第15話
春嘉は瞼を開いて周りを見回す。
薄暗い一室、障子には季節外れの桜の影が映り花弁が流れる様が浮かんでいる。
ほんの少し開けられた隙間から麗らかな風が流れると同時に何処か懐かしさがある香りが鼻腔を掠め、霧がかった頭は何かを求めるように宙を舞う掌を誰かが優しく掬ってくれた。
柔らかい笑顔が春嘉を見下ろしている。髪の長い男だ、どこか出雲に似ていると思う、優しい眼差しが時折見せるあの食えない男の笑顔に重なってしまう。
何処か痛む所は、と問われれば無いと首を振る。戻された掌を優しく撫でられる。
温かい手が離れ、春嘉は体を起こそうとするが上手く行かずまた布団の中に戻る。
「出雲を呼んできますね」
「……いらない…」
その名前を聞いて思わず吐いた言葉。春嘉の頭の中で繰り返される幻想が妙に現実を帯びていていま彼と顔を合わせれば、彼に言わなくてもいい事をこれでもかと浴びせてしまいそうで怖かった。
心と体が反比例するような感覚が気持ち悪い。知らない記憶なのにそれを知っている自分が恐ろしいと感じる。
「では、落ち着くまで私が此処に居ましょう。自ずと彼は此処に来るはずですからね」
「……あなた、は」
「私は、早乙女右京。出雲の父です」
「…え」
「あぁ、そのままで。私は神族ではありません。ただの魔法使いです、春嘉くんとはお話をして見たかったのです。出雲と仲良くしてくれてありがとう」
「…感謝をされるようなことをした覚えはありません…寧ろ俺が、お礼を言いたいくらいなのに」
「ふふ。やはり彼はよき友を持った。父として嬉しい限りです…いま、キミは何かに戸惑っているようですが、それに関しては出雲の方から聞いたほうが良いでしょう。いつまでそこでそうしているのかは知りませんが、入りたいのであれば入りなさい」
呆けた様子で春嘉は障子の方へ目を向ければ、そこには一つの影が映り込んでいた。
出雲は少し困ったような顔で障子を開け、部屋の中へ入ってくる。
右京は、微かに笑うと入れ替わりで座った出雲の頭を軽く撫で部屋から出て行ってしまった。
「……痛みは?」
「ない…」
「そう」
「……」
沈黙が部屋を包み込む。
何故黙っているのか、春嘉には分からない。
何か言いたいことがあるのではないかとか、どうして黙っているのか。言葉が溢れそうになる気持ちを抑えているとそれに応えるように頬を何か温かい雫が流れる。
気持ちが溢れてしまう。止めたくても止められない。
「…!」
「なんで、黙ってるんだよッ。言わないといけないことがあるんじゃないのかよ」
「……春嘉が思っている事と、ぼくが思っている事が同じかどうか分からない…」
「はぁ?」
「ねぇ、教えてよ。春嘉はぼくに何を聞きたい?」
いつもの強気な表情は何処へやら、出雲はまるで迷子の子供のような顔で春嘉を見つめる。
正直殴ってやりたいと思った。困惑しているのはこちらの方で、思い出した記憶は身に覚えのない事なのに、自分には出雲の正体は以前よりもはっきりとした存在になっていて自分も同じ、神の存在であるという事が心に刻まれている事が不快で仕方がなかった。望んでいない、こんなこと望んでなどいなかったというのに。
「解放してくれ、こんなこと俺は望んでいない!!」
「…ごめんね」
「望んでないんだよ…全部、全部終わりにしただろう…」
春嘉という存在と、自身が第五神、
出会わなければ良かった。あの時見捨ててくれて良かったんだ。最初から、出雲は自分に嘘を吐いていたのだとそう気付いてしまった。その時点で春嘉には抑えられない思いが溢れてしまった。
第五神は、望まれなかった。全ての終わりに第一神の為に生み出された影のような存在で彼の終わりの為に創られた、呪われた存在だった。役目を果たさなければならない。彼をこの手で葬らなければならない、もう何度もそうしてきたそうしなければならなかったから、例え呪いが体を蝕んでいこうともそれを甘んじて受けなければならなかった。呪われた御霊が帰る場所などない、呪われたまま朽ちて逝くしかないのだ。
「出て行ってくれ」
「はる―ッ」
「出てけ!!」
春嘉は俯いたまま出雲を見ることなく言葉を投げつけた。
出雲は伸ばしかけた手を下ろして部屋を出て行った、そのまま玄関へと向かう。段々と歩調が速くなる。
擦れ違った
「聖神様!お待ちください!」
その声に気付いた大広間にいた晴翔と太陽が顔を出す。その前を急いで歩く出雲を見て晴翔と太陽は後を追う。
玄関まで辿り着いて、掴まれた腕を出雲は振り払った。
「帰る。春嘉のこと預けるから」
「待て、聖神—聖神!!」
晴翔の制止の声も虚しくそれは振り切られ、出雲は姿を消した。
「天光神」
「ボクに聞かないでくれる?あの二人は今生だといつもの事だよ、そのせいで天候まで左右されるんだから堪ったものじゃない。でも今回は、ボクじゃなくてアンタから説明してあげたほうがいいんじゃない?春嘉が、可哀想だよ」
「そうだが…混乱させないだろうか」
「全部思い出したって言うなら、アンタの言葉の方が一番安心するんじゃない?昔はずっと引っ付いて回っていたんだから」
「…分かった。神威暫く皆のことを頼む」
「分かりました」
晴翔はそう告げると踵を返し歩き出した。向かう先は春嘉のいる部屋だ。
その後ろ姿を見つめ太陽と神威は目を合わせる。
「天光神様は宜しいのですか?」
「ボクが行っても意味がないよ。呪神とはあまり深い関りがあった訳でもなかったし、ボクは彼に何もしてあげられなかった。先に死んじゃったし、一人残されるあの子の気持ちを誰も理解なんてしてあげられなかった訳なんだからさぁ」
「…そうでしょうか。私の記憶が正しければ皆さま呪神様をとても可愛がって構い倒していたようにお見受けいたしましたが」
「キミってどこまでの記憶持ち?普通盟約に則って来世では消されるはずじゃないの…?もしかして、邪神か…」
「ふふ。お優しい主を持ちました」
「そうですか」
「例え哀しくても覚えていたいのです。貴方たちが居たという事はこの国にとってとても大切なことですから、例え誰もが忘れても私は…忘れたくありません」
「好きにしたらいいよ」
「天光神様、どちらへ?」
「んー、第三神のところ」
「…はい。いってらっしゃいませ」
去っていく後ろ姿を見つめる。大きな背中は優しい光を帯びているようで神威には眩しく見えた。
晴翔は部屋の前に立ち部屋にいるであろう存在に声を掛ける。
少しの間が開いた後か細い声で返事が返ってきた。開けるぞと一声かけ障子を開ける。
布団の中で蹲った彼は涙で目を赤くさせている。その姿に思わず笑いそうになり耐える、涙目で見つめる姿が昔見た幼い頃の彼に似ていたから。日々悪夢に怯え泣きながら屋敷内で兄弟たちの姿を探していた彼ももうすっかり大きくなった。
泣くことは感情が正常に働いている証だ。情報を処理するために必要なことだ。
「お茶にしないか?美味しい茶菓子もあるぞ。あとお腹も空いているだろう、おにぎりも持ってきた食べないか?」
春嘉が微かにこくりと頷いたのを見て、布団から出てくるように促す。
障子を大きく開け放ち、新しい風を部屋に入れてやる。少しでも気分を変えようと工夫をしてみようと考えたのだ。
廊下と部屋の敷居の前で座り、大きな桜の木が視界を埋める。
「ほら。おいで、兄と話をしよう」
「……」
「いい子だな。さて、何から話そうか、キミについて?それとも俺かな、それとも…出雲—聖神についてか?」
「全部。分からないごちゃごちゃしていてどうすればいいのか、分からないんだ。そのせいでアイツを傷付けた…」
沈んだ顔をして俯く顔を日の光が照らしだす。
後悔の滲む顔はまた涙を流しそうな揺れた瞳が晴翔を見上げる。
可哀想なことをしたと、晴翔は内心思った。だが、あれは出雲にとっても想定外だったのだろう。きっと彼は何も言わずに春嘉を普通の人間として守り続けるつもりだったのだからだから何も言わなかった、真実を告げるタイミングは何時でもあったはずなのだ。だが、出雲はそれをしなかった。
「キミは、この国の第五神呪神だ。そして、俺が第一神邪神。出雲は第六神聖神。ここまでは分かるな」
「うん」
「俺たちは嘗て、この国を統治する神だった。その権利はいま人間に委ねられている、それは過去に起きた戦争力を欲するがあまり禁忌に触れた人間たちへの報復であり報いだ、そしていま残っている力の残痕が神気と瘴気だな。自ずと俺たちは近しい存在だ、人間が望んで生まれた神であり、それを託した神も俺たちだ。そして結局は繰り返している」
「繰り返す…」
「人間は、時代が変わろうとも。己の力を誇示したい生き物だ、だから争いがおこる。例えそれを望んでいなくとも権力を持つ人間がそれを掲げてしまえばそれは瞬く間に燃え広がり、やがて悲劇になり繰り返す。学ばない生き物だからな仕方がない、止めなければならない。だから俺が此処に来た。だから、何も怖がる必要はないその記憶は全て事実で、真実だ。だが、いまの俺では彼を止めることは出来ない」
春嘉は目を伏せる。
晴翔は膝を抱え縮こまる彼の頭をかつて撫でたように優しく宥めるように撫でてやる。
「あの邪神を止めるには、人間から一人神から一人選ばないといけない。神からはお前だな」
「人間からは?」
「…翔に頼もうと思う」
「……反対だ」
「俺もそう思うよ。酷なことを背負わせてしまう、まだ成人を迎えていない子供が背負うことではない」
「だったら!」
「それでも、そうしなければいけない。皆辛いのだ、誰か一人を特別に見ることは出来ないだからこそ、この現状を打破する必要がある。いまこの間にも犠牲者が増え続けている、一人の協力で全てがひっくりかえせるわけではない。だが、彼の力が我々には必要だ」
「……考えたい」
「あぁ。心を整理する必要があるな」
「ごめん」
「何、問題は無い。—呪神、いやいまは春嘉といったか」
何かと口を開こうとした瞬間、強い力で抱き締められる。驚いて身じろぎ一つ出来ずにいると、次いで頭を撫でられたまるで幼子を宥めるように―。
「生まれて来てくれて、生きていてくれてありがとう。また今生でもお前に会えて嬉しいよ」
「—っ」
初めて言われた言葉だった。
春嘉は生まれてからそんな言葉を掛けられたことは無い、実の両親でさえ春嘉を忌まわしく遠ざけた撫でられることも無かった。力のせいで体中に静電気が走っていて痛みが出るからだ。それから春嘉は人に触れることは無くなった。出雲はそんな体質の春嘉を厭わず工夫を尽くしてくれていた。
心の帳が消えていく感覚がした。ずっと自分の中でうずいていた感情にやっと答えを見つけられた気がした。晴翔に呪神と言われた時ほっとしたのだ。
ずっと春嘉と呼ばれることに抵抗があったのは嘘ではない。だが、いまではその不安も消えたどちらも自分であることは変わりがないのだから。
「—それで、逃げかえって来たのか?」
「どうしようもなかったんだよ」
「では、こんなところでだらけずに仕事をしろ。やるべきことは大いにある、お前たちが姿を消してから東地区は壊滅、道を封鎖するのにどれほど大変だったか…聞いているのか」
「あーうん。ご苦労様」
「自国の民を見捨てるつもりか?あんな大口を叩いておいてその様か」
「いや?そうでもないよ、事は順調に進んでる。助かった人もいるだろう?全てを救うことは出来ないそれは分かっているじゃないか?ぼくらは神だけど仏じゃない、この国の安寧の為に創られた神だ、創造神だよ。全てを救うには力が足りない」
「そうだが…お前何をするつもりだ」
「望むのは…全ての終わりだよ」
ノヴァは部屋で書類を寝ながら確認する出雲を見下ろす。
ふざけた男だ、とそう思わざるを得ない。毎日ニュース番組では被害者の報道をしている。残された数少ない現場関係者らは消えた戦闘員たちを待っている。
まるで、英雄とでも言うように―。
この国は確実に変わろうとしている、それがどちらに向くかは誰にも分からない。
だが、着実に終わりも近づいているとノヴァは月夜を見上げ奥歯を強く噛み締めた。
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