第17話

 空を飛び、地中を駆け、水中を走る。その感覚を小羽は知っている。

 最初にこの力に目覚めたのは小学生の時、不意に通った心が道端の小さな鳥だった。その鳥が羽ばたいた瞬間、初めて空を飛ぶ感覚を思い知った。空高い場所から人間を見下ろしているその感覚を小羽は楽しんだ。

 しかしそれは、異形であると同時に思い知らされた。

 小羽には両親がいない。生まれたばかりの小羽を祖父母に預け両親は傾き続けるこの国に訴えかける為の戦争に参加し、死んでしまった。

 だから、小羽には両親の顔も姿も覚えてなどいない。祖父母に大事に愛されて育ったことは確かで、ガーディアンに所属するとなった小羽を心から喜んでくれた。

 自身の娘夫婦のようになると思わなかったのだろうか、この国はいまだに不安定で、法もいまや効力を成す統べもなく、無法地帯と言ってもいいくらいなのに。

 そんな危険な状態のこの国のガーディアンに所属する孫をどう思ったのか小羽には勇気がなく聞くことも出来なかった。これからもずっとそうだと思う。小羽はわんぱくな子供だったと思うし、正義感で動いて喧嘩なんて日常茶飯事。祖父は元気があることは良い事だが、程度を弁えろ女なのだからと言う。

 祖母は、いつも傷だらけで帰る小羽を優しく迎えてくれた、中学に入って小羽はわんぱくさを抑え落ち着いた。それでも曲がったことは嫌いだったし誰かを責めることも薄ら笑いも、全て嫌いだった。それでも我慢して耐える日々にいつしか自信を無くしていった。笑って全てを誤魔化して、本当のことも言えないなんてと、なので中学の途中で小羽は、自身の体質に合う学校に変えたそして彼と出会ったのだ。

 正義感で動き、それが当たり前人助けなんて当たり前、目の前で困っている人が居ればそれが何であれ手を差し伸べる。

 まるで、光のような人。


「翔!」


 進行を続ける、瘴気のせいで狂暴化した動植物たちを食い止めるために、小羽と翔は最前線で駆け回っていた。

 小羽は攻撃系の力ではないので、離れた場所から危険な場所を翔に伝達する係をする。護身の為に組織内で行われた体術や剣術、銃の扱い方を習ってはいたが万全ではない。七瀬から預かった呪符も反動が強いので万が一の際の奥の手でしかない。

 明らかに足手纏いのような自身を厭わず翔は、小羽の言葉に耳を傾けてくれる。


「ねぇ、翔。少し休憩しない?」

「いや、まだいいよ。疲れたなら小羽だけでも休んで、俺は少し向こうの方を見てくるから」

「あ―翔!」


 そう言い終わる前に駆け出す翔に小羽は伸ばしかけた手を下ろす。

 翔はいつも走り回っている。戻ってきてからずっと走り回り困っている人の為に出来ることを尽くすその様は誰から見ても救世主のようだった。

 しかし、そんな翔の様子を褒めるべきなのに対して小羽は違和感を抱いていた。

 ―どうして、そんなにも哀しい瞳をしているの。

 小羽は痛む胸を抑える。何か自分にもできることは無いだろうか。どうしたら彼の憂いを払ってあげられるだろうか。

 居てもたっても居られずに小羽は翔の後姿を追いかける。

 時折見せるその瞳の意味をそこに映る人間を小羽は知っているから。


「また、見ているの?」

「…休んでいなくても平気?」

「私よりも翔の体の方が心配だよ。こっちに戻ってきてからまともに寝ていないんじゃないの?夜警の番も増やしたんでしょ、良くないよ倒れちゃったらどうするつもり?翔の代わりはいないのに…」

「俺は、そらと話がしたい。例え彼が、邪神だとしても俺は話がしたいんだ」

「翔……」


 翔は目の下に隈を作った顔で東地区を見つめる。淀んだ街並みはとてもこの世のものとは思えない。空気は濁り暗雲がその空間を包み込んでいる。

 そしてその中央に翔の待つ人物がいる。巨大な繭はいまにもはち切れんばかりの脈動を繰り返している。その中にいる人物こそが翔の家族で兄弟だった弟の天だ。

 その周りには、女が一人と男が一人いる。

 その状況を報告したのは小羽だった。小羽の力は動物の目を借りる事が出来るという力で、それはこの状況を知る為には好都合だった。下手に近付くことも出来ないいま、その目は必要だった。


「あれから状況は変わってない。けど、皆悲しんでる…」

「……うん」


 本部を離れた七瀬はいつものように笑っていたけれどどこか寂しそうで、衛や義一も常に忙しく動き回り疲労が見え、遺体処理に追われ遺族からの罵詈雑言を浴びている。小羽と翔は最前線で現場を見続けている。

 翔はいまにでも飛び出していきそうで消えてしまいそうで危なっかしい。

 カラスの面々は帰ってこない。

 そうこうしているうちに、日は陰り、陽の光は姿を隠してしまった。

 電気の供給が止まっている為、街頭の無い街中は陽が落ちれば暗闇に包まれる。安易に動けば命の危険がある。


「もう戻ろうか、また明日此処に来ようよ」

「…そうだね」


 陰る笑顔が泣き出しそうに歪む。

 目の前で母を亡くした、そしてその母親は弟に殺されたその事実が翔の頭から離れない。どうして、と問う声も自身を苦しめるだけで心は取り残されたまま、使命感だけが体を動かし続ける。

 動かねば、誰も助けてなどくれないのなら、誰かを救うために動かなければいけないと、自分を叱咤する。


「行こうか、まだやらないといけないことがあるからね」

「……」

「小羽?」

「ねぇ。翔、泣いてもいいんだよ」


 小羽が立ち止まって、涙交じりの顔で訴える。

 翔は笑う。


「大丈夫。俺は、大丈夫だよ」


 誰に言っているのかも分からない言葉は、二人の間に落ちていく。

 小羽は歩き出した翔の背中を見つめて歯嚙みする。

 自分の無力さに今にも泣きだしてしまいそうだったから―。


 翌日、国に驚きと喜びが舞い降りた。

 新王の即位である。

 新王の即位には段階や、お披露目などの形式があるにも関わらず、そんなものを考慮もなく新王が即位したと号外で出回った。

 この国は前王が女性であった為、今回は男であるということでより一層の驚きが生まれていた。そして何よりの驚きは即位と共に政府組織の撤廃、解散である。

 それには小羽も驚いた。小羽の所属する組織は政府管轄であった為でそうなれば職を失うことになる。だが、その心配は無いと七瀬から言われた。

 ガーディアンは警備部隊を率いて独立し、国家の安全、民の保安を守る組織として回される。国の特殊部隊カラスもそれに倣い国の保全に使われる。

 あくまでも守る為である、戦うためではない。

 という、新王のお言葉はすぐに国全体に伝わった。しかしまだ誰もその姿を見ていない。疑う者も居たが現状が現状な為、縋る者がない国民はとても喜んだ。

 職を失った政府以外は、解散させられた政府関係者は一部を除いて行方不明となった、国が全力を挙げ探しているが見つからない。

 だが、それも予想の範囲内のようで目立った動きは確認されていない。


 良く晴れた昼下がり、館内が騒めきに包まれる。

 特殊戦闘集団カラスの面々のお出ましだ。春嘉が先頭に立ち恐れの知らない顔つきで歩いていく。

 そして、総隊長である東雲有志の前で足を止める。


「良く戻った。もう、良いんだな?」

「はい。ただいま帰りました」

「おかえり」


 柔らかな空気が室内を包み込む。

 翔はその様子をみて詰まっていた息を吐きだした。

 そんな翔を、太陽が呼び出す。


「ちょっと来てほしいんだけど、いい?」

「はい」


 廊下を抜けて、変わらない庭園を歩く。

 群青色の花が咲く花畑が広がる、空間を歩き立ち止まる。

 庭園にこんなところがあったのか、と他所事を考えていると名を呼ばれ顔を上げると一つの墓石に目が惹かれた。


「あの…」

「この墓は、元当主カラスの創始者のお墓だよ。元はこの組織は群青という名の組織だった。優しい一人の女性が作り出した物語をキミは知っているかい?」


 太陽の問いに、翔は首を横に振る。


「その女性は、神族の生まれではなという名の少女だった。生まれながらにして巫女の命運を背負い生きる彼女は、外の世界を知らなかった。外は穢れていると神に捧げる身は純粋潔白であれ、口答えなどしてはいけない。疑問を違和感を抱いてなど行けない。純朴であれ信仰を誤ることは許されない。そんな彼女は抗った、抗って人間と共に生きていける世の中を、共に歩んでいける世の中を作ろうとした。他人と違う、それが悪い事ではないのだと、悪ではないと。生まれ持った祝福は、己を傷付け時には貶めるだろうが、それは灯でいつだって自分の味方であると、説いた」


 太陽はしゃがみ込み、墓石を撫でる。その傍には真新しい花束が置いてある。

 群青色と優しい桃色の不思議な花。


「彼女は常に、この国は狂っている、人も皆狂っている。狂っているくらいが丁度良いと言った。そして生まれ持った力は、神様からの贈り物であると言って皆を率いた」

「贈り物…」

「受け入れるっていう事と認めるという事は違う。その力を恐れれば喰われるならば、自身の物にしてしまえばそれは誰にも負けない力となる。そしてそれを生かすも殺すも自分次第ってことだねぇ」


 柔らかな笑みで、翔の頭を軽く叩くその様子はいつもの太陽だった。

 先導者としての強さ。誰かを救いたいという意志はまだここに残っている、その意志を受け継いでいる者たちがいるのだ。

 だから翔は救われた、そんな彼らに救われたのだ。


「悲しみや苦しみ、憎しみから生まれる者の後には後悔しかない。そうならない為にも翔は翔のやりたいことをすればいい。大丈夫君なら空だって翔べるさ」

「——!」


 陽の光が太陽を照らして、その輝きは増していく。

 何か心が張れたような気がした、翔は礼をして庭園を抜け出した。


「これで上手く行くのかなぁ…ねぇ、華さん」


 問い掛けに答える声は無い。


 発破を掛けてほしいと言われた太陽は目を見開いた。

 本気なのかと問えば、笑って返される。


「アンタが本気で彼と向き合えば、この国滅びるんじゃないの?」

「問題は無い。土地と、人間が居れば何度でもやり直せる。このまま理が崩れ人道がズレ続ければ、第三神が苦しむ。それはお前が一番嫌なことだろう」

「……。いいよ、分かった」

「ありがとう」

「あの子は強い子だと思うよ」

「ほう―珍しいな?お前が鬼神以外に興味を示すだなんてな」

「うるさいなぁ。彼が必要なのは分かっているけれど…まだ子供だ背負うものが大きすぎると思わなかったの?」

「俺も似たような境遇だから分かるとは言わないが、人生意外と何とかなるものだよそうは思わないか?人間として生きてみてどうだった」


 晴翔はただ笑んで、太陽の言葉を促す。

 この国の理は今も尚崩れ崩壊しかけている。そうなれば影響は第三神『鬼神』である鎮生に影響がいく、今も尚意識を彷徨わせる彼はこの世の理を律している。

 彼そのものが理なのだ。太陽自身もこの世の天光であるように、第二神第三神はどちらもこの国の要であるのだ。

 この二つが消えれば、この国は確実に崩壊の速度を速めるだろう。その為にも、人間側の協力者が必要だ。


「悪くはないけれど、今生だけでいいかなぁ…」

「そうか」


 太陽は微笑んで、桜の花弁を手で掬うように取る。

 露のように手をすり抜けて消えていく儚い花。


「人間は考えることが多すぎる」

「ハハッ言えている!」

「アンタは?」

「俺は最後まで見届けるさ、どうなろうと俺はこの国を愛している」


 邪神と言われた男は哀し気に目線を下げると、空を見つめる。

 桜の咲く季節は、出会いと別れの季節とも言われているな―などと他所事を考えながら、邪神—晴翔は蔵の中で眠っていた黒い剣を手に取り、蔵を後にするのだった。


「出雲、頼んだぞ」

「こんなことが起きなければと、何度も思ったよ…本当に良いんだね?」

「ああ。ただ見ているばかりではいられんからな―鍵はこちらにある呪いの子、戒めの鎖、そして救世主それさえあれば十分だろう」

「承った」


 呪いの子と呼ばれるのは、終わりの剣である第五神—呪神。

戒めの鎖は、邪神を最後まで思い続けた巫女の残痕が生み出した存在。

そして、この国を一手に担うは強く逞しい烈火のような心の少年である―。






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