第16話
早朝、翔は一人玄関で靴紐を結び直す。
物音を立てないように注意をしていたはずだが、巫女の神威には気付かれたようだった。背後から声を掛けられ翔は驚いて壁に激突する。
「お出かけですか?」
「はい!というか、先に本部に戻っていいとホワイト先輩から言われまして。それを狼谷先輩にも伝えたらここから本部までは距離があるから、早朝に出て始発に乗るといいって言われて…なので、この時間に」
「そうですか。もう少し休んでいかれればと思いましたがそうですよね。お国を守ってくださっている戦闘員ですし仕方がありませんね。それでは、こちらを良ければお持ちください。時間がある時にお腹に何か入れておくと良いですよ」
「ありがとうございます!わざわざすみません」
「いいえ。これくらいはさせてください。私たちのことに貴方のような若い方を巻き込んでしまって…申し訳ありません。ですがどうか神々を恨まないでやってください、どうか…」
神威は玄関前で頭を下げる。その様子に翔は酷く焦り直ぐに駆け寄って頭を上げてほしいと頼んだ。そんなことをされるようなことをした覚えもされた覚えもないのだ。
翔は自分が望んだ道を進んでいる、誰かに謝られることはしていない。
「気にしないでください!俺は平気です、これも俺が望んで首を突っ込んだようなものですし…なので、大丈夫です!神威さん、暫くの間先輩たちのことよろしくお願いします!」
「はい。翔様もどうかお元気でまた、お会いいたしましょう」
「はい!あ、そうだ。先輩たちになるべく早く帰ってきてくださいって言っておいてもらえませんか?いや、俺一人でも頑張れると思うんですけどやっぱり先輩たちがいないと不安で…だから先に本部で待ってるって伝えておいてください!」
それじゃ、と翔は荷物を抱え笑顔を残して去っていった。
静まり返った玄関先で、神威は消えた背中を見送ると戸を閉め鍵を掛ける。
「と、申しておりますよ。先輩方」
「神威ちゃんまで、そう呼ぶのね」
「早起きですね、
「…いつから、気付いていたの」
「ふふ。私の目を騙そうとはそうはいきませんよ。貴女様の輝きはいつも美しいですから、第四神愛神様。どうして黙っておいでだったのですか?」
「特に意味は無いの。ほら、私って他の兄弟たちよりも力がないっていうか…愛の神様だから影響力もないし、いなくても変わらないじゃない?忘れた振りをしていれば誰も気づかないんじゃないかなーって、えへへ…最低ね、私ったら」
「そんなことありませんよ。ずっと一人で心細かったのではありませんか?もし宜しければ私で事足りるようであれば何でもお聞きしますよ。貴女様のお話はとてもロマンチックで心躍るような物語が聞けて、昔から楽しみの一つだったのです」
「え…そうだったの?でも、ごめんなさい。今生ではそういかなかったの…」
「理由をお聞きしても?」
神威は小さく頷くリリィを連れ、お茶と茶菓子を持ち縁側に移動する。
朝食前だから少しだけですよと釘を刺しつつもそれがリリィの大好きなお菓子であることにリリィは笑みが零れた。
「今生の私は物心が付いた時には既に自覚があって、でも誰にも言えなかった。言わなかった。嫌われることが怖かったのそれが災いしたのかしらね、自分の力が何なのか分かった時、酷く絶望したの。愛の女神が人を愛することで不幸にさせてしまうなんて思ってもみなかった」
その言葉を聞いて神威は言葉を失った。
彼女の話はこうだった。彼女は幼少の頃から自身が神である自覚があったが故に混乱を避けるために黙っていた。だが、それが仇となったのか力の発現は思いもよらないものだった。自身が愛したもの全てが不幸になるというものだ。
人を愛し慈しむ神が、愛することで傷付ける。
酷く辛く苦しんだだろう、彼女はとても悲しそうに笑う。
「私を愛してくれた人は沢山いたわ、でも愛するたびに周りが不幸になっていく。それを隠して生きていくには私はまだ幼過ぎたのよ。バレてしまえばもう後は想像通りよ私を引き摺り下ろし不幸へ追い込もうとした人間が居たの。私は混乱を避けるために母の言いつけ通りに、知り合いの伝手を使ってあの組織に送られたあの時はまだ
「……」
「でもね、私幸せだった。だってそこでなら何にも怯えなくていい怖がる必要も苦しむ必要もないの、ありのままの自分を受け入れてくれたから。力の使い方を学んで誰かを傷付ける為じゃなくて己を守るために使うことを学んだから。でも最初は私を不幸に追い込んだ相手に復讐心で必死に覚えていた、それは今でも変わらないわ」
強い意志がリリィの横顔から垣間見える。
彼女を変えたきっかけは些細なことなどではないのだろう。止めたい気持ちを抑え神威は一つ言葉を紡いだ。
「幸せですか?」
「え」
「愛神様は、いま幸せですか?」
その言葉にリリィは目を見開き、笑う。
「ええ。私はとっても幸せだわ」
そっと神威の手を取って微笑んで、額を合わせた。
綻ぶ顔が可愛らしくて、昔見た情景を思い浮かべてリリィは懐かしさから瞳を閉じた。
翔は無事に駅に辿り着き、誰も居ないベンチで持たされたおにぎりを頬張った。
そして感謝して袋を鞄に仕舞い立ち上がる。数分経った後電車が到着する案の定乗っている人も居らず、一人乗り込んだ。
揺れる車内で翔は車窓から見える景色をただ眺める。綺麗だった景色が都心部に近付く事に色を変えていく、その光景に目を奪われた。彩り豊かだった町は赤と黒、紫だけになってあんなに豊かだった木々は瘴気の影響で朽ち衰え、水は濁っている。
地面はひび割れいつ崩れてもおかしくはない。
駅のホームには折り返しの電車に乗る人でごった返していた、その間を抜け翔は何とか駅を抜け出した。
そして一つ声を掛けられた。
「翔!」
「小羽!」
「良かった、無事で。連絡があった時びっくりしたんだから…兎に角現状を説明するから行きましょ」
白い制服をきちんと着こなした小羽は見ない間に大人びたようにも思う。
七瀬が先に戻っていて、彼経由で話が通っている。現場責任者を任命されているといって翔よりも早く帰ったのだ。その彼が運転する車に乗り込んだ。
「赤里さん、他の人は?」
「あぁ、衛と義一なら現場に居てもらっている。何か変化があれば逐一報告するように言ってある。もう瘴気の勢いが中央区を包みつつある、あの駅の人だかりも遠くに逃げようとする人たちで一杯なんだ。政府のシェルターも使い物にならない」
「どうして?」
「人が多すぎるの。全員を収容は出来ないしそのシェルターも今じゃ瘴気の中」
「逃げた人たちは?」
その問いに七瀬は首を横に振った。
「そもそも瘴気の根は地面に根ずく、だから地下に逃げたとしても意味がない。何処に逃げてもいまは結果は同じだよ。中川がいつ痺れを切らして逃げ出すかも分からないし」
「まだ残っているんですか?」
「辛うじて…だけど。何を考えているかは知らないけれど何か策があるらしくてその準備を急がせている。情報を探っているけれど開示してはくれなくてね…だからそっちがその気ならこっちもそうしてやりますよってことで、僕らはカラスと手を組んだ。キミを迎えに来たのもその為だよ」
「そうだったんですね。ありがとうございます」
「礼には及ばないさ…それで、残りの人たちはどうだった?」
翔は聞いたことを全て七瀬に話した。
春嘉が塞ぎ込んでいる事、太陽は何やら考え事があるやらで晴翔と常に話し合っている事、リリィはまだ帰れないと言っていること。そして鎮生には会えなかったが無事であること、出雲は姿を消してから一度も会っていないこと。ギルバートは右京と話があるらしく翔の一日前に屋敷を出て行ったこと。
七瀬は微笑んで感謝の言葉を述べた。そこで意を決して何故あの場に七瀬が居たのか聞いてみることにした。
「僕の血には神族の家系の血が流れている。そしてそれは、邪神に仕える巫女の家系の血だ。僕の母は巫女だっただが、一般人である父と駆け落ちしまぁ連れ戻されて破門されたわけだけど、その血を強く受け継いでしまったのが僕ってだけ。それを知っている右京さんに、あの時無理やり連れていかれて手助けをしたってだけだよ」
「じゃあ、赤里さんは神族なんですか?」
「話聞いてたかい?僕は確かに神族の血を継いではいるけれどもうただの一般人だよ。力も僅かにあるってだけで使えば反動で苦しい思いをするだから使わないし、使いたくもないね」
「あれ…でも、邪神様には巫女がいましたよね…」
「あぁ…そっちじゃないよ。もう一人の方に仕えていたんだ。この話はややこしくてね。元はあの二人は一つの魂だったんだよ、それが二つに分かれた時があった、そのせいで変わったんだ。彼の呪いを受け継いでいるのが僕。彼女は受け継いでいない」
「呪い?」
「彼は自分の巫女を殺している、最後に呪いの言葉を吐いてそのせいでその子孫が呪われているってだけ、それだけだよ」
淡々と述べる彼の表情からは何も感じられない。まるで他人事のようだった。
その後掛ける言葉が見つからずに黙っていると七瀬の方からもう過ぎた話だから気にしなくていいと言われた。
神からの呪いそれはいまでも七瀬の体を蝕んでいる。
「僕は一旦、ガーディアン本部に戻るから小羽のことを頼むよ。総隊長殿にもよろしく伝えておいて」
「はい。お気を付けて」
車窓を閉じて、二人を下ろした車は来た道を戻っていく。
翔と小羽はカラス本部へと走り出す。空は変わらず赤黒く風に乗って朽ちた黒い木の葉が待っている。風に乗って微かに瘴気の臭いが鼻を掠めた。
ゲートは電気が遮断してあるのか開きっぱなしになっていた。そのゲートを奥へ進んで静かな廊下を進んでいく。
執務室の扉は開いており、中では有志と撫子が難しい顔をして立っている。
「東雲総隊長!浅野先生!」
「おお!帰ったか、翔」
「はい!藤堂翔ただいま帰還しました」
「よく帰ってきてくれた」
駆け込んできた二人に、微笑みかけすぐに真剣な表情を作る。
「電気が遮断されていてな、緊急用で何とか回している状態なんだ。世間話をしている暇はない。いまから説明することをよく聞いてくれ」
翔と小羽は首を縦に振る。
現場の写真を机一杯に広げて有志は一つ一つ丁寧に説明をしてくれる。
「まずはこれだ、東地区に出来た大きな繭だな。あれの成分は瘴気と大差がない、その脈動から何かが生まれる可能性がある。それと、東地区は壊滅その道を封鎖してある、避難先だった中央区の一角も封鎖してある。瘴気の影響で人間が狂気化及び異形化し手を付けられない。なので避難場所だった体育館を閉鎖浄化薬を大量投入し事の鎮静化を図った。そのせいで半数の命を犠牲にした」
重い沈黙。
続けるぞ、と有志の固い声に二人は頷くしかない。
浄化薬は人間にとって普段は害は無いように作られている。元は瘴気を消すための薬の為瘴気によって作り変えられた人間には毒でしかないのだ。
きっと苦しかっただろう。そう思うとやりきれない思いが胸を締め付ける。
「まだ瘴気の勢いは続いている。そして今回一番厄介なことが起きた」
「厄介なこと?」
「瘴気の発生源ではない場所での、人の狂人化及び異形化だ。そのせいで街は大混乱に陥っている。その被害が北地区、中央区の至る所で起きているんだ、なので対象地域の人間を調べるにも人手が足りない。把握すらも出来ない」
少し離れていただけで事態は一刻を争うことになっている。
もう、人間の手だけでは止めることが出来ないのだと悟るには翔はまだ早すぎたのかもしれない。
七瀬は、朽ち行く本部を見上げる本部は出現した瘴気によってその美しさを変えまるで廃墟のようだった。中にはまだ作業をしているスタッフや警備隊がいる。
中に入り、目的地へ向かう。
七瀬にはケリを付けなければならない相手がいた。一番近くて一番遠いそんな存在だ。
「…何をしているんだ、姉さん」
淀んだ空気が立ち込めるその場所で、姉だった存在は口を赤く染めて何かを貪っている。赤い液体を啜って血肉を齧り、吐息を零す。
人間ではないその様を人はこう言う異形化した狂人だと。
「姉さん。聞こえているんだろう」
「うるさいわね。いま食事をしているのよ邪魔しないで」
「分からないよ、それは僕たちの知っている食事じゃないはずだ。姉さん、姉さん!こっちを見ろよなぁ、どうしちまったんだよ!!」
「七瀬も食べる?美味しいよ。小さい頃はよく何でも半分個したわよね、仕方がない子ねほら、半分あげるからもう黙って頂戴」
「いらないよ」
「我儘な子。よく母さんに言われなかった?好き嫌いをしたら大きくなれないって」
「いつの話をしているんだよ。なぁ姉さん」
「もううるさいわね…アンタはいつもピーピー泣いてばっかり、泣けば何とかなるとでも思っているの?お母さんもアンタばっかり気に掛ける。私はお姉ちゃんだから我慢して。でも、おかしいわよねだって、同じ日に生まれているのよ私たち」
ごとりと原形の留めていない人であった塊が床に放り投げられる。血が広がってその異様さが目を焼いて離れない。
目の前にいる姉と認識するこの目は可笑しくなったのだろうか、こんなバケモノのような女が、同じ母親の腹から生まれたというのか。
「アンタばっかり!ちょっと力を持って生まれたからって、可哀想な子だって気に掛けられて、この子は可哀想な子だから目を掛けてあげないといけないって。一体何が違ったの?!私とアンタの何が違ったって言うのよ!同じ腹から生まれたのに…どうして私ばっかり苦しまないといけないよ…酷いわ…だから私も頑張ったのに、やっと着いた仕事は褒められた、でもすぐに話題はアンタに向いて放浪するアンタを気にする母さんと父さんに私は気に入られよう必死だった褒めてほしかったもっと、私を見てほしかった、だから放浪するアンタをガーディアンに推薦した」
震える方は異形化の影響でボコボコと音を立てている。
「受かって良かったわね、いいお姉ちゃんだって私もよく褒められたわ。だから仕方なくアンタの面倒を見てやったのよ。先に生まれたせいでとんだ責任を押し付けられたものだわ…あーあ、私一人っ子が良かった」
「!!」
「アンタなんて生まれてこなければよかったのよ」
「…っ」
姉から発せられる言葉に、七瀬は言葉を失った。
初めて聞いた姉の本音、双子として産まれた片割れのずっと抱えていた気持ちだ。
受け入れなければと思うたび怒りと悲しみでどうにかなりそうだった。
「ねぇ、知ってるかしら。神族の家系ではね双子はタブー視されているのよ。災いの前兆だと言われていてね、そして力の持つ者は母親の胎内でその肉体を喰い合うのよそうして一人の子供として誕生するその一つの体には二つの魂が宿り、いずれ災いを引き起こす。だから私たち本当は生まれてきちゃダメなのよ特にあなたがね」
「……もういい」
「あら、逃げるの?相変わらず口喧嘩に弱いのね。可哀想な子」
「もう黙ってくれ、これ以上僕を失望させないでくれ―!」
腰に付けていたホルダーから銃を取り出す。
その銃口を七瀬は初めて身内であり家族である人間に向けた自ずとそれは震えて上手く狙いが定まらない。目がぼやけて見えずらい、目を擦ってようやく見えた瞬間七瀬は間合いを詰められたことに気付いて指を掛けていた引き金を引いた。
重たい破裂音と微かに聞こえた呻き声、そして―
目に映ったのは赤い雫が散る中、優しい笑顔で微笑む双子の姉—
七砂を支えた手は震えている。
段々と焦点が合わなくなっていく瞳を見つめて崩れる体と共に七瀬も座り込んだ。
冷たくなっていく体を抱き締める。
「な、なせ…」
「七砂、七砂…ッ」
「泣かないで…七瀬。ごめんね、こんなお姉ちゃんで…」
「泣いてない」
「あははっ嘘つき…ななせ、だいすき」
「僕も姉さんが大好きだよ」
「ななせを…さいごまで、まもって、あげたかったなぁ」
「うん。ありがとう…もう十分だよ」
抱き締める体は段々とか細くなっていく。
消えないで、逝かないで、一人にしないでなんて、独り善がりな願い事を隠して。
笑うんだ、と七瀬は口角を上げる。
「……の」
「なに?聞こえない…」
何か言葉を紡ぐ七砂の声に耳を傾けようと口元に顔を近づける。
「七瀬のお姉ちゃんで良かった…へへ、ずっと言いたかったの」
「——っ!」
「ありがとね、私をお姉ちゃんにしてくれて」
「うん…うん」
頬に伸びていた手が離れ落ちていく。
抱き締めた体がガラスのように砕け散った。
嗚咽が七瀬の喉を震わせる。たった一人の半身は七瀬の腕の中で消えてしまった。
もう二度と会えない―それでも七瀬は彼女をこの手で葬りたかった。
彼女の闇を背負えなかった責任を弟である、自分が背負うべきであると。
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