっともない…家出くらいなんだって言うんだ、頭が冷えたら戻ってくるだろう。放っておきなさい。そんなことより、宿題はしたのか、くだらないことを言ってないで、夏哉も秋都も勉強をしなさい」


 父の言葉に夏哉はカッとなって家を飛び出した。雨が降っていたので傘を二つ持って家の周辺を探した、隣駅まで走って探した。何処かの川に落ちたりしていないか河川敷も探した。道行く人に話を聞いて、帰った時には真っ暗で、家の電気も消えていた。結局春嘉は帰ってこなかった。

 そして、ある日玄関の呼び鈴が鳴った。その日は丁度休みの日で家族全員が家にいた、誰も出ようとしないので夏哉が代わりに出るとそこには思いもよらない人物が立っていた。

 春嘉だった。髪は少し伸びたようだが綺麗な金の髪が特徴的で丸い瞳が真っ直ぐこちらを見つめている。間違いない、世界でたった一人の自分の弟だ。

 だが、その傍にはまるで対照的な銀の髪をした男と、ガタイの良い若い男の二人がいた。二人とも同じ軍服を模したような変わった服装をしている。何処かで見たようなその恰好に小首を傾げる。


「ご両親は御在宅ですか?」

「あ、はい」

「上がっても?」

「えっと…どうぞ…」

「どうもありがとう」


 銀の髪の男は、人当たりの良い笑顔をしていて口調も優しい。春嘉はずっと黙っていている。

 不安に感じながらも、夏哉は三人を居間に通す。突然の訪問者に父と母は驚いた様子だった。驚愕に顔を歪ませて急いで居住まいを正すと怯えたように目を泳がせた。

 銀の髪の男が、懐から何やら名刺ケースを取り出すと机の上に人数分の名刺を差し出す。それに続くように、隣の男も名刺を人数分置いていく。

 それを受け取り、目を通す。

 名刺には、国家特殊機関『群青』と書かれていた。そこで夏哉は思い出した幼少期、春嘉を専門の機関に預けた時にいた人間の制服と同じだということを。

 即ち彼らは、神気でありながら同じ人間を助ける機関であるそして国の許可があるので執行力を持っている。

 そしてこの二人は、役職付きである。逃れられない、春嘉はこの家に二度と帰ってなど来ないという事実がいま突き付けられた。


「私たちが此処に来たという事は何かお分かりですよね。過去のデータを見ました、彼、春嘉くんは一度幼児の時我々の機関を利用されている。その理由が力の抑制の為であるということ、彼はちゃんと力をコントロールしている、ですが、あまりにも家庭環境が悪いようですね…」


 銀の髪の男—狼谷月斗かみたにつきとは鋭い目つきで両親を睨むように言葉を次々に突き付ける。


「可笑しいですね?契約書にもありますようにこちらの機関を利用された後、貴方方も育児教育を受け納得されていると書いてあります。ですが、あまりにもいまの春嘉くんの様子を見るとあまりいい環境ではなかったように見受けられました。なのでこれは警告ではなく、執行です。久我春嘉をこちらで再度保護します、期間は無期限」

「なッ―」

「そして、貴方方両親は、今後一切の久我春嘉に対する接触を禁止します。契約書にサインしていただけますね?」

「どうして、そんなッ!!」

「俺たちはこの子の親だぞ?!そんなことが許されるはずがないだろう!」

「許す許さないではありません。では、お聞きしますが何故、あの雨の日彼は一人河川敷で蹲っていたのですか、誰か一人でもこの子を迎えに行ったのですか?あの日起きた事件を貴方たちもご存知でしょう?」


 あの日、夏哉が外に出た時既に外は大雨そして警備隊が外の見回りをしていた。

 後で知ったのだが、あの日神気による大きな事件があったなので、市内放送やニュース番組でも大きく取り上げられていた。子供は外に出ず、親は目を離してはいけないと大人も危険だから外に出てはいけないと、なのに両親はそれを知ってか知らずか動かなかった。その事実に両親は黙り込んだ。当然神気関連であればこの機関は動く見回りや救助に向かうはずだ。巻き込まれた人間も多くいたのだから―。


「—はい。これでお話は終わりです、契約書の内容はきちんと守っていただきますようにお願いいたしますね。それでは、春嘉何か必要なものがあれば持ってきなさい。準備が終わり次第本部に戻ろう」

「はい」


 月斗は春嘉に微笑むと、優しく頭を撫でた。あの春嘉が照れたように笑う、初めて見る顔だった、愛情を貰った子供が見せる警戒心のない笑顔。

 駆け出す春嘉に付き添うように、ガタイの良い男—東雲有志しののめゆうしが一緒になって部屋を出て行った。残された月斗と、夏哉は向き合う。


「何か言いたいことがあるのかな?」

「…春嘉はどうなるんですか」

「どうにも?うちの者が仲良くしてくれるさ面倒だって見る、立派な人間になると思うが、心配かい?」

「当たり前じゃないですか。大切な弟です」

「…キミのことは聞いているよ、久我夏哉くん。久我家長男、成績は優秀常に学年のトップに座を成し、アルバイトと学業を上手く両立している将来の夢は医者、だったかな?専門はイレギュラー専門科。正しく弟思いの優しい兄って感じだ」

「馬鹿にしているんですか」

「していないよ」


 玄関前で話をする二人には安穏とした雰囲気は無い。居間の扉の前で秋都がこちらを見ていることにお構いなく夏哉は月斗に敵意を向ける。

 大事な弟を連れて行くのだ、これくらいは許されるだろう。


「俺には春嘉が初めてできた弟だったんです。大切な可愛い弟だったんだ、それをアンタはいま連れて行こうとしている」

「うん。酷い大人だね。でもね、ここに居たって彼は苦しむだけだ、解放してあげたっていいんじゃないかな?そうすればキミの肩の荷も下りる。それに―キミにはもう一人可愛がるべく相手がいる、秋都くんもキミの弟だろう?春嘉ばかりに気を取られて他のことが疎かになるのは如何なものかな、ほら、行ってあげなくていいのかい?さっきからとても不安そうな目でこちらを見ているよ」

「……分かっている。けれど、俺にだって守れたはずだ俺はお兄ちゃんなのに」


 悔しかった。生まれた時からずっと一緒にいた家族であり兄弟である自分よりも他人を選んだことが悔しくて仕方がなかった。自身の未熟さと幼さに嫌気が差す。

 守りたかった守ってあげられたはずなのに、奪われた―否、自分じゃなかった、選ばれなかった。役に立てなかった。渦巻く思いが両手に込めた拳を震わせる。


「兄の性なのかな…うちにも、息子が二人いるんだ。末はまだ小さいし体が弱くてね、上の子はもうそれはそれはべったりで片時も離れようとしないんだ可愛いよ見ているだけで癒される。上の子は普通の子じゃないきっと彼にはこれから多くの試練が待ち受けているだろう…背負うことは少ないほうが良い。じゃないと、いつか壊れてしまうからね。少し、休みなさい。ずっと張り詰めていたんだろう肩の荷を下ろして今、どうするべきか向き合うんだ。一つのことにばかり目を向けてしまっては視野が狭まるばかりか、自分さえ見失ってしまうよ」

「……」


 月斗の言葉が嫌なくらい心に染みてくる。

 黙っていると、二階から二つの足音が駆け下りてくる。春嘉と有志だ。

 春嘉は、夏哉の顔を見て少し目を逸らした。気まずい空気のまま玄関の扉が開かれる。

 行ってしまう、そう思うと胸が張り裂けそうだった。


「春嘉—ッ!」

「…兄さん、ありがとう」

「!!」


 伸ばされた手は虚空を掴んで、扉は閉じられた。

 夏哉は一人玄関前で座り込んだ。これで彼とは二度と会えないのだと気づいた時頬を雫が一筋流れ落ちた。


 春嘉は見晴らしのいい崖の上から街を見下ろす。見慣れた街並みはいまでは姿を変え朽ちた街並みと辛うじて美しさを保っている区域で分かれ、赤と黒が街を染め、いまにも喰らい尽くそうとしている。報告によればすでに東、北、中央の一部は壊滅し被害が大きいという。

 制服のポケットから、実家から唯一持ってきていた写真を取り出した。家族写真だ。

 兄と母の間に立っている自分と母は弟の秋都を抱いて微笑んでいる。父もこの時ばかりは穏やかな顔をしていたし、兄は春嘉の手を握って離さなかった。

 春嘉の中では記憶の中で優しい唯一の想い出。

 その写真を見つめた後、黙って隣に居た出雲に火はあるかと問う。


「え、なに?寒いの?」

「違ぇよばか。いいから早く」

「はいはい」


 出雲は魔法使いの血も引いているので、魔法が使える。なので、小さな灯を出現させると春嘉はその炎に写真を翳す。驚いた出雲が口を挟む前に見る見る間に写真は燃えていく持ち手に迫る瞬間春嘉は手を離した。燃えながら風に吹かれて空に消えていく。


「いいのかい」

「いいんだ。もう、必要ない」


 そう言うと、二人は歩き出した。

 春嘉は自身の真実を知った。己の出自を、神であることを知った。

 第五神呪神であり、それはとても尊い事であることを知った。

 そして、使命を思い出した。春嘉は自身の為にも国の為にも、斬らねばならない。

 その為には、人道を廃し神道に戻らなければならないそうすれば、人ではなくなるのだ。覚悟はもう決まっている。


 夏哉は数年前に結婚し、子宝にも恵まれ二人の子を持つ父親になっていた。元々は北地区に程近い中央区に住んでいたが、東地区のことを知り安全の為西地区に引っ越したのだ。西地区は広い。空気も豊かで子供も住みやすい環境が揃っている。娘は女子二人姉妹でいつも仲良く手を繋いで父親の周りを駆けまわるやんちゃっぷりだ。

 結婚し、子供が出来たことを春嘉にも知らせる為手紙を送ってはいるが会ったことは無い。実家家族も西地区に引っ越したという事で食事をして、久しぶりに秋都と話をしていた。他愛のない話をして、時折聞こえる爆発音や地鳴りに身を竦ませる。

 そんな時に思い出すのは彼の顔だ。ニュースで事件現場に姿を現す彼は画面越しではあるが元気そうで良かったと思う。だが、いまはそれどころではない大規模な戦争に近い今の現状で心配せずにはいられない。

 突然の大きな爆発音と地震が起き、警報に包まれる。娘の声にハッと我に返りそこで気付いた。


「夏兄、どうしたの」

「……え」

「夏哉?」


 夏哉の異変に秋都だけでなく、妻も顔色を変え。慌てたように駆け寄ってくる。


「…なんで俺…」


 夏哉は泣いていた。

 その時、中央区の一番大きなこの国の象徴とも言える政府本部のビルが崩壊した。

そして空が一気に暗雲に包まれる。人々は騒めき奥へ逃げるように走り出す。

 それもそのはず、数メートル離れた先には瘴気に中てられた動物や人間が異形の姿をして歩いてくるのだ。警備隊が叫んでいる。人々は逃げるように駆け出している。呆然とする夏哉の手を取って先に娘を背負って走り出す妻と秋都の手を振り払い、夏哉はまるで導かれるように逆側へ歩き出す。

 名を呼ぶ声を聞き流して、歩く涙が止まらない。

―助けに行かないと 誰を?


「夏哉!!」

「夏兄!!」


 悲鳴にも似た、声が雑踏に紛れて消えていく。

 何かを忘れている気がした、声を、顔を、名を忘れている。

 ちゃんと覚えているのに、消えていく。


 ―兄さん


 声がした。ずっと、探していた声だ。

 目の前にはあの忌まわしい黒い制服を着て、金の糸のような髪を風に靡かせ丸い瞳でこちらに微笑む人物。

 手を伸ばした、しかし掴めなかった。その姿は光の粒のように消えてしまった。


「どうして……俺の初めての弟だったんだ……」


 蹲って、地面には黒い染みが点々と零れる。


「はるか…」


―ごめんね。兄さん約束守れなかった。

 誰に言っているのか、既に夏哉でさえももう分からなかった。

 なんて弟はいないというのに、でもとても苦しいのだ。いなかったと思うと胸が張り裂けそうなくらいに痛くて痛くて堪らないのだった。



東地区、北地区、中央区壊滅。

南地区、西地区に避難勧告発令、神族の手助け在り。結界張りてその場を凌ぐ。

政府代表中川が行方不明。よって新王、高原晴翔に全権が受諾された。

時を同じくし、東地区に出現した繭還り、異形な存在地に放たれた。




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